空閨残夢録 -12ページ目

空閨残夢録

上層より下層へ 
中心より辺境へ 
表面より深淵ヘ 
デカダンよりデラシネの戯言



 沙翁とは、かのシェークスピアのことで、拉芬陀とは、ラヴェンダーの花を漢字で表した言葉である。さて今宵はシェークスピアの戯曲で『冬物語』の話題です夏ですけどネ・・・・・・。 
  

 ラヴェンダーという語は、古典ラテン語 “lavo (洗う)”をもとに作られたイタリア語の“lavanda (洗う)”に由来するといわれるが、最も旧いスペリングは“ livendula” で、これはラテン語の“ liveo (鉛がかった青)”に関係するという。いずれにしても、古代ローマ人は入浴剤としてラヴェンダーを好んで使用していたと伝わる。



 ラヴェンダーは大きく四種類に分けられる。一般的に知られているオフィキナリス種(真性ラヴェンダー)を含むスパイカ系、薬草として古くから用いられたストエカス系、花はストエカス系に似ているが葉が鋸歯をもつデンタータ系、葉が羊歯のようなプテロストエカス系。



 英仏の花言葉の本にみられるラヴェンダーのそれは、「疑惑」又は「不信」。米国の本では「承認」、「勤勉」、「告白」といった花言葉が載っている。なおラヴェンダーはピューリタンが好んだ香りでもある。その清潔な感じのフレッシュな香気には鎮静作用がある。


 ディオスコリデスの『薬物誌』には、近代医学の基本的参考書の一冊となった本だが、ストエカス系ラヴェンダーの薬効として、胸部の痛みや解毒剤に配合しても有効と示されている。現代でも精油として使うアロマテラピーに於いては、精神安定剤、安眠効果、殺菌、消毒の効能から万能薬とみなされる。



 ラヴェンダーの香りは、清々しく、しかも甘さを含み、リノナールとリナリアセテートを主成分に、カンファーなどの約300種の成分が、繊細な香気をつくりあげている。種類や栽培地によって少しづつ香りが異なるのは、他のハーブと同様である。ラヴェンダーは、花、葉、茎など全草が香るので、開花期に刈り取って蒸留する。



 シェークスピアの諸作品には花と香気の博物学と呼べるほど、薬草、薬味用植物、香料植物などのハーブ類の宝庫でもある。そのなかでも薔薇は比喩もあわせると百回近くも作品に登場する。それに比べてラヴェンダーはただの一回のみ現れるだけである。その作品は、『冬物語』で、四大悲劇のようにポピュラーではないが、悲喜劇に抒情詩、魔法、博物学の要素を取り入れた坩堝のような、シェークスピア後期の「ロマンス劇」の傑作の一つである。



 さてさて、『冬物語』のあらすじを紹介しておこう。



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 シチリア王リオンディーズは、シチリアへ来訪した親友のボヘミア王ポリクシニーズが、妻のハーマイオニと密通していると誤解する。リオンティーズ王は臣下であるカミローに、ボヘミア王ポリクシニーズの毒殺を命ずる。しかし、ポリクシニーズの無実を知っていたカミローは、彼に危険を伝え、共にシチリアを脱出する。

 これに激怒したリオンディーズ王は、妻のハーマイオニを牢獄へ入れる。リオンディーズ王は獄中で生まれた王女パディータをボヘミア領内へ捨ててくるように臣下のアンティゴナスに命じ、アンティゴナスはそれを実行した。だがリオンディーズ王は、神託によって密通の疑いは誤解であること、そして王女パディータの消息がわからない限り、永遠にリオンディーズ王は跡継ぎに恵まれないと宣言される。

 さらには、王子マミリアスが母の身を心配するあまりに死んだということを知らされ、また息子の死にショックを受けた王妃ハーマイオニは獄中で自害したとアンティゴナスの妻ポーリーナに伝えられ、リオンディーズ王は激しい後悔に苛まれる。王女パディータの消息を調べさせるも、アンティゴナスがボヘミアで死んだために王女の行方は分からなかった。

 舞台は16年後のボヘミアへ移る。王女パディータはボヘミアの羊飼いに拾われて、美しい少女に成長していた。その羊飼いの娘と身分違いの恋に落ちたボヘミア王子フロリゼルは、父ポリクシニーズの反対を避け、ボヘミア王の臣下となっていたカミローの助言を受け、パディータと共にシチリアへやって来る。未だポリクシニーズとの交友を回復できないでいたリオンディーズ王は、きっかけとするために二人を受け入れる。ポリクシニーズが羊飼いを伴ってシチリアを訪れ、羊飼いの証言により、羊飼いの娘が実はリオンディーズ王の娘であったことが明らかになる。

 晴れてフロリゼルとパディータは結ばれ、リオンディーズ王もポリクシニーズ王との友誼を取り戻す。実は王妃ハーマイオニも死んでおらず、ポーリーナに匿われており、ポーリーナの気遣いにより夫婦は運命の再会を果たして、大団円を迎える。


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 『冬物語』の前半を特徴づけるのは、疑惑、不信、嘘、狂気、邪推、妄想、妄執、泥沼、墓場、邪淫、罪、不貞、淫売、汚名、毒薬、錯乱、汚点、悪疫、火あぶり、地獄、生贄、拷問、悪魔、死といったキー・ワードがかもし出す象徴的な悪臭である。それは前半の陰鬱な死のムードをまざまざと匂わせていて、後半の芳しい明るい生の芳香との対比で彩る物語として描かれる。



  「さ、これはあなた方の花。ホット・ラヴェンダー、はっか、きたちはっか、マヨナラ草。」

                                                     (第四幕・第四話)


 シェークスピアがパディータをして村の人々に向って言わしめている言葉であるが、ラヴェンダーを “hot lavender” と呼んでいる件が気にかかる。この「ホット」という形容詞は坪内逍遥以来、「香りの高い」というふうに訳されていることが多いようだ。



 これは17世紀の医薬書に植物を、ホット(熱性)、コールド(寒性)、ドライ(乾性)、モイスト(湿性)の四つの観点から分類していたようで、「メランコリーに効くホットなハーブ」のリストには、ミント、ウィンター・セイボリー、マジョラム、マリー・ゴールドなどがあり、ラヴェンダーもこれらハーブ類と同じくホット(熱性)に精神的に作用するといういわれからきているようだ。



 見た目はラヴェンダーの紫色の花は夏の暑さに涼やかな風景を醸し出してくれるが、その芳香も精神に涼やかに及ぼしてくれるハーブといえる。(了)













 吸血鬼をモチーフにした映画は数多く製作され公開されている。ちょいと調べただけで以下にほんの一部の作品がある。


○1922 吸血鬼ノスフェラトゥ 独 F・W・ムルナウ
○1931 魔人ドラキュラ 米トッド・ブラウニング
○1932 吸血鬼 独仏合作 カール・テオドール・ドライヤー
○1958 吸血鬼ドラキュラ Dracula 英 テレンス・フィッシャー
○1960 血とバラ Et mourir de plaisir 伊仏合作ロジェ・ヴァディム
○1967 吸血鬼 The Fearless Vampire Killers 米英合作 ロマン・ポランスキー
○1968 吸血鬼ゴケミドロ 日本 深作欣二
○1970 バンパイア・ラヴァーズ The Vampire Lovers 英 ロイ・ウォード・ベーカー
○1972 ドラキュラ`72 Dracula A.D. 1972 英 アラン・ギブソン
○1974 ドラゴンvs7人の吸血鬼 英 香港合作 ロイ・ワード・ベイカー、チャン・チャー
○1978 ノスフェラトゥ Nosferatu: Phantom Der Nacht 西独仏合作ヴェルナー・ヘルツォーク
○1979 ドラキュラ Dracula 米 ジョン・バダム
○1983 ハンガー The Hunger 英 トニー・スコット
○1985 スペースバンパイア Lifeforce 英 トビー・フーパー
○1986 ティーンバンパイヤ My Best Friend Is a Vampire 米ジミー・ヒューストン
○1987 ニア・ダーク 月夜の出来事 Near Dark 米キャスリン・ビグロー
○1988 バンパイア・イン・ベニス Nosferatu A Venezia 伊 アウグスト・カミニート
○1992 ドラキュラ Bram Stoker's Dracula 米 フランシス・フォード・コッポラ
○1992 イノセント・ブラッド Innocent Blood 米 ジョン・ランディス
○1994 インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア Interview With The Vampire: The Vampire Chronicles 米 ニール・ジョーダン アン・ライスの『夜明けのヴァンパイア』の映画化
○1995 ヴァンパイア・イン・ブルックリン Vampire In Brooklyn 米 ウェス・クレイヴン
○1995 レスリー・ニールセンのドラキュラ Dracula: Dead and Loving It 米メル・ブルックス コメディ
○1996 フロム・ダスク・ティル・ドーン From Dusk Till Dawn 米 ロバート・ロドリゲス
○1998 ヴァンパイア/最期の聖戦 John Carpenter's Vampires 米 ジョン・カーペンター
○1998 ブレイド Blade 米 スティーヴン・ノリントン
○1999 フロム・ダスク・ティル・ドーン2 From Dusk Till Dawn 2: Texas Blood Money 米 スコット・スピーゲル
○2000 フロム・ダスク・ティル・ドーン3 From Dusk Till Dawn 3: The Hangman's Daughter 米 P・J・ピース
○2000 シャドウ・オブ・ヴァンパイア Shadow of the Vampire 米英合作ルクセンブルク E・エリアス・マーヒッジ
○2002 ヴァンパイア/黒の十字架 Vampires: Los Muertos 米 トミー・リー・ウォーレス
○2002 クイーン・オブ・ザ・ヴァンパイア Queen Of The Damned 米 マイケル・ライマー
○2002 ブレイド2 Blade II 米 ギレルモ・デル・トロ 『ブレイド』の続編
○2003 リーグ・オブ・レジェンド/時空を超えた戦い The League Of Extraordinary Gentlemen 米
チェコ独英合作 ティーヴン・ノリントン
○2003 アンダーワールド Underworld 米 レン・ワイズマン










 2003年以降にも米国で吸血鬼映画は作られ続けていて、本邦や香港映画のB級作品を探せばいくらでもあるし、欧州にも埋もれた吸血鬼映画はまだまだあるであろう。



 ここにあげた吸血鬼映画のほとんどは観ていないが、フランシス・フォード・コッポラの作品は劇場で公開当時に観ているし、その後もビデオで繰り返し観ているお気に入りの吸血鬼映画のひとつである。



 コッポラの「ドラキュラ」はブラム・ストーカーの原作にわりと忠実に作品化された映画だ。吸血鬼映画の原作となっているのはブラム・ストーカーの『吸血鬼ドラキュラ』ばかりだけではない。



 シェリダン・レ・ファニュの『カーミラ』やポール・フェヴァルの『吸血鬼の村』などの長編小説も映画化されている。ほかにもジャン・ミストレルの『吸血鬼』、プロスペル・メリメの『グヅラ』、ジョン・ボリドリの『吸血鬼』、E・Th・A・ホフマンの『吸血鬼の女』、ジュール・ヴェルヌの『カルパチアの城』、マルセル・シュオップの『吸血鳥』、コナン・ドイルの『サセックスの吸血鬼』、ルイージ・カプアーナの『吸血鬼』、ベレンの『吸血鬼を救いにいこう』、ジェラシム・ルカの『受身の吸血鬼』、H・C・アルトマンの『ドラキュラ ドラキュラ』、ロレンス・ダレルの『謝肉祭』、ヴォルテールの『吸血鬼』、ドン・カルメの『吸血鬼たち』など文学としても跳梁跋扈して壮観である。



 吸血鬼はサディズム、マゾヒズム、死姦(ネクロフィリア)、人肉嗜好(カニバリズム)、同性愛など、エロチックな欲望の象徴として作家たちに夢見られた妄想の怪物であり、キリスト教的な倒錯と血のエロティシズムを彷彿とさせた夢幻の存在でもある。



 さて、コッポラの「ドラキュラ」は400年の時をさまよって、永遠の愛を求め続ける哀しき男として映画では描かれる。このドラキュラ伯爵にゲイリー・オールドマンが演じる姿は、御馴染みクリストファー・リーが演じる怪奇さよりは人間的である存在。



 自殺したドラキュラ伯爵夫人をウィノ・ライダーが演じるが、19世紀末にミナ(ウィノ・ライダー)役でジャナサン(キアヌス・リーブス)と婚約する二役を演じる。このジョナサンがトランシルヴァニアはカルパチア山脈に居を構える貴族を仕事で訪ねて行くことから物語りは展開する。



 婚約者の不在中にミナの親友であるルーシー・ウェステンラとの同性愛行為が謎めいていて、奥行きの無い映像になっているのが、このコッポラ作品で一番不満となる部分なのであるが、それ以外では、ドラキュラの使いである三人の女ドラキュラが妖艶であるのがお気に入りである。



 この三人の女ドラキュラをアンソニー・ホプキンス演じるところのヘルシング教授が、首を三つ片手に下げて退治するエピソードもたまらない妖しさを醸しだしている退廃的ムードを映像化している。



 さてさて、ミナとドラキュラ伯爵の恋の行方は・・・・・・?


 あらすじは以上にしておき、現実に血液を食材にしているのは、ソーセージのブーダン・ノワールを食べたことがあり、またスッポン料理で赤ワインと割った血を飲んだことがある。そのほかにも世界ではこの滋養に満ちた紅い食材を利用していると思われるが、肉食動物には血や内臓は特別のご馳走である。



 民俗学的に人間は血を飲み食材にするには宗教的に禁忌されていることが世界的に古今東西に事例が多いために、況してや人の血を啜る行為には倒錯的なエロティシズムを西欧のキリスト教社会では禁断の行為とされている。



 ブラム・ストーカーが著した吸血鬼ドラキュラはロマン主義の時代的な背景から登場した訳だが、その時代には背徳とオカルティシズムの匂いを彷彿としているだけでなく、血という象徴にエロティシズムの要素が強く作用している。エロスには食と連動していることはサド侯爵の小説にも描かれているが、食のなかで血は最たるご馳走でもある。








 銀座で働いていた頃、最初に勤めたバーは銀座八丁目の外堀通りで、向かいにはリクルートのビルがあり、土橋の近くで新橋駅に近い場所だった。次に務めた店が六丁目で、やはり外堀通りに面したビルの2階だった。



 自宅は阿佐ヶ谷方面だったので、地下鉄丸の内線の南阿佐ヶ谷駅から30分乗車して銀座で降りて職場に通っていた。雨の日は銀座から新橋まで地下駐車場が延々とあるので、地下を利用したり、或いは旧国鉄有楽町駅から新橋駅へつづく高架下、つまりガード下を利用すれば夕立にみまわれることもなく、雨を避けるのには便利であった。



 地下駐車場は殺風景で陰気であったが、鉄道ガード下は大衆酒場や飲食店が軒を並べて風情があった。その頃は都庁が新宿に移る前だったし、なんとなく高架下飲食店には活気があった時代でもあったのである。銀座界隈には鉄道だけでなく、首都高速も交差しているので、銀座コリドー街とか、新橋(銀座ナイン)にも首都高のガード下飲食店がひしめいていた。



 新橋駅前には夕暮れになると、おでんの屋台がいくつも出てきて、ニュー新橋ビル内では朝から飲める立飲み屋さんもたくさんあり、高級飲食店の多い銀座エリアも、鉄道や首都高のガード下へ行けば、なんとも庶民的なお店が軒をたくさん並べていて安心できる界隈である。



 多分、今も変わらないだろうと思うがユートピアとはボクには有楽町から新橋の鉄道高架下や、高速道路の下にある商店街なのである。通りに面した古い商店街やビル街は、或る日、突然と建てかえられてしまうのが都会の因果ならば、都会の鉄道や高速道路はそう簡単に消えたりしないものである。そんな大樹により守られてレトロで庶民的な小さなお店は必然的に細々とながらも営業を継続できよう。



 斯様な場所で、レバ刺しやセンマイ刺し、豚耳や豚足、子袋やシロのもつ焼きや、もつ煮込みで、ホッピーやチューハイで一杯やるのが、ボクには如何なる高級店で贅沢な食事をするよりも心から落ち着ける場所なのである。
















 


 その昔に(昭和後期から平成初期の頃)、銀座でバーテンダーをしていた時期がある。お店に出勤する時間は午後4時頃で、その時間帯の銀座は、自転車、原動付バイク、リヤカー、軽トラなどで、氷を積んだ氷屋さんが、寿司屋やバーのある店舗のビルの前の路上で大きな板氷を鋸で挽いて、最小で一貫目ぐらいの塊にして配達をしていた風景を観たのが思い出される。



 多分、今でも、築地や銀座、それに新橋の一地域では見られる風景なのであろうと思われる。



 それは平成になる少し前の時代のお話であり、その頃に夏の風物詩として、風鈴売りや蛍売りの天秤屋台が銀座を徘徊していたのも懐かしく思い出でがあるが、特に蛍売りはその当時ではとても珍しかった。



 現代では、その数も環境問題から激減し、絶滅も危ぶまれている蛍なのだが、昔は清流であれば日本全国各地に何処にでも生息していて、広く人々に親しまれていた昆虫である。



 淡く光を放ちながら飛び交う蛍は、幻想的に夜を舞う美しい点滅を闇に浮かべる。



 源平の合戦以後は、源氏蛍、平家蛍の呼び名が生まれ、交尾のために入り乱れて乱舞するさまを、蛍合戦などというようになる。



 江戸で、蛍の名所として名高いのは、谷中蛍沢。日暮里の宗林寺の境内にあって、多くの蛍が飛び違うことで知られていた。



 また、その他にも、王子や根岸、麻生や目白下など、少し江戸を離れれば、いくらでも蛍の名所はあったのである。



 旧くは、大川や江戸川にも沢山の蛍が見られたそうだが、江戸が大都市化するにつれて、徐々に数が減ってしまったということで、江戸時代にもやはり、自然破壊や環境問題はあったのですネ。




 もちろん、現代のように蛍が全く棲めない環境になってしまったわけではないので、長竿の先に笹の葉や団扇、紙袋などをつけた子ども達が、蛍を捕らえようと走り回る姿も見られたであろう。



 文化文政の頃の江戸の蛍売りは、細く割った竹の先に丸い蛍籠をぶら下げたものを、藁苞(わらづと)に挿して売り歩いていたそうな。



 竹ひごの先で、仄かに光る蛍籠がゆらゆらとしているさまは、さぞかし風情あるものだったに違いないと想像される。



 先に述べたように、江戸の中心部では郊外ほどに蛍が見られなくなっていましたから、日本橋近辺の子ども達は、蛍売りがやってくると大喜びで群がったであろう。



 ボクが働いて銀座のお店に常連のお客さんが、夏の或る日、蛍を一匹虫籠でお土産に持ってきたことがあった。霧吹きで水を吹きかけると、蛍は儚げに光を放ち、クローゼットの中でその微妙な輝きに幻惑されたことを思い出す。



 銀座の街のネオンや街路のシグナルやテールランプよりも、それは儚くか細く美しい淡い輝きであった。・・・・・・できることなら自然の中で蛍の乱舞を一生に一度見てみたいものである。






 かつて、吉本隆明の『マチウ書試論』という評論を読んだが、これは新約聖書の『マタイ伝』を論評したもので、革命家としてのイエス・キリストを浮き彫りにした著作である。また反逆の倫理性という同じ視点からイエス・キリスト伝を映像化したピエル・パオロ・パゾリーニ監督もナザレのイエスを革命家とした視点からとらえて、『奇跡の丘 (Il Vangelo Secondo Matteo )』という映画を原案と脚本も担当しながら創られた作品。


 この作品は1964年公開のイタリア映画である。出演者はすべて素人の役者で、プロの俳優は全く出演していない。そして白黒のフィルムワークと相俟ってドキュメンタリー風にも感じてしまうシンプルな映像となっている。ドラマティックな設定も極力抑制されていて、無駄な構成や余計な装飾もはさまれず、主観は排されて、あくまでも忠実に『マタイによる福音書』の文体を映像化している。


 映画の冒頭は処女マリアが懐妊して、ヨセフに天の御使いが聖霊により受胎したことを告知する場面から始まる。この場面でショットにして31回、クローズアップによる切り返しの構図が基本となり、マリアとヨセフと天使が登場して、セリフは天使の受胎告知だけで、マリアとヨセフの間に会話は無く 、ただお互いに眼を交わし、眼を逸らし、沈黙のうちに、やがて微笑を交わすのみである演出となる。







 『マタイによる福音書』は文体がきびきびとして無駄がなく、だらだらとした心理描写に陥いることもない。そのスタイルは一貫して簡潔な文体なのであるが、パゾリーニの演出もこのスタイルを踏襲するように、会話によることのない一挙一動のなかで、役者の表情のなかに、感情と思念を記号化するように、役者は余計な演技は極力されていない。


 映画評論家の四方田犬彦氏は、「マルコ伝は叙述が単純すぎて且つ曖昧であり、ルカ伝は過剰に感傷的で、ヨハネ伝はあまりにも謎めいている。」と評しているが、四福音書のなかでマタイ伝だけが、「イエスの内面に秘められた見えない暴力性と孤独感が、 その存在の内奥を見据えている。」と述べている。


 パゾリーニはマタイの文体に惹かれて、ナザレのイエスの誕生から死、そして復活まで、必要最小限の事実だけを端的に述べるという姿勢を崩そうとせず、映画『奇跡の丘』を映像化して、そして歴代の「キリストもの」映画とは、厳密に一線を画して物語化している。その明確な特徴として、イエスという主人公を近代小説のそれのように、豊かな感情と内面をもった人物像として描かないことに力点がそえられていることである。


 二千年前に執筆されたマタイによる福音書がナザレのイエスを簡潔に、しかも強い筆遣いで描いたことに、まるで呼応するかの如く、それを音と映像を通してパゾリーニは描いて表現したのが、映画『奇跡の丘』なのである。世俗化を拒み、かといって聖人画のような過渡な神聖化に陥ることも避け、ナザレのイエスを民衆の英雄のように叙事詩的に描いた作品といえる。


 主演はした俳優は、当時、スペインで反体制活動をしていた学生のエンリケ・イラソキがナザレのイエス役を演じる。若き日のマリア役に女学生のマルゲリータ・カルーソ、老いたマリアにパゾリーニの母であるスザンナ・パゾリーニ、12使徒にはパゾリーニの友人である詩人、哲学者、評論家、作家、体操選手、農夫などを起用し、職業的俳優は皆無である。


 若きマリア役は女優のような華やかさはないがとても美しい。天使役の少年は少女のように美しい。そしてサロメを演じる少女は悪徳や悲劇性のかけらもなく天使の如く美しかった。そして撮影された南イタリ アの牧歌的風景に、そこで生まれて育った風貌のエキストラ陣は、そのまま風景の一部の如くに自然だった。






 オリジナル音楽はルイス・エンリケ・バカロフで、J・S・バッハの『マタイ受難曲』『六声のための遁走曲(リチェルカーレ)』、アルトン・フォン・ウェーベルンの『ミサ ロ短調』『われらに平和を与えたまえ』、アマデウス・モーツァルト『アダージョとフーガ ハ短調』、セルゲイ・プロコフィエフの『アレクサンドル・ネフスキー』、黒人霊歌にオデッタ・ホームズ、ロシア革命歌などが選曲されている。


 このパゾリーニの映像詩は、エンターテイメイントとは無縁な作品だが、「キリストもの」映画では必見である作品といえよう。因みにパゾリーニは無神論者でコミュニストだったが、吉本隆明の『マチウ書試論』という評論に通底する思想が垣間見える作品でもある。