偏愛映画音楽秘宝館 その15『フェリーニの道化師』 | 空閨残夢録

空閨残夢録

上層より下層へ 
中心より辺境へ 
表面より深淵ヘ 
デカダンよりデラシネの戯言

 





 西欧の音楽には、オペラやクラシック音楽、また民謡や大衆音楽があるのだが、教会や宮廷から発展した上流文化の音楽潮流と、民衆や農村から発展した大衆文化の音楽の二大潮流が連綿と歴史に現れている。この二つの潮流があり、これらが互に影響しながら現代に至るポピュラー・ミュージックが生まれたと思わしい。



 最近はあまり耳にしないが、一昔前にはラジオでポピュラー・ミュージックを軽音楽と呼ばれていた。これはクラッシク音楽に対しての軽い音楽といことであろうが、定義はともかくとして、二つの潮流の音楽があり、その底流の軽音楽の歴史的展開で流行した音楽を、ここでは話題としたい思う。



 この軽音楽を、ここでは、まとめて大衆音楽という言葉で包括して話しを進めよう。まず、ポピュラー・ミュージックの登場以前の歴史的背景から簡単に述べるが、人類が文明社会を構築する以前から、つまり、狩猟や採集の原始的な共同体で生活していたころより、人類は音楽を奏でていたのである。言語を獲得する以前に音楽的によるコミュニケーションを体得していたとも思えるであろう。



 「平家物語」は、13世紀初頭に流布した口伝の物語だが、琵琶法師が語るこの物語を平曲という。平安朝末期の治承(1177年)から寿永(1185年)年代前後の史実を伝えている。琵琶という楽器と語りによる日本では古典的な芸能の一つだ。



 英国では中世のバラッド(物語唄)が、「平家物語」と時を同じくして、ロビンフッドの物語やアーサー王伝説などが、ハープのような弦楽器を手にした大道芸人により欧州各地に物語りは伝播する。それよりも古く、ホメロスなどの叙事詩を語る古代ギリシアの詩人であるアオイトスが存在している。



 このアオイトスのような吟遊詩人を、物語の語り部であり、唄い手であり、楽器奏者を、吟遊詩人と一括りに日本では呼ばれているが、フランスではシャンソン・ド・ジェストと呼ばれる武勲詩、「ローランの歌」などを語る吟遊詩人をジョングールという。やがて、宮廷に抱えられた吟遊詩人をメネストレル(英=ミンストレル)と呼ばれた。



 「ローランの歌」のような武勲詩は、やがて爛熟するルネッサンスの宮廷文化で芸術的頂点を極める吟遊詩人アリオストの「狂えるオルランド」の一大叙事詩へと昇華する。その頃の文学は、その昔、定型詩であり、韻を踏んで、歌のような要素が大きい詩的な音律をもつ歌詞のような文体となっていた。



 古代の物語は、言葉で韻を踏むことにより、語られ、リズムをとり、歌われ、人々の記憶に残りやすい形を、定型詩のスタイルのなかにみられる。さらに古代からの宗教的な典礼による楽曲もまた同じであり、現代に於いても讃美歌集の多くは、口語ではなく、文語で歌われることからも窺えるであろう。









 さて、フェデリコ・フェリーニの『道化師』という作品があるが、サーカスのような曲芸や大道芸は、言葉よりも、その肉体的な表現で、子供から大人まで楽しませてくれる大衆芸能である。言葉は全く不要でも、音楽は舞台の演出に大きな要素となる。それは、フェリーニの映像を見ていただければ理解できよう。







フェリーニの道化師
http://youtu.be/-pBSBBbWkSU

http://youtu.be/hKfw7YuGXYg







 「フェリーニの道化師」のサーカス場面を見ると、少年のようにワクワクとした気分が昂揚してくるのは、大人になっても変わらないのはボクだけではないであろう。音楽は現代ではCD、レコード、ラジオという媒体で音だけを聞けるのだが、しかし、過去は、昔は、大昔は、楽器を演奏して、踊り、歌う演者が、祝祭的であり、娯楽的であり、演劇的な要素の空間と密接につながっていた時代である。



 斯様な空間で客体となり、聴く者も五感で体感して、レコードやラジオでは味わえない体感的な陶酔の世界にも誘引される演劇的な世界を開顕していたのが古代のライブ的ともいえる時空間を音源としていたのである。



 されど人間の想像力は聴覚だけでも、ラジオのような媒体から無限に広がり、音楽の形而上的世界と、思考的な身体に属する言語は、精神と肉体の如く関連性をもっている。つまり、作詞と作曲という歌の関係性から観ると歌謡曲とは一つの物語であり、映画とは複合した芸術性を醸し出した物語の総体化である。