脚本家/小説家・太田愛のブログ -27ページ目

昨日、5月3日(日)は午後に打ち合わせ。


帰宅して後、仕事前の喝を入れるつもりで、楽しみにしていたマニー・パッキャオvsリッキー・ハットンの録画を観る。IBOタイトルを賭けたスーパーライト級のタイトルマッチ。というよりも、一方のパッキャオは体重50kg前後のフライ級からスタートして4階級を制覇し、昨年12月にはウェルター級(64~65㎏前後)にウェイトを上げてオスカー・デラ・ホーヤと戦って勝利した東の雄、もう一方のリッキー・ハットンは46戦45勝、スピードのある連打を得意とする現在、最も充実したファイタータイプのボクサーで西の雄。まさに東西スターの対決だ。

脚本家・太田愛のブログ-パッキャオvsハットン
掛け率は2:1でパッキャオが高かったが、試合前にインタビューを受けたボクサーのみなさんは、どちらかというと八ットン有利の予想が多い。ジョー小泉さん、浜田剛史さん、ゲストの香川照之さんらもハットンを倒すのは至難の業とコメントなさっていた。パッキャオ贔屓としては、笑顔で入場してくるパッキャオの様子を見ているときから、脈が上がる。

試合は予想を遥かに超え、凄まじいの一言。1R前半こそ、ハットンの小刻みなジャブに押され気味だったパッキャオだが、中盤からは右フックのリードブロウを何発も的確に決め、1R内で2度もダウンを奪う。そして2R終了10秒前、右を警戒するハットンの裏をかき、パッキャオは持ち味の左フックを狙いすましたように顎に決め、完璧にノックダウンする。ジョー小泉さんをして「あのタフなハットンがこんな倒され方を……!」と感嘆せしめた一撃。ハットンはパンチをくらって1分以上も倒れたまま朦朧としていた。

実況の高柳さん、ジョーさん、浜田さん、みなさんいつにない興奮・絶叫で、私もゲストの香川さんにシンクロして「おーおーおーおー!」と全編、叫びっぱなしだった。試合が終わってリプレイを観ている時も、実況の高柳さんが「このビデオを持ってボクシングを布教したいですね!」と仰っていたほど凄まじくも鮮やかな一戦だった。

再放送は5月7日木曜日、夜9時からWOWOWにて。ボクシングってなんだかなぁ……とお思いの方、是非!是非、この一戦をご覧下さい。


2ラウンドTKO。たった6分の試合だけれど、舐めるように十回以上見て書きたいことは山ほどある。が、お尻に火がついた〆切が先だ。この一戦のことはまたいずれ改めて。

パッキャオの試合でいつも印象的なのは、入場してくる時の彼の表情だ。通路に現れたパッキャオは人懐っこい笑顔を浮かべていかにもうれしそうで、ファンの差し出す拳にグローブを合わせたりしながらリングに向かう。ところが、リングロープをくぐった瞬間、彼は別人のように厳しい表情になる。並外れた技術とボクシング勘を持ち、同時に、知的で冷静さを常に失わず、しかも果敢に攻め続けるパッキャオらしい印象的な表情だ。

とにかく、鳥肌の立つような戦慄の一戦だった。


もうひとつ感慨深かったのは、同じ放送の中で、オスカー・デラ・ホーヤの引退会見の様子が流れたことだ。パッキャオ戦の敗戦から四ヶ月、デラ・ホーヤは長いプロ生活に終止符を打った。

デラ・ホーヤは終始、穏やかな表情だったが、時折、声をつまらせ、5歳の時からボクシングを始め、ボクシングが僕のすべてだった、と語った。そう語るデラ・ホーヤの表情は、オリンピアンとしてプロのリングロープをくぐった遥か昔の“ゴールデン・ボーイ”の表情を彷彿とさせ、観ていてただただ胸がつまった。


ブログ更新が滞りました。

訪れて下さった方々、すみません。しょぼん


ご心配のメールを下さった方々、ご心配かけてすみません。

ありがとうございます。太田、元気です。


仕事で家にこもりきりで、外に出てみると、桜が青い木になっていて…

えっ…?! 

近所の公園では藤棚の藤が咲き始めており…

脚本家・太田愛のブログ-藤棚

はなみずきも咲いており…

脚本家・太田愛のブログ-はなみずき(紅)

白いはなみずきも咲いており…

脚本家・太田愛のブログ-はなみずき(白)

いつのまにすっかり初夏のご近所!?

そういえば、最近、やたら暑い日があったような……。

脚本家・太田愛のブログ-つつじ

もう一息で山を越える見込み。

近いうちにまたきちんと記事を書きますね。

懲りずに遊びに来てください。



ご近所の桜がついに満開となる。仕事あがりの午後、足を運ぶ。

脚本家・太田愛のブログ-桜1
まさに見ごろの染井吉野。空は春の光、気分も昂揚する。

開いた花のかたわらに、蕾もまだちらほら残っていた。

脚本家・太田愛のブログ-桜2
ソメイヨシノは幕末から明治の初めに出てきた品種で、日本全国に広がったのはこの百年余りのこと。ソメイヨシノの歴史は思ったより浅い。数ある桜の品種の中でソメイヨシノの際立った特徴のひとつは、葉が出る前に花が咲きそろうことだ。そのため満開の際には葉の緑がなく、一色の花だけが樹全体を覆いつくすように咲き誇る。

ソメイヨシノが主流となる以前はヤマザクラやエドヒガン、オオシマザクラが多かったようで、広重の『江戸百景』の三十四「隅田川水神の森真崎(もりまっさき)」に描かれている近景の桜も、オオシマサグラだろうか、葉と花の両方が描かれている。


――鈴鹿峠の桜の森の花の下を通ると、旅人はみな気が変になる。

というのは、坂口安吾の『桜の森の満開の下』の冒頭に出てくるエピソードだけれど、安吾が念頭においていたのは、古来から山に自生するヤマザクラではなく、やはりソメイヨシノだったのではないかと思う。一斉に咲くソメイヨシノの花一色に覆い尽くされた森は、想像するだけでも恐ろしいほどの量感と何か尋常ではない風情がある。

同じく安吾の『桜の森の満開の下』の中にこんな場面がある。


主人公の男が森にさしかかると、風に吹かれて散った桜が地面に敷かれている。男はそれを見て「どこから落ちてきたのだろう?」といぶかしく思う。頭上を見上げてみるが、やはりどうにもわからない。なぜなら、頭の上には一片たりとも花びらを落としたと思われぬ満開の桜が、見はるかす広がっているばかりだからだ。


底冷えのするような桜の怖さが、じんわりと感じられる挿話だ。


脚本家・太田愛のブログ-夕暮れの桜

夕暮れ近くまでゆるゆる歩いていると、次第に桜もその形相を変容させてくる。日が沈む頃に見る桜は、いよいよ生き物めいている。

昼は昼で、夜は夜で、桜の咲いている間は、辺りの時間を桜が支配する。

濃密だが、儚い春のひと時。



ルネ・ラリックの名前を知ったのは数年前だ。箱根に出かけた時、ラリック美術館で彼の制作した宝飾品や香水瓶などを見て感嘆、驚嘆の連続、一度でその魅力にとりつかれてしまった。ラリックは19世紀末から20世紀の半ばにかけて活躍した工芸家で、初めはアール・ヌーヴォー様式の宝飾製作者として、後年はアール・デコ様式のガラス工芸家として活動し、両方の様式を代表する作家として知られる。下の写真は箱根ラリック美術館の図録の表紙で、「風の精あるいはシレーヌ」と題されたブローチ。アールヌーヴォー時代のラリックを代表する作品のひとつだ。

脚本家・太田愛のブログ-ラリック


ラリックの出発点となったアールヌーヴォー様式は、自然の美、たとえば植物や昆虫などを有機的で流麗な曲線を用いてかたどるもので、19世紀末ヨーロッパで隆盛をきわめた装飾スタイルだ。蝶や花などの儚い自然の美をガラスや鉄、貴金属といった素材を用いて結晶させることで、永遠のものとしてこの手に収めたい。そんな欲望が精緻をきわめたデザインの奥にうかがえる。

けれども、アールヌーヴォーは「世紀末の退廃美術」と呼ばれ、美術史の表舞台から数十年で姿を消してしまう。移ろう自然の美しさにとり憑かれ、ガラスや鉄という工業化時代の素材を用いてその美を普遍のものに変えようとしたアール・ヌーヴォーそれ自体がひとつのモードとして短い命を終え、同時に、彼らが作った美しい宝飾品で身を飾った人々――大衆の世紀の幕開けを謳歌したブルジョワジーの上流婦人たちも夢のようにいなくなった。

そして、時の流れになにものも抗えなかった証しのように、身につける人を失ったラリックの宝飾品だけがわたしたちの前に残されている。


ラリックは真っ白なカトレアをかたどってブローチを作り、オリーブをあしらってチョーカーをデザインし、十二羽のツバメを配して首飾りを造型した。自由な曲線で生命を模したそれらの宝飾品は、今もつめたく硬質な輝きを失わない。見つめていると、欲望の美しい亡骸のように思われてくる。若きラリックにとって美と死は案外、近い場所にあったのではないかと思ったり。



ルネ・ラリック生誕150年を記念しての展覧会は六本木の国立新美術館で開かれ、その後、熱海のMOA美術館に巡回するそうです。興味のある方は是非。

2009年6月24日(水)- 9月7日(月)

概要は国立新美術館のサイトで。↓

http://www.nact.jp/exhibition_special/2009/lalique/index.html

また、箱根ラリック美術館のサイト(↓)ではラリックの作品の写真が見られます。

http://www.lalique-museum.com/sakuhin_index.html




明け方、夜の闇が薄くなった頃合に、散歩に出た。

まだ明るい陽の射し始める前の影のない時間。

しんと静かな道のあちこちに春の花が咲いていた。

脚本家・太田愛のブログ-椿

桃色の椿は冬の名残のようにまだたくさんの花を残していた

脚本家・太田愛のブログ-白椿

傍らにはあざやかな白い椿の木も。

春の草花で「香り」の際立つのはやはり沈丁花。夜中に自転車を飛ばしていて不意に出会う沈丁花の匂いは、なによりハッと春の訪れを実感させる。

脚本家・太田愛のブログ-沈丁花

その沈丁花ももう終わりの気配。今年は季節の移り変わりがあわただしい。
桜もすでに花をつけ始めていた。下の写真は、蕾の開き始めた枝垂桜。

脚本家・太田愛のブログ-枝垂桜

もうひとつ、ひと足早い花を。
脚本家・太田愛のブログ-スズラン
足元にあまりにひそやかに咲いているので、急いでいる時なら見落としてしまいそうだ。スズランは「純粋・純潔」を花言葉とする可憐な花だが、実はこの花には強い毒性があるらしい。ウィキペディアによると活けた水を誤飲して亡くなった例もあるということなので凄まじいかぎりだ。

さて、最後の一枚は白木蓮。
脚本家・太田愛のブログ-ハクモクレン

見上げなければ全容を見ることのできない花の木というのは、それだけで特別な力を感じさせる。花を仰ぐという行為がそんな気分にさせるのかもしれない。


花のことばかり書いたけれど、円地文子さんの小説に『花食い姥』という短編がある。花を食う老女が登場するまるで夢幻能のような艶めかしくも恐ろしいお話。ざわざわと風の立ち始める妖しい春の夕暮れに、お勧めの一冊。講談社文芸文庫から。

そしてスズランの『毒』にちなんでもう一冊。『緋文字』で有名なナサニエル・ホーソーンの『ラパチーニの娘』。こちらは怪奇小説に分類されている短編で、美しい毒草と娘を巡る残酷な恋のお話。興味のある方は是非。


うちの時丸、たま~にベロをしまい忘れる。

可愛いやつ。

脚本家・太田愛のブログ-時丸、見る

さて今、参加しているシリーズのシナリオにチャットというのが出てくる。

基本アナログな太田はもちろんやったことがない。

と、先日、監督が未経験者のためにテスト用のチャットを作って下さった。

早速、初挑戦。

『入室』してみる。

マスターという人がいて「いらっしゃい」と言って迎えてくれる。

おお! いきなりサイバー人になったみたいじゃないか、私。

しかも、マスターが「いらっしゃい」なんて素敵な喫茶店みたいだ。

(のちにマスターというのは人ではなくキカイだと判明する)


やってみるとそんなに難しくない、と思う。

新しいことをするのは面白い。








脚本家・太田愛のブログ-菜の花


撮影は、ご近所で。

すっかり春の風情で、ほわほわした空気の中に淡い黄色がやわらかくゆれていた。

菜の花というと思い浮かぶ「菜の花や月は東に日は西に」は、よく知られる蕪村の名句だ。平明な語調だが、菜の花の黄色が夕闇の茜と群青に溶かし込まれて色彩はニュアンスゆたかだ。同じように夕暮れの菜の花を詠んだ歌から一首、引いてみる。


 振りむけばなくなりさうな追憶のゆふやみに咲くいちめんの菜の花 河野裕子


何をめぐる「追憶」なのだろう。結句の字余りが抑えきれない思いのようで、読み手は夕闇の大気へといつまでも誘われる。河野裕子さんには、同じ菜の花を詠みながら、まったく趣の異なる歌もある。


 しんきらりと鬼は見たりし菜の花の間(あはひ)に蒼きにんげんの耳 河野裕子


こちらは怖い幻想。「にんげんの耳」のひやりとした質感にドキッとさせられる。

ところで、菜の花は、花をそのまま食べる特別の植物だ。いや、ブロッコリだって“花”にはちがいないのだけれど、ちょっと雰囲気がちがう。菜の花の可憐な黄色い花を食す時には、禁忌をやぶる時に似た独特の浮かれた気分が食卓に流れる。どこか罪深いようなその浮かれた気分と、戒めるように口中に広がる苦味の取り合わせが春という季節になんともふさわしく思える。


以前、このブログでもご紹介した脚本家・小林雄次さんのエッセイ「脚本家という生き方」の出版記念イベントが行われます。

題して“特撮脚本家として生きろ!~実作者が語る特撮の舞台裏~“


時  3月21日
   18:30~OPEN
   19:30~START


場所 新宿ロフトプラスワン


前売りはローソンで1200円
当日券は1500円
(当日の飲食代は別途かかります)


小林さんのサイン会チョキ(たぶん握手もできる!)、特撮グッズのプレゼント抽選会も催されますプレゼント
さらに、ゲストに特撮界の大物監督カチンコが続々出演、“特撮ここだけ話”を語り尽くします!


詳細はこちら!


http://www.loft-prj.co.jp/PLUSONE/schedule/lpo.cgi

皆さん、ふるってご参加ください!

フェスティバルトーキョーの公演『Hey Girl!』を観に行く。

上演されたのは「にしすがも創造舎」という廃校を利用した施設で、今回使われたスペースも体育館だったらしい。ところが、劇場内はがっちり設営され、大きな段差のある客席はとても観やすかった。ちなみに外観は下の写真のような感じ。暗くて非常にわかりにくいですが、うっすら明るいのが確かカフェだったような……。
脚本家・太田愛のブログ-にしすがも創造舎
さて、『Hey Girl!』はイタリアの演出家ロメオ・カステルッチが率いる劇団の公演で、今回のフェスティバルの注目作。なかなかの前評判だった。HPの紹介記事をすこし紹介してみる。

『08年アヴィニョン演劇祭でのダンテ神曲3部作など、次々に傑作を発表し世界を震撼させるイタリアの異才ロメオ・カステルッチ。一度見たら忘れられない強烈なイマージュと比類なき造形美によって、「生」の力強さや残忍さ、人間存在のゆらぎをも舞台空間に出現させる才能は、他の追随を許さない……(と、続く)』


特に、「一度見たら忘れられない強烈なイマージュと比類なき造形美」のあたりでぐっと盛り上がり、当夜はかなりの期待で「にしすがも創造舎」を目指していった。

オープニングはあざやかだった。闇の中、広い舞台の一角で蛍光灯が明滅を始めると、明かりの下に解剖台のような金属製の台が浮かぶ。台の上には肌色の溶解しかけた人体のごとき塊があり、それが徐々に溶けながら床へと垂れ落ちている。やがて肌色の塊の中からゆっくりと裸体の少女が生み落とされる。ひとつの肉体を脱ぎ捨てるようにして「少女」として生まれた彼女は、その手にあらかじめ「鏡」を持っている……。こんな始まりだ。途切れなくしたたる粘着質の肌色物質の質感は絶妙で、誕生のイメージは生々しいモノのリアリティとなって伝わってくる。ただ、「少女は鏡を持って誕生する存在だ」というコンセプトはやや図式的に感じられた。また、コンセプトがそのまま視覚化されているようにも思えた。オープニングだっただけに、不安をおぼえた。

観終わって、不安が的中したというのが率直な感想だった。ヴィジュアルな仕掛け、音響などさまざまな工夫が凝らされていたのだけれど……。提示されるイメージは明確だが、それだけに言葉にしがたい未分化なもの、イメージとしか言えないものを焼き付けられる体験ができなかったように思えた。もちろん、それは個人的な印象であるし、単に相性が悪かっただけなのかもしれない。残念。


ところで、ライター仲間のYさんが近々、『春琴』を観にいくとおっしゃっていた。『春琴』は谷崎潤一郎のテキストを土台にしたお芝居だ。ロンドンを拠点に活動しているサイモン・マクバーニーが演出、深津絵里さんらが出演する舞台で、今回のフェスティバルの参加作品でもある。マクバーニーの舞台は以前、『エレファント・バニッシュ』を観たのだが、今回は諸般の都合で断念。

というわけで、今度、Yさんに会って『春琴』の感想を聞くのを楽しみにしている。




先日、山海塾の舞踏『金柑少年』を観に行った。世界の舞台芸術を集めたフェスティバルトーキョーという演劇祭のプログラムのひとつだ。

脚本家・太田愛のブログ-芸術劇場1

写真は公演が行われた池袋の東京芸術劇場。今回のメイン会場のひとつで、大きな垂れ幕もあった。

脚本家・太田愛のブログ-FTトーキョー


『金柑少年』は1978年初演、演出・振付の天児牛大さん28歳の時の作。80年にはフランスのナンシー演劇祭で上演され、山海塾が世界的に評価される契機となった記念碑的作品だそうだ。

ことの次第はこんなだったらしい。リヨンで『金柑少年』を上演中、一人の人物が劇場の天児さんを訪ねてくる。彼は、自分の劇場で『金柑少年』ともう一本、新作を上演してほしい、新作については山海塾と自分の劇場との共同制作にしたい、と持ちかける。その「彼」……実はパリ市立劇場のディレクターだった。パリ市立劇場といえば欧州におけるコンテンポラリーダンスの最高峰。しかし、当時の天児さんはその事を知らず、「少し考えさせてほしい」と返事を渋ったらしい。後日、「わたしたちが依頼して、考えさせてほしいと言ったのはおまえだけだ」と明かされ、笑い話になったとインタビューでおっしゃっていた。

その後、両者の関係は30年にわたって続き、パリ市立劇場は山海塾の活動拠点となる。フランスの劇場はほとんどが市民の税金で賄われている。だから、劇場ディレクターがクリエイターを選び、そのディレクターの判断を観客である市民がジャッジする、という三者の関係は常にシビアに、かつクリアに機能しているのだそうだ。さすがに文化的な屋台骨が強固だ。そして、山海塾はそのような厳しい期待に30年間、応え続けてきたことになる。すごいことだ。

だが、その一方で、天児さんは「パリ市立劇場との出会いがなく、そのまま帰国していたら、早々に踊りをやめていたかもしれない」ともおっしゃっていた。たしかに、かつてたくさんあった舞踏集団も今では麿赤児さんの大駱駝艦以外あまり活動を聞かない気がする(大駱駝艦は天児さんの出発点でもある)。ずっとヨーロッパを中心に活動してきた山海塾の現在を重ね合わせて考えてみると、日本で今日まで舞踏が生き延びるのは本当に難しかったのだと思う。


脚本家・太田愛のブログ-金柑少年

さて、本題の舞台だが、すばらしかった。

まず驚いたのは『孔雀』という演目。これは踊り手が本物の生きた孔雀を抱いたまま踊る。上半身を折り曲げた踊り手の背中で、孔雀が一度だけ大きく羽ばたいた瞬間が写真のように目に焼きついている。この孔雀、その後に続く演目の間も舞台にとどまり、終幕まで悠然と舞台上を闊歩しつづける。

もうひとつ。山海塾の踊り手たちは全身、白塗りで踊る。剃りあがった頭に白塗りという異形は強烈なインパクトだが、それ以上に明確な演出意図があるのだと舞台を観て思った。現代日本の舞踏は、西洋のバレエやダンスとちがって顔の表情を抑制しないものが多くある。泣いたり叫んだり笑ったりする。声は出さなくても、顔は身体の一部として表現の上で大きな役割を持っている。その顔が白く塗られることで、踊り手の顔からは一人一人の個性や特徴がそぎおとされる。踊り手の顔は「名前を持つ誰か」の顔ではなく、「ひと」そのものの顔に見えてくる。世界を覗き見る黒い穴のような二つの眼、真っ赤に燃える舌、口中の薄暗い洞の広がり。それらは「ひと」に「個」など存在せず、まだ言葉も持たなかった遠い昔の原初の「ひと」の姿を思わせる。暗い舞台の上で全身白塗りの「ひと」が嘆き、「ひと」が夢見て、「ひと」が哄笑する。踊り手の顔も、身体も、動きの全体も、原初の生命そのものの蠢きのようで、時にうろたえるほどなまめかしく、時に無垢な暴力をあらあらしくふりまき、時に性を超越して歓びをあふれさせる。鮮烈な舞台だった。