あなたは改憲派ですか?
私は、今の政府時に憲法改正は危険だと思っていました。
そしたら現政権は、憲法の解釈を変えることで、集団的自衛権を行使するつもりです。
またまた危険なことになっています。
そもそも今の議員数では、安倍首相のやりたい改正は無理なので、解釈で乗り切ろうとしているのです。が、これをひとつ許したら際限がなくなります。だって、誰が解釈するのですか?


以下、中妻じょうたブログより
明文化もせずに際限ない解釈運用を続けることは、ルールに対する「モラルハザード」を生みます。
「守られないルール」は、ルール全体としての信頼性を低下させることにつながり、 「ルールにはこう書いてあるけど、守らなくていいんでしょ? これ」という態度を蔓延させることになります。憲法第9条のみならず、憲法全体の信頼性が低下するのです。憲法という国家の根幹に対してモラルハザードを起こすことほど、危険なことはありません。

憲法第9条が、ノーベル平和賞候補に受理されたことはご存知ですよね。これほど素敵なことが日本のテレビでは大きく報道されていません。更に素敵なのは、ノーベル平和賞の対象者は、日本国民であることです。そう、私たちです! この第9条があるお蔭で、私たちは平和な国民としてずっとやってこられた。

世の中の流れで、もしも集団的自衛権を行使する必要があるとか、そのために憲法が引っかかっているならば、憲法を改正するための議論に入ればいい。そうすれば、改憲賛成派も、反対派もしっかり意見を出し合えるから。ただ、なし崩し的に、憲法の解釈を変えていくのは、非常に危険なコトです。

私たちの子孫が、戦争に直面しなくていいように、今起こっている危険な事態に対して、しっかり問題意識を持って臨んで行きたいと思います。
先月は春と言うのに結構気温の低い日が多かった。
お蔭で今年は春が長く感じられてハッピー

ここ2,3日は、暖かい。
いえ、暑いくらい。

このエアコンを必要としない季節が好き。
私が八ヶ岳南麓に住みたい理由の一つが、
窓を開けて(つまりエアコンを使用せずに)生活したから。
東京では、夏になると丸一日エアコンを付け、
窓が開け放たれることがない日もある。

さて、今朝起きて、窓を開け放ちました。
寝ている一階の部屋の窓を2つ開け、
二階、屋根裏部屋と、どんどん登ってい行く時に窓を開けて歩いた。
実は、この家に住んで7年半、
一度も開けたことがない小さな窓まで開けてみた。
だって、気持ちいいんだもん。
最近は、いつも換気扇が回っていたトイレ、浴室なども、
なるだけ窓を開けることで喚起を済ませている。
(これは節約生活の知恵?)

さて、一体いくつの窓を開けてみたか、今数えてみます。
一階 5つ
一階から二階への階段の窓、1つ
二階 3つ (いつも開けている窓のみ)
三階と言う名の屋根裏 5つ(つまり全て)
合計13個の窓を開けた。
他にもいくつか開けたことがない窓もある。
そう、小さな窓がこんなにたくさんあったのだということにも驚く。
東京は、隣の家が迫っているので、なかなか大きな窓を取り付けられず、
小さな窓で対応しているのだろう。

こうして家中の窓を開け放ち、夕方閉めるということも、
八ヶ岳生活の影響だと思う。
窓が開けられる生活をしたい私は、
空気の綺麗な田舎へ田舎へと足が向くのは
当然のことなのだと思う。



5月2日 18時から 首相官邸前で、川内原発再稼働反対、原発ゼロのための抗議活動があると知ったのは、1月来始めたツィッターでのことだった。

それまでも脱原発という意見をこのブログでも書いたことはある。

選挙に行けば、当然、脱原発の人に投票する。でも、とにかくデモとか、抗議活動とか、そういったモノに参加したことは一度もなかった。

ツィッターをやっているうちに、脱原発の活動を積極的にやっている人たちとつながることが急速に増えて行った。気になるのは、ツィッターをやらなければ、ほとんど知ることが出来なかったということ。

 

たまたま私はこの日、日比谷公園に居て、東電本社を眺めていた。


天気もいいので、そこから国会議事堂に向かって歩いて行った。17時。道のあちらこちらで、原発反対!などのノボリを持っている人たちがいる。チラシ、資料などを配布したりしている


それを受け取り、少し離れたところで、資料を読みながら18時を待つことにする。

 

彼らを見て感じたこと。(なるだけ客観性を持って見るように心がけて出かけた)

ノボリが手作りだったりするせいか、歳を取っている人が多かったせいか、一部の人は、ホームレスに見える。そしてまた一部の人は、危ない宗教の人たちにも見える。

しかし、大きな違いは、誰も積極的に誘ってはこないことだ。

 

更に進む、いろいろな形で原発反対を訴えてはいるが、誰も彼も自分の意見を発しているだけで、取り込もうという雰囲気は感じられない。だから嫌みがない


そんな個々の活動を見る私の目には時々涙が溢れた。小さな力が、個々に頑張っているという印象。この小さな力は、ひとつになるのだろうか?

 

とりあえず18時までと思って、いろいろ観察していた。

首相官邸前には、警察官を乗せたバスが何台も停車していたが、18時少し前になると、パラパラと警察官の姿が現れる。そこここに、警察官が立つ。デモや抗議行動は、事前に知らせているので、こうして警察がいるのだということも、私にとっては、初めての経験。



18時ピッタリ。原発反対のシュプレヒコールが、国会議事堂の建物に反響して聞こえてくる。私が立っていた場所からだと、首相官邸方向からではなく、国会議事堂側から聞こえてきた。

私は、ゆっくり先ほども登った道を歩き、首相官邸方向へ進む。歩道は半分が、赤と白の三角ポールで仕切られ、歩行者を妨げないようになっている。しばらく進み、程よい所で、私はポールの中側に入り、首相官邸の方向に正対する。


建物は見えないが、リーダーの声が、スピーカーを通して聞こえてくる。それに呼応する人びと。私はなかなか声が出ない。出せない。さきほど貰った資料を握りしめ、ただ、官邸方向を見つめている。時折涙がこぼれる。 

 

何故?

小さいのだ。ひとりひとりの力があまりにも小さいのだ。

官邸や国会議事堂や、さっき通過してきた霞が関のビル群から見下ろしたら、この小さな力の集まりはどう見えるのだろう? この日、3000人が集まったと言われている。

 

私にとって、デモというモノは、ほとんど無縁の存在だった。祝日によくおこなわれるデモ活動によって、交通マヒが起こされるのがちょっと迷惑だったくらい。今回も参加するかどうか考えている時、もしかしてお祭りみたいなものなのではないか? 自分の気持ちが高揚して、そのことで満足して楽しめる時間なのではないか? ま、それはそれでいいのだが……と。

 

実際に、ポールの中に入って、ただ、官邸方向を向いていた私は、その内、スピーカーから聞こえる言葉に呼応する。きちんと意味をとらえられるモノから。

まず「川内原発再稼働反対!」 このために来たのだ。最初の原発を再稼働させたら、次もその次も芋づる式だ。

次に、原発反対! 原発廃炉! 原発売るな!

その内、すべての言葉が、私の身体にスーッと入ってくる。

リーダー(呼び方が分からず)は、男性と女性の声で、15分おきに交代する。女性の方が少しスピードがUPする。男性は穏やかな声で、女性は革命的な声だ。どちらの声にも力と説得力がある。そう、説得力がある美しい声だ。その声を聴くためだけでも、そこに立っている意味はある。ついでに、一緒に叫んでしまえば、もっと意味がある。自分という小さな人間の力が、少しだけ影響力を持って、そこにいることになれる。

 

抗議活動をしている長い列の横を通過して、国会議事堂前駅から電車に乗る歩行者がいる。ここをこの時間に無表情で通過するのだから、この近辺に勤める人たちだろうか? それなら最低でも毎金曜日、この抗議活動を見て、聞いているはずだ。だからあんなに無表情なの? 原発STOPのために熱く大声を張り上げている人に比べて、あの無表情な人たちは、一種奇妙だ。人間の感情を押し込めてしまったかのような無反応ぶり。そしてすぐそばに立っている警察官。彼は仕事だから、そこにいるわけで、歩行者に迷惑が掛からないか?その他危険なことが起こらないか監視しているだろうが、2時間ずーっとそこにいて、心は動かないのだろうか? 動いているけど、仕事上反応できないから仕方がないのだろうか? 心が動いたら、うっかり口元が一緒に動いてしまったりしないのだろうか? うっかりではなく、本当は原発なんかないにこしたことはないと思っているのだから、こちら側に行きたいと思っているのだろうか? そんなことを考えながら、赤と白のポールのこちら側とあちら側にいる人たち、どちらがより人間らしいかというと、間違いなく叫んでいる人たちだったのだ。

 

日本はとかく、長いモノには巻かれろ、精神。少数派は、変な人たちに見える。最初に書いたように、ノボリを持って一見浮浪者に見える小さな団体は、変人の集まりにされてしまう。マジョリティーにならなければ、正当化されにくい。

 

この抗議活動に行くきっかけのひとつは、先日の台湾の原発反対デモ、そしてその結果、政府が原発建設凍結を決定。あれだけの人数が集まれば、世論の力で政府を動かせる。日本もそうあって欲しいと望んでいます。

 

ツィッターで知った原発反対の運動は各地で行われています。その先頭に立って、声を上げている人たち。その周囲で出来ることを積み上げている人たち。その誰もが、整然と声を上げている。誰にも意見を押し付けず、自分の意見を発信し続ける。そして今回100回だったように、継続している。【継続は力なり】 私の座右の銘です。

100回もこんなことやらせるな!」 100回言っても分からない今の首相だけれど、平和ボケしていない純粋でエネルギーのある日本人がまだまだたくさんいるはずだから、この潮流は今後もっともっと大きなうねりになるはず。

ただ、私が今焦るのは、この3年止まった原発の再稼働が(政府の目論見だと)近いこと。東京都知事選でも、鹿児島補選でも自民が勝ち、脱原発派が、まだその力を発揮しきれていないこと。続ける事に意味はあるけど、遅れてはいけないとも思う。ひとつが稼働したら……考えただけでも恐ろしい。

 

現場は、夕方から夜まで叫び続けていました。


あの場所に居て、心が動かない人がいたら、やはりそれが問題なのだと思う。どんなことでもマンネリ化してはいけない。自分の五感を使って考えてみれば分かるはずだ! ここで起きていること、福島の現実、目や耳を閉じずにきちんと考えれば、足は自然と官邸前に進み、帰るに帰れなくなる。誰かのためではなく、自分の中に湧き上がった感情に素直に。それが結果として地球の未来のためになることなのだと思います。

八ヶ岳の帰り道は、直売所めぐり
まず長坂のよってけしに寄る。
季節によって野菜の種類は勿論、
品数もかなり違う。

今回は、野草がたくさんありました。
せり、わらび、こごみ、たらのめ、ふきのとう、名前覚えられなかった数々
結局、値段と、料理方法の両面から考えて、
今回購入したのはわらびのみ

わらびは、旦那が好きな食材だから、
数年前から購入するようになったが、
それまでは家で食べたことはなかった。

あく抜きが大変だと言うけれど、
基本的に、あく抜き用の灰をつけてくれているし、
作業としてはとても楽。

わらびに灰を掛けて、熱湯を入れて一晩置く。
次の日の朝、灰を落とすためによく洗って、
水に漬けておく、
夕方には食べられる。


前回はこの後茹でたが、
このまま食べられるということなので、
これを切って、鰹節と醤油を掛けて戴く。
滅茶苦茶楽に食べられる食材だ。

お酒のつまみにもなるし、
夜遅く、酒を飲みながら食べても太らなそうだし、身体に良さそうだし。

そもそも肉好きの旦那に野菜をたくさん摂らせるコトに工夫している私には、
好きな野草が登場すると助かる。

でも、それこそ旬モノなので、
この季節を逃すと食べられないモノばかり
野草だから、収穫したらサッサと食べないといけないし。

そうなってくると、やはり庭に生えてきて欲しい。
それを必要なだけカットして、食卓に上る。
そういう生活が最も裕福なのだと感じるようになった年頃です。

食後や、のんびりしたい時に飲むお茶。
珈琲でも紅茶でもそうだけど、
美味しいモノを飲みたいと思うこの頃。
それには、湯呑(カップ)の比重もかなり大きい。

家で日本茶を美味しく戴きたいと、ずっと湯呑を捜していた。
高いモノではなく(家庭用だし、割れ物だし)素敵な湯呑。
多分、5年以上探していた。
駅あたりの瀬戸物屋さんはいつも覗いていたし、
どこかへ出かけると、ぶらぶら探していた。
そして昨年9月、出逢ったのです!
私の好みの湯のみに
値段も手ごろで、口当たりも、大きさも、色も、形も
気に入って手に取ると、どんどん気に入っていくものでして……

清里の萌木窯で出逢った湯呑。

ところが、その時、青が掛けられたこの湯呑はひとつしかなく、
商品が入ってきたら……と予約を入れた。

次の月には、電話が来て、
もうあの色は作らない、という。

でも、別に急いでいたわけではないので(5年も探していたわけだし)
もしも入荷したら連絡ください。
と伝えて、そのままになっていた。
先月、電話があったのです。

「入荷しました」と
わざわざ私のために青を掛けた湯呑を忘れずに作ってくださったらしい。
ご丁寧に覚えて下さって、
お店の方も喜んでご連絡くださって、
そして私は月末八ヶ岳に行った時に受け取りに行くと約束した。

先月末28日に、やっと清里まで足を延ばしました。

ちょっとドキドキしながら、店に入る。
展示品には、青のその湯呑はないのです。
わざわざ私のために焼いていただいた湯呑は、店の奥に閉まってある。
料金も、5%の消費税でお分けいただいた。

届いた湯呑でお茶を戴きました。



実は、受け取った時に、イメージしていたのとちょっと違うなって思いました。
もう半年以上前に手にして、
それからイメージだけが膨らんでいたのかもしれない。
少し、厚手だなと言う印象。
そしてお茶を入れてみる。



なんか色が暗すぎて、お茶がさらに暗い色になる。
あっ、ちょっと違ったな。
番茶飲むなら、この青が掛かったのではなく、
白とか緑とかの明るい色の方が良かったかな?と
それなら今でも売っているのです(・_・;)



でもね、この湯呑が私の所に来たのは、
物凄い縁の積み重ねなのです。
こうやってみると、やはり美しいじゃないですか。
安い普段使いの湯のみにもこだわって、
5年越しに出逢ったこと。
これは素晴らしいことなのです。

これからは、モノを買っては捨てる時代ではない。
買う時によく考えて、吟味して、一生モノだけを購入していきたいと思う。
勿論、湯呑は割れてしまうモノだから、
これを一生使うことは出来ないと思うけど、
でも、大切に大切に。

日本茶を入れる。
両手で、湯呑を抱える。
お茶の温度だけではなく、湯呑のぬくもりで手のひらが暖かい。
毎回、お茶を飲むたびに、
ただ、喉を潤すために飲むのではなく、
色々な感覚を研ぎ澄まして、
日ごろの疲れも一緒に流すように
楽しみながらお茶を飲む。

その時間を大切にするためにやってきた私の湯のみです。

八ヶ岳に来て、はや5日が過ぎました。
一か月ぶりにやってくると、季節の変わったことがとてもよくわかる。
今月は、茶色だった景色にいろんな色が加わっていました。

我が家の荒れ放題の庭も
ムスカリの紫、タンポポの黄色の他に
ピンク、黄色、白、そして緑、緑、緑、黄緑
みたいなに色が加わっていた。

家の端っこにふきのとうの花も咲いている。
落ち葉で気づかなかったけど、庭にこんなにフキノトウが!
来年はしっかり収穫するぞ!

気候はすっかり冬型から春になり、
遠くが見通せなくなってきました。
実は、今日5日目にして初めて富士山を見ました。
それでも早朝の空気はかなり冷たく、
散歩していると、必ず一軒は煙突から煙を出している家を見つける。
我が家は、今月は薪ストーブは焚きませんでした。
でも、朝晩は灯油ストーブ必要です。

っていうか、家の中は寒いけど
ウッドデッキに出れば日差しがあれば暖かい。
朝ごはんは外に限ります。
でも10時を過ぎると今度は暑くて暑くて…
相変わらず、ここに来ると、朝から何度も服を着替え、
暑いとか寒いとか、日を避けたり、日に向かったり
椅子を持ってウロウロウロウロ。
自然の力は雄大です。

朝食は、鳥のさえずりを聞きながら…
鶯が3羽、会話するように交互に鳴いていたんだけど、
その声と鳴き方の違うこと。
こういうところにいると、もったいなくて野鳥観察とか始めるのかもしれない。
裸眼でも鳥の柄まで見えるけど、
望遠鏡があったら、もっと詳細な観察が出来るわけだし。

私は朝から庭掃除。
朝6時に一仕事終えていると、
一日が長くてラッキーって思える。

でもこっちに来ると、PC開く時間が減って、
ブログもなかなかだなぁ~

今日は、清里に素敵なモノを引きとりに出かけてきます。
GWの合間の平日を楽しもうっと

「最近の若い子は…」という言葉。
嫌いな人が多いようだが、
私も例外なく、よく使う。

そもそも講師の仕事で若い人たちと向き合うことが多い。
彼らと私の間には、大きなジェネレーションギャップというものがあり、
演技という人間臭いことを教えるためには、
ギャップは埋まらなくとも、
出来る限り、彼らと理解を深めることが必要だ。
だから、必然的に、
「最近の若い子は○○」
と話す。
別に悪いことばかり言っているわけではない。
事実を言ってるだけだ。
いいコトも悪いコトも言う。

先日、最後の授業をしたクラスで、
最後だからと反省会を開いたら、
2人も感極まって泣いてしまった。
涙が止まらなくて、うまく喋れないのだ。
思い通りに出来なかった自分に悔しさがある。
そのような発言内容だったが、
芝居など教えていると、こういう人たちの方が感受性が強くて将来が期待できる。

感極まって泣く。
という状態が、若さだと感じたのだ。

私は年相応に、泣き虫だが、
感極まって泣くというよりは、
人の悲しみに同調して泣くことの方が圧倒的に多い。

そういえば、思い出したのだが、
今年の春高バレーボール
女子の決勝戦は歴史に残る大接戦。
とてもいい試合だった。
その試合、フルセットになって、
数人、泣いている生徒がいた。
やはり感極まっているのだ。
実際は、負けた方のチームの選手に見たのだが、
すごいテンションだと思った。

試合が終わって、泣く様子はよく見る。
卒業式でも、何か発表をした後でも、
達成感のあった時点で、感極まって泣くというのは。
しかし、その前に、まだ途中だというのに、
身体がどうにもならないのだ。

それは若さゆえのこと。
人は、みんな若い時がある。
そしてあっという間に年を取って、
年を取ってから、若い時がいかに貴重で短かったかを知る。
その時、後悔しても手遅れ。
だからこそ若い時にしかできないことを精一杯やって欲しい。
死にさえしなければいい。
怪我くらいした方がいい。
あの圧倒的な感受性を持っている時に、
色々な経験が出来る人はラッキーだ。

親もお金が余っているならば、
一緒に年間パスポートでディズニーランドに通っていないで、
一人旅でもさせればいいのだ。
ま、自分で稼いだお金で行った方がもっといいけど。

毎月末のことですが、
一か月ぶりに八ヶ岳にやってくると
山の色が変わっていて、
それはそれは季節を実感することが出来る。
それが何よりも素晴らしいこと。

その上、今月はなんとなんと桜が満開


わざわざ花見に行かなくても、いたるところで美しい桜の木を見ることが出来ます。
そういえば、一か月前の東京都ほぼ同じ。
一か月遅れの桜を楽しめるのはラッキーです。

そして何もしない我が家の庭にもたくさんの芽が出ていました。


去年まではほとんど落ち葉で埋まっていたところを掃いたから気づけたのでしょう。
何の芽かはこれから調べるわけで、ま、雑草の可能性も高いわけですが
それでもこれが春の訪れ、
可愛らしくて仕方がありません。


先月植えたアサツキも、
去年植えたハーブ種も、みんな元気になっていてびっくりです。
左上の大葉だけは、枯れたまま。
もう出てこないのかなぁ~?


ご近所を散歩すると、どこの庭にも水仙が満開。
そういえば、私も先月友人宅から、
植えておけばどんどん増えるからと貰ってきた水仙なのでした。
そして我が家の水仙は…


これです。
よそ様はみんな咲いているんだけど、
この水仙は、いつが見ごろになるのか?
ただ、植えただけで、元気なことは間違いありません。

朝起きる。
カーテンを開けると、抜けるような青空が広がっている。
もう、外に出たくて出たくてたまらなくなる。
東京では絶対にないこと。
何せ、我が家の中で空を見ることさえ困難。
結局早朝散歩に出かける。
こんな空が広がっていました。


ま、こちらでは早朝とは言えない朝でしたが…
道で出会う人と、挨拶をする
「おはようございます!」
満面の笑みで挨拶すると知らない人なのだけど、
満面の笑みで言葉が返ってくる。
これも東京ではないこと。
東京で知らない人に挨拶するとすごい顔をされる。
お隣さんに笑顔で挨拶しても、
無表情で言葉だけが返ってくる。
今日は、犬を散歩されていた女性としばし立ち話。
朝、知らない人と言葉を交わすだけで、
それはそれは素敵な一日の始まりになるのに、
それが出来ない東京は、やっぱり病む原因にもなりうる。

天気がいいので、今日は一日ウッドデッキで読書です。
ウッドデッキが、またまたビーチになる季節がやってきました!
日に焼けるのと、虫に刺されるのが怖いけど、
でもこれも楽しまなければ、損損。

さて最後に、今日の八ヶ岳


あ、これは昨日の夕方でした。
でも今朝も同じくらい美しかったです。

ただ、春になり、眺望はかなり悪くなっています。
昨日も今日も、晴れているのに富士山がよく見えません(>_<)

朝起きると、身体の節々が痛い。
これはいつからだろう?
はっきりしているのは、2年位前に行ったカイロプラクティックの先生に、低反発ベッドは良くない!と言われてから、起きた時の身体への意識が高まったのだと思う。

我が家のベッドは、低反発ベッドである。
それも「これは高かったんだ」と旦那が自慢する、お気に入りベッドだったので、なかなか彼に言えなかった。

でも八ヶ岳のログハウスは、薄く硬めのマットのベッドにした。
八ヶ岳では朝起きた時に、身体が痛くて暫し肩をぐるぐる回すようなことはほとんどない。

果たして気のせいなのか? 本当のことなのか?
感覚は研ぎ澄まされているが、身体は精神と結びついているので、よくわからないとも言える。

もし本当に低反発ベッドが身体に悪いのならば、早くやめた方がいい。悪いことを日々続けて行くのは、将来的に見てかなりマイナスだ。

でもベッドを買い直すお金が問題だ。
このベッドが効果な商品というだけで、サッサと捨てることさえ出来ないのだから
でもそのために病気を併発させたら、もっとお金が掛かる。そうやって世の中はお金で左右されていく。

せんべい布団は朝起きた時、すぐに活動体制に入れます。
低反発ベッドは、夜ベッドに入る時はめちゃくちゃ気持ちがよく、ベッドに取り憑かれる感じですが、起きた時は、かなり調子が悪いです。結局、そのままベッドに取り憑かれて、寝たきりになってしまうってことかしら?
と怖いことを思ってしまった。
昨年でFACEBOOKを辞めた。
やっていない。
でも、解除はしない。
今後もしない予定。
だって、何十年ぶりに繋がった友人、海外にいる友人とも繋がっているから。

ipadやiphoneにアプリが入っているので、
何かあるとそこにお知らせのナンバーがつく。
ずっとついていると気分が悪いので、
ナンバーが付くと見に行く。
基本的には、それが消えたら戻ってくる……

その時に、どうしたって画面を見る。
そうすると相変わらず、遠い友人が(FACEBOOKだけのつながりになっているという意味)
近況報告をしている。
ランチや手作りお弁当、ディナーの写真が出ている。

先日、たまたまそうやって見た画面に気になる人の文章があったので読んでしまった。
そう、知らなければいいのだが、見ると読んでしまったりする。
それで気分が滅入ることもあり、FACEBOOKはもうやらないのだが……

その人の進退についてのコメントで、
4月から別の場所で再スタートを切るというご挨拶なのだが、
ま、内容はどうでもいいのだが、
そこに(若くて活動的な人なので)百数十件の「いいね!」ポイントが押されていた。
ふぅ~(_ _。)

FACEBOOKをやっていると、
どうでもいい記事に「いいね!」ポイントがたくさんついている。
これは友人が多いことの証しなのだ。と思う。
そもそも英語で始めた私は、これは「LIKES」ポイントだったので、
この文章が、「好き!」という意味がよく分からなかったりするのだが……
とにかく私は社交辞令が言えないのだ。
だから「いい!」と別段、取り立てて思えないモノに「いいね!」ポイントは押さない。
そんな社交辞令的な付き合いが厭でFACEBOOKを辞めることにした。

上記の方のコメントを読んで、
そこに百数十件の「いいね!」ポイントが付いているのを見て、
私はこう思った。

これはもしかして、「どうでもいいね!」という意味なのではないだろうか?
とりたててコメントしたりする価値もない、
どうでもいいけど、お友達が一生懸命書いた文章だから、
無視するのもあれだし、と手軽に押すボタン。
「どうでもいいね!」ポイント

もしかして、皆さんは気づいててやってるのかもしれないですね。
私だけが、そういったお付き合いの出来ない武骨な性格なのかもしれないと、
今気づく..................................................................................(´_`。)(´_`。)(´_`。)