脚本家/小説家・太田愛のブログ -24ページ目

決定稿を入稿してやっと一息。

14時間、泥のように眠る。


このところバタバタしており、親しい人々に不義理を重ねてしまう。

この場を借りて、恩師Mさん、ライター仲間のKさん、お祝いに駆けつけられずすみませんでした。


いつのまにかクレマチスも芍薬も終わって薔薇の季節。

ご近所では紫陽花も咲き始めている。

相変わらずキーボードの側で眠る時丸は、着々と夏毛に変貌しつつある。

先ごろ、時丸は一輪挿しの薔薇に興味を示し、大きな口を開けて新鮮な葉っぱを食そうとして、

ピンクの鼻に負傷した。棘が……。おとなしく猫ちゃん草を食べなさい。


嬉しいことがひとつ。

数年前に書いた映画のシナリオが今月、無事にクランクアップした。


しばらく前に東京交響楽団のコンサートでピアソラの『リベルタンゴ』、『バンドネオン協奏曲』を聴いた。バンドネオンは小松亮太さん、指揮は秋山和慶さん。
脚本家・太田愛のブログ-PIAZZOLLA

グレイス・ジョーンズというソウル歌手の歌に『I've seen that face before』というナンバーがある。遙か昔、偶然、FMの洋楽番組(たぶんクロスオーバーイレブン)で聴き、録音したテープが気に入って、一時期聞き込んだ。当時はまだグレイス・ジョーンズという名前も知らなかった。

アルバムを買いに行くと、グレイス・ジョーンズは、スラリとした長身の黒人で、短髪を四角く立てた特異なヘアスタイルとビジュアルが印象的だった。アルバムジャケットはたいていポップにデフォルメされた彼女のイラスト。映画『ヴァンプ』で都会的な吸血鬼を演じている彼女も観た。

それから何年もたって、クロノス・カルテットのCD『タンゴ・センセーション』でピアソラのバンドネオンを初めて聴いた。衝撃を受け、ピアソラの名前が頭に大文字で焼きついた。やがて、かつて聴いた『I've seen that face before』がピアソラの名曲のひとつ『リベルタンゴ』に歌詞をつけたものだったことを知った。


ピアソラの音楽はたちまち大切なもののひとつになった。ピアソラの音楽では、裸身の感情がほとばしるような旋律と強烈なタンゴのリズムがいつもせめぎあっている。強拍にアクセントのあるタンゴのリズムは、昂揚した群衆のように烈しくなったり、無慈悲で静謐な時の流れのように緩やかになったりしながら決して鳴り止むことなく音楽を前へ進める。不協和音やノイズのような打音が容赦なくクラッシュする。それらに抗うようにバンドネオンやヴァイオリンがあられもなく甘美をきわめて歌い、また憂鬱と孤独の深い底に沈んで歌う。

過剰な情緒と振幅の大きなダイナミズム。その中にあって、それでも時折、明るく広がる青い空が、音楽の向こうの遠い場所に見えてくる。たとえば『ブエノスアイレスの夏』『ブエノスアイレスの冬』『アディオス・ノニーノ』『Milonga for three』……、そしてアルバム『ラ・カモーラ』。ピアソラの音楽は、まるで闘いのようで、祈りのようだ。


ピアソラは18才でバンドネオン奏者として活動を始め、やがてそのあまりに新しい作風ゆえに伝統的なアルゼンチン・タンゴの支持者たちから「踊れないタンゴ」と批判を浴び、タンゴの破壊者として命を狙われたことさえあるという。それでもピアソラは、生涯タンゴだけを書き続け、バンドネオンを弾き続けた。


「ほんとうに、こんな日に、こんな場所で、僕らの革命と自由をうたうタンゴを聞けるなんて……」


清水邦夫さんの傑作戯曲『タンゴ・冬の終わりに』の中で印象的に繰り返される台詞だ。

追憶と狂気の狭間で語られるこの台詞は、ピアソラの音楽にとてもふさわしいと思う。



素晴らしい映画を観ると、生きていてよかったと思う。

『マン・オン・ワイヤー』は自分にとって、そう思わせてくれる映画の一本だ。
脚本家・太田愛のブログ-man on wire

1974年8月7日。当時、世界一高い建物はマンハッタンの世界貿易センタービル・ツインタワーだった。地上から遥かに見上げる441mの二つの高層ビル。向こうには薄明の空だけが広がっている。この映画は、その夏の朝、二つのビルの間に鋼鉄のワイヤーを張り、世界で最も天に近い場所で綱渡りをした男のドキュメンタリーだ。


男は、若き大道芸人フィリップ・プティ。映画は、青年フィリップの型破りのストーリーとして始まり、やがて彼と、彼の恋人や友人達のみずみずしい群像劇となって進んでいく。現在の彼らが当時を振り返って語り、残された記録映像が過去をよみがえらせる。四十年前の16mmフィルムの中の彼らは、フランスの片田舎の緑美しい野原に綱渡りのワイヤーを張り、誰もが海の向こうの摩天楼を夢見ている。けれども、生き生きとした語りと息を呑むような見事な構成で、あっという間に1974年8月7日に連れて行かれた時、観る者の前には、この世のものとは思えない高さの綱の上を一人の青年が歩いている姿がある。そして、初めてわかる。これは、一人のフィリップの物語でも、若者達の群像劇でもなく、それが確かに起こったあの時――さまざまな人々の思いと行為が交錯し、紛れもない事実としてそれが起こった「あの時」の映画なのだ。しかも映画は、思いもよらないエンディングへと観る者を連れ去り、独特の苦さを残しながら幕を閉じる。


95分の短いフィルムの中に、人の憧れも、狂気も、輝かしさも、愚かさも、純粋さも、弱さも、哀しみもすべてがある。劇的で、いつまでも深い余韻を残すドキュメンタリーの傑作だ。

07年制作、ジェームズ・マーシュ監督。(2009年日本公開)


WOWOWで3月23日午前5:55より放映。
DVDも発売中。
興味のある方は是非是非、一見を。

五階級制覇のアジアの大砲・マニー・パッキャオ対ガーナの星・ジョシュア・クロッティのWBO世界ウェルター級タイトルマッチがテキサス州アーリントンで行われた。カレンダーに丸をつけて心待ちにしていたタイムリーオンエアをWOWOWで観戦する。
脚本家・太田愛のブログ-パッキャオ  脚本家・太田愛のブログ-クロッティ

試合は、6対1のオッズ通り、小柄ながら速さと手数に勝るパッキャオのワンサイド。ゲストにいらしていたWBCの世界スーパーバンタム級チャンピオンの西岡利晃さんもおっしゃっていたが、今日のパッキャオのスピードと手数は本当に凄まじかった。

ピーカブースタイルでガードの堅いクロッティに対して、パッキャオは1ラウンドから強烈なボディパンチを打ち続け、ガードが開けば上下に打ち分けてサイドに廻る。このペースで打ち続けていてはとても後半はもたないだろうと思われる勢いだった。実際、パンチの音だけを聞いていても、パッキャオがいかに力を込めたパンチを連打し続けているのかが解る。しかも12ラウンドほとんど休みなしにだ。

クロッティは攻め所を探している間に、ボディに食らい続けたパンチが足にきて自分のボクシングをしないうちに終わってしまった感じだった。


結果的にはパッキャオの圧勝だったけれど、印象的だったのがインターバルの間のコーナーでの二人の表情だ。パッキャオは中盤からずっと肩で息をし続け、言葉が発せないほど苦しげだった。一方、クロッティは蓄積していくダメージに苛立ち気味ではあったけれど、セコンドの呼びかけにも普通に言葉を返していた。インターバルの間の二人だけを見れば、どちらが優位に試合を進めているのか容易には解らないほどだった。しかし、ひとたびインターバルが終わると、パッキャオは別人のように、そして当たり前のように打ち続ける。

今日の試合、パッキャオは絶対にクロッティに自分を捕まえさせない、そのために動き続け打ち続けるという戦法を徹頭徹尾、貫き、その結果の圧勝だったのだと思う。相手をよく分析し、作戦を立て(もちろん、名トレーナー、フレディー・ローチの力は大きい)、作戦を遂行するために必要なトレーニングを積み、作戦通りにやってのける。それだけでも凄いことなのだが、今日のインターバルのパッキャオを見ていると、圧勝の時も辛勝の時も、常にぎりぎりの所で戦っているのだとしみじみ思った。

最終ラウンド、常に観客のことを考えるパッキャオにしては、珍しく最後の盛り上がりに欠く3分間になったのは、やはりパッキャオ自身、ラッシュがかけられないほどかなりきつい所まできていたのではないかと思う。


パッキャオは試合のたびに違う戦い方、違うボクシングを見せてくれる。デ・ラ・ホーヤ戦の打ち合いも印象深いし、ハットン戦の見事なKOも強烈だった。だがこの五年、常に強敵相手のビッグファイトを制してきたパッキャオは、やはりいつも紙一重のところで闘っているのだと思う。


今日、試合を見終わってふと思ったのだが、パッキャオはどの試合の時も、花道をリングまでに歩いて来る間、とても嬉しそうな顔をしている。眉を上げて知り合いに応えたり、グローブを上げて花道際のお客さんのハイタッチを受けたり、ジョー・小泉さんの言葉を借りて言えば『試合ができるのが嬉しくて仕方がないように』、無邪気なほど嬉しそうにリングに上がってくる。ところが、試合に勝った後、ほかのボクサーよのうにパッキャオが迸るように喜びを爆発させる姿はあまり見たことがないように思う。勝利に熱狂してリングになだれこんできた大勢の関係者の中で、パッキャオは所在無げに控えめな微笑を浮かべていたり、少し放心したようにぼんやりしていたり。ハットン戦の時だったか(違うかもしれない)、リング上で勝利に熱狂する人の渦の奥から、セコンドがパッキャオに人差し指を下に向けて合図した。パッキャオは真顔でそれを一瞥すると、すっとコーナーに行き、ひとり試合後の祈りを捧げた。その姿が記憶に残っている。

勝った、というよりも、終わった、というような。


名トレーナー、フレディー・ローチがインタビューで、メイウェザー戦を最後にパッキャオを今年限りで引退させると言っていた。ほかの名ボクサーと同じように、いつかはパッキャオがリングを去るのを見ることになるのだろうが、ボクシングファンとしては、それが少しでも先であってほしいと思う。


頭が困憊してきたので、ちょっと一休み。ネゼ・セガン/ロッテルダム・フィルのラヴェル管弦楽曲集から『ラ・ヴァルス』を聴く。

冒頭、薄暗く曇ったようなコントラバスの低いざわめきの中におぼろな旋律でワルツ(ヴァルス)が現れる。やがてそれが流れるような合奏となり、音楽はみるみる華やかな19世紀ウィーンの宮廷舞踊の風景と変わる。ラヴェルは、自作の中でも特にこの曲を気に入っていたそうだ。

脚本家・太田愛のブログ-la valse

ラヴェルが生きたのは19世紀末から20世紀の初頭。当時、フランスは既に工業化を達成し、イギリスに次いで広大な植民地を所有する一等国だった。その近代の真っ只中にありながら、ラヴェルは失われた過去の音楽様式をしばしば自作に用いた作曲家だった。彼は17世紀フランス・バロックの作曲家クープランを敬愛し、宮廷舞踊の音楽であるメヌエットやパヴァーヌを模した作品をいくつも書いた。だが、ラヴェルの音楽は単に懐古的には響かない。それらの音楽には滅びた典雅な美へのノスタルジアとともに、そのようなノスタルジアを抱く自分自身への醒めたまなざしがいつもあるように思う。ラヴェルの音楽は水や光のようにとらえがたく美しい一方で、時折ぞっとするほど暗く冷たい顔を見せる。


『ラ・ヴァルス』は、そんなラヴェルの作品の中でもひときわ異形の音楽だ。ラヴェルは、この曲を当初『ウィーン』と名づけ、『美しく青きドナウ』で有名なワルツ王J・シュトラウス2世へのオマージュとして書いたそうだ。だが、2人の音楽はひどく異なっている。水面のきらめきのようなヴァイオリンと素朴なホルンの旋律に始まる『ドナウ』の明るい豊穣に比べると、『ラ・ヴァルス』はとても屈折し、破壊的だ。三拍子の旋回する律動は、曲が進むにつれて運動を加速し、終盤には回転の中心軸を分裂させながら熱狂の中で遂に解体する。官能的な旋律は、巨大な管弦楽の上昇と下降の交替の中で断裂し、破局を迎える。あまりに美しく、グロテスクで、破滅的な円舞曲をラヴェルは書いた。


随分昔になるが、作曲家の柴田南雄さんが「『ラ・ヴァルス』には明らかに第1次大戦が刻印されている」という趣旨のことを書かれていたのを読んだ記憶がある。戦前、戦後の作品を聴きくらべてみると確かにそう思う。だが、それとは別に、『ラ・ヴァルス』の熱狂する旋回と破局は、舞踊と死の近しさを思わせる。暗黒の童話作家アンデルセンは『赤い靴』で死ぬまで踊り続けるよう呪われた少女を描き、両足首を切りとるという残酷な結末を与えた(赤い靴を履いた足首は踊りながらどこかへ消え去っていく)。また、シューベルトは弦楽四重奏曲『死と乙女』の最終楽章に舞曲タランテラを用いた。舞踊の持つ快楽と果てなき律動は、そんな風にどこかで死に近しいように思える。『ラ・ヴァルス』にもそう思わせる凄まじい演奏が2つあった。ひとつはチェリビダッケがミュンヘン・フィルを振った海賊版、もうひとつはグレン・グールドが自身のアレンジでピアノで演奏したものだ。どちらも『ラ・ヴァルス』の極北のような演奏だった(グールドのCDは今でも手に入ると思う)。


ネゼ・セガン/ロッテルダム・フィルの演奏は、うるさすぎず、心地よく律動し、バランスよく、充分に歌い、力強い。これはこれで、とてもいい演奏だ。

書く。

ひたすら書く。

ブラインドの外が暗くなったり明るくなったり。

時丸はキーボードの隣で眠っている。

キッチンに珈琲を作りに行くと、目を覚ましてついてくる。

珈琲ポットを持って戻ってくると、再びキーボードの隣で眠り始める。

脚本家・太田愛のブログ-キッチンの時丸

ローザスの池田扶美代さんが、俳優でパフォーマーのベンヤミン・ヴォルドンク、振付家・演出家のアラン・プラテルと作った舞台『ナイン・フィンガー』を観てきた。


ローザスは大のお気に入りのベルギーのダンスカンパニーだ。以前にも書いたが、そもそもコンテンポラリーダンスが面白いと初めて知ったのがローザスの舞台だった。それ以来、カンパニーが来日した時は可能な限り観にいくことにしている(昨秋、チケットを取りつつも締め切りと重なり見逃してしまったのが今も悔やまれるが……)。池田扶美代さんは、振付家アンヌ・テレサ・ドゥ・ケースマイケルと一緒にローザスを創設したメンバーの一人であり、ひときわ存在感のあるダンサーだ。その池田さんが俳優と組んでコラボレートする舞台とあって、今回の公演も随分前から楽しみにしていた。ベンヤミン・ヴォルドンク氏の名前は初めて知ったのだが、パンフレットによると、地上32メートルの高さに鳥の巣を作り、その中で7日間を過ごすパフォーマンスを行なうなど俳優という枠にとどまらない活動でベルギーでは有名な方だそうだ。彼はアーティストとしての活動を評価され、2006年から3年間、ゲント、アントワープ、ブリュッセルの3市から支援を受けていたという。

脚本家・太田愛のブログ-nine finger

実際に観た『ナイン・フィンガー』は、やはりローザスのダンスとはまったく異なる、演劇ともダンスとも名づけられない、まさに舞台としかいいようのないものだった。テキストは、アフリカの少年兵アグの独白形式で書かれた小説『Beasts of No Nation』。少年兵を演じるベンヤミンが、少年アグの体験した戦場の酷い光景と、アグ自身の内面を断片的なセンテンスで叫び、呟き、吼える。殺す快感と力への熱狂、恐怖と嫌悪と悲しみ。だが、「演じる」と書いたが、ベンヤミンの演技には少年兵の体験をなぞるような動きがほとんどない。しばしば客席にまっすぐ向かい、マイクを使って甲高い声で言葉を投げかけてくる。そのベンヤミンの傍らで踊り、演じる池田さんもテキストに即しては動かない。パンフレットで池田さん自身語っていたように「動きと言葉がずれる」ように舞台は作られている。池田さんは時に少年兵の母、時に友だち、娼婦、少年兵自身になり、ベンヤミンにひきずられたり、殴られたりする。しかし、そこでは具体的な場面が模倣するように演じられることはない。残虐なものは、何ひとつ「リアル」には提示されない。


だが、舞台をじっと見ているうち、見えないものが見えてくる。一滴の血も、青い空も見えない舞台に聞こえない軍用ジープの音が聞こえる。乾いた風と砂埃を感じ、むっとする体臭と湿度を感じる。柔らかで強靭で傷ましい池田さんの身体と黄色いシャツ、ピンクのスカート。白い顔と痩身を黒い汚泥で塗りたくりながら、痙攣するように動き、叫ぶベンヤミンの身体と言葉。「止まりたいけど、誰も止まらない」「腹が減りすぎて死にたい、でも死んだら、死んでしまう」。。。二人のうちのどちらかが少年兵なのではない。二人の身体と言葉が作り出すイメージが舞台にあふれ、私たちの中に流れ込み、純粋で残酷で痛々しい少年兵アグの姿を、観ている私たちの中に強烈に焼きつける。舞台が終わったとき、言いようもなくつらかった。


昨年観たNODA MAPの『パイパー』の時もそうだった。見えないものが見え、聞こえないものが聞こえる。それは本当に凄い舞台に出会ったときだけの貴重な体験だ。


ポスト・トークで、池田さんはベルギーでの公演の時に、かつて少年兵だった観客の方から、「確かにあんなふうだった」という感想を伝えられたとおっしゃっていた。『ナイン・フィンガー』の上演は今回の来日公演が最後の予定なのだという。ただ、現実にかつて少年兵が多く存在したコンゴからも招かれているので、もしかしたら、、、。そうおっしゃった池田さんの意志的な表情が印象的だった。


歌川広重の『名所江戸百景』の実物をじっくり観たのは、数年前。ある企画展を目当てに出かけた東京芸大で、偶然、別の部屋で催されていたのが芸大コレクションの広重『名所江戸百景』全図展覧会だった。ズラリと並んだ版画は圧巻。誰もがうなる大胆な構図とあでやかな色彩、精緻な描写と思い切った省略に一目で虜になり、早速、小学館から出版されている画集を買い込んだ。
脚本家・太田愛のブログ-花菖蒲    脚本家・太田愛のブログ-月の岬

画集には藤澤紫氏による詳細な解説があり、これが滅法面白い。広重が江戸百景のシリーズに着手したのは最晩年に近い安政3年(1854)のことだが、その前年、江戸の町は未曾有の天災・安政の大地震に襲われている。藤澤氏は、まずそのことを指摘し、この一連の浮世絵が江戸の復興を寿ぎ、繁栄を祈願するものであったのではないかと書かれている。そして、さらに全図のうち95図が水をモチーフにしていることに言及し、広重は、震災後の脅威である火災から身を守る「護符」として水を描いたのではないか、と書かれてあった。しかも、広重はかつて定火消同心を務めたこともあったというのだ。連作の中で広重が唯一、火を描いているのが『王子装束ゑの木大晦日の狐火』。藤澤氏は、安政4年のこの作には、狐火の数で豊穣を占ったという農家の伝承を踏まえた、広重の祈念が込められているのではないかと指摘されている。
脚本家・太田愛のブログ-水道橋   脚本家・太田愛のブログ-狐火

もうひとつ興味深かったのが、広重独特の構図に関する藤澤氏の推論だ。嘉永元年(1848)に日本に初めて銀板写真の写真機器が入ってくる。実際に撮影に成功するのはそれから約10年を経た安政4年ごろらしく、藤澤氏は、このカメラという新技術に広重が構図のヒントを得たのではないかと示唆している。ファインダーを覗いて切り取られた風景、トリミングという写真技術が、大胆に近景を配した広重の構図に着想を与えた可能性があるというのだ。スリリングな推理になんとも興奮させられる。

脚本家・太田愛のブログ-はねたのわたし   脚本家・太田愛のブログ-内藤新宿
以前、伊藤俊治さんが著作の中で、17世紀オランダの画家フェルメールの描写には、写真機の前身であるカメラオブスキュラの影響を指摘されていた。フェルメールの人物描写、たとえば『真珠の耳飾りの少女』には、鼻梁や唇の陰影を描くために白い大粒の点のような筆でハイライトがほどこされている。それはレンズを通してアウトフォーカス気味に捉えられた映像によく似ており、フェルメール独特の光の捉え方はレンズの発明なしにはありえなかった。伊藤さんは確かそういう趣旨のことを書かれていたように思う。
               脚本家・太田愛のブログ-真珠の耳飾りの少女

先日、何かの番組で斎藤環さんが「絵は、新しいものの見方を教えてくれるもの」とおっしゃっていた。

大胆な奇想と見える広重の構図には、技術の革新と、その背後にある「見る」ことへの尽きない欲望があるのだと思うと、ますます面白くなってくる。

脚本家・太田愛のブログ-七夕    脚本家・太田愛のブログ-州崎
 

 


明けましておめでとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。


脚本家・太田愛のブログ-羽子板

オンエアのお知らせです。


『相棒 Season8』 テレビ朝日系 水曜夜9時より

11話「願い」 14話「堕ちた偶像」の脚本を担当しました。

是非、御覧下さいませ。


また1月からアニメーション『dulalala!!』もスタートします。

#6、#10、#14、#19の脚本を担当しました。

こちらもよろしくお願いします。

公式ホームページはこちらです。

  ↓

http://www.durarara.com/


『dulalala!!』では主人公の声を『少年宇宙人』の「たっちゃん」、こと豊永利行さんが

担当してくれています。(月日が経つのは早い!)


それでは

新しい年が皆様にとって素敵な年となりますように。

先日、作家のKさんの主催で忘年会。

I監督、O監督、キャメラマンのKさん、俳優のOさん、作家のKさんといつものお店で原田昌樹監督のボトルを囲む。考えてみれば、みんな10年来のおつきあい。

しばらく会っていなくても、顔を見た途端に映画の話、落語の話、撮影のこと、そして原田監督の話に花が咲く。みんな喋る喋る、食べる食べる。痛恨だったのは熱中しすぎて写真を撮るのを忘れたこと。

あっと言う間の楽しい時間だった。


さて本日からは怒涛の年末年始。

風邪をひかないように頑張っていきましょう。