コーヒーは、基本的にマグカップ

ずーっと素敵なマグカップを探している

 

日本茶を飲む湯呑みも

我が家用はフリーカップみたいな大きなもの

 

ワイングラスも最近はフリーカップ

 

実は、どれもこれも気に入ったものを探し続けている気がする

 

というのも、

気に入ったものを見つけて2つ買う

陶器なので、いつかは割れる

それも何故かペアのひとつだけが割れる

 

一つ割ってしまったからと

新たにペアでカップを買うと、

次に割るのは新しいカップの方なのだ

 

片割れのコップばかりが何種類も溜まっていく…

 

ワイングラスに至っては、

あの繊細なグラスを洗うこともストレスになってきたので

ある時から諦めて、フリーカップになった

友人から5つ譲ってもらったので、これは3つまでは割っても大丈夫

 

それにしてもどうして気に入ったカップばかり割るのだろう?と不思議になる

 

もちろん、理由は、気に入っているからよく使っているのだろう

 

それにしても一つだけになったカップは使いづらく、

気に入って買ったものも、段々お気に入りではなくなっていたりして、

そのうちフリマに並ぶことになる

昨年あたりから私の飲酒量は格段に減り、

今年に入ってからは飲まない日の方が多い

 

そうなると、別にお酒なんてなくても大丈夫なのではないかと思い始める

飲みたくならなければ、それで済むことなのだ

 

ただ、私はアルコールの味が好きで、

刺身には日本酒

イタメシにはワインと

その料理を楽しむためにアルコールを飲んできた

 

田舎に来て車生活になり、

ノンアルコールも色々試してみた

 

ノンアルのビールは少しずつ美味しくなってきたと思うけれど、

よっぽど喉が渇いていない限り飲みたいとは思わない

ノンアルのワインは、白はかろうじて飲めるけれど、

赤は単なる葡萄ジュースで美味しいものに出会っていない

先日初めてノンアルの日本酒というのを飲んだ

冷えていたので、まあまあだった。

 

この度、CMでノンアルの梅酒を知った

梅酒なんてそもそもジュースみたいな味なのだから、

これはいけるのではないかと思い

スーパーマーケットでノンアルのCHOYAの梅酒を探した

どの棚にあるのだろう?

お酒売り場?

お酒じゃないけど…

よく見たら、今はノンアルのコーナーがあるんですね

 

でもその棚には見つからず、今日見つけたCHOYAの梅酒は、

梅酒コーナーにあり、

ひとつだけ【ノンアル】マークをつけられて陳列されていた

 

もう少し暑くなったら

これをロックで頂こう!

ちょっと楽しみなんだけど…

今日も朝は寒くて薪ストーブ焚きました

フジ「人事の人見」

以前気になる役者に書いた松田元太主演。どうしていきなり彼が主演!?という驚きです。

(エネルギッシュな人が、当たり前の会社の中で、空気を動かしていく話)はよくあるパターンですが、毎回誰かターゲットとなる社員のトラブルを解決していくのなら、その人の人間ドラマが描かれていないと、そしてそこに感動がないと…。2話見て、何処にも心動くことのない話を、これからずーっと毎週見せられるのは無理

 

朝日「いつか、ヒーロー」

これも全く同じです。これから一人ずつ再会して、物事を解決していくのでしょうが、そこに心動かされるものが何もない。これから同じことが繰り返されるという予測は、観客としては恐怖に近い辛い状況なのです。

 

カンテレ「パラレル夫婦」

パラレル社会が存在するという、かなり無理なドラマ作りはともかく、二つの同じ社会が同時進行していてその両方を描く理由が見えない。何よりも、大好きだった配偶者が亡くなり、1日にいちど、再会できた時の感情が有り得ない。

 

フジ「Dr.アシュラ」

よくある、どんな状況の病人でも治してしまうというドラマ。これの何処が面白いのか私には分からないです。以前、ヒットした「ブラックペアン」も「ドクターX」もどんな病気でも治ってしまうのならば、ドラマにはならないじゃない!と思うのだけれど…。こういうドラマが好きな人は、「水戸黄門」好きと同じことなのでしょうか? 勧善懲悪というか、結論がわかっていて安心するというか。

大好きな松本若菜主演ドラマなのに、見続けられない。彼女はきちんと芝居されていると思います、相変わらず美しい。でもこんな作品やらないで~

 

フジ「波うららかにめおと日和」

昭和11年を舞台にした新婚夫婦のラブストーリーをこれほどまでに軽く仕上げてしまうのは、何?観客を馬鹿にしているのでしょうか? 活動弁士がいらない。主演二人の心の声のNAがいらない。そもそも昔というのは、時間がもう少しゆったり進んでいた。だからラブストーリーが今よりも美しく描けるはずなのに。その全てを言葉で説明してしまっている。こうなるともう脚本をドラマ化しているのではなく、言葉を平板に並べているだけです。表面に見えることと心の声の裏腹さを描くなら、笑いが取れるところまでやらなければ意味ないし、そもそも役者の感情を役者のNAで説明するならば、役者必要ないですよね。みんな本を読めばいいと思います。本ならば、シナリオよりも役者の感情が文章で書かれているので。 役者の芝居もわざとらしく、心の声と同じように全てが説明台詞、説明表現になってしまっている。説明台詞ほど芝居の中でカットしたいセリフはないのに。

昨日イエメンの武装組織フーシ派の発射したミサイルがテルアビブ国際空港付近に着弾した

というニュースが流れてきた

イスラエル周辺の緊張関係がまた更に高まった

 

私は、そのニュースを聞いてテルアビブ空港を思い出していた

 

イスラエルという国をウロウロしていると

普通の路線バスで、乗り合わせた人が銃を持っていたりすることがあった

 

日本へ帰る時、テルアビブ空港で、私は止められた

理由は、ネックレスのペンダントトップが、拳銃の弾丸の形をしていたから

 

日本では当たり前に、ハートとかドクロとかそういうものと並んでいろんなペンダントトップがある単にその一つだったのだが

 

カメラで中を見たり、チェックし直すということで時間が掛かりそうだったので

「ここに置いていきます」とそれを差し出して飛行機に乗ったことを記憶している

 

全く平和ボケというか、

日本人の感覚では、それが空港でひっかかるなんて想像もできなかった

 

あの国は、あの地に建国されてからずーっと

周囲のアラブの国々と緊張関係にあり、

私たち島国の日本人とは

全く違う危機感や緊張感を持って暮らしている

 

先進国で、

エルサレムという古い都市と

テルアビブという新しい都市があって、

どちらも観光にも最適な素敵なところだったが、

もう二度と行くことはない国のひとつ

ローマ教皇が亡くなり、次のローマ教皇を決めるためのコンクラーベが間もなく開かれるというニュースを聞いて、

 

「コンクラーベ」と聞くたびに「根比べ」を思う日本人は多いと思う

私もその一人だけれど、

それと同時に、システィーナ礼拝堂のことを考えた

 

バチカンに行ったのも、システィーナ礼拝堂に行ったのも生涯で一度だけ

そして思い出すことは…

 

礼拝堂の天井画が有名であるが

それを見るためのたくさんのツアーが毎日開催されている

 

私は個人でバチカンに居たのだけれど、

イタリアで知り合った日本人の男性とその日は二人で観光していた

 

ツアーガイドたちは、礼拝堂の手前の通路に並べられた

天井画を説明するためのパネルの前にグループの人を集めて説明する

そのため、手前の通路は、両サイドにパネルが並んでいて

それぞれの言語で、天井画の説明をしている

もちろん、日本語のツアーガイドも何人もいた

 

そこで、旅先ではよくやることだけれど、

ガイドが説明しているところに頭を突っ込んで聞きたい情報だけ手にいれる

その時は一緒にいた男性と並んで日本語の説明を聞き始めた

 

すると、

こんなことは後にも先にも初めてなのだけれど、

日本人のツアーガイドが、私たちに向かって「聞くな」という由の文句を言ったのだ!

明らかにイタリア在住の日本人という程だったが、その強い口調に驚いた

そして、一緒にいた日本人男性がやり返し少し口論になった

 

今思い出しても、なんて心の狭い人なのだろうと思う

通路で、写真パネルの前で、そっちが勝手に喋っているものを

自分のツアーメンバー以外は聞くな!というのは、狭量以外のなにものでもない

 

そして、彼がやり返したこともあって、

一番かわいそうだったのは、そのツアーに参加していた日本人たちだと思う

 

システィーナ礼拝堂と聞くたびに

こんなことを思い出す私もどうかと思うけれど…

 

システィーナ礼拝堂の天井画の中で一番好きなものの絵葉書と

バチカンのピエタ(マリア像)の絵葉書は

今も母の遺影の側に飾られている

20代前半だった頃の話

 

渋谷に行くために営団地下鉄銀座線に乗っていた。

ドアの横に立っていたが、いつのまにか、

ポールに体を持たせかけて眠ってしまったらしい。

 

表参道の駅に滑り込んだ時、

パッと目が覚めた

目を開けると

目の前の知らない男性と手を握り合っていた

目が合ったけれど、

言葉を交わす暇もなく

地下鉄のドアが開き、

その男性は普通に手を離して

表参道駅に降りて行った

 

それだけの話

が、しょっちゅう思い出す話

 

知らない男性と手を握り合っていたにもかかわらず、

嫌な感情がひとつも残っていないので、

後から考えると

うっかり眠りに落ちた私の方から手を握ったのではないかと思うのだ

目の前の男性は、手を握られて、仕方なくそのままにしていたのではないかと

 

何せ、私は20代前半の麗しき女性だったし、

彼は…、なあんにも覚えていないけれど、

感じの良い男性だったから

 

もしお心当たりのある方がいらっしゃいましたら

ご連絡ください

長野にいるのでお会いすることは叶いませんが、

事実を知ってみたい気持ちはずーっと持っているのです

私は、性善説

 

【人は生まれながらにして善である】

 

人は、誰でも優しい面を持っている

 

だって、世の中のためや

誰かのためになりたいと

みんな心の中で思っているもの

 

ただ、その優しさが表せない時期も人生の中で多々ある

 

持っている優しさを発揮するためには

余裕が必要だと思っている

 

余裕とは、

金銭的余裕と

時間的余裕

 

金銭的余裕は、自分が今暮らしていくことに不安がなければ

たくさん持つ必要はないと思う

自分や家族が暮らしていくのに精一杯の人は、

他人のことまで思いやることはなかなか出来ないだろう

 

時間的余裕は、

毎日忙しく、次の予定までに時間が限られている人は、

路上で困っている人を見つけても声をかけることすら出来ないだろう

 

その点、田舎は、この二つを持っている人がたくさんいる。

金銭的には、

絶対的に都会の方が金持ちが多いと思うけれど、

田舎にいる限り、大量のお金を持つ必要はない

そういうものを求めていない人が多いと言い換えてもいいのかも

 

最近、もうひとつ大切な条件に気づいた

健康であること

 

これは何にも増して重要なこと

健康でなくても、人に優しくはなれるし、

実際、弱い時の方が他人を慮れるように思うけれど、

他人のために何かをする余裕はないのだと実感する

 

人はみんな優しい気持ちを心の中に持っている

それを発揮できる時は、幸せな時なのだとも言える

35年前(こう書くと、自分が古い人間のようで驚く)

ニューヨークに住んでいた頃、

よくコリアンマーケットでコーヒーを買って

歩きながら飲んだ

 

当時、カフェでコーヒーを飲むと

65セントくらいだったと思うけれど、

アメリカで美味しいコーヒーを飲むことは不可能だった。

続に言うアメリカンというコーヒーが出てきた

ただ、おかわりも出来たり、

水代わりに飲むコーヒーはとにかく安かった

 

マンハッタンを歩いていれば、

ブロックごとに現れるコリアンマーケットでコーヒーを購入すると、確か50セントくらい

「ミルクは?」と聞かれて

「Yes」と答えると

ドボドボと牛乳のようなミルクを入れてくれた

 

紙コップを持って外に出る

ミルクたっぷりのコーヒーは、

まだそれなりの温度を保っていて、

でも、どこかの火傷しそうなコーヒーと比べたら

とても飲みやすくて、

とにかく美味しかった

 

それ以来、私はコーヒーにミルクを入れる主義だ

 

適当に入れたミルクの量がどうして絶妙な味を作り出すのか

不思議でならなかった

単に、紙コップ片手にマンハッタンを歩いていることで

その味が保証されていただけなのかもしれないけれど

 

私が最後にNYに行った時、

確か1998年

アメリカ人の友人が美味しいカフェが出来たんだよと言って

連れて行かれたのが、スターバックスコーヒーだった

 

今日本でも大人気のこの珈琲店が

アメリカ発祥というのが、いまだに信じられない

コーヒー豆の価格が跳ね上がって一年以上が経つだろうか?

今は何もかも高騰しているので、みんなの感覚が鈍化している気さえする

 

いつも買っていたコーヒー豆がびっくりするほど高くなって、

別の種類の手頃なコーヒー豆に変えた

 

はっきり言って、

我が家で飲むコーヒーは、

どの豆にしても大差ない

 

コーヒー大好きな友人は、

毎月のコーヒー豆代が一万円を超える

と嘆いていたけれど、

私はそんな高価な美味しいコーヒー豆を買っても

カフェのように美味しく入れる技術がない

 

以前、ビアレッティのエスプレッソメーカーでコーヒーを淹れていた時代もあった

 

今はIHなので使えない

 

そして、今は普通のコーヒーメーカーで淹れるので、

はっきりいって、高い豆を手に入れても味の違いがよく分からない

 

ついでに言うと

ミルクをたくさん入れてしまうので、

コーヒーの味にはあまりこだわっていない。

まずいのは嫌だけど…

 

でもコーヒー好きではある

ランチに行くと食後はいつもコーヒー

 

一度高くなったものは、いつか元に戻るのだろうか?

大人になってから(わーいGWだぁ!)

と遊びに行く予定を立てたことは殆どありません

 

仕事柄、定期的なお休みがなかったので、

もっぱら人様の休日は稼ぐ日

人様が働いている日に遊ぶ主義になっていました。

 

そして、今は…

休日になると原村の人口はぐんと増えます

車の量が増え、店が混み、

一応、観光地なんだなぁと実感する私

 

人混みは苦手です

俄然、出かけなくなる

 

やることは、畑仕事

 

4月からちょうど土づくりに入るけれど、

まだじゃがいもしか植えられない

そろそろ夏野菜の苗が出回る頃、

でもGW中に植えられることは殆どなく、

もう少し暖かくなるのを待つ

遅霜が決して起きない時期まで待つようにしています

 

GWは割と天気が良い日が続く傾向があるので、

もっぱらのんびり野良仕事

 

今日なんて、鍬を振るっても涼しくて、

休憩すると快晴なのに心地よい風が吹いて

あまりに気持ちが良くてぼんやりしてしまいます

 

みんなそれぞれ快適に過ごす素敵な連休でありますように❤️