門田さんの著作は何冊か読んでいていつも面白く読ませてもらっているのですが、

今回も面白かった。

面白いと言ってはいけない内容ですが、

あくまでも著作として面白く、

笑えるという意味の面白さではないです、もちろん。


そもそも裁判官ってどういう人がなるんだろう?

っていう疑問も解消しました。


注目の裁判の時に映像に移り、

その姿だけを見る裁判官。


選挙の時に、落としたい人に×をつけろと言われるたびに、

きちんと裁判官の名前を記憶しておくべきだった、

勉強不足だったと反省する。


そのくらい裁判官という職種の人は、

普通の人からは遠く。

ドラマで何度かは見たことがあるような気はするが、

普通の人とはかけ離れた感じの職種の人。


しかし、読んでいて非常にクリアになってきた。


司法の勉強をし、

もっとも難しいとされる司法試験をパスした中でも

エリート中のエリート

そして、上の意向に背かないであろう人たちが

選ばれて裁判官になるらしい。

同じ場所で勉強した人たち(のちの検事、弁護士)よりも

エリート意識の高い人々。


そして問題は、

ずっとエリートで来たために

普通の常識からかけ離れてしまっている人が多い。


その人たちが、有罪無罪を決める司法の権利をずっと握ってきた。

それが裁判員制度になって

少しだけ変わったのだと思う。

(この本は、裁判員制度以前に書かれている)


裁判員制度になってから明らかに罪が重く判断されることが多くなった。

これまでコンピューター的に

過去の事例に照らし合わせて罪が決定されてきた法廷に、

一般市民が加わることによって

「正義」というものが加味されたのだと、私は思う。


一般の人、普通の人には、

少なからず正義感というモノがある。


そこに殺人という事件があれば、

当然、被害者に心を添わせて事件を見つめる。

それが普通の人だと思う。


しかし、裁判官にはそれはない

(もちろん、何事にも例外はあります)

そもそも殺人の裁判には被害者は存在しない。

被害者遺族もつい数年前まで存在できなかった。

あくまでも被告人のための裁判だった。


政治家もそうだが、

一般の人と同じ経験をして育ってこなかったために

普通の価値観を持たない人たちが、

司法の世界を牛耳っている。


恐ろしいことだと思う。




人はみな、「幸せになる」ことを求めて生きているのだと思っている。


だが、その「幸せ」がどのようなものであるか、

なかなか表現するのは難しい。

その定義が人によって、価値観によって、全く違うのは、素敵なことだと思う。


かなり以前、NYの大学で「幸せの定義」についての論文を書いたことがある。

この時に、つたない英語で書いたあの定義が今でも変わっていないことを

私はよく思い出したり、考えたりする。


【自分が今幸せであるかどうか?どのくらい幸せであるか?は、

どれほど頻繁に「幸せだなぁ~」と感じるかで決まる】のだ


幸せという感情は、四六時中、持続し続けるものではなく、

瞬間的に心に(または頭に)発生するモノで、

朝起きて、何かしながら「ああ、幸せだなぁ~」と感じる。

午後、何かをしながら「ああ、幸せだなぁ~」と感じる。

時には、声に出して言ってることもある。

そういうモノだと判断し、

それでは、今日朝起きてから一体何回頭の中でこの言葉を発生させたか?

その数が多ければ多いほど、自分は幸せだという判断の仕方だ。


最近、いろいろな局面で「幸せだなぁ~」と感じる。

その度に、この論文のことも思い出す。


当時よりも、頻繁に、実際頭の中にこの言葉が浮かんでくる。

ま、当時よりも暇で、、考える時間があるというのも理由の一つなのだがf^_^;


八ヶ岳に来て、ちょっと不便な生活をした時に、

水道の蛇口からお湯が出ることに感動して「幸せだなぁ~」と感じる。

そう、必要なモノがそこにあることに「幸せだなぁ~」と感じる日々。


数日前、モノを減らす生活について考えたばかりなんだけどねぇ~


モノを整理して、少ないモノを大切にしていけたらいいなと思っているのだ.....


mmmmmmmmmまた話がどこかへそれて行ってしまったので、

幸せの定義についてはこれでおしまいm(_ _ )m


朝起きてから、夜寝るまでの間に

心の中で「幸せだなぁ~」と、何回つぶやけるか

今日は…まだ2回……だな.....(‐^▽^‐)



WBCの日本代表選手たちが帰国した。


私は、ほとんどその試合を真剣に見るチャンスはなかったのだが

結果だけは毎日見ていた。


アメリカが負けて決勝トーナメントに来られなくなったことを知った時は、

日本の三連覇もあるかも!とちょっとハッピーな気分にもなった。


しかし、準決勝で負けてしまった日本。

その試合で、走塁ミス?をした選手が、

自分のミスを反省している様子だった。

まるで、甲子園で9回の裏、サヨナラのチャンスで、

守備についていたセンターがトンネルをして、

そのあと、号泣してベンチに引き揚げる

あの高校野球児の姿を思い出した。


帰国して記者会見が行われた。

とても世界3位を獲得したチームの記者会見には見えなかった。


凄いのに。

世界で第三位なんて凄いのに。


これがサッカーだったらこういうことにはならない。


高校野球の古い体質が、

プロ野球の世界にも垣間見られるようで少し残念なのだ。


とにかくおめでとうございます!!

よく頑張りました!

昨年末の選挙により自民党政権に戻ってから株価が上昇している。

年初には、今年中に1万2千円台を回復するだろう~と予想していたくせに、

1万2千円台はとうに過ぎ、

今は、まことしやかに1万4千円まで行くだろう~と...


さて、この経済がここまで凄いスピードで上向きになった理由は?

全く見当たらない。


とりあえず日経平均で今モノを言ってるわけだが、

日経平均がここまで早いスピードで右肩上がりに上がっていく理由が見つからない。


勿論、唯一のはっきりした原因は、円安である。

円安になれば株価が上がる。

そして経済が上向き?


何の根拠もないのだから、経済が上向きとは言えないだろうし、

いつ落ちるかもわからない。


しかし、経済とはこういうモノであることも事実。


つまり理由は、期待である。


経済が良くなるのではないか?という期待。

つまり、もしかしたら、阿部総理がとっても頭のいい人で

【自民党は、少なくとも民主党よりはこういう点で頭がいいであろう~】

これがアベノミクス?????

つまり何の根拠もないけれど

「良くなるぞ~良くなるぞ~」と言うと、

人びとの財布のひもがゆるくなり、

お金を使うようになる。


みんながお金を使えば、経済は良いということになる。


つまり経済はどんな時でも良くすることが出来る。

だって、お金はいつもどこかにあるのであって、

それがキチンと回っていけば経済は良くなり、

どこかで滞っていれば、経済は悪いという状態になるからだ。


が、逆に言うと、

どうしてここまでは、みんなお金が使えなくて、

今使えるようになるかだ?

単に、政治に踊らされている?

根拠のない期待?


東北の震災があった時からそうだが、

それが原因で日本全体が収縮してしまうことは良くないと

お金を使うことで震災復興と唱えてきた人はたくさんいる。

経済が悪い時こそ、お金がある人はどんどん使うべきなのだ。


しかし、実際は金持ちはやはりこの点で頭がよく、

今こそこの景気回復の機運に乗って金儲けをしようと試みている。


株価が上がることで、資産を持っている人はさらに資産を増やすが、

そうでない人たちに回ってくるまでにはかなり時間が掛かる。


それでも経済が上向きと言うと

まるで春がきたかのような明るい雰囲気になるのも事実。

それで満足なら、まあ何もグタグタ言う必要もないのだが、


でも、やっぱり私は言いたくなるのだ、

どんなにお金があっても原発の危機にさらされるべきではない。

自民党党首が掲げている、原発再稼働をするくらいなら、

ちょっとくらい景気が悪くてもいいじゃないですか!

生きていればいいことあるさ!って考えられる世の中にすることが重要なのであって、

お金があることだけでは幸せになれないことを、

戦後の日本人は学んできたように思うのだけれど……。

最近、少々嫌なことがありまして…

それ以降、ずーっと胃の辺りに重いモノを感じています。

こういうのをストレスというのでしょうか?


それにしても思い起こせば、

半世紀以上生きてきて、

気が重くなるような嫌なことは、

必ず、誰か人間によって起こされます。

つまり「人間関係」という奴ですね。


簡単に捨て去れる人間関係ならば

切ってしまって済むのでしょうか?

それでも胃のあたりに重いモノはしばらく残るかと思います。


私の悪いところは、

相手が感情的になって色々言ってくると、

黙ってしまうところですね。


それでしばらくしたら忘れ去ってしまうのならばいいのだけれど、

こちらはほとんど言いたいことを言っていないため、

ずっとストレスは残っていく。

こうなると、その人との人間関係が続く限り、

それは私の中に巣を作っているのかな?って。


ま、そんな風に考えながら、

言いたいことを言ってしまって、すっきりするか?

このまま言いたいことは言わずに、

その人との関係がある意味切れてしまって、すっきりするか?


ひとつだけ分かっていることは、

いつまでもストレスを抱え続けることはあまりよくないということです。

ストレスがほとんどの病気の原因ですから…


そうなると~


問題はいつも人間関係なのに、

私は、そんな面倒な人間関係を無駄だとはもちろん思わないし、

人間が面白いからこそ、

微妙だからこそ、

色々な問題も起きる。


それなら時間とエネルギーを掛けて、

その問題を解決すればいい!とも思うけれど、

別にその人と付き合わなくても、

もっと合う人を探せばいいのではないかと思ってしまう自分もいる。


そんなわけで、

ここ二週間ほど、気も重いし、胃も重いのです…(゚_゚i)

私は数年前までは、間違いなく夏が好きでした。


でも記憶するに

5年前からは(少なくとも)夏よりも冬の方が好きです。


夏よりも冬の方が空気が澄んでいる。

夏が、私が子どもの頃のようにいい季節ではなくなってしまった。

地球温暖化などのせいで。


今年の冬はとても寒く、雪が多かった。

そのことで、今年は雪の多い地方でも雪による災害がたくさん発生してしまった。


そしてそういった地方にとっては、

長い冬が終わり、やっと春が見えてきました。


私は、春が来たことに対して、

上記の理由でそれほどハッピーでもないのだけれど、

でも、日が長くなったことはとてもハッピー


夕方6時になってもまだ明るいのは、とても嬉しい。


そして、やはり少し暖かくなったり、

明るい時間が長くなると、

外の出かけてみようかな?という気になる。

つまり人々は、

この季節になるとアクティブになってくる。

それは間違いなく素晴らしいことだと感じる。


家の中に引きこもっていないで

外に一歩出れば

間違いなく、違う風が吹いてきて、

何かが起こる。


何かが起こることが恐ろしくて外に出られなくなってしまっている人にとっては

きついことだと思うけれど、

楽なことは、必ずしも楽しいことではない。

一歩外に出てみて、

ほんの些細な喜びを見つけることが出来たらいいなと思います。


そういう意味で、やはり春は素敵な季節だと思われます。

八ヶ岳に行って帰京すると、なんか暖かい。

そのせいか、今年の冬は寒い寒いと言われているけれど、

それほど感じないですんだような~~(^ε^)ラッキー!


3泊以上の休みを作っては八ヶ岳に行こう!

とすると、

休みの前後は大変な忙しさになる。


海外旅行に行く時もそうだろうが、

長期の休みの前には、

すべての仕事をきっちり片づけ、

休み後には、雑務からいろいろたまっている状態になる。


だから、必然的に東京に居ると私は忙しくなる。


そもそも、東京に居ると化粧をする。

あはは、当たり前のことなのだけれど、

八ヶ岳に行くと化粧をしない。

というか、あまり化粧をして出かける機会がない。

そして、7キロも車で走っていくのだけれど、

着ているものはいつも同じだ

つまり部屋着とほとんど変わらない。


それはそれは楽ちんだ。


楽なことが楽しいとは決して思わない。

本当に面白いことは大変なことを積み重ねた後にやってくるものだ。


八ヶ岳から戻ってきたばかりの今が一番忙しく、

八ヶ岳に行く日が遠く、

一番つらい時期なのかもしれない。


楽な生活と、忙しい生活、

このバランスがうまく取れているうちは、

私は健康で過ごせそうな気がする。

子どもが居なくなっている。

というニュース。


子どもが生まれて、児童手当を国に請求し、

貰い続けているのに、子どもがいない。


ある家でそのことが発覚し、調査したら、

全国で百人前後の子どもが居なくなっている……らしい。


そして思い出すのは、

以前、老人が居なくなっているというニュースだ。


年金をずっと支払っているのに、

当の年金受給者の存在が見当たらない。

それは、かなりの人数だったはず。


国は、公務員は、自分のお金ではないから、

ただただ支払い続けていて、

そこにチェックが及んでいない。

国や、公務員を騙すのはどうも容易いらしい。


確かに、税金とか、支払わなければならないモノは、

少しでも少ない方がいいなと思い、

確定申告のために領収書を集めて努力する。


しかし、上記の児童手当や年金を当人がいないのに貰い続けるのは、

ちょっと意味が違うと思うのだ。


人一人の命にかかわることだから。

その人の存在にかかわることだから。


私も親を亡くしたことがある。

亡くなると死亡診断書が医者により作成される。

それを提出して、そして火葬や納骨が出来るわけだ。


年金をもらい続けるためには、

それをごまかさなければならない。

きちんとお葬式をあげていないということだ。


それが今度は子どもにも表れた。

国から児童手当をもらうために居なくなった子どもたち。

始めからいないのか?

それはどうやったらごまかせるのか分からない。


最初は居た子どもなら、その子は一体どこへ行ってしまったの?


世界中を探せば、

まだまだ戸籍などでしっかり管理されていない国はいくらでもある。

日本は、そういった管理が行き届いた素晴らしい国だとずっと思ってきた。


しかし、実際はそうでもない。


大震災で、スーパーマーケットに整然と並ぶ日本人の姿をテレビで見て、

海外の人は、日本人は、なんて素晴らしい人種なんだと絶賛していたが、

事実はそうでもない。

結局はその割合の問題だろうが、

誠実な方がいい。


何故なら、嘘は、誰かにつくものではなく

最終的には自分に対してつくものだから。

全ては自分に帰ってくる。

誠実な人生を送った方が、気持ちがいいに決まっている。

今朝、化粧台に向かっていたら、

いつも使っているBBクリームが残り少ないことに気づく。


そもそも計画性があり、買いだめ魔の私が、

次のBBクリームを購入していないとは考えにくいが、

どこにあるか分からない。


化粧台の右隅にある小さなポーチを開けてみる。

その上にモノが乗っていたりするので、

随分久しぶりに開けたような気がする。


中には何が入っているのか?

目的のBBクリームは入っていなかったが、

ペンシル削り、アメリカピン、それからそれから

目的のモノが入っていなかったので、それ以上は細かく見ないでチャックを閉じる。


そしてふと考えた。


私は生きている間に、このポーチの中を片付けるのだろうか?


モノがあふれている。


上記の通り、買いだめ魔の私は、

いつも在庫がひとつある生活をしている。

モノがあることに、とても満足していることも事実だ。

しかし、モノが多すぎて、いらないモノもあって、

その全体像を把握できていない私がいる。

もっとモノを減らしてシンプルに生活したいと願う自分もいる。

しかし、現代は、モノがあふれていて、

大人の私は、必要なモノは大体手に入るようになってしまっているのだ。


思い出すのは、二十数年前のニューヨークでの生活だ。


モノがなかった。

スーツケースとボストンバックだけ持って移住した私だったから、

引っ越しも車で友だちの手を借りれば出来た。

それでも一年後には、段ボールの数が十数個に増えていた。


ふう....


生きている間に片付けたいと思う。

いらないモノを捨てて、大切なモノがどこにあるかいつもわかるすっきりした生活にしたいと思っている。


死んでから、無駄なモノを誰かに捨ててもらうのは忍びない。


それにしても、今PC周りを眺めただけでも、モノが多過ぎで吐き気がする。

この雑多なDVDとか、書類とか、写真の山とかは一体どうなるのだろう?

そしてこのPCの中には、さらに数えきれないほどのデータが……


一年に一度も見ないDVDを取って置く必要があるのだろうか?

そう考えると、いらないモノばかりのように感じてくる。


本当に大切なモノをしっかり見つめられるように

モノがあふれているこの時代に、

私たちは難しい選択を迫られているのかもしれないが、

もっとモノのない生活を心がけたいと私は思うのだ。

ここ一年余り感じていたことだが、

ユニクロの客の年齢がぐっと上がった。

以前は若い人ばかり見たのだが、

最近は年配の人ばかり。


因みに私が平日の昼間に買い物したりするから余計なのだが


昨日の昼間ユニクロに行った。

なんでもWEB会員5%割引の日だった。

よく分からない。

WEB会員って何だろう?


品物を選んでレジに並ぶ

レジで会計をしている3人の客はいずれも私よりも年配。

そのすべてのレジで、WEB会員になると……と説明している。

全員が、「携帯はちょっと……」と断っている。

私にもきっと説明してくれるんだろうな~と思い、

なあんとなく無駄に時間が掛かっているレジの後ろでひとり待つ


WEB会員と言うのは、スマホにユニクロのアプリを入れればいいらしい。


レジで「携帯は……」と聞かれるので、

「スマホです」

「iphoneです」

それならアップルストアでUNIQLOのアプリを購入(無論無料)してください。

んで、レジでその操作をすることになる。


操作は、まあまあ普通に出来る私だが、

目が見えないのだ…………

途中まで打って、ミスって、ユニクロが出てこなくて、

で鞄から眼鏡を出して、打ち直して、

こんなことやってそれぞれのレジは時間が掛かるのだ。


それでも説明がなかったと文句が出てはいけないので

70代の人にもWEB会員ならば割引があると説明している。


次からは、スマホを提示すればWEB会員割引がキクらしい。


こんなことが以前どこかのレストランでもあった。


その時は、面倒だからとやらなかった。


どうしてアプリを入れるだけで割引になるのか分からない。


会員登録しているわけでもないし


しかし、入れれば一度は行ってみる。

それでヒット数が増える。

それが5%オフしても特になるらしい。


それにしてもこれほど年齢層が上がって、

操作ひとつわからない客が増えて、

この世の中の変化にどこまでついて行くべきなのか?

私の老後にはどんな困難が待ち受けているのか?


ついて行くことをあきらめた時が老後になるのだろうか?