今朝、たまたまニュースで見たので分かったのですが、
三年前の今日、中央道、登りの笹子トンネルが崩落した事故がありました。

死亡したのは9名と伝えられている。

もう忘れてしまった人も多いのではないかと思われる事故。

私は当時から毎月八ヶ岳へ出かけているためよく記憶している。

事故があったため中央道がその区間通過できなくなり、
3年前の12月だけわざわざ八ヶ岳へ出かけるのをやめた。

その後、トンネル通過可能になってからまた毎月出かけているが、
今も笹子トンネルを通過するたびに、天井を見上げる。
以前は、天板があった(それが崩落した)が、
今は、天井は丸くなっている。
換気ダクトを隠す形でつけられていた天板。
なんとなく安易につけられていたような気がしてならない。

あの事故の時、亡くなったトラックの運転手の方が、
知人に電話してきて「苦しい」と言っていたのを忘れない。
閉所恐怖症の私は、そのような状態が最も辛いのだ。
一部の方には失礼な表現かもしれないが、
即死したほうがいい。
どこかに閉じ込められてジリジリと苦しんで死ぬのだけは嫌。

あれから3年経ち、追悼式が行われているニュースを今朝見た。
遺族の方が、涙ながらに語っていた。
車を運転しない人、中央道をあまり利用しない人には、
あまり実感がないのかもしれない。
しかし、私は笹子トンネルを通過するたびに思う。
あの方たちのお陰で、今こうしてトンネルを通過できるのだなと。
誰が被害者になってもおかしくなかったのだから。

事故や事件が後を絶たない。
時間が経って記憶が薄れていくのは当たり前のことだから仕方がない。
しかし、亡くなった人数でその事故や事件が軽く感じられてはいけないと思う。
一人の命はいつも尊く、しっかりと受け止めていかなければならない。

追悼






先日来、マイナンバーの配達が始まり、
我が家にも「赤紙」(不在通知書が赤いのでネット上ではこう呼ばれている)が届きました。
そのままそこらへんに放置されているけれど……
私は世帯主ではないので、受け取りに関して何もできず、
世帯主の意思に任せて置いたら、そこらへんに置いてあるまま……

とにかく、
色んな人からの情報が入ってきているので、書いておこうっと。

まず、郵便屋さんが、とても丁寧に配達をしてくる。
マイナンバー通知の封書を丁寧にかざし「受け取っていただけますか?」
と聞かれることもあるとか。
その家の人は、その丁寧なやり取りに
「受け取らなくてもいいんですか?」と聞くと
「それでは、受け取り拒否とここに書いてください」と言われて、そのまま戻っていった。

もう一人の人のケースは、
「とりあえず不在通知を入れておくので、そのまま放っておいてください」
と言われた。

郵便局としては、「配達しました」という証拠が欲しいみたい。
不在通知を入れて、保管期間が過ぎると
市区町村へ戻される。
受け取りたい人は、地区町村へ行けば受け取ることが出来る。
が、そのまま放置して置いたら今後どうなるのかは、まだ不明。

北海道では、すでに11万通が返却されてきたということもニュースになっていた。
再配達を望まない人も多いみたい。

さて、それでは、受け取らないとどうなるのか?
まだ不明ですが、
企業などでは、マイナンバーの提出を社員に求めている。
が、これは今のところ、すべての書類に単に記入項目が増えるだけで、
企業にとっては大変な労力
そこで、全国中小業者団体連絡会が各省庁に質問したところ、
内角府、国税庁、厚生労働省が、皆、
マイナンバーの記載がなくても、役所に提出する書類は受けつけるし、
罰則がないのは勿論、何の不利益も受けない。
と回答した。

そもそもマイナンバーは、国が脱税などの抜け穴をなくすために作るもので、
こちら国民側には特になることはほとんどない。
上記の通り、現在のところは、作業が増えるだけの事。

もうひとつみんなが気にしている個人情報漏えいの恐れについては、
しばし様子を見るしかないので、
受け取ったにしてもとにかくしばらくは放置しておくのがいいみたい。
来年1月施行して、
しばらく様子見てからでいいと思われます。

ということで、
我が家のマイナンバーは、もう区に戻されたんだろうなぁ~

人にモノを頼まれることがある。
悪い気はしない。
だって、自分が役に立っているということだもの。
そしてやってあげる。
かなりいい気持。
だって、役に立ったんだもん。

それは多くの人が知っている感情だと思う。
誰かの役に立つことは幸せだ。
だからボランティア活動をしたりする。

人によって、頼まれて何の苦も無く出来ることと、
そんな面倒なこと……とか
あなたからそんなこと頼まれても……とか
ストレスになることもあるだろう。
だから、まずは簡単なことから。

さて、それにもかかわらず、
現代は、人にモノを頼めなくなっている。
悪いと思うから頼まない。
しかし、簡単なことならば、上記の通り、悪いことではない。
と思っている。

さらに素敵なことは、
人にモノを頼まれてやってあげると、
「ひとつ貸し」のような状態になり、
次、困った時にモノを頼みやすくなる。
つまり最初に頼んだ人は、その人にわざわざ頼みやすい貸し状態を作ってあげた。
感謝されてもいいと思う。

しかし、最近感じたのだが、
人は、自分に余裕がないと、
他人のことなんか考えられない。
頼むとか頼まないとかもうそれ以前の問題。
さらに金銭的に余裕がないと人づきあいが出来なくなる。
そして家にこもりがちになる。

今日本の貧困率は16%
先進国で最低ラインにいる(それにしても先進国で最低なことのなんと多いことか……)
その人たちは、困っても誰にも頼めない状態になっていると考えていい。
貧困で亡くなる家族などをニュースで知った時、
何とかできないものかと考える人は少なくないはず。
でも、頼めない人たちは、なかなかその信号も出してはくれない。
なんとか扉をこじ開けて、付き合い、
モノを頼んだり頼まれたり出来る関係を作りたいと思うけれど、
やはりそれは根本的には行政の力によるところが多い。

私は、困るとすぐ連絡して相談したり助けてもらう親友がいる。
彼女にはなんでも頼める。
なぜならば、長い付き合いで、
これまでにも数え切れないほどの貸し借りがあることに加えて、
今後も長い付き合いになる予定で、
どんな借りも、どこかで返せると信じているからだ。

彼女は、小中学校の同級生。
やはり学生時代の友人を大切にすることを
子どもの時に伝えておくべきなのだとも思う。


昔乗っていた車には、スピードが105キロを超えると

「キンコンキンコン」鳴り続けるというお知らせ音がついていた。

いつの間にか、そういう車はなくなっていた。

よっぽど人気がなかったのだろうか?

実際、うるさかった。

今、キンコンうるさいのは、

シートベルトのサインだ。

ギアが入って、

または、車が動き出して

運転席及び助手席の人がシートベルトをしていないとキンコン鳴り続ける。

悪くはないシステムなのだが、

車を停車する時などにシートベルトを外すことがあり、

その時はちょっとうるさい。

「分かってる!」と言いたくなる。

このシートベルトを装着してくださいのサインは、

助手席に猫が乗っていても鳴らないのだが、

お米が乗っていると鳴ることが判明した。

5キロだと鳴らないが、

10㌔のお米を助手席に座らせると、

時々、思い出したように「キンコーン、キ、キ、キン、キンコーン」と

吃音のように鳴る。

これって体重で反応しているの?

我が家の猫は、最大3匹助手席に乗せたことがあるが、

ケース2つの重さを加えても

10㌔にはならなかった。

お米は助手席に座らせてはいけないことは分かった。

しかし、お米よりも

車に生物としては無視されている猫たちが

ちょっと哀れ。

因みに、通常は、

助手席の猫にはシートベルトを締めている。


猫が座ってシートベルトを締めている絵を想像してくれた方には申し訳ないが、

猫はシートベルトをしないので、

猫が入っているケージにシートベルトを掛ける。
ケージはひとつしかシートベルトをつけられない。

我が家では、その日もっとも愛されている猫だけが

シートベルトによって守られているのだ。

最近不思議な感覚に襲われる。
100円玉の大きさだ。

コインパーキングで支払いをする時、
小銭入れを開けて、100円玉を探す。
シルバーの小さなコインがまず目に入る。
が、これは小さすぎるから100円玉ではない。
と判断して一度はやり過ごす。
その後、やはりこれが100円玉だと確認する。
あれ?100円玉ってこんな大きさだったっけ?

ここ数か月何度も同じことを感じ、同じことをやっている。
昨日もそうだった。

どういうことだろうか?

① 私の目が悪くなって小さく見える。

老眼などのせいで、視力がどんどん落ちているので、
目に見えるものの大きさが変わっている?

② 何かの病気の症状である。

ボケ?

仕事柄、感覚を研ぎ澄ますことをしょっちゅうやっている。
ほぼ無意識にも、普通の人よりも多くやっているように思う。

100円玉の大きさについて、
多くの人がどのように感じ、どのように疑問を持つのか持たないのか分からないが、
これを繰り返している私は何なのだろう?と
ブログ書きながら考えている次第です。

どなたか同じような症状をお持ちの方、
ご連絡いただければ幸いですo(^-^)o
パリ同時多発テロで妻を亡くしたジャーナリストアントワーヌ・レリスさんが書いた
フェイスブック上の文章に共感が広がっている。というニュースを読んだ。

文章は、
「金曜の夜、最愛の人奪われたが、君たちを憎むつもりはない。
君たちの望み通りに怒りで応じることは、君たちと同じ無知に屈したことになる」
この文章は、1歳半の息子を思って書いた。と彼は言っている。
息子には、憎しみを抱かず世界に目を見開いて生きて行って欲しいからと。

憎む行為が、何も生まないことは、なあんとなくわかる。
が、自分が被害者や遺族になった時、
そう思うのは容易いことではない。

先日来聞いている中島みゆきさんの曲「空と君のあいだに」の中に
こんな箇所がある。
「憎むことでいつまでもあいつに縛られないで」
これは失恋した女性に対して使っているのだが、
どのような理由だとしても、「憎む」という言葉の意味としては変わらない。

そして、相手を憎み続けることは、
結局は、その相手に縛られ続けることであり、
その年月を、その憎らしい相手に取られていることになる。

実は、この曲の歌詞は、私には目から鱗で、
初めて真剣に歌詞を理解していた時、号泣したのだった。
そうだったのか。
憎むという行為は、それこそ、ダブルパンチで相手に負けてしまうことだったのだ。

憎まないで、今までと変わらず元気に生活していくことが、
一番、その相手に勝つことなのかもしれない。
しかし、いざ、その状態になった時に、
どれだけの人がそれを実行できるのか?
相手を憎むことで、自分の気持ちを紛らわしているのだろうから、
それをしないで済む強い人間にならなければならない。

先進諸国は、ISに対して、もう少し寛容になることで勝利するという方法を選ぶことはないのだろうか?

アメリカがイラクを攻撃したことにより
アルカイダの中から生まれたIS
今度、ISを攻撃すれば、
新しい憎しみの何かが生まれるだけ……
その憎しみの連鎖を止めるのは、
先進国と自分たちで言っている力のある国の方ではないのだろうか?
どちらが悪いというのではなく、
どちらかが寛容になって止めないと、
近く世界大戦になる。


飼育数の統計で、もしかしたら今年猫が犬を上回るかもしれない……とのこと。

理由としては、
「犬は散歩が大変」が一番多くみられる。
猫は楽だから、一人暮らしでも飼いやすいとか……
本当にそうだろうか?

単純に数の問題ならば、
猫の方が多頭飼いし易いというのがある。
実際、犬猫を飼っている世帯数で言うと、まだまだ犬の方が多いみたい。

散歩が大変という意見。
確かに雨の日の散歩は嫌だし、
大型犬が年を取ると、
その散歩の大変さは想像を絶する。
犬だと一緒に散歩が出来る!
という良い点と天秤にかけてみる必要がある。
が、近年都会では、散歩をする必要のない小型犬に人気が行っているようだし、
やっぱり散歩に連れていくのは、
忙しい人には難しいのかも。

でも、猫派の私は、
時々、散歩に連れていきたくなる。
天気の良い日に一緒に散歩出来たらいいなぁと。
やはり楽しみの背後には大変が付きまとうということだろうか?

世話が楽か?というと、これはどちらともいえないのではないか?
猫は、大変な子もたくさんいる。
何が大変か?
まず、毛が抜ける。
部屋は勿論、着ている服が毎日猫の毛だらけになる。
爪とぎの好みが猫によって違う。
段ボールの爪とぎを用意してもそこではやらず壁紙をやっつけるやつがいる。
これは飼ってみないと分からない。
カーテンやソファーをビリビリにするこもいる。
色んな所を噛むので、
我が家では、電気の線を何度も切られた。
一番大変だったのは、
トイレのウォシュレットの水が出る細いホースのところを噛み切られ
トイレ周りのフロアを水浸しにしたことがある。
でも、そんなことはまったくやらない子もいる。
2日に1回くらいは、吐く子もいる。
これは犬も同じなのかしら?

動物を飼うことは、どちらにしても簡単ではないのかもしれない。
飼うことで得られる喜びと天秤にかけて考えてみる必要がある。
恐ろしいのは、かわいいからという理由だけでよく考えずに飼い、
困った時に捨てることだ。

実際、八ヶ岳あたりでは、地元の人たちが言っている。
GWや夏休みなどの後になると、
野犬や野良猫が増える。
ハクビシンなどがウロウロしているのも、
多分以前は誰かに飼われていたのだろう。

家の傍では捨てにくいので、
ああいった自然の中に捨てていくらしい。
全く理解に苦しむが、
安易に飼ってしまったら、どうしようもなくなる人もいるのかもしれない。

生き物なので、
病気になっても、歩けなくなっても、最後まで面倒みられる状況が必要。
猫を飼うことが楽だから飼うというのは、
ちょっと怖い気がする。

猫は可愛いから、猫を飼うことはお勧めしますが💛
20年前までは、年に2回は海外旅行に行っていた。
そもそも行かなくなった原因は、猫を飼い始めたことだけれど、
海外旅行というものは、機会を逃がすとなかなか行けなくなるものだ。

先日、沖縄に行ったとき、
生まれて初めて格安飛行機に乗った。
スカイマークという飛行機会社だった。
飛行機に乗れば飲み物が出ると思って、
うっかりパンを購入してしまった私は、
乗ってからそうではないことに気付き、
沖縄までパンを持って行った。

飛行機は、左右に3席ずつ、
かなり狭い席で、座席もなんとなく安っぽく、
実際、お尻が痛くなった。
それでも2時間半くらいの国内線なら我慢できる。

国際線だって、若い人たちは
多少の不便さ、狭さ、居心地の悪さを我慢しても、
飛行機代が安くなるならそれでいいだろう。
だって、そうでもしなければ、海外になかなか遊びに行けない。
でも、年を取るとそうもいかない。
私の場合は、閉所恐怖症がついて回るので、
この空間にこれ以上長くいるのは無理だと感じる。
実際、今回の飛行機内では、
数度、閉所恐怖症を発症仕掛けた。

帰りの飛行機はANAだったが、飛行機の大きさはほぼ同じ
座席は少し高級感があったが、
広さはほぼ同じだった。

私がよく旅行していたころ、国内線の座席は広かった。
国際線のエコノミーは狭くて、辛い辛いと言っていたけれど、
国内線はかなり快適だった。

さらに、以前は、オンシーズンでなければ飛行機は空いていることも多かった。
国際線のエコノミーで海外へ行く時、
窓側の3席を何度一人で使用したことか……
ニューヨークへの旅、3席に横になって出かけたことは1度や2度ではない。

しかし、最近は、各社が一緒になって飛行機を飛ばすことで、
なるだけ満席にして飛行機を飛ばすようにしている。
環境のためにはとてもいいことだと思う。
しかし、私にはもうエコノミーで海外旅行をすることはかなり厳しい。
つまりビジネスクラスとか高いお金を払わないと海外旅行へは行けないということだ。

ふぅ~

格安航空機が出来て、安くて気軽に行けるようになるどころか……である。

つまり、お金がある人はファーストクラスでゆったりと、
ない人は、格安飛行機で、お弁当と飲み物を持って、
狭くても身体にきつくても、それでもそこそこ誰でも行けるようにという配慮。
それは……、こうして書いてみるとやっぱり悪いことではない。

ただ、私が年をとってしまったことだけが問題のように思う。
年を取るとともに、○○恐怖症の数が増え、
閉所恐怖症の症状が悪化してしまったことが問題なのだ。

つまり、海外旅行にはいく必要がないということなの?かなぁ?

行きたいところは、まだいくつかある。
以前のようにあそこにもあっちにも行きたいという気持ちは薄れた。

今行きたい町は、
最後のニューヨークと(住んでいたニューヨークを最後という意識でもう一度訪ねてみたい)
ヨーロッパ一人旅の時に、一番行きたいのにトラブルであきらめたスペイン
そして、北欧。

若い時に、海外に行くチャンスがあったら、決して逃さずに行ってください。
悩んでいる暇があったら出かけて下さい。
若い時にしか行けない場所はあるし、行けない条件もある。
そして、行っておいたことを後で間違いなく良かったと思う。

先進諸国は、便利さも考慮すると、もう一度行ける可能性があるように思うけれど、
もう二度と行かないと思われる国もたくさんある。
例えば私の場合、
イスラエル、ヨルダンには、二度と行かないだろう。
トルコも多分行かないだろう。

アメリカやフランス、ドイツにはまた行けることもあるかもしれない。
その分、イスラエル、ヨルダン、トルコにあの時行ったことを、心から良かったと思っているのだ。
だから、
誰かに誘われたり、
何かのきっかけでチャンスが巡ってきたときは、
絶対に躊躇せず、出かけることをお勧めします。
『いつかティファニーで朝食を』を見ていて
(ドラマは素敵です。楽しんでみています)
20代の女性4人がいろいろ悩みを相談する。
彼氏のこと、
不倫のこと
結婚している人は、旦那や子供の世話からくるストレス
仕事のこと
会社を辞めようかどうしようか?

それを見ていて思った。
若い人は選択肢が多いから悩むのだ……と。

若いころの悩みは、異性のことがとても大きい。
将来の伴侶が見つかるまでは、星占いなども欠かさず読んでいたりする。
これから自分のパートナーと果たして出会うのか?
出会ったら出会ったで、この人でいいのか?
付き合っていくうちに、色々不満も出てくるから、
ほかにもっといい人がいるのではないか?

そう、もっといい人がいる可能性があるのが若さであり、
選択肢がたくさんあるということ。

現代は、モノがあふれていて、選択の連続。
選択できるモノがたくさんあるということは、あきらめなければならないものもたくさんあるということ。
いつも二者択一を求められるのが人生。
そして、ひとつを諦めている。

しかし、ある程度の年を過ぎてから(私の場合)
そういった二者択一で悩むことがものすごく減った。
結婚してからなのだろうか?星占いを読むことがなくなった。
悩みが少ないので楽。
若い人たちの相談に乗りながら、
私もこんなくだらないことで悩んでいたんだなぁと考える。
そんな毎日は、とても楽だし、幸せなのだと実感するが……、
実は、選択肢がなくなっていたのかもしれない。

これからは、選ぶことが出来ない中で、
数少ない出来ることの中で喜びを見つけていくことが人生なのか……?

パリで同時多発テロ事件があり、
昨日一日そのニュースばかりでした。

自爆テロだけではなく、
小銃を打ちまくるといった大量殺人テロで、
128名の人が亡くなったと(今のところ)報じられています。
ご冥福をお祈りいたします。

ISが犯行声明も出しています。
フランスが、アメリカとともにシリアを空爆したから
と理由もはっきり言っています。
これから先、東京も同じようなことになる可能性があるのだと、
安保法案を通した政治家をまた恨みたくなる気持ちです。

テロ事件があって、
フランスの大統領が声明を出し、
「テロに屈しない」と言う。
屈しないとは、戦うという意味なのだろうか?
と疑問を持つ。
これだけ多くの罪のない市民が殺されたのだ。
政治家としては、国の代表としては、そのような声明を出すしかないのだろう。

どの国でもそう。

それを見ていて思ったのだが、
政治家は、いつも選挙のことを考えながら国民の方向を見ている。
このような残虐な行為に対して、
きちんと強い声明を出さないと、多くの国民が納得しないのだと思われる。
日本もそう。

ただ……
だからこそ、
政治家ではないレベルで、
テロの犯人であるISに対して、
攻撃するということではない方法を考えるべきだと思う。
攻撃してもテロはなくならないし、
なんの解決にもならないことはみんな気付いているはずだから。
しかし、やられた国が、そのままやられたままにしておくことは、
政治家としては出来ないのだろう。

日本は、島国なので、あのような陸続きの国と比べると
歴史的にもラッキーだったように感じる。
しかし戦後70年、武器を持たず、戦わず、平和主義を守り続けてきたこの国は、
法律的には先日終わってしまったのだ。
東京は、危険な街になってしまった。

テロと戦ってもテロには勝てない。
でもテロと戦うことを屈しないと言っているのだろうか?

2001年ニューヨークのワールドトレードセンタービルがテロ攻撃にあった時、
アメリカはすぐにイラクやアフガニスタンへの攻撃を目論んでいた。
アメリカの威信を掛けた戦いでもあるし、
戦争ビジネスのためにも、
絶対に負けない戦争を、大義名分の元やりたかったのだ。
しかし、あのツインビルのテロで犠牲になった人の家族の中には、
アメリカがイラクを攻撃することに反対した人が少なからずいたのだ。
攻撃したからと言って、亡くなった家族が帰ってくるわけではない。
殺人に対して殺人を犯しても、復讐の連鎖がつながっていくだけだ。
そして今に至る。
あのイラク戦争で、ISは作られた。

テロの脅威は増える一方だ。

そしてシリアは今内戦で大変なことになっている。
世界大戦になってもおかしくない状況が続いている。
世界大戦になった時、日本も参加できる準備をしている。
今度こそは、大戦の勝者になって、
日本も世界の中心に居たい。らしい。
私にはあまり興味がないことだけれど……

多くの女性はきっと思っているだろう。
別に世界3位の経済大国である必要はない。
十分に発展した国なのだから。
今欲しいのは、安全、安心である。
それを得るためには、今の日本の政権は真逆の方向に進んでいるとしか思えない。