空閨残夢録 -4ページ目

空閨残夢録

上層より下層へ 
中心より辺境へ 
表面より深淵ヘ 
デカダンよりデラシネの戯言




 昭和初期の世相は、不景気にともない失業者や浮浪者に対して、当時の日本では「ルンペン」と呼んでいた。ルンペンの語源は、カール・マルクスが労働者階級から脱落した極貧層や、労働意欲を失った浮浪的無産者を、「Lumpen proletriat (ルンペン・プロレタリアート)」と称して、反革命の温床と既定した言葉なのである。



 ドイツ語で浮浪者を“ Penner” 若しくは “Pennbrunder” と表すが、マルクスは「ごろつき」を意味する “Lumpenhund ”から、このルンペン・プロレタリアートなる言葉を発案したのである。



 ルンペンの本来の意味には、「布切れ」、「ぼろ服」の意味がある。北海道にはボクが幼い頃に、ルンペン・ストーブという安価なストーブがあって、これは二台一組で使用する薪や石炭の固形燃料用のストーブである。



 ルンペン・ストーブの燃料が燃え尽きると、ストーブ内部には燃え滓の灰が残る。おまけにストーブは余熱で熱いから、次の燃料を補給するのに手間取り、この間にロスタイムとなり折角に温まった部屋は寒くなってしまい、次のストーブが温度を上げるのに無駄な時間を要するから、二台一組にすると暖かさは連続されて効率が良くなる仕組みとして利用されていた。



 しかし、この二台一組式ルンペン・ストーブには煙突が二本必要となり、後に煙突共用式一体型燃焼部二層構造のルンペン・ストーブが普及することになる。更に板金から鋳鉄製のダルマ・ストーブに発展して耐久性がよくなる。



 ルンペン・ストーブは安価な板金の暖房機材だから、耐熱性が脆弱にして、錆びつきやすく、耐久力が弱いから、使い捨てに近い暖房機材なのである。そこがルンペンと呼ばれる由来になった。マルクスに言わせれば、反革命的ストーブといえる今では懐かしいレトロなストーブなのである。






 




 さて、話は変わるが、グリム童話のお話である。・・・・・・マルクスにより貶められた名前を持つルンペンを冠する小人の話なのだが、「ルンペンシュティルツヒェン」の民話を紹介させていただく。この小人は反革命分子なんかではなくて、小人の魔法使いである。




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 昔々、ある処に、一人の粉ひき屋さんがおりまして、粉ひき屋さんは貧乏でしたが、とても美しい娘が一人おりました。或る日、粉ひき屋さんは王様に謁見する機会が訪れて、何故か訳の判らない法螺のような大見栄をはってしまいました。

 「私には世にも麗しゅう娘がおりますが、この世にも美しい娘が藁を紡ぎますと、藁が黄金になるのでございます」

 粉ひき屋は王様と逢えた機会を利用して、貧乏で惨めな娘を、王様の気を惹かせるために、とんでもない法螺話をしてしまい、王様も粉ひき屋の話にのって娘を城へ連れてくるように命じました。

 そこで娘は、お城に行くこととなり、藁の積まれた部屋へ閉じ込められて、糸車と糸巻きを渡されて、王様に言われました。

 「明日の朝までに、この藁を紡いで金にするのだ。さもなくば、お前に死を命じる」

 娘は悲嘆のあまり途方に暮れて座り込み、やがて泣き出してしまいました。すると何処からともなく小人が現れて声をかけてきたのです。

 「粉ひき屋のお嬢さん!・・・何で泣いてるの?」

 娘は答えて事のあらましを小人に聞かせました。すると小人が言うことに・・・

 「もしもボクが藁で金を紡いだら、このボクに何をくれる?」

 娘は首飾りをあげる約束をすると、小人はコトコトコトコトと糸車を手繰りはじめて、朝までに糸巻きは黄金の糸であふれたのです。

 朝に王様がやって来ると、はじめは驚愕し、やがて狂喜に変わり、欲ばりな心で満ち溢れた王様は、娘に再度命じて言いました。

 「娘よ・・・今宵までにこの倍の金を藁から紡ぐのだ!」

 娘は再び途方に暮れて、泣きじゃくるしか術が無く床へ伏せてしまいました。そこへ小人が再び登場して言うには・・・・・・

 「もしもこの藁から金を紡いだら、今度は何をくれる?」

 娘は指輪をあげる約束をすると、小人は藁を紡いで金にしてくれました。

 やがて王様は現れて大喜びして娘に言いました。

 「夜更けまでにこの倍の藁を黄金に紡いだら、私の花嫁にむかえようぞ!」

 娘がひとりになると小人はすぐに現れて言いました。

 「今度も藁を紡いであげたなら、次はボクに何をくれるかネ?」

 娘は小人にあげる物はもうありませんでした。すると小人は、もしも王妃となったなら、生まれた王子をさしだして欲しいと望むのでした。

 娘は小人と約束をして、やがて目出度く婚儀をあげて、世にも麗しゅう王妃さまとなりました。・・・・・・そして、やがて王子を出産した娘は、小人との約束など忘れておりました。

 そんな幸せな日々に或る日突然に小人が現れて王妃に言いました。

 「約束通り、王子をいただきに来たヨ!」

 王妃は慌てふためき、国じゅうの金銀宝石を全て与えるから、王子だけは連れていかないでと懇願しました。

 小人は王妃を不憫に思って言いました。

 「それでは三日だけ猶予を与えるから、ボクの名前を当ててごらん!」

 王妃は使者を遣わして、小人の素性を探し調べましたが、次の日に小人が王妃の前に現れたのです。そこで王妃はある手がかりから名前を三つあげました。

 「あなたの名前はカスパールでしょう?」

 「ビー!・・・ハズレ!」

 「では、メルキオールね!」

 「ビー!・・・ハズレ!」

 「それでは・・・バルタザールよ!?」

 「・・・残念無念・・・ハズレだよ!」

 二日目にも小人は王妃の前に現れたが、王妃は小人の名前を当てることが出来ずに、やがて約束の三日目を迎えました。

 しかし、王妃の使者のうちに有能な魔法使いがいて、小人の隠れ家を見つけたのです。この使者は小人が酒を飲んで踊り歌う姿を目撃して聞いたことによると・・・・・・。

 「パンを焼き 明日は酒を造る♪・・・あさっては王妃から珠のような王子をいただく♪・・・ボクの名前がルンペンシュティルツヒェンってことは誰も知らない♪・・・誰も知らない・・・あぁ~嬉しや嬉しや♪」

 使者の報告を聞いた王妃は三日目に小人の名前を言い当てて、小人は床を踏みつけて地団駄を踏み続けて、斯く語りき・・・・・・

 「悪魔と通じたな王妃よ!・・・悪魔の声を聞いたのだな!・・・おのれ!」

 小人はくやしがって右足を地面に踏みつけると地に埋まり、残った左足を両手でつかむと、自分自身の体を真っ二つに裂いてしまいました。




 この物語は伝説的な説話のなかでも、「悪魔(鬼)の名前当て」というモチーフの範疇に属する民話であり、日本の『大工と鬼六』、英国の『トム・ティット・トット』等にも見られる昔話に通じたカテゴリーの説話である。




 1697年初版の、シャルルペローの民話で、『サンドリアン或いは小さな硝子の上靴』は、皆様ご存知の、「シンデレラ姫」のお話であり、民話であり、童話として今に伝わる。シンデレラをフランス語で発音すると、「サンドリアン」となるのだが、グリム童話のシンデレラ物語は、邦訳を「灰かぶり姫」と当初は訳されている。「灰かぶり」とは、英語で「cendre」であり、つまり翻訳すれば“灰”のことで、フランス語では、「cendrillon」となる訳である。



 ディズニーの映画では、シャルル・ペロー版を原作にしており、「シンデレラ姫」のタイトルになって日本では知られている。このディズニー版「シンデレラ姫」は、継母と、その連れ子の姉ふたりに、「灰だらけのお尻さん!」とか、「灰だらけさん!」と呼ばれて、意地悪をされておりました。そんな継母や姉たちに遠慮して、暖炉の隅で灰の上でしか休む場所がなくて、灰にまみれていたからのが理由であった。



 そんなシンデレラをペロー版の物語では、フェアリー、仙女、グリム版では、魔女が、魔法で、舞踏会に行くために、かぼちゃを馬車に、鼠を馬に、太った鼠を御者に、6匹の蜥蜴を従者にして、金銀ピカピカの宝石が鏤められたドレスを、灰だらけの洋服から変える。そして、ガラスの靴は妖精の懐からプレゼントされるのでした。ですから、午前零時を過ぎて魔法が解けて、馬車はかぼちゃに、宝石のドレスは灰だらけの服に変わったのだけれども、魔女のプレゼントの「ガラスの靴」だけは、そのまま変わることがなかった。



 つまり、それは、靴だけは魔法の力ではなくて、魔女の懐から出された真心のプレゼントであったからなんですネ。シンデレラ説話において、「靴」は重要な部分であるのだが、この靴という要素が物語の大きなポイントでもある。シンデレラの靴は、シャルル・ペローの作品だけが、素材がガラスなんですネ。ディズニー映画ではペロー版を原作にしているようなので、こちらもガラスの靴であります。


 グリム版では「金の靴」でありまして、もう少し正確にいうならば、「金の刺繍」の入った靴だったと思われる。それは中国にもシンデレラ説話が昔からありまして、中国版のシンデレラ(葉限)も「金の靴」であり、それは髪の毛一本ほどの軽やかな金の靴でしたから、金の羽毛のような感じかなぁ~と、想像される靴である。



 文豪バルザックやあらゆる学者が、「シンデレラの靴は硝子か、それとも毛皮か」などと、200年くらいにわたって論争を繰り返してもいて、古代の王侯貴族や高貴な身分の者は、「毛皮の靴」を履いていて、それは「栗鼠の毛皮」らしいという説が有力であり、硝子や宝石の素材説は学者さんたちはメルヘンであり合理主義者や科学者はお嫌いのようです。


 それはさておき、シンデレラの靴はガラスでなきゃ物語としては面白くないよねぇ~。「シンデレラの靴はガラスではない!」と否定する学者や、石頭のバルザックおじさんは、ペローが字を書き間違えたと主張してもおります。ガラスの靴を「Panntoufeles de Verre」とペローは表現しているんですが、靴は「Panntoufeles 」、ガラスは「Verre 」なんですね。英訳すれば「Glass slipper 」となる。



 この「Verre 」が、「Vair 」の表記違いだと学者さん達はイチャモンをつけている訳なんですが、「Vair 」とは、栗鼠の毛皮で、銀リスとかシベリア栗鼠の毛皮らしいのですネ。ボクはたまたま先日、あるドイツ文学者の評論を読んでいると、シンデレラの靴は緑色だと書かれており、それで、あれこれアレコレと想像をめぐらせました。



 ガラスの靴はなんとなく透明であるという先入観が壊れて、緑色のガラスとか・・・緑色の宝石などをイメージして、とりあえず酒を飲んで考えるともなしに考えあぐねて、或るリキュールを思い浮かべたんですネ。それはフランスの薬草酒で、「シャルトリューズ」のことで、この酒は黄色のジョーヌと、緑色のベールがございますが、緑のベールをフランス語で表すと、「Vert 」なんですネ・・・・・・



 つまり、「Vert 」=(緑)、「Vair 」=(銀栗鼠)、「Verre 」=(ガラス⇒グラス⇒コップ)のいずれも同音異義語で、これをベールと発音するのであります。ついでに辞書をひきますと、「Vers 」=(詩句)も同様の発音です。



 然るに、シンデレラ説話では高貴なる印としての(銀栗鼠の毛皮)が、リアリティとしての靴であり、これを吟遊詩人のシャルル・ペローは(ガラス)の象徴としての靴に変えて、更なる深い神話的または心理学的なレベルで、灰にまみれ、埋もれた存在が、緑の輝きで蘇る隠喩を物語に秘めていると推測されるのであります。



 灰色は、死と眠りの象徴であり、緑色は、再生と生命の躍動のシンボルとすれば、シンデレラ姫の靴はポエジー(靴=詩)であり、フェティシズムの神話が秘められた魔法の靴なのである。(了)






 グリム童話に『六羽の白鳥』と『七羽のからす』という民話を編纂した物語がある。『六羽の白鳥』は、継母の魔女により白鳥に姿を変えられた兄たちを、末娘の妹アンナが、自分を犠牲にしてまでも取り戻そうとするお話。



 『七羽のからす』は小さな女の子が、七人の兄たちが、魔女の呪文で烏に変身されて、姿を消した兄を探す旅に出ることで、多くの試練うけるお話である。



 白鳥や烏にされた兄たちの呪いを解くためには、妹の王女は「シュテルン・ブルーメ(星の花)」という花でシャツを編んで、これを着せてあげることにより、呪いを解く筋書きが物語に共通している。



 この「シュテルン・ブルーメ」とは、水仙(スイセン)の別名だったり、キク科の友禅菊(ユウゼンギク)だったりするのだが、アンデルセンはこの童話に出てくる、「シュテルン・ブルーメ」をイラクサ科の植物にしている。それはつまりセイヨウイラクサなのである。



 アンデルセンの童話で、『野の白鳥(De vilde Svaner)』に出てくる11人の兄たちが、継母の魔女に魔法で白鳥にされ、末娘のエリサが兄たちを助ける旅に出る物語があるが、これはグリム兄弟のお話と同じ“下敷き”の伝承民話でありまして、グリム兄弟は民話や伝承を、口承の語りべのお話を忠実に編纂をしたのに対して、アンデルセンの童話集は原話を元に、アンデルセン流に創作し編集されているのでした。



 蝦夷地には「エゾイラクサ」がございまして、アイヌはこの繊維を生活に用いていた。東北では「アイコ」といって、「ミヤマイラクサ」があるが、春は山菜として食べ、この繊維で「からむし織り」という布を作っていたことでも知られている。


 イラクサは、「苛草」とか、「刺草」、「棘草」と漢字で表記するが、漢名は「蕁麻」である。ですが、「蕁麻」は中国ではイラクサではなくて、他の植物のようであるが、エリサちゃんが布にしたイラクサには、眼で見えないほどの棘が無数にあり、これに触れると痒くて微妙な痛みさえ感じるのであった。


 この触れると蕁麻疹がでるようなイラクサをもって、『野の白鳥』の王女エリサは、白鳥にされた兄たちの為に魔法を解くシャツを編むのでございました。昔の日本でも「からむし」というイラクサ科の植物を栽培して、これを苧麻(ちょま)とか青苧(あおそ)とよんで繊維にして着物としていた歴史がある。



 アンデルセンは民話として伝わる「シュテルン・ブルーメ(星の花)」を、セイヨウイラクサとして現実的な植物を物語りに登場させている。それはメルヘンの編纂者の感覚よりはファンタージーの作家のようだし、民俗学的にも正しい知識である。



 イラクサの小さな棘に秘められた成分は、これに触れるとチリチリと執拗な痛みが、緩慢に長くヒリヒリ絶えずつづく、これは蟻酸とか、ヒスタミンの一種だとか、酸性毒とも言われるが、非常に辛い思いをいたします。


 なんと、『野の白鳥』の悲劇のヒロインであるエリサちゃんは、このイラクサの毒に6年間も耐えながら、声も出さずに穴倉でモクモクと、兄たちの為に肌着を編み続けるのでした。・・・・・・あぁ~可哀想なエリサちゃん!



 そんな悲劇的なエリサちゃんなのに、物語の最後には、なんと無実の罪をきせられて魔女裁判の判決で、火あぶりの刑にされるんですよネ。このラストシーンの結末はアンデルセン童話集の『野の白鳥』とか『白鳥の王子』を読んで下さいネ!



 さて、このエリサちゃんに辛い思いをさせたイラクサは、西欧ではハーブとしても有効に有用に利用もされているのでした。セイヨウイラクサは英名を「ネトル」といってお茶のように飲んだり、コーディアルとして飲料水にして用いられてもおりまする。鉄分が豊富で安眠効果やアレルギー改善に役立ちます。花粉症にも有効かと思わしいのであります。



 イラクサの棘は熱を加えたり乾燥させることで、イライラしつこい毒成分を消せるのでありまして、可哀想なエリサちゃんはコノ方法を知らずに、素足で生のイラクサをシゴキ、手で揉んで糸にして、これをシャツにして編んだのでありますヨ。さぞや辛かったろうにネ、このセイヨウイラクサは学名が「ウルチカ」、花言葉が「意地悪な君」でありまして、ボクはアンデルセンが一番の意地悪だと思んだよネ。



 ですから、グリム童話は美しくも残酷なメルヘンですが、アンデルセン童話は被虐的メルヘンであります。童話には残酷な面が案外、目にしますけれども、アンデルセンは少女エリサに対して、執拗に苦難と試練を物語りの中で与えつづける。その極地はコノ呪いを解く為のシャツを織るイラクサの試練である。


 一度だけ誤ってイラクサの棘に触れたことがあるボクだが、譬えるとすれば、微細な硝子の破片を微温湯に片栗粉と解いて、そのトロっとした粘液を肌へ擦り込む感じでしょうかネ。それを毎日、それも6年間も、麗しい少女の肌へ擦り付ける陰湿なサディズムをアンデルセンにボクは感じるのである。



 さて、皆さんはメルヘン的な「シュテルン・ブルーメ(星の花)」の肌着を選ぶか、エリサちゃんの苦悩と被虐性で編まれたイラクサの肌着を求めるか、さてさてどちらでしょうか・・・・・・。









 『ピーター・ラビットのおはなし』は愛くるしい兎の挿絵を描いたビアトリクス・ポター(Helen Beatrix Potter)である。彼女は1866年にロンドンに生まれた。それは『不思議の国のアリス』公刊の翌年にあたる。


 イギリス帝国のヴィクトリア朝時代の裕福な子供たちがそうであったように、ポターは幼少時代はベビーシッターとメイドとガヴァネス(家庭教師)によって育てられる。 また、他の子供たちとあまり関わることもなく、庭でイモリ・蛙・蝙蝠・兎などを飼い幼少期を育った。



 少女時代のポターは何時間も飽くことなく小動物や植物を観察し、外出や遠出の際にペットもよく一緒に連れて行っていた。ピーターラビットのモデルになった兎も、この頃に飼っていたようだ。いつも飼っているペットの小動物をよくスケッチしていたと伝わる。 夏は、パースシア地方、スコットランド、湖水地方などの貸し別荘にて過ごしていたと伝わる。



 やがてポターは湖水地方のニア・ソーリー村の風景を30歳の時に斯様に日記へしたためている。




 「かつて住んだことがないほどほぼ完璧な、こじんまりとした場所、素敵なオールドファッションな村人たち・・・・・・」




 このニア・ソーリー村を中心に兎のピーターをはじめ、家鴨のジマイマや子猫のトムのお話の舞台として村の家並みや自然が描かれた。村で唯一のパブである「タワー・バンク・アームズ」は『あひるのジマイマのおはなし』に登場する。パブ(Pub)とは、アメリカでいうバー、フランスのカフェで旅館と飲食店を兼ねた店である。



 このパブと同じ棟に宿泊できるインという「バックル・イート」があり、『パイがふたつあったおはなし』に描かれている。絵本の印税でポターは村のヒルトップ農場と家を購入するのだが、こちらは『こねこのトムのおはなし』の舞台として描かれている。


 ワーズワース兄妹を中心とするいわゆる湖畔詩人たちのゆかりの地でもあるポターが愛した湖水地方は、ウィンダミア湖、ダーウェントウォーター湖畔などの風景を一度目にしてみたいものだが、エドラダワーの小さな蒸留所でウィスキーを煽ってみたいものである。










 





 西欧の音楽には、オペラやクラシック音楽、また民謡や大衆音楽があるのだが、教会や宮廷から発展した上流文化の音楽潮流と、民衆や農村から発展した大衆文化の音楽の二大潮流が連綿と歴史に現れている。この二つの潮流があり、これらが互に影響しながら現代に至るポピュラー・ミュージックが生まれたと思わしい。



 最近はあまり耳にしないが、一昔前にはラジオでポピュラー・ミュージックを軽音楽と呼ばれていた。これはクラッシク音楽に対しての軽い音楽といことであろうが、定義はともかくとして、二つの潮流の音楽があり、その底流の軽音楽の歴史的展開で流行した音楽を、ここでは話題としたい思う。



 この軽音楽を、ここでは、まとめて大衆音楽という言葉で包括して話しを進めよう。まず、ポピュラー・ミュージックの登場以前の歴史的背景から簡単に述べるが、人類が文明社会を構築する以前から、つまり、狩猟や採集の原始的な共同体で生活していたころより、人類は音楽を奏でていたのである。言語を獲得する以前に音楽的によるコミュニケーションを体得していたとも思えるであろう。



 「平家物語」は、13世紀初頭に流布した口伝の物語だが、琵琶法師が語るこの物語を平曲という。平安朝末期の治承(1177年)から寿永(1185年)年代前後の史実を伝えている。琵琶という楽器と語りによる日本では古典的な芸能の一つだ。



 英国では中世のバラッド(物語唄)が、「平家物語」と時を同じくして、ロビンフッドの物語やアーサー王伝説などが、ハープのような弦楽器を手にした大道芸人により欧州各地に物語りは伝播する。それよりも古く、ホメロスなどの叙事詩を語る古代ギリシアの詩人であるアオイトスが存在している。



 このアオイトスのような吟遊詩人を、物語の語り部であり、唄い手であり、楽器奏者を、吟遊詩人と一括りに日本では呼ばれているが、フランスではシャンソン・ド・ジェストと呼ばれる武勲詩、「ローランの歌」などを語る吟遊詩人をジョングールという。やがて、宮廷に抱えられた吟遊詩人をメネストレル(英=ミンストレル)と呼ばれた。



 「ローランの歌」のような武勲詩は、やがて爛熟するルネッサンスの宮廷文化で芸術的頂点を極める吟遊詩人アリオストの「狂えるオルランド」の一大叙事詩へと昇華する。その頃の文学は、その昔、定型詩であり、韻を踏んで、歌のような要素が大きい詩的な音律をもつ歌詞のような文体となっていた。



 古代の物語は、言葉で韻を踏むことにより、語られ、リズムをとり、歌われ、人々の記憶に残りやすい形を、定型詩のスタイルのなかにみられる。さらに古代からの宗教的な典礼による楽曲もまた同じであり、現代に於いても讃美歌集の多くは、口語ではなく、文語で歌われることからも窺えるであろう。









 さて、フェデリコ・フェリーニの『道化師』という作品があるが、サーカスのような曲芸や大道芸は、言葉よりも、その肉体的な表現で、子供から大人まで楽しませてくれる大衆芸能である。言葉は全く不要でも、音楽は舞台の演出に大きな要素となる。それは、フェリーニの映像を見ていただければ理解できよう。







フェリーニの道化師
http://youtu.be/-pBSBBbWkSU

http://youtu.be/hKfw7YuGXYg







 「フェリーニの道化師」のサーカス場面を見ると、少年のようにワクワクとした気分が昂揚してくるのは、大人になっても変わらないのはボクだけではないであろう。音楽は現代ではCD、レコード、ラジオという媒体で音だけを聞けるのだが、しかし、過去は、昔は、大昔は、楽器を演奏して、踊り、歌う演者が、祝祭的であり、娯楽的であり、演劇的な要素の空間と密接につながっていた時代である。



 斯様な空間で客体となり、聴く者も五感で体感して、レコードやラジオでは味わえない体感的な陶酔の世界にも誘引される演劇的な世界を開顕していたのが古代のライブ的ともいえる時空間を音源としていたのである。



 されど人間の想像力は聴覚だけでも、ラジオのような媒体から無限に広がり、音楽の形而上的世界と、思考的な身体に属する言語は、精神と肉体の如く関連性をもっている。つまり、作詞と作曲という歌の関係性から観ると歌謡曲とは一つの物語であり、映画とは複合した芸術性を醸し出した物語の総体化である。