今日のYAHOO!ニュースで作家の平野啓一郎氏が、インタビュー記事「『自分さえよければ』という生き方では社会が壊れる」で、興味深い話をされていた。
この間を振り返って、「1990年代以降、世界は10年ぐらいの単位で激変を迎えてきた」とし、「この先の10年間は、もう『新型コロナの時代』なんだと腹をくくるしかない」と言われる。
振り返ってみれば、たしかに日本の90年代は「バブル経済崩壊」後の大不況の時代で、「失われた10年」と言われた。その一方で、「ベルリンの壁の崩壊」に象徴される、東西冷戦が終結した時代でもあった
その後の00年代は、「9.11」のテロ事件に始まり、「文明の衝突」と言われる動乱の時期を迎えた。しかしその後に起こった、アフガニスタンをはじめとする中東地域での戦いも、まだ終息を迎えたわけではない。
10年代は「リーマン・ショック」によって引き起こされた、「行き過ぎた金融経済」がもたらす世界的な経済の脆弱さが指摘された。と言っても、これもまだ完全には克服されたわけではない。
また「3.11東日本大震災」によって、この国の根幹が揺らぐ事態にもなったが、その後も毎年のように大規模な災害が起こり、私たちが災害と如何に向き合うかが問われた10年でもあった。
そして20年代は、今回の「コロナウィルス危機」によって幕が開き、先のリーマン・ショックで提起された「グローバル化」の持つ危険性が、もう止めようのない事実として我々の前に立ち現れている。
それ以上に今回の状況の中で、急速なネットワーク利用の進展により、働き方やコミュニケーションの取り方が変化する傾向が強くなってきた。これは、以前にもこのブログで触れたことがある。
つまり、私たちはこの30年間を、息つく暇もないほどの激変と向き合いながら生活を送ってきたことになる。そしてこれからは、コロナウィルスによる危機と向き合う時代に突入するということだ。
このように、直近30年間で起きた事象を並べるだけでも、これからの10年間の姿を見通すことが不可能とは思えない。
インタビューで平野氏は、これからの時代を見据えて「『自分さえよければ』という生き方では、最終的には社会が壊れてしまう。もう格差社会や自己責任論ではいよいよ立ち行かないと思う」と述べておられた。
そして、「もしかすると今後の『日常』とは、非常事態と非常事態の間で、ちょっと息継ぎするぐらいの時間となる」かもしれないと言っておられた。この30年間を振り返ってみれば、この平野氏の言葉も十分にうなずけると思う。
ただインタビューでも、今回の政府の対応については「中長期的な展望を提示することもなく、直近の2週間ぐらいのことばかりを語っている」として、「具体的なシナリオを話してくれたらまだ納得もできる」と話されていた。
だから、「安倍首相のメッセージの発し方は非常に悪い。自分の発する言葉がどういう効果を生むのか、もっと考えるべき」だと言われる。
つまり「何をどれだけ成功させれば、どれほどの経済的なダメージで抑えられるのかなど、きちんとリスクの段階を可視化」させて語るべきだと言っておられる。ホントにその通りだと思う。
私たちは東日本大震災をくぐり抜けて、〝耐えること〟への心理的な耐久性はある。ただしそれは、永遠に耐えることを意味しない。「こうなれば、こうする」という具体的なプログラムの中で耐えられるのである。
今回は〝後手、後手に回った〟と非難されることも多いが、それ以上に、国民に〝何を、いつまで求めるか〟という“プログラムの可視化”がないまま、場当たり的に〝アベノマスク〟などという国民を愚弄した政策を掲げるから、国民の怒りが火を吹いている。
今日のインタビューでの平野氏の話の中で、「不安というものは、いくら気休めを言われたところで根源から解消されないかぎりはなくならない」という言葉があった。
まさにその通りだと思う。今、たしかにすべての住民に10万円の給付とか、事業者にはつなぎ融資や雇用調整金などの対策が出されている。それらは、もちろん無いよりもあった方が良い。
だが、結局は「気休めを言われたところで」解決にはならない。東京都の小池知事や大阪府の吉村知事への評価が高くなっている。それは、〝自分の言葉〟で懸命に語り、ひたむきに取り組んでいる印象を与えているからだ。
それを、先般の星野源さんの楽曲への〝悪乗り〟以外の何ものでもない、動画の投稿を見せられてからというもの、多くの国民はこの総理の人柄をまったく信用できないと思っているのだろう。
せめて〝血の通った〟自分の言葉で語りかけてくれたなら、ここまで事態は悪くならなかったと思う。いや、ウィルス感染の拡大という事態になっても、耐える気持ちが起こっていただろうと思う。
総理大臣として戦後最長を記録したことが、今回、ついに最悪の結果を招いているとしか思えない。
安倍〝一強〟というのがコトの本質ではなく、政権政党としての自民党の退廃・劣化がこの結果を招いているとしたら、それを許してきた私たち自身が深く反省すべき時だと思う。