脚本家/小説家・太田愛のブログ -25ページ目

今年は、エドガー・アラン・ポオ生誕200年だった。だが、太宰治生誕100年、さらに松本清張生誕100年とバッチリ重なったためか、今ひとつ話題にならなかった気がする。ポオ大好きのわたしとしては、かなり残念な事態。


以前にも書いたけれど、ポオの小説を初めて読んだのは小学生の頃。もちろんジュニア版だったが、夜7時には町中が静まり返る地方都市の子供には、充分に恐ろしかった。おかげで、哀れなマダム・レスパネーの名は凶々しさの象徴となり、アモンティラードは悪魔的な魅力を持つ洋酒の名前として記憶され、癲狂院に響きわたる哄笑がしばらく耳から離れなかった。


けれども、ポオの小説を読んで恐怖したのは、必ずしも血と暴力の描写があったからだけではなかった。ポオの世界にはいつも陰鬱な空気が立ち込めており、その薄暗くよどんだ空気の中に、人間の負の感情がつまっていた。嫉妬、憎悪、高慢、怯え、悪意。もちろん、小学生女児の自分にそれらの感情が細部にわたって理解できたはずもないが、よくわからないなりにぼんやり知り始めていた人間の暗い側面に、ポオの小説は圧倒的な物語の力でリアルな手ざわりと輪郭を与えてくれた。人間の底なしの深い淵を覗き込んだことが、何より恐ろしかったのだと思う。

脚本家・太田愛のブログ-ポオ

ところで、19世紀の怪奇小説では一人称の「わたし」による「語り」の形式がよく使われる。実際、当時の富裕階級の男達は晩餐の後、テレビやビデオのない長い夜を、互いに恐怖譚を語り合って過ごしたそうで、そこから生まれた怪奇小説も「語り」のスタイルを踏襲している。その辺りの雰囲気は国書刊行会から出ている『怪奇小説の世紀』(西崎憲編)に詳しい。また、ケン・ラッセルの映画『ゴシック』でも、バイロン卿のもとに集った詩人シェリーと妻メアリーほか五人の男女が怪談の創作を競い合う一夜の怪異が描かれている。映画は「ディオダディ荘の怪」として知られる実話をもとにしており、この夜の体験を契機として後にメアリー・シェリーが書いたのが小説『フランケンシュタイン』だ。


ポオが小説を書いたのも19世紀の後半。彼の作品にも「わたし」が語る形式のものが多い。けれども、「わたし」の暗い想念に満たされたポオの一人称は独特で、まるで彼自身の悪夢の沼地に足を踏み入れるような雰囲気がある。「わたし」の語りの背後には、異様な世界を次々に想像しつづけたポオの理知と諧謔と絶望がいつもあり、そして時折、狂おしいほどの憧憬が見える。


もしひとつだけ選べと言われたなら、さんざん迷ったあげく『アルンハイムの地所』を挙げる。それはきっと何度訊かれても同じだ。『アルンハイムの地所』という短編には物語がほとんどない。莫大な遺産を相続したある男が、山の中に広大な人工庭園を築く、ただそれだけの話だ。前半は、男がありうべき庭園の姿について理念を語りつづけ、後半は、アルンハイムの地に築かれた広大な庭園のようすが燦然とした言葉を尽くして描写される。まるでポオの観念そのものが結晶したような、圧倒的で、しかも不思議に静謐な異形の短編だ。


1849年10月。ポオはボルチモアの路上に酔いどれて倒れ、そのまま息を引き取った。


ポオの作品には有名な『アッシャー家の崩壊』を始めとして映画化されているものも多く、ロジャー・コーマンのシリーズにも好きな作品がたくさんある。が、これはまた別の機会に。



長らく更新が滞ってしまい、すみません。

『さよならバードランド』と『ミス・グリーンの秘密』の放映後、

メッセージを下さった皆様、ありがとうございました。

また来年のオンエアの日程が分かりましたらアップします。

是非、御覧下さいませ。


脚本家・太田愛のブログ-冬空


いつのまにか街はクリスマスムード。一年の最後の慌しくも心楽しい月。

今年はスケジュールの都合で、蜷川幸雄さんの舞台と、秋には3年ぶりに来日したコンテンポラリーダンスのカンパニー・ローザスの舞台のチケットをフイにし、無念のきわみ……。でも、かろうじて駆けつけることができたコンサートもあった。


しばらく前の事になるけれど、サントリーホールにジョナサン・ノット指揮のバンベルク交響楽団を聴きに行った。演目はブラームスの悲劇的序曲、ヴァイオリン・コンチェルト、そして交響曲2番。2番は4番と並んでブラームスの中でも特に好きな曲で、夏にチケットを買った時からとても楽しみにしていた。

脚本家・太田愛のブログ-ノット


岡田暁生さんの名著『西洋音楽史』によると、ブラームスの生きた19世紀は、それまで王侯貴族のものだった音楽が市民化した時代だそうだ。産業化が進み、科学と実証主義の時代が到来し、社会が無味乾燥になっていく時代だったからこそ、音楽には、ロマンティックであることが求められた、という趣旨のことを岡田さんは書かれていたと思う。


当時は、一方に悲劇的なメロドラマを歌い上げるグランドオペラがあり、一方にブルジョワジーのサロンで名人芸を競うリストやショパンらの音楽があり、百花繚乱の華やかさだった。そんな中で、生真面目に、純粋な音楽を目指した音楽家の一人がブラームスで、ベートーヴェンが打ち立ててしまった「普遍的な名曲を作る」というテーマを真正面から抱え込み、悩みに悩み、なんと最初の交響曲を構想してから書き上げるまでに20年以上もかかっている。ブラームス、43歳。


交響曲第2番が発表されたのは、その1年後だ。20年間の鬱屈を経て、とても立派な第1番を書いた後、あふれ出るような曲想でブラームスが書き上げた第2番はほんとうに若々しく、美しい。


もちろん、この日のノット指揮バンベルク響の演奏も若々しく、美しかった。だが、彼らの演奏を聴いて強く感じたのは、何よりブラームスの音楽が新しく、大胆だということだった。ためらいがちなホルンに始まる第1楽章、ブラームスはホルン、低弦、木管と音色の異なる楽器をリレーするようにして旋律をつむぎ始める。この音色のリレーが、バンベルク響の各セクションの温かい音色で、しかも立体的に聴こえてくると、ああ、音楽は確かにベートーヴェンから遥かに遠い場所に来ているんだな、と思わずにはいられなかった。ブラームスは、時にバッハのような線と線の絡み合いを用いながら、それをオーケストラの複雑な音色のパレットの上で自在に彩ることで巨大なロマン派の音楽を構築している。


ジョナサン・ノット氏は、リゲティなどの現代音楽も得意とされている指揮者で、それだけに音楽の構造を明晰に聴かせてくれる。CDでも、マーラーの交響曲第5番や第9番など複雑きわまりない曲を、驚くほど見事にさばいている。しかも「怜悧に」ではなく、豊かに音楽を展開する指揮者だ。この夜のブラームスもそうだった。クリスティアン・テツラフをソリストに迎えたヴァイオリン・コンチェルトも、交響曲第2番も。生真面目で内向的なブラームスを、情熱的で感傷的なブラームスを、そして、実は自信にあふれたブラームスを心ゆくまで聴かせてくれた。



オンエアのお知らせです。


『相棒 Season8』 テレビ朝日系 水曜夜9時より


10月28日(水) 『ミス・グリーンの秘密』


脚本を担当しました。


ミス・グリーンは、憧れの大女優、草笛光子さんが演じてくださいました。


右京さん尊くんをはじめとするレギュラーメンバーと草笛さんの豪華なアンサンブルです。


みなさま、是非ご覧くださいませ。




また、第2話『さよなら、バードランド』をご覧になってくださった方、


メッセージをくださった方、どうもありがとうございます。


デバンの頃から応援してくださっている方、これからもよろしくお願いします。


脚本家・太田愛のブログ-手毬

いよいよ来週、10月14日(水)からテレビ朝日で『相棒season8』が始まります。

初回は2時間スペシャルで、午後8時スタートです。


脚本家・太田愛のブログ-相棒8

第2話と第3話は太田が脚本を担当しました。オンエア日は以下です。

10月21日午後9時~

10月28日午後9時~

それ以後の担当回はまた随時、アップしますね。


相棒8のホームページはこちらです。

   ↓

http://www.tv-asahi.co.jp/aibou/

『ヒラPブロク』のコーナーには伊東Pさんが、ロケや記者会見の写真、楽しいこぼれ話などアップして下さっています。


皆さん是非、ご覧下さいませ。


追伸・kikuさん、プレゼントありがとうございます。



先日、打ち合わせが流れて不意にオフとなった日曜日、かねてから訪れたかった曼珠沙華の里・埼玉の巾着田まで足を伸ばした。100万本以上と聞いてはいたものの、眼前に広がる群生は想像を遥かにこえており、辺り一面を赤い花が埋め尽くす。

脚本家・太田愛のブログ-曼珠沙華1

胡桃や椋の疎らな林が、真っ赤な曼珠沙華の水面に沈んでゆくように見える。そんな風景が蛇行する川の河川敷に沿って二キロほど続いている。


「天ゆ降り曼珠沙華地に垂直に刺さるがごとくかたまりて咲く」という喜多昭夫さんの歌がある。神話的な大きな動きの先に澄んだ鋼の音が響くような明晰で見事な歌だが、喜多さんの曼珠沙華が普段、私達が野辺で行き会う曼珠沙華だとすれば、巾着田の曼珠沙華はおよそこの世のものではない。

当地を訪れて初めて知ったのだが、巾着田の曼珠沙華の大群落は人工のものではなく、洪水のたびに田畑の畦道から流された球根が寄り集まって自然にできたものだそうだ。膝丈を越える群落の中に立つと、地面の下に眠る無数の球根が思われ、その生きものめいた艶かしさに圧倒されるような心持になる。


曼珠沙華は茎にアルカロイドを含む有毒植物であるため、小動物避けとして田畑の畦やかつて土葬の多かった墓所に植えられた花でもあるという。「死人花」「幽霊花」「地獄花」などたくさんの異名を持っている。そのためか、詩歌の中に読まれる曼珠沙華は、辛さや悲しみの色合いを含むものが多いような気がする。


曼珠沙華咲けば悲願のごとく祈る 橋本多佳子


眼帯の内なる眼にも曼珠沙華   西東三鬼



脚本家・太田愛のブログ-曼珠沙華2

陽のある一日、持参したお茶を飲みながら曼珠沙華の中を歩く。

膝を折って一輪だけ眺めると、葉を持たぬ真っ直ぐな茎の上に咲いた花の形そのものの不思議さに、改めて驚かされる。


つきぬけて天上の紺曼珠沙華  山口誓子


曼珠沙華は、秋の彼岸の頃、あっという間に花茎を伸ばし一斉に群れ咲く。山口誓子さんの一句は、その清々しい勢いと秋の陽に輝く花弁をくっきりとした色彩で描いて見事だと思う。心技体ひとつものとなった一本技のように切れがよく、心地よい。

更新が滞ってしまい、すみません。


ひたすら〆切と格闘しております。


さて、10月から始まる『相棒season8』に参加しています。


個人的には『トリック2』以来のミステリーの脚本です。


『相棒8』ではおなじみ右京さんと、新しい相棒・神戸尊さんのコンビが始まります。


是非、ご覧下さいませ。


オンエア日など、また追ってお知らせしますね。



脚本家・太田愛のブログ-お月見





久しぶりに郷里に帰省した。


瀬戸内の海の色は青というより、碧に近い。


写真は旦那様の郷里の島から見た瀬戸内海。


脚本家・太田愛のブログ-瀬戸内の海

夕方になると風がやんで、波の静まった海が鏡面のように光る。


海ぎわにあるのは、廃校になった小学校と聞く。


校庭が海へと続く小学校。ホームランを打てば、白球は海に届いただろう。


脚本家・太田愛のブログ-海と廃校舎

無人の校舎の前、蝉時雨の響く校庭で、子供が二人、キャッチボールをしていた。


少し退屈なほど豊かで、濃密だった子供の頃の夏休みを思い出した。



いつの間に、八月。

皆さんお元気でお過ごしでしょうか。


正午近く、原稿を入稿。

終わった後も頭が空転して眠気が来ず。


今年は母の喜寿のお祝いに三年ぶりに夫婦揃って郷里に帰省します。

お仕事はお盆進行。

最期の直線でムチが入っている雰囲気です。


七月に直し終えた脚本が現在、撮影に入っています。

暑くならなければいいなぁ、雨が降らなければいいなぁと

祈る日々です。





煮詰まり山のトンネルを抜ける。

滑り込みで原稿を入稿。

ほっと一息。(と言っても月曜日にはすでに打ち合わせが……)


明日の日曜日には久しぶりにお仕事ではなく電車に乗って出かける予定。


激励のメールを下さった方、ありがとうございました。


ということで、お礼にも何にもなりませんが、

先日、我が家のベランダから見た日蝕の写真。

曇っていたので普通のデジカメで撮れました。

上の方に欠けた太陽が薄く写っています。


脚本家・太田愛のブログ-日蝕