アメリカの先生が、生徒たちにしてくれた話。

 

その先生は、若い頃世界一周をしたということで、旅行先での印象的だったことを話してくれた。

そこにいた生徒は、英語圏を除く、世界各国の人がいた。

その時、生徒たちが大爆笑した二つの話を忘れることが出来ない。

 

ひとつめは、イラクだったか、イランだったか、とにかく中東のある国。バスに乗っていた。彼以外はほぼ、地元のアラブ人。

山岳地帯に入り、急カーブになってもそのバスはスピードを落とさない。彼は、もうダメだ! と何度も感じるほど恐ろしかったらしい。そして急カーブにやってくるたびに、他の乗客はみんな、こう両手を上げて、「アッラー」と叫び出すらしい。

 

これには笑った。アクションを見せられないのが残念だが、イメージ出来る人は多いと思う。

お腹を抱えて笑った。

 

そしてもう一つの話は、日本だった。

 

「日本では、地下鉄が! 時刻表通りにやってくるんだよ!」

 

日本人以外の全員が爆笑した。

日本人である私は唖然としていた。

 

そういうことなのだ。

日本は決して普通の国ではない。

 

それは日本の個性であり、必ずしも悪いことではないが、当たり前だと思って、そこに縛られる必要はないし、息苦しかったら国の外に出ればいい。

 

10月から始まる新しいコロナワクチン

今までのコロナワクチンも危険ではありました。

でも、その比ではありません。

 

先日、私が通っているエステで、「来月から始まるレプリコンワクチン接種する方は、今後施術はやりません』と事実上の出入り禁止を言い渡されました。

勿論、そもそもワクチン反対だった私が打つわけはないのだけれど…。

 

ネットをチェックすると、数々の病院が、「当院はレプリンコンワクチンを接種された方の立ち入りをお断り致します」

と今から掲示しています。

 

レプリコンワクチンの治験で多くの方が亡くなっていて、その安全性が担保されていないのに、

世界中の国がそれを使わないのに、

なぜ、日本だけが唯一、早々と承認したのか?

 

そして、それを明治が作ることで国産ワクチンのような響きを持たせている。

 

その恐ろしさは、ネットでちょっと調べてみればたくさん出てくるのでご覧になってくださいとしか、専門家ではない私には言いようがない。

 

しかし、問題は、10月からの接種は、基本的に高齢者を対象にしていて、

果たして高齢者はネットを見て調べたりするのだろうか? 

厚労省が承認したら、

国産ワクチンだと聞いたら、

安全だと鵜呑みにしてしまうのではないだろうか?

 

これまでのコロンワクチンで亡くなった方は、約2千人と言われているが、それはワクチンで亡くなったと認められた人に限る。実際の数は計り知れない。

 

健康な体に、ワクチンという名の薬を入れるだけでも恐ろしいのに、開発からまもない、安全性の確認されていないものを打たれて亡くなるよりは、コロナにかかる方がいい!と思うのは、わたしだけだろうか?

 

レプリコンワクチンの恐ろしさは、接種した本人だけではなく、周囲の人たちに感染(シェディング)する可能性があると言われている。ワクチンを打っていない人にもワクチンの成分が取り込まれてしまう恐れがあり、つまり危険なワクチンを接種した人から周囲の人に半永久的に移し続ける恐れがあるということです。

 

元を辿れば、アメリカに行き着きます。

米国の会社が開発したワクチンです。

アメリカ国内では承認されても使用されてもいないワクチンを日本のMeiji Seika ファルマが世界で唯一製造販売承認を取得してワクチンを製造しているという話です。

奇妙ですよね。

 

是非とも若い人たちが、チェックして高齢の祖父や祖母にその危険性を伝えてあげるといいと思います。

 

私は今、高齢の方数人に、呼吸法、発声、音読などを教えているのですが、そのお教室は、ワクチン接種者はお断りさせていただきました。

 

まもなく10月です。

恐ろしいことが起こらないうちに。

来月から郵便料金が画期的に値上げされる

私のような手紙愛好家には本当に痛い

どうしようか考えている

 

2017年 葉書が63円に値上げされた時、

葉書を出すことを辞めた。

あの小さな紙に書くことができる文章量は少なく、

63円は私に取っては法外の金額だった。

もちろん、葉書には、年賀状とか絵手紙とか、葉書ならではの絵が飛び込んでくるような利点はあるのだけれど…

 

さて、今回普通の郵便が120円に値上げされる

84円からの値上げなので単純計算1.5倍の金額になる

異常だ。

 

でも、多分、このことで困ったり怒ったりしているのは、DMを出すような方達を中心としていて、私のように個人で手紙を出している人は少ないのかもしれない。

それほど手紙離れは進んだ。

 

それは以前から想像がついたことに違いない。

少なくとも、私より頭の良い、郵便事業に携わっている人とか政治家とかetc

 

郵政民営化は、小泉元総理の肝煎りの事業で、何だかそれも相まって人気は上がっていたけれど、今ならはっきりと失敗だったと言って良いと思う。

 

国営の時の郵便事業は、少なくとも郵便貯金と簡易保険において私たち国民にとって魅力的な商品がたくさんあった。

 

郵便は、ヤマト運輸などの配送業者にやられっぱなしだけれど、そうやってジリ貧で儲からないものこそ、国営でやる意味がある。

 

今後、郵便は消えていく運命にあるのだろうか?

手紙はemailとは全く違うものなのに。

 

ある若い生徒が「生まれてから一度も手紙をもらったことがない」と言った時、私は(可哀想)と思った。

素敵な手紙を貰った時の、あの何とも表現し難い素敵な時間と感情を生まれてから経験したことがないわけだ。

 

時代は変わる。

それで良いと思う人も多いに違いない。

しかし、それを知っている人間としては、それを失うことはとても寂しい。

 

以前は、民間企業より美味しかった保険も貯金も、今はゆうちょに預ける理由が見つからなくなった。

今後、民間企業の郵便局はどうやって生き残っていくのだろうか?

 

 

 

 

 

PS:ウィキペディアで調べてみたら、郵政民営化は、小泉総理が、アメリカのブッシュ大統領にかなりプッシュされた事業のようだ。この国はあらゆることでアメリカの言いなりになり、国の価値を、国民の豊かさを失ってゆく。

今やっているドラマ

【南くんが恋人】

【あの子の子ども】

に登場するカップルは、今高校生

二人は幼馴染で、ずっと傍にいて、大好きで、

ある時からそれが恋愛に発展し、今ラブラブの恋人同士。

 

何年も一緒にいて、とっても楽なのに、相手のことが大好き

 

羨ましいな

 

思えば、幼馴染とまではいかなくても、学生時代に大好きだった人と、そのままお付き合いして、結婚するというのが、私の理想の結婚でした。

 

幼馴染というと、小学校1年生の時に相思相愛だったNくんという男の子がいて、「大きくなったら結婚する」と言っていたらしいけれど、その人ではなく(笑)

小学校4年生くらいの時から好きだったHくんのことをよく思い出す。

 

随分古い情報だけれど、

日本では、結婚相手との関係で一番多いのが、職場で知り合った人。

アメリカでは、学生時代からの知り合い。

というのを読んで、当時から、いいなぁ、アメリカ😍と

思った記憶がある。

 

お見合い結婚のように、相手のことをほとんど知らないまま結婚して、結婚してからその人のことを知っていくと言うのもありだと思うけれど、私は断然、学生の時から付き合って、ずーっと一緒にいて、そのまま結婚。

結婚してから、数えきれないほどの思い出を二人で語り、さらに積み上げていく。

そんな結婚を夢見ていたなぁ、と

 

この二つのドラマを見ながら、(羨ましい)と思いながら思い出した。

 

若い子をターゲットにしたドラマにこうして登場するわけだから、今時の若者だって、そういうの(良いなぁ)と思う人が少なくないのだと思った。

 

中学3年生から37歳まで、私は日記をつけていた。

クローゼットの奥深くに閉まってある。

 

殆ど読み返したことはない。

歳を取って、自分の人生を振り返るような時があったら、読み返すのかと思っていたけれど、そんな日はやってこない気がする。

 

病気になって余命1年とか言われたら読み返すかもしれない。

 

それなら何のためにつけているのか…いたのか…

 

生きている年数が増えれば増えるほど、記憶は曖昧になっていく。

前後がよく分からない。

そんな時、思うのだ。

日記を読み返せば分かる。

そして、放置する。

 

過去のある時期を思い出そうとして、記憶が曖昧な時、それが37歳以前のことだったら、日記を読み返せば分かる。と妙に安心して放置する。

 

しかし、それが38歳以降のことだと、もう思い出す術はないのだと、残念に思う。

日記をつけておけば良かった。

 

でも実際は、読み返したところで、きちんと書いてあるとも思えない。

 

私が日記を読み返すことができない理由は、ふたつ。

 

一つは、自分の字が美しくないので、読みたい気持ちになれない。

もう一つは、ある時期の辛い経験を、まだ振り返る気になれない。事実の文字や文章が目に飛び込んでくるのが怖いのだ。

 

それなら日記は何のためにつけるのだろう?

 

もちろん、自分自身のため。

 

自分の心の中のやり場のない気持ちを、文字にして整理することは価値のある作業だと思う。

 

日記を書かない人でも、その時の気持ちを親友に話す、つまり言葉にして外に出すことで、頭と心の整理をする。

それと同じこと。

 

ただ、違いは、親友の記憶に残っているだけか、はたまた、ノートとして家に残っているか。

 

やはり、ある時期には、読み返して(読み返さなくてもいいのかもしれないが)自分で断捨離するべきノートでもある。

 

気づけば、今年に入って、圧倒的に書き込むペースが減っていたTwitterを、もう1ヶ月以上、いや、それ以上覗いてもいない。

 

いまだにツイッターと読んでいる私なので、「X」と名前や表記が変わったことも多少は要因となっているようには思うけれど

 

そもそも、Twitterには、文字制限があって、私には向いていない。

 

私は、筆まめで、手紙を書いたり、文章を書いたり、今はもちろん書かないけれど、作文とか論文とか書くのが大好きだった。

ページ数が長ければ長いほど😆

 

文字制限のあるものは苦手。

詩的な文章も、俳句や川柳のようなものは、トライする気にもならない。

 

一時期、絵手紙を習った。

それはそもそも絵を習いたかったことに端を発しているのだが、絵は上手にはならなかったし、文章は(時間を掛けて苦心して練り上げるから)評価が高かったものもあったが、私には向かないといつも感じていた。

 

ツイッターの前には、Facebookをやっていた。

こちらは別の理由で辞めた。

 

インターネットというものを扱うようになって30年が経ち、最初の頃は面白がっていたけれど、やはり私には向いていない部分も多い。

 

このブログも、あまり更新されていない🙇‍♀️

 

ブログの文章も長めだしね…(これでも短く書こうという努力はしているのです)

会う人会う人との会話に「暑いですねぇ」がつく。

「今年は普通じゃない暑さだ」

「こんなに暑い夏は初めてだ」

 

天候の話は、それほど親しくない人との常套句

それほど親しくない人だから、私もそれなりにテキトーに合わせて終わらせる。

(本当にそうだろうか?)と疑問符を頭の中に持ちながら…

 

今年の夏は暑い

 

この言葉に反対する気はないけれど、

そもそも夏は暑いのだ。

それを忘れていないだろうか?

 

そして、この普通ではない夏の暑さは、別に今年始まったわけではない。

私の体感では、およそ20年前に始まった。

 

ここ2、3年の更なる急激な変化は、感じている。

しかし、これは、もう(普通の暑さ)なのだ。

 

朝、太陽が出ると、肌がジリジリと焼かれるように暑い陽の力を感じる。

オゾン層が破壊されたことが肌で感じ取れる。

それがいつからとか、どのくらいかとかは分からないけれど。

身体が、肌が、敏感に感じ取っている。

 

太陽は、今までと変わらず、私たち地球人に恩恵を与えてくれているのに、人間たちが、あの素晴らしい温もりを壊してしまったのだろう。

 

もう、以前のような素敵な季節「夏」は戻ってこないのだろうか?

 

私が体感する、この20年の、段々暑くなる、辛い暑さになる、この変化を、逆行させることは、この地球人にはもう無理なのだろうか?

 

そんなことを考えながら…

「暑い、暑い」と言うのは勝手だけれど、これは「普通のこと」なのだ。来年も再来年も、今年と同等、あるいは、もっと暑い夏がやってくるのだ。

それを知った上で、少しでも夏を楽しむ方法を見つけたいと思っている。

 

 

 

昨日、近所の(田舎の)スタバにいたら、とっても美しい若い女性が入ってきて目を奪われた。

 

上下黒のざっくりとした服、髪はそれほど整えられていないセミロングの黒髪、顔もほぼメイクなし。

飲み物が出来上がるまで待っている姿も、とても自然で、取り立てて感じ良くもなく、もちろん感じ悪くもなく…

 

私の目を引いた一番の原因は、意思を持った美しい目

 

自分の席を確保すると、その後は、ケーキを食べながら、左手と目はほぼスマホに向かい、周りを見ることも全くなく、普通にそこに存在していた。美しかった。

 

こういう時、私は、声を掛けようかと悩む。

だって、彼女が側から見て美しいことを、本人に伝えて悪い気はされないと思うのだ。

あとは伝え方だ。

 

用事を済ませ、コーヒーを飲みながらチラチラと彼女を見る私は、どうやって声を掛けようかずっと考えていた。

 

私の方が先に店を出るようなら、その時に彼女のテーブルに行って声を掛けようと心に決めた。

ドキドキした(^ ^)

 

その時がやってきた。

彼女の前に立つ。

彼女の目線が上がり、私の顔を見る。

周囲の人に聞こえない方がいいだろうと思い、顔を少し寄せて、彼女にだけ聴こえる音量で声を掛ける

「一言よろしいですか」

向こうにしてみれば、見知らぬおばさんが、突然前に立ち塞がりこうして声を掛けてきた。何か文句でも言われるのかと身構えたに違いない。

私は、彼女を示すように彼女の方へ向けて手を広げ「とっても美しいです!」と告げた、

その瞬間、彼女の顔が、これまで一度も見せなかった笑顔に変化した。少し八重歯気味の前歯がキラッと光り、美しい笑顔を見ることができた。

 

もしかしたら、表に立つ仕事をされている方なのかもしれない。

 

勇気を持って言葉を伝えると、その場を去り、その後も、しばらく私はウキウキした気分で過ごした。

 

それからしばらくして、また会いたいと切に思った。

そのあと、会った友人にその話をしたら、余計にまた会いたくなった。下の名前だけでも聞けばよかったと思った。名前があったら思い出す時スムースなのに…。

でも、あの流れで名前を聞いたら、身構えるに違いない。

せちがらい世の中ですから、見知らぬ人に声を掛けるのは、女性同士と言えども注意が必要だ。

 

ただ、彼女がその日1日気分よく過ごしてくれたなら良いなと思っている。

 

私の好みとかではなく、顔も佇まいも仕草もみんな美しかった。美しいとはそういうこと。

7月から始まる夏クールのドラマがそこそこ出揃いました。

今回も最初に新ドラマチェックした時、期待大のドラマが少なかったのだけれど、見てみたら、とっても素敵なドラマがいくつかあり、楽しめています。

 

ということで、このクールのいちおしドラマ

 

テレビ東京 水曜日 「ひだまりが聴こえる」

「下剋上球児」で大注目していた二人の若手男優が、以前にもまして、ぴったりの配役で主演。

まだ3回ですが、毎回、声を出して笑ったり、涙流しています。影のある2枚目がぴったりの中沢元紀が、とても涼しげな笑顔を見せてくれるのに対して、子供のようにまっすぐな小林虎之介が、セリフを雑に吐き出してくれる。二人のバランスが最高です。

 

フジテレビ 月曜日 「海のはじまり」

月9では、久々に素敵なドラマになりそう。初回は素晴らしかったです。。

初回は、必要な事実を観客に伝えなければならない重要かつ難しい回。構成が素晴らしく、話をうまく持っていったことで、微妙に驚かされ、主演の感情の微妙さが楽しめました。2回目以降もかなり微妙な感情の入り乱れるドラマで、愛らしい子役を中心に大人のドラマになりそう。

 

テレビ朝日 土曜日 「青島くんはいじわる」

まだ初回しか見ていません。あまりにドキドキの素敵なドラマなので、2回目以降は楽しみにとってあります。前回、主演したドラマでイマイチだった渡辺翔太と中村アン主演。やはり綺麗な男性には潤いのあるこういう役を楽しんで演じてもらいたいし、綺麗な女性には少しレベルを下げて可愛らしい女性を演じて貰いたい。ふたりともとても美しく魅力的です。

 

実際、まだ多くて3回しかオンエアーされていないので、絶対おすすめとは言えませんが、

私の趣味で、あと楽しく見られそうなドラマは

 

TBS 火曜日 「西園寺さんは火事をしない」

フジテレビ 火曜日 「あの子の子ども」

フジテレビ 水曜日 「新宿野戦病院」

日本テレビ 金曜日 「私をもらって 追憶編」

 

そろそろギブアップしようと思っているのは

フジテレビ 木曜日 「ギークス~警察署の変人たち~」

フジテレビ 金曜日 「ビリオン×スクール」

 

です!

8年前田舎に移住して、畑をやっている。

今年は7回目の畑。

 

日当たりがそれほど良くないし、寒冷地だし、苗を植えられるのは5月中旬、9月中旬には、実がついた野菜でもそのまま熟さずに終わってしまったりする。

 

畑をやるのは7回目だけれど、実は8回栽培した野菜が一つだけある。

 

ニンニク。

 

秋植えなので、最初の年から栽培できた。

 

ニンニクといえば青森が有名だが、ここは、青森のように雪が降らない分寒い。

8回のうち、全くできなかった年が一度、

イマイチだった年が二度。

 

でも、今年のニンニクはよいです。

昨年から少し植え方を変えた。

予定通りの発芽と成長ぶり。

そして一番太いのを収穫してみたら、とっても大きなニンニクが出来ていた。(小さいのもあるけど)

 

つい先日、昨年の最後のニンニクを使い切ったところだったので、めちゃくちゃペース良く収穫できたわけです。

 

ニンニクというと都会のスーパーには、中国産の安くて同じ形をしたニンニクと、青森産の高いニンニクしか並んでいない。

田舎に行くと地元産のニンニクを手に入れられるけれど…。

 

自分の畑で育て始め、安くて不安な中国産も高くて参る青森産も買わなくて済むようにするのは、ある種、夢だった。

 

今年はパーフェクト!

 

この後、保存に失敗しなければ、また来年の収穫まで一年かけてゆっくり使える。

満足満足