ダイヤモンド・オンライン誌に掲載されていた、三浦展氏の「なぜ平成生まれの女性は、年収が高くてもユニクロや古着を選ぶのか」と題された記事を読んだ。
そもそも私は、人生においてファッションという言葉と最も縁遠いところに居続けた人間だと思っている。着る服は状況に合わせてスーツなり何なり、相手に失礼にならなければそれで十分だと思って過ごしてきた。
だから安価なものだろうとデパートの特売だろうと、とりあえずキチンとしていれば、そして相手が眉をひそめるようなものでなければ、それで良いと思って生きてきた。
ただ、これは私のような考え方の男性に当てはまることであり、私と同世代であっても、女性であればそうはいかなかったのだろうと思う。
さらに今は、若い男性でもファッションセンスの高い人が増えた。ましてや、若い女性であればなおさらだろう。
思い返せば私たちの世代は、日本の生活シーンの中でジーンズを取り入れた最初の世代だったと思う。その頃の大学生にとって、ジーパン姿はごく普通のファッションだった。
それはTシャツも同様だった。つまり、夏は定番として白のTシャツとジーパンで過ごしていた。そして卒業して就職すれば、次はスーツ姿でネクタイにYシャツと定まっていた。
それ以上でも以下でもなかった。私たちの親世代のように、家に帰れば浴衣に着替えたり、ステテコとシャツという姿でもなかった。
もちろんだが、ブランドだのメーカーだのは気にすることもなかった。いや、そんなことは考えたこともなかった。そんな言葉さえもよくは知らなかった。
それから思えば、この半世紀余りの間に世の中は〝天と地〟ほども変化したと思う。ユニクロなどで買った衣類だと、他の人と〝かぶる〟から嫌だという話を聞いたこともある。
だがこのダイヤモンド・オンライン誌の記事では、「平成生まれの女性は、年収が高くてもユニクロや古着を選ぶ」というテーマになっていた。
つまり一度は、女性がある年齢や年収に達したならユニクロに代表されるファスト・ファッションから離れて、〝それなり〟の衣類を購入するようになった、ということだったのだろう。
それが最近では、ファッションというものに対して目が肥えた若い人たちの間で、むしろファスト・ファッションでも構わない、という感覚へと変化が起こっているらしい。
こういう人たちは、「中古品を買う人が増えたり、ネットで買う人が増えたりしたので、新品を既存の業態の店舗で買う人が減った」と記事にも書かれていた。
デパートやスーパー、専門店など小売店の種類が多様化し、そこへネット通販という大きな変化が起こって、さらに〝古着〟というジャンルまで加わってきた、ということだろう。
だから現状は、女性向けの比較的高価なファッションが主体だったデパートが大苦戦し、価格帯が低いファスト・ファッションのチェーンが、その分売上げを伸ばしてきたのも事実だ。
だがそうした価格帯の低い実売店舗ですら、今は苦戦を強いられる状態になっている。ネット通販や古着市場の拡大によって、こうしたマーケットが厳しい戦いの場になっている。
(東京・下北沢にはファッショナブルな古着店が多い)
そのあたりのことを、記事では「古着好きの若者を調査すると、お金がないから古着を着ているのではなく、古着がオシャレだから、カワイイから着ている」と解説されていた。
女性ファッションほど難しいマーケットはないだろう。何がヒットするかなどは、天の声に聞くしかないだろう。その声が届いた企業だけが、勝ち組になるのではないかと思える。
こんな状況の上に、最近は「大量生産品の同じ柄の服でも古着になると、色のかすれ方、生地の崩れ方などが一点一点違って(中略)世界にただ一つの個性になる」という時代になった。
というようなことで、「平成女性がユニクロなどのチェーン店に非常に集中している」という調査結果もあるそうだ。ファスト・ファッションでも構わない、ということらしい。
もちろん現在も、ある年齢層になればファスト・ファッションを受け入れない場合もある。「これは世代ではなく(中略)40~50代なのに仕事でユニクロはないという気持ちが働く」からだろうと、記事で解説されていた。
女性にとってファッションは、このように大変な問題なのだと思う。しかし、「平成世代は今後年をとっても、ユニクロなどでスーツを買い続ける可能性が高い」とも書かれていた。
もっと言えば、「衣類は男性用か女性用かは気にせず購入する」という時代に差し掛かっていて、「平成世代はユニセックス化がますます進んだ世代」だと考えられるらしい。
だからこの記事の最後は、「モノが売れないと嘆いている企業は、このジェンダー意識の変化に対応できていない面もありそう」だと締めくくられていた。
「ユニセックス化」と言うか、女性でも仕事着であれば、男性モノの小さめのサイズでも良いという時代になりつつある、ということらしい。
こうした世代による変化の振り幅に、企業の側が着いて行けなくなっているのかもしれない。時代を読むことの重要さと、難しさとがここに現れているのだろう。
時代の移り変わりを読み解くことが簡単ではないからこそ、みんな頭を悩ませているということだ。その現場で仕事をしている人たちは、本当に大変だろうと思う。
さしずめ私などは、すでにリタイアしていて良かったということかも知れない。