人間には「忘れる」という能力がある

嫌なことを忘れる

痛みを忘れる

それで保たれている精神があり、

昔辛い体験をしても、

「忘れる」まで至らなくても、

痛みが軽くなる

 

そう、全てのことは「時」が解決してくれる

 

私は、他の人と比べて、この能力が低いと感じている

過去の嫌な出来事を思い出そうとすれば、ほぼその状態で思い出すことが出来るのは、役者をやってきたからなのかもしれないが、他の人を見ると、どうして忘れて眠れるの?と感じることが多々ある。

 

先日、女川原発が再稼働された

東日本大震災の被災地では、最初の、原発再稼働だ

福島であれだけのことがあり、

人間の力ではどうすることも出来ないと知らしめた原子力

 

あれから13年、地元の人でも忘れてしまうのだろうか?

 

私は、東日本大震災を機に、都会から離れるという行動を起こすことが出来た。

そういった行動を起こした人が数多くいることを知っている

 

都会で今も暮らす人、被災地で暮らす人、その誰もが忘れてしまったというわけではないだろう。

それぞれの事情がある。

 

女川の人々も、猛烈に再稼働に反対している人もたくさんいるだろう。

 

でも再稼働された

 

多分、地元で賛成している人もいる

それで生計を立てている人もいる

 

つまり反対している人は、出ていけ!ということなのかもしれない。

 

私が都会から逃げたように、怖いなら、好きではないなら、自力でそこから離れろ!ということなのかもしれない。

 

確かに人には選択肢があり、一部の人を除いては、自分で行動することも可能なのだろうと思う。

 

好きな街で終の住処を持ち、今後の人生をずーっと安心して暮らす

 

そういう選択をして、それを実行出来れば、それにこしたことはないように思う。

 

ただ、「被災地のことを忘れないで」

という言葉をよく耳にする

能登半島で被災した人の近くに行って手を差し伸べることが出来ない人は、せめて自分の地で、彼らに心を寄り添わせる時間があってもいいと思うし、それが「忘れない」ということなのではないかと勝手に理解することがある。

 

そんな時、

「被災地のことを忘れない」

「被災した人のことを忘れない」

 

そんな時、

女川原発の再稼働は、そこには存在してはいけないものであり、

「違和感」だけが厳然とただようのだ。