脚本家/小説家・太田愛のブログ -26ページ目

煮詰まりに煮詰まる。


眠りたいが、眠れない。


午後六時過ぎ、夕立。


雨上がりの空気を吸いに外へ出る。


思わず、うわぁすごい、と声が出る。



脚本家・太田愛のブログ-虹1

虹の大アーチ。


最初に見た時は驚くほど鮮やかな色で、この虹の上にもうひとつアーチが出ていた。


虹の足から足まで見える巨大な虹。


脚本家・太田愛のブログ-虹2



脚本家・太田愛のブログ-虹3


古代、虹の足元には神様が降りると言われ、

虹が出るとその足元に『市』が立てられた。


煮詰まった頭にも神様が降りてくれないものか・・・。

6月30日、ドイツの現代舞踏家で振付家だったピナ・バウシュさんが亡くなった。

訃報を知ったのは、昨日の朝刊。6月21日が最後の舞台となったそうだ。


数年前、国立劇場で観た『カフェ・ミュラー』が忘れられない。

跳躍も回転もないダンス。もちろん、言葉もない。

だが、あれほど静かで深い痛ましさに満ちた舞台を観たことはかつてなかった。


ヘンリー・パーセルの哀切なアリアの流れる中、白い衣装をまとって踊っていた痩身のピナ・バウシュさんの姿は、今でも鮮やかによみがえってくる。



謹んでご冥福をお祈りいたします。



「ジャズは日付のある音楽だ」と書かれていたのは、たしか寺山修司さんだったと思う。即興で演奏されるジャズにとって、たしかに「日付」は音楽の一部のように切り離せない。一枚の写真に焼きつけられるように、ジャズの中に過去が残る。そして、ジャズが、在りし日のポートレイトを眺める時のように遠い昔をよみがえらせる。


1961年の6月25日は日曜日だった。ビル・エヴァンス・トリオはこの日、ニューヨークのヴィレッジ・ヴァンガードに出演し、午後5時から午後8時のマチネで2セット、夜10時から夜中の2時までの3セット、あわせて5回のステージで演奏してライブ録音した。その録音から選んで作られたのが『Sunday At The Village Vanguard』と『Waltz For Debby』の2枚のアルバムだ。


どちらもビル・エヴァンスの代表作を誰かが選べば、しばしば挙げられる名盤。演奏がすばらしいのはもちろんだが、それ以外にも理由がある。それは、この2枚が、若きビル・エヴァンスがベーシスト、スコット・ラファロと残した最後の録音であることだ。この6月25日のヴィレッジ・ヴァンガードでの演奏の11日後、スコット・ラファロは自動車事故で木に激突し、即死した。


あまりに深い悲しみにビル・エヴァンスは、のちにスコット・ラファロの死についてこう語った。
--ある他人の存在がなければ、どうしても自分の音楽が成立しない音楽家が、その人間を失ってしまった時、彼は一体、どうすればいいのか……。
若きビル・エヴァンスにとって、スコット・ラファロはそれほどかけがえのない存在だった。そして、『Sunday At The Village Vanguard』と『Waltz For Debby』の2枚のアルバムには、そんなエヴァンス、ラファロ、そしてドラムスのポール・モチアンのトリオが残した、何にも代えがたい音楽が刻まれている。

脚本家・太田愛のブログ-ビル・エヴァンス

ところで、数年前、この61年6月25日の5回のセッションをすべて、しかも演奏された順に録音したコンプリート盤が発売された。そこにはステージで演奏の合間に交わすエヴァンスたちのやりとりが収められているだけでなく、その日、マチネの最初のナンバーとして演奏され、途中で停電のために録音が途切れた“Gloria’s Step”までもが、中断されたままの状態で収録されている。だから、この3枚組のCDを通して聴けば、ビル・エヴァンス・トリオのこの日一日をほぼ追いかけて体験できる。


それはとても不思議な体験だった。ステージを変えて3度演奏される“Gloria’s Step”“Waltz For Debby”“Alice In Wonderland”。どれもそれぞれのアルバムを聴いたときには「特別」の、1度きりの演奏だった。けれども、この3枚を聴いたときの印象は違っている。この日はエヴァンスたちにとって、いつもと同じ一日だった。録音が行われるという、ただそれだけのことで、普段どおりのステージだった。何度かステージが替わり、そのたびにテーブルの客も入れ替わり、彼らはお気に入りのナンバーをくりかえし演奏する。そしてまた、不意に気が向いたかのように“My Foolish Heart”や“I Loves You Porgy ”を一度だけ演奏したりする。耳を傾けている者も、静まり返ったコンサートの聴衆とはちがう。食器の触れ合う音、ざわめき、ときおり聞える笑い声。彼らもまた今、ステージで演奏されている音楽が特別だとは思っていない。


この3枚組を聴いていると、1961年6月25日はそんな一日だったことがわかる。ヴィレッジ・ヴァンガードに居合わせた誰にとっても、何でもなかった一日。とりわけビル・エヴァンス、スコット・ラファロ、ポール・モチアンにとって、いつもどおり自分たちのジャズを演奏しただけの一日。そして、だからこそ、あの頃の彼らの「いつも」がこれほど美しい「特別」の音楽であったことに驚き、彼らがまだそれを「特別」であるとは知らなかった1961年6月25日のヴィレッジ・ヴァンガードに思いをはせる。そして、すべてが過去の日付とともに聴かれる音楽でしかないことに、なぜか胸がしめつけられる。


お久しぶりです。

更新が滞ってすみません。


締め切りに追われているうち、

放送予定をアップするのを忘れていました。


現在、

10月から始まるTVシリーズと来年1月から始まるTVシリーズに参加、

それぞれのシナリオを書いているところです。


まだ詳細をお知らせできないのが、残念です。

発表できる時期になりましたら、随時、お知らせをアップしていきます。


しばらくお待ちくださいませね。


脚本家・太田愛のブログ-あじさいと番傘




このところ綱渡りのように〆切が続いている。

とりあえず、スリル満点の毎日が楽しい……と思うことにしている。


脚本家・太田愛のブログ-紫陽花1

写真はご近所に咲いていた紫陽花。
薔薇のことを書こうと思っているうちに、早や紫陽花の季節の到来だ。
あまりに悔しいので薔薇のことは今度、書くことにして、今日は紫陽花を。


   あぢさゐの藍のつゆけき花ありぬぬばたまの夜あかねさす昼  佐藤佐太郎


紫陽花を詠んだ歌では、個人的な「表」の代表がこの歌だ。飾りのない端正な歌なのだが、紫陽花のおだやかで華やかな不思議な魅力が伝わってくる。「ぬばたまの夜あかねさす昼」という枕詞二つの下句には明るい広がりがあって、口ずさみたくなるような美しいリズムが心地よい。さらりと詠んでいるようで、揺るぎなく焦点が定まっており、見事な歌だ。


一方、個人的な「裏」の代表歌はこちら。


   あぢさゐのほろびし空にみづ満ちて見えがたき魚あをき魚降る 水原紫苑


紫陽花そのものが主題ではないので、代表歌というのはちょっと反則の気もする。だが、紫陽花というと、一番に思い浮かべるのが、実はこの歌だ。紫陽花という翳りのない植物から立ち現れる幻視の風景は、あまりに意外で鮮やかで、初めて読んだ時はほんとうに鳥肌が立った。歌を読んでそれほど衝撃を受けたのは、塚本邦雄さんの歌に出会った時以来だった。一瞬にして、水原紫苑さんは最も好きな歌人の一人になった。

水原さんの歌から好きなものをいくつか挙げてみる。


   死者たちに窓は要らぬを夜の風と交はる卓の薔薇に知らせよ


   水浴ののちなる鳥がととのふる羽根のあはひにふと銀貨見ゆ


   春昼は大き盃 かたむきてわれひと共に流れいづるを


   魚食めば魚の墓なるひとの身か手向くるごとくくちづけにけり


ところで、水原さんの歌集は最初の頃、雁書館という出版社から出されていた。一般の書店に本を卸さない出版社で、電話をかけると御主人らしい男の方が応対してくださり、頼んだ本を郵送してくださった。我が家がまだオンライン化する以前のこと。ネット注文とは対照的なやりとりで届く本は、なんだか特別に貴重に思えた。小島ゆかりさんの歌集も、梅内美華子さんの歌集も、松平修文さんの歌集も雁書館から送っていただいた。その雁書館が昨年廃業したのだと、先ごろ知った。熱心な顧客でもなかった自分が言うのもおこがましいが、いい本がとても多かったのに、本当に残念でならない。

脚本家・太田愛のブログ-紫陽花3


   あぢさゐを小突いてこども通りけり   小野淳子


大きな球形の紫陽花は、花そのものに弾むようなリズムがある。

それが六月の雨の季節に静かなにぎわいを与えてくれる。

傘と長靴と紫陽花が、長い雨の季節を少し楽しくさせてくれる。



本日はvipers creedの打ち上げ。

大盛況。恒例のビンゴケーム。私はこういうのはまず当たらない。

年末の福引などもまず当たったためしがない。

これまで当たったのは、ウルトラマンのちびっ子用半纏のみだ。

それが今回は……当たった!

当たった人は自分で袋を選ぶ形式だった。

わくわくしながら袋を開けてみた。

すると、仔豚さんの顔が私を見上げていた。

      ↓


脚本家・太田愛のブログ-駄菓子の仔ブタ

なんだかホラーな写真だが、これは「仔豚ケース入り駄菓子」である。

たっぷり十日分くらいある。

裏を見ると品名「豚バンク」と書いてあった。

食べ終わった後は、豚の貯金箱になるという優れものだ。

デスクの周りがお菓子の粉だらけになりそうな気がするけれど、

明日から食べるぞ!



久々の更新。

昨日と明日は打ち合わせ。

なかびの今日は自宅作業。


軒先に、今年もツバメがやってくる。

脚本家・太田愛のブログ-ツバメ
例年のようにやってくるのだが、昨年は悲しいことに、カラスに巣を落とされてしまった。

そこで、今年はカラス避けの棒を3本から5本に増やし、厳重に巣を囲うことにする。

脚本家・太田愛のブログ-カラス対策
さきほど様子をうかがうと、一羽がずっと巣に座っている。

どうやらただ今、抱卵中らしい。

今年は無事、雛たちが孵りますように。


一週間ぶりに靴をはく。

ひたすらひたすらPCに向かう毎日。

いきなり外の空気にふれたくなって外に出た。

といっても、ご近所のスーパーまでのお買い物。

脚本家・太田愛のブログ-夕景

外は広い。

なんでもない夕景がうれしい。

街灯も点る時刻。

脚本家・太田愛のブログ-街灯

風はやわらかく、すっかり夏の夕暮れの気配がただよう。

月はまだ。

今夜は満月らしい。


脚本家・太田愛のブログ-ビッグトップ

SF映画のCGかミニチュアセットと思しき姿のこの写真。実は、シルク・ドゥ・ソレイユの『コルテオ』が上演された特設テントなのだから、撮影しておきながら自分でもびっくり。夕闇に浮かぶ空想的な造型は、異界へと誘うサーカスの新時代そのもののようで象徴的だ。

脚本家・太田愛のブログ-コルテオ
『コルテオ』を観に行ったのはしばらく前のことで、東京公演はひとまず終了している。といっても、興行はまだまだ続き、これから名古屋、大阪と回り、11月には再び東京。来年には、福岡、仙台での公演が予定されている。


『コルテオ』は、これまでのシルク・ドゥ・ソレイユとは随分違った、冒険的な演目だった。

コルテオとは「行列」を意味するイタリア語と宣伝では謳われているが、プログラムに載せられた演出家のインタヴューを読むと、どうも「葬列」が本義らしい。実際、舞台は、一人の老道化師マウロが、自分の葬列の夢を見るところから始まる。開幕前、いつものように客席に大勢の道化師たちが現れ、おどけてみせ、観客たちを沸かせている。と、いつのまにか道化師たちがいなくなり、客席の明かりが消え、こんなセリフが流れる。

「夢を見ていた…自分が死んだ夢を。葬儀に集まった人々…だが本当にそれは夢なのだろうか…」

円形の劇場を横断するようにしつらえられた長い舞台に、賑やかな音楽とともにマウロの死を弔う華やかな葬列が現れる。老道化師マウロが夢見る葬列に並ぶのは、彼が人生において出会い、別れた人々だ。そして、サーカスのさまざまなアクロバットや技芸も、すべてマウロの人生を彩った人々によって演じられていく。死と道化というモチーフと、演劇のような物語性を持ったサーカス。そのことにまず驚いた。


山口昌男さんの本によると、道化はもともと死と深いつながりを持つのだそうだ。「道化は、生と日常に対する最大の否定である死に立ち向かい、手なずける術を人に示してくれる存在だ」 たしかそんな趣旨のことを書かれていた。狂言回しのマウロを始めとし、巨人のクラウンや小人のクラウンとクラウネス(女性のクラウン)まで登場する『コルテオ』は、たしかに道化師たちのサーカスだった。ヘリウムの巨大な風船で宙に浮かび、客席と舞台を行き来するクラウネス。クラウンたちの演じるドタバタ「ロミオとジュリエット」。弾むように楽しく、どこかはかない手ざわりのある演目が印象的だった。演出はいつも以上に洗練されており、透かし絵を施した紗幕とカーテンを二重にステージに垂らし、繊細なライティングで魔法のようにあざやかに操ってみせる。さすがに凄い。

脚本家・太田愛のブログ-プログラム

ほんの少し欲をいえば、音楽とアクロバティックな技芸がいつもに比べると抑え気味だったこと。でも、こういうサーカスを演じるのもシルク・ドゥ・ソレイユならではかもしれない。2時間半は、やはりあっという間に過ぎていった。


今日は端午の節句。

ご近所の和菓子屋さんのショーケースにも、こんな生菓子が並べてあった。

脚本家・太田愛のブログ-兜
こいのぼりの生菓子もあったらしく、見本の真鯉、緋鯉も並んでいた。残念ながら、こちらは完売。

店の奥では、たくさんの柏餅が木箱に収められている。どこかのお家でお節句のお祝いがあるようだ。

脚本家・太田愛のブログ-柏餅


東京は雨の休日。新緑が濡れ、町は静かだ。