工事の遅れとか、予算の上振れとか、

悪いニュースしか入ってこない大阪万博が、

まもなく開幕するらしい

 

大阪万博といえば、

1970年に開催された祭典を思い出す

 

実は、私も行った。

 

父が大阪出身だったので、

大阪には祖父母も当時は存命で、

そちらに寄せて貰ったと記憶している

 

大阪万博そのものの記憶は、

とにかくすごい人出で、

人気のアメリカ館やソ連館に入るためには

1時間以上の長蛇の列で、

子どもだったのでよく覚えていないけれど、

とにかく長時間並ぶということはしたくなかったので、

あまり人気のないものばかり見て、

何一つ面白くなく、何一つ記憶に残っていない

記憶に残っているのは、混んでいて疲れたということだけ

あと、太陽の塔

 

めちゃくちゃ盛況だったあの万博の印象は強い

高度経済成長期の日本の活気がそこに息づいていたのだと思う

 

今回は、前売り券も売れていないらしい

 

売れていないんだろうな~と実感するのは、

色々な会社から、【万博のチケットが当たる】という

広告まがいのものがメール等でやってくるから

 

企業が買わされて、国民に配っている印象を持たされる

 

東京オリンピックの時もそうだったが、

被災地で、復興が進まない理由の一つに人手不足があるのに、

万博のパビリオン建設に、多くの工事関係者が呼ばれ、

更なる、資材や労働力不足を起こしている感じがして

応援する気にはなれない

 

東京オリンピックも大阪万博も

私たち国民に何らかの恩恵があると感じられなくなっているのだ

 

私たちは現在、物価高騰で、日々の暮らしで精一杯なのだから

今朝も我が家を縄張りにするきいっちゃん(雉)のお話です

 

朝、かなり近くで鳴いたと思ったら、

上手の岩の上に登場!

 

岩の上は大好きみたい

 

「ケーンケーン」と鳴いて、羽をばたつかせて、その勢いでバランスを崩し、でも倒れないで持ち堪える

 

を見たくて「鳴け!」と言ったけど、

今日は首の辺りを羽繕いするばかり

 

そのうち、岩から降りて来て、我が畑を上手から下手へ横断した

 

畑は、まだ雪の部分と、雪が溶けたあと凍っている部分がある

 

上手からトコトコ歩いて来たきいっちゃんは、

最初の小さな氷で右足を少し滑らせた

そのまま雪の上を進み、

左の大きな氷にやってきたら、

今度は左足を大きく後ろに滑らせた

きいっちゃんは、体制を保つために

慌てて右足を前に出してみたら、こちらも滑った

 

慌てて足を動かし、氷の上を通過して、

無事畑を横断したのでした

 

我が家の朝食は、彼のお陰で大爆笑でございました

よくまとまったドラマでした

震災から14年経っても見つからない妻と子供を探し続けている男が、妻の残した楽譜と巡り合い、その曲の音楽会を開く流れの中で、関わる全ての人が、少しずつ前進していく話です

 

ドラマとしては地味でしたが、

主演の白鳥玉希から目が離せず、

他の役者さんたちは地味に(目立たず)存在していた

 

ドラマの質とか、面白さとかではなく、

これを見る事で、14年前の東日本大震災のことを改めて考える時間になったことが

このドラマの素晴らしさであると思います。

 

そして、ドラマの中に挟まれた

実写、実際の被災者(だと思われる)の言葉が、

どうにもこうにも、作り物のドラマでは敵わない圧倒的な力を持って迫ってくる。

 

前述したように、震災を記憶するためにも再考するためにも

こういったドラマを作ることの意義は大きいけれど、

ドラマでは作りきれない現実をまざまざと感じさせられてしまった。

プロジェクトX 【カーリング 極寒の街に熱狂を】は

過疎地をカーリングの町にした小栗祐治という方が主役だったのだけれど、

彼の言葉「キュンとしたい!」で色々考えさせられた

 

そうだ、私は「感動したかったのだった」

 

人は皆、幸せになるために生きているのだと思っている

その幸せの形がそれぞれなので、

生きがいとか、信念とか、それぞれの人が違ったものを持ち、

違った生き方をしている

 

全く理解できない人間が

例えば、

有り余るお金を持っているのに更に金儲けに勤しむ人とか

大きな権力を持った高齢者が、いつまでも現役に縛りついていたりとか、

 

私には全く理解できない生き様の人たちも

それが幸せだからやっているのだろうと思うことにしている

 

私は、安定した安心な日常の中に、

「興奮して涙が溢れるような感動」が

どのくらい頻繁に起きるか

その数が多いほど幸せなのだと思っている人間だったことに

気付かされた

 

若い頃は自分が行動することで

感動を生んだり、

感動を与えたり、

同時に大きな感動をいただいたりして

満足な日々を過ごす努力をしていた

 

歳をとって、行動するエネルギーや行動範囲が狭まってきて、

今は、誰かの行動や作品によって感動を頂こうと目論んでいる

 

感動というものは、

多くの可能性のあるモノを

しばし我慢して見て、

大半は、裏切られたり、そこそこ楽しかったねで終わったりしつつ、

何十回に一回とか、何百回に一回とか得られるモノ

心躍り、感極まって、涙が溢れ、しばらくその空気感に没頭できる

その瞬間のために、

日々、自分の興味の持てるモノを探しつつ

旅を続けているような気がする

昨日までノルウェーのトロンハイムで

ノルディックスキーの世界選手権が行われ、

連日NHKで中継されていた

 

時差の関係で深夜に放映されていたので、

録画しておいて次の日に見るわけだが、

毎日その録画時間は4時間とか5時間とか、

なかなか長くきちんと放映されていた…らしい

 

最近見ていなかったので、

日本人も若い有望選手が出てきていたり、

相変わらずの顔ぶれだったり。

 

スカンジナビア3国が強い競技なので、

十字架のついた国旗が毎日旗めいていた

 

ノルディックというと

スキージャンプとクロスカントリー

我が家は、圧倒的にクロスカントリーが好き

日本人が上位に食い込めない競技でも

じっくり見ていると楽しめる

 

ところが、

放送はいつもジャンプから始まる

ジャンプが2、3時間続いてから、

待ってました!とクロスカントリーが始まるわけだが…

しばらくすると

ビデオの映像が、

「この続きはサブチャンネルで」となり、

追従していないビデオ録画は、

プツッといいところで切れる。

 

後半は毎日この状態だった

 

今回NHKの放送だったけれど、

サブチャンネルというものが出来てから、

チャンネル自体が変わるので、ビデオが追従してくれない

更に、番組表から録画する場合、

サブチャンネルには録画予約できないことも多々

 

深夜のスポーツはなかなかLIVEでは見られないので、

一番面白いところで番組が打ち切られる経験を最近しょっちゅうしている気がする

サングラスが大好きで、たくさん持っていた

役者なので、伊達メガネもいくつも持っていた

若い頃は、しょっちゅう、メガネを掛けていた


サングラスを掛けなくなったのは、

目が悪くなってから

そう、老眼になってから


度付きのサングラスも考えたが、

暗いと見え難いのだ


今は、調光レンズの遠近両用メガネを掛けている

紫外線にあたるとメガネが黒くなるやつ


昔よりも紫外線が強くなり、

ブルーライトの影響もあり、

目に悪いものが増えているので、

日差しの強い日はサングラスを掛けて目を守った方が良い。


カリフォルニアでは、小さな子どもでもサングラスを掛けていたが、

今の日本の日差しも変わらないだろう


ただ、老眼になったら、必然メガネを掛けなければならなくなる


メガネは、顔の上でとても邪魔なもので、かけないに越したことがない


若い頃、あんなに好きでサングラスを掛けていたことが

今となっては不思議でならない

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雪が降ると、餌を取るのが大変になるのでしょう。

野鳥たちが群れをなしてやってくる。

 

我が家を含め、野鳥の餌を置いてくれる家をいくつか餌場として記憶しているのでしょう

 

雪が積もった朝、

雀たちが群れをなして、薪棚の屋根に並ぶ

雀は警戒心が高いので、直接餌に飛びつくことはまずしない

 

みんなでしばらく首をキョロキョロさせて、

餌がないと、一羽が飛び立つのと同時にみーんな一緒に飛び立つ

 

そこで餌を出してあげる

どちらにしてもスズメがいる時に私が外に出れば、みんな何処かへ飛んでいくのだから

 

しばらくして戻ってきた雀たちは、餌を啄み始める

すごい集団だ!

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写真に収めようとカメラを向けると、また全部飛び立ってしまう

 

結局、私はスマホを片手に自分の身を隠す

身を隠して、カメラのレンズだけ向けて、やっとの思いで撮った写真がこれ

だから、スズメたちの前の斜めの棒をはずすことは出来なかった

 

人間が側にいないと、

集まった雀たちは、チュンチュンと大騒ぎしながら餌を食べているのに、大人しく写真には収まってくれない

 

警戒心が強くて、人には懐かないくせに、

人が住んでいる家のそばが好きだし、

人がいなくなると暮らしていけなくなる。

 

その数が激減している雀

希少価値が高まると、さらに可愛く見えるのが常だ

 

今朝は、野鳥たちの他に、リスと野うさぎがやってきました

流行りなのでしょうか?

 

ご存知のように、私はすべてのドラマをチェックしているのですが、

今期のドラマの中で、ある同じセリフの使い方を10回以上目撃したのです!

 

それは、

口の中に食べ物を入れた役者が、

口を開けずに、「おいしい」という状態

勿論、「おいしい」というハギレはかけらもないけれど、

状況から、「おいしい」と言っていると分かる、あれです。

 

10回ということは、1週間に一回以上、

同じものを目撃したので、少し気持ち悪くなりました。

 

若い女優や子役が、口にモノを入れて、

口を開けずにもごもごと「おいしい」というのは、

可愛いらしいとかそういうことでしょうか?

 

食べ物は、小道具の中で「消え物」と称します

小道具は、芝居の中で使い勝手のあるものだけれど、

使うのは簡単ではなく、

上手く使わないと、小道具に使われてしまう

 

さらに食べるシーンとなると、

食べ物を口に入れて喋ることになるので

非常に難しい「小道具」となる

だから面白い

 

もりもり食べる と ベラベラ喋る 

が同時進行するシーンで、

どこで、口に食べ物を入れて、どう喋って、

それを汚く見せないのは、技と言っていいと思う

 

それが出来ないのか、

それとも何だろう?

また変なマナー(食事の前にいただきますと両掌を合わせるとか)を増やそうとかいう

魂胆ではないでしょうね

 

気持ち悪いです

 

演出家に求められたのだとしたら、

さらに恐ろしいです

それなら絶対にやめて欲しいです!

 

と思っていたら、

この間の「それでも俺は妻としたい」で

MEGUMIが、ザクザク切った生野菜をバリバリ食べながら

セリフを吐き続けるという素晴らしい演技を見せてくれていました。

 

私も40代の頃、「舞台の上で食べるの得意女優」と言っていたなぁ(笑)

 

一部の人が

口を押さえて喋る女性のことを可愛いとか、上品とか、感じることがあるかもしれませんが、

役者の世界では、口を隠すは完全NGです。

それと同じで、

美的センスを履き違えてはいけない

もりもり食べながら喋るのが普通の美しい女性なのだから

私が耳に穴を開けたのは、32歳の時、

(人生を変えよう!)と思った。

あの頃は、「耳に穴を開けると人生が変わる。」と言われたりしていたのです(笑)


コロナの時、外出も減り、

ついでにマスクを着用しているので、

イヤリング(ピアス)は非常に使い難いアクセサリーになった。

それで、ピアスを着用しなかったら

耳の穴が塞がってしまった感じだった。


もういいかな、って思った。

最近はイヤリングの金具も良くなって

耳が痛くならないものが増えたし、

イヤリングでいいか。


あれほど、ピアス好きだったのに、そう思った。


イヤリングを買おうとアクセサリーショップに行くと、

やっぱりピアスの方が可愛いものがいくつかあった。

イヤリングを買いに行ったのに、

イヤリングだけではなく可愛いピアスも買ってしまった。


一番先の尖った、細いピアスを入れることで、

閉じ掛けていた耳の穴を開け直した。

しばらく痛いこともあったけれど

今は、快適そのものに戻り、

ピアスもイヤリングも楽しんでいる

と書きたいけど、

やっぱりピアスばかり使ってしまう。


イヤリングは、落とすのだ。

落として、片方だけになって諦めたイヤリングがいくつもあったのだ。

お気に入りのを無くすのは厭


私は外出する時にしかアクセサリーを着用しない。

コロナの時のようにまた閉じてしまうことがないように

なるだけピアスを愛用していこうと、今は思っている

私は、カレーライスもオムライスもフォークで食べる

ある時から、そうしていて、スプーンで食べるなんて考えられない

 

でも、テレビ等で食べるシーンを見ると、

必ず、スプーンで食べている

サラダがついていて、フォークも置いてあるのに

スプーンで食べている

 

ある時、会食で、オムライスを食べた

当然、カトラリーの中のフォークで食べていると、

それを指摘した人がいて、そのことが話題になった

 

私は、オムライスなんてフォークで食べた方が食べやすいし、

スプーンで食べる意味がわからないことを説明した

 

インドカレーで、かなり汁っぽいカレーでも、

ライスがある以上は、フォークで食べて困ることはまずない

 

その場に、他にオムライスを注文した人が数人いて、

みんなが、とりあえずフォークで食べるということを試してみた

そして、新たな発見があった!

 

フォークで食べる方が、スプーンで食べるよりも美味しいのだ

(勿論、私はそう思っていたけれど、証明する術がなかった)

 

そして分析し始めた

普通のシルバーを使った場合、

スプーンの方が、口に当たるシルバーの面積が多い

 

そもそも、木の箸で食べた方が、

普通のシルバーで食事するよりも美味しいことは日本人ならみんな知っていると思う

口に当たるということは味がするということだから

 

言ってみれば、中東の方で、手で食べる習慣があるが、

(私は上手くできないが)

手で食べた方が美味しいに違いないと思う。

 

つまり料理の味を楽しむためには、

口で味わうときに料理の味を邪魔するものが少ない方がいいということだ

 

もう一つ、発見があった

スプーンで食べる時の方が、口を大きく開けなければならない

と、誰かが言った

これは初発見

フォークの方が食べやすい理由の一つだった

 

ついでに、つい先日、グラタンをスプーンで食べているシーンをテレビドラマで見て

あらー! グラタンもスプーンでしたっけ?通常、

と唖然とした

あれは、パスタが入っているのだから、フォークで当たり前だと思うのだけれど

 

ぜひ、フォークで食べてみてください

 

余談:

ロケで下北半島の民宿に泊まった時に、

民宿の女将さんが、割り箸の自慢をしたので、とてもよく覚えている

 

細かいことはともかく

「檜の割り箸」ということで、

珍しいか、高価か、そんなところだろう

 

女将さんが自慢げに話したので、その後、何も言えなかったのだけれど、

料理の味をことごとく邪魔した

箸を口に持っていくと、檜の香りがするのだ

私たちは、香りで食事を楽しむ傾向がある

その日の料理は、ほとんど檜の味しかしなかった

 

そういう意味で言うと、

きっと西洋には(銀食器がいいのかどうか分からないが)

このスプーンなら料理が美味しくなる

というシルバーもあるに違いない

 

私は、家では木製のフォークを使用している

今ひとつ食べやすい木のフォークがないのだけれど、

だんだん進化しているのも事実である