昨日このブログで、「オーバーツーリズム(観光客過多)」と言われる問題について、京都・祇園の花街に溢れる外国人観光客のことを書いた。
昨年一年間に日本を訪れた外国人は、とうとう3千万人を突破した。といっても、世界にはもっともっと観光客が訪れている国はあるし、都市別の海外からの来訪客数をみても、日本では東京・大阪・京都・千葉が、世界の都市のトップ100に入っているくらいである。
都市別で言えば、香港やシンガポールなどは常にトップ争いをしている。アジアで言えばタイのバンコクや中国南部の広東省の深セン市なども、常に上位に入っている。
ヨーロッパというかEU圏のように、国境を越える移動が緩和されていて、海外からの来訪という感覚がほぼなくなっているところもあるが、それでもパリなどは常に多くの観光客を集めている。
また、香港に近いマカオは、香港のように海外からのビジネス客の来訪も多い町とは異なり、純粋に観光客が多く来訪している。
このマカオが現在、「オーバーツーリズム」という問題に悩んでいることを、姫田小夏氏というジャーナリストの方がダイヤモンド・オンライン誌にレポートされていた。それは、このブログでも以前に紹介した。
マカオはカジノの町であるとともに、徒歩圏と言える2km四方くらいのエリアに、ポルトガル統治時代の遺跡など、それこそ世界遺産が20件ほども集まっているという観光の町である。
このように観光スポットが集中しているから、世界遺産がある地区の周辺は、観光客がひしめき合って、自由に歩き回ることもできないほどだ、という姫田氏のレポートだった。
何かの理由で有名な観光地になり、人が押し寄せるようになると、一時的には嬉しい悲鳴を上げることになるけれど、ついにはその観光地の「集客可能な容量」を越えてしまうことになる。
その結果、観光スポットへの入場待ちの行列ができたり、そこに人が多すぎて、見たい景色や宝物など、目的のものがゆっくりと鑑賞できなかったりすることになる。
日本で言えば、兵庫県朝来(あさご)市和田山町にある「雲海に浮かぶ城」竹田城跡は、「天空の城」として話題になってから、観光客が激増したため、天守台を支える石垣に崩落の恐れが出て、一時的に入域制を制限して修復する騒ぎとなった。
(竹田城跡/兵庫県朝来市の「竹田城跡ホームページより)
このように、「オーバーツーリズム」は、予期しない落とし穴が待っていることがある。昨日話題として取り上げた京都・祇園の花街でも、「花見小路」という決して広くないエリアに観光客が溢れているのである。
さらに写真撮影のターゲットである「舞妓さん」や「芸妓さん」も、撮影されることが目的でその場所にいるのではない。彼女たちは仕事として、着物姿にお化粧をして、その町を歩いて移動しているのである。
その姿が世界的にも珍しく、またその姿が可愛らしいから、観光客が写真に撮りたくなるのである。とはいえ彼女たちにしてみれば、歩いている姿を、少し離れたところから撮影されるのならそれを拒むこともないだろう。
ところが、外国人観光客側が傍若無人の振る舞いに及ぶようになっている、という点が問題なのである。単に観光客のマナーの問題だと言って、片付けられる状態でなくなりつつあるということなのだ。
竹田城跡の石垣が崩落の危険にさらされたように、彼女たちも身の危険にさらされ始めている、ということが言えるのだ。
オーバーツーリズムという問題は、有名観光地にとって、この先は避けて通れない死活問題になるだろう。マカオがそうであるように、日常的に観光客が溢れ返る状態になり、その評判がSNSを通じて拡散されれば、観光客離れが起こるかもしれないから。
京都の、というより日本観光での目玉商品の一つである「舞妓さん」たちが、出歩くこともままならないということになれば、観光客の立ち入りに制限などという強硬な意見が出る恐れもあり、そうなれば周辺の飲食店なども困ることになるかもしれない。
(四条通側から見たお茶屋「一力」付近の様子/観光客の姿が多い)
本来は「持ちつ持たれつ」の関係にある、観光客と飲食店や商店などが、対立関係になるようでは本末転倒ということになる。
とは言っても、昨日も書いたように、公道への歩行者の立ち入り制限などは不可能である。京都市も条例などによる規制ということではなく、知恵を絞って何とかしたいと発言しているらしい。
余りに悪質な観光客の場合には、「迷惑防止条例」によって取り締まることも考えられるが、それも無粋な話である。
この数年間、東京・渋谷の商店街では、町ぐるみで自発的にパトロールと取り組んできたという事例がある。
(渋谷交差点の人の波)
祇園の場合も、町ぐるみで自発的なパトロールを行って、マナーを守るように飛びかけるチラシなどを配りながら、観光客を地道に説得して行くのが筋なのだろう。
オーバーツーリズムということの厄介さは、ある程度はそれによって潤ってきたという、地元側に〝腰が引けた″状態があることにも起因していると思う。
それでも、そこを乗り越えようとした渋谷商店街の取り組みが、やはりあるべき姿のモデルなのだと思う。