「ほうれんそう」に「おひたし」と来たか | がいちのぶろぐ

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「ほうれんそう」に「おひたし」なのだそうだ。語呂合わせにしては、何ともよくできている取り合わせだと思う。そんな内容の記事が目に止まった。

 

「ほうれんそう」とは、ご存知の「報告・連絡・相談」というビジネスでよく使われる言葉の、略語というか語呂合わせである。

 

これは当然ながら、私もずっと知っていた。しかし、「おひたし」の方は今まで知らなかった。それも「ほうれんそう」に対するに、「おひたし」と来たから良くできている。

 

 

 

「お=怒らない」「ひ=否定しない」「た=助ける」「し=指示する」ということで、「おひたし」となるのだそうだ。

 

へぇ~、「おひたし」ねぇ。怒らないし、否定もしないし、助けるし、キチンと指示も出す。これでは上司も大変だなぁ、と思ってしまった。

 

たしかに、今は子育てでも子どもに向かって〝怒らない〟というか、声を荒げることさえない。〝コラッ〟と〝ゴツンッ〟のワンセットはもう昔話。今、そんなことは有り得ない。

 

 

 

だから、万が一にも大きな声で怒鳴られると、怒られた方はどうしていいかわからなくなってパニックになることもある。少なくとも、謝るよりはふて腐れる方が多い。

 

以前に新幹線のテレビCMで、「子どもを新幹線に乗せてあげたくて」というナレーションが流れてきて、ものすごい違和感を覚えたことがあった。

 

「子どもは〝乗せてあげる〟ではなくて、〝乗せてやる〟と表現するだろう」と思った。しかし現在は、子どもに対しても「○○してあげる」と言うらしい。アホらしい。

 

 

 

そのうちに、お犬さまやお猫さまにも「お食事を差し上げる」時代になるだろう、とクソ爺ぃは、つまらないことに不満を感じてしまう。

 

次に「おひたし」の「ひ=否定しない」である。それはそうだろうと思う。頭ごなしに否定されれば、誰だって面白いはずはない。だからそこは、「and  but」という言い方になるだろう。

 

「うーん、そうだねぇ。そんな考え方もできるだろうね。だけど、例えば…」といったように、まず否定から会話を始めるのはなく、ワン・クッション置いた方が良いのはわかる。

 

しかしこれも、「仏の顔も三度まで」ということも言える。いつもいつも、何度も繰り返しこんなことを言わされているようでは、上司の方もこれは困ってしまう。

 

そんな時でも声を荒げることもなく、「前にも言ったと思うけど」と言うのでもなく、「ウン、これはこれでわかるけど、やはりここはこうした方が…」と言えということだろう。

 

 

 さらに「た=助ける」である。何よりも、わからなければサポートすることを考えよう、ということらしい。それはそうかもしれない。経験値が少なければ、助けることも必要だ。

 

ただし、わからなければ途中段階で相談するなり、何らかのアクションの方法があると思う。それをこちらが気を付けて、「どう、どこで困っているのかな」とやさしく聞いてあげるのか。うーん、何だかなぁ。

 

最後は「し=指示する」である。これは逆に言えば、キチンと指示が出せない上司の方が困りものかもしれない。と言って、ずっと「指示待ち人間」でいられても困るだろう。

 

 

 

「君は、言われたことしかできないのか」と言われて、怒られたことだってあった。だから、こちらにどこまで〝裁量権〟があるのかわからないけれど、とにかくできるところまでやってみる、ということもあった。

 

こうして、「おひたし」ということの中味を考えてみると、キチンと「報・連・相」を怠らずにやってくれたら、あまり「おひたし」などを考えなくてもいいのに、とも思える。

 

タイヘンですねぇ、今の上司の方々は。私が半世紀前に社会人になった頃は、とにかく粗っぽかったと思う。粗略と言うか、上司も部下もアバウトだったのかもしれない。

 

それで済んでいたから、日々の仕事はそれでも何とかなっていたのだろう。ただし、飲み屋で上司に逆らって、ぶん殴られたこともあったけれど。(イエ、その上司とは仲が良かったです。)

 

 〝いや、ご苦労様です〟と、今の現役世代の管理職の方々に同情する気分になってしまった。