それから何年もたって、クロノス・カルテットのCD『タンゴ・センセーション』でピアソラのバンドネオンを初めて聴いた。衝撃を受け、ピアソラの名前が頭に大文字で焼きついた。やがて、かつて聴いた『I've seen that face before』がピアソラの名曲のひとつ『リベルタンゴ』に歌詞をつけたものだったことを知った。
過剰な情緒と振幅の大きなダイナミズム。その中にあって、それでも時折、明るく広がる青い空が、音楽の向こうの遠い場所に見えてくる。たとえば『ブエノスアイレスの夏』『ブエノスアイレスの冬』『アディオス・ノニーノ』『Milonga for three』……、そしてアルバム『ラ・カモーラ』。ピアソラの音楽は、まるで闘いのようで、祈りのようだ。
実際に観た『ナイン・フィンガー』は、やはりローザスのダンスとはまったく異なる、演劇ともダンスとも名づけられない、まさに舞台としかいいようのないものだった。テキストは、アフリカの少年兵アグの独白形式で書かれた小説『Beasts of No Nation』。少年兵を演じるベンヤミンが、少年アグの体験した戦場の酷い光景と、アグ自身の内面を断片的なセンテンスで叫び、呟き、吼える。殺す快感と力への熱狂、恐怖と嫌悪と悲しみ。だが、「演じる」と書いたが、ベンヤミンの演技には少年兵の体験をなぞるような動きがほとんどない。しばしば客席にまっすぐ向かい、マイクを使って甲高い声で言葉を投げかけてくる。そのベンヤミンの傍らで踊り、演じる池田さんもテキストに即しては動かない。パンフレットで池田さん自身語っていたように「動きと言葉がずれる」ように舞台は作られている。池田さんは時に少年兵の母、時に友だち、娼婦、少年兵自身になり、ベンヤミンにひきずられたり、殴られたりする。しかし、そこでは具体的な場面が模倣するように演じられることはない。残虐なものは、何ひとつ「リアル」には提示されない。