今年は、エドガー・アラン・ポオ生誕200年だった。だが、太宰治生誕100年、さらに松本清張生誕100年とバッチリ重なったためか、今ひとつ話題にならなかった気がする。ポオ大好きのわたしとしては、かなり残念な事態。
以前にも書いたけれど、ポオの小説を初めて読んだのは小学生の頃。もちろんジュニア版だったが、夜7時には町中が静まり返る地方都市の子供には、充分に恐ろしかった。おかげで、哀れなマダム・レスパネーの名は凶々しさの象徴となり、アモンティラードは悪魔的な魅力を持つ洋酒の名前として記憶され、癲狂院に響きわたる哄笑がしばらく耳から離れなかった。
けれども、ポオの小説を読んで恐怖したのは、必ずしも血と暴力の描写があったからだけではなかった。ポオの世界にはいつも陰鬱な空気が立ち込めており、その薄暗くよどんだ空気の中に、人間の負の感情がつまっていた。嫉妬、憎悪、高慢、怯え、悪意。もちろん、小学生女児の自分にそれらの感情が細部にわたって理解できたはずもないが、よくわからないなりにぼんやり知り始めていた人間の暗い側面に、ポオの小説は圧倒的な物語の力でリアルな手ざわりと輪郭を与えてくれた。人間の底なしの深い淵を覗き込んだことが、何より恐ろしかったのだと思う。

ところで、19世紀の怪奇小説では一人称の「わたし」による「語り」の形式がよく使われる。実際、当時の富裕階級の男達は晩餐の後、テレビやビデオのない長い夜を、互いに恐怖譚を語り合って過ごしたそうで、そこから生まれた怪奇小説も「語り」のスタイルを踏襲している。その辺りの雰囲気は国書刊行会から出ている『怪奇小説の世紀』(西崎憲編)に詳しい。また、ケン・ラッセルの映画『ゴシック』でも、バイロン卿のもとに集った詩人シェリーと妻メアリーほか五人の男女が怪談の創作を競い合う一夜の怪異が描かれている。映画は「ディオダディ荘の怪」として知られる実話をもとにしており、この夜の体験を契機として後にメアリー・シェリーが書いたのが小説『フランケンシュタイン』だ。
ポオが小説を書いたのも19世紀の後半。彼の作品にも「わたし」が語る形式のものが多い。けれども、「わたし」の暗い想念に満たされたポオの一人称は独特で、まるで彼自身の悪夢の沼地に足を踏み入れるような雰囲気がある。「わたし」の語りの背後には、異様な世界を次々に想像しつづけたポオの理知と諧謔と絶望がいつもあり、そして時折、狂おしいほどの憧憬が見える。
もしひとつだけ選べと言われたなら、さんざん迷ったあげく『アルンハイムの地所』を挙げる。それはきっと何度訊かれても同じだ。『アルンハイムの地所』という短編には物語がほとんどない。莫大な遺産を相続したある男が、山の中に広大な人工庭園を築く、ただそれだけの話だ。前半は、男がありうべき庭園の姿について理念を語りつづけ、後半は、アルンハイムの地に築かれた広大な庭園のようすが燦然とした言葉を尽くして描写される。まるでポオの観念そのものが結晶したような、圧倒的で、しかも不思議に静謐な異形の短編だ。
1849年10月。ポオはボルチモアの路上に酔いどれて倒れ、そのまま息を引き取った。
ポオの作品には有名な『アッシャー家の崩壊』を始めとして映画化されているものも多く、ロジャー・コーマンのシリーズにも好きな作品がたくさんある。が、これはまた別の機会に。