『歴代沈壽官展』を日本橋で観た。
沈壽官窯は桃山時代に始まる薩摩焼窯元のひとつで、その代々の当主が沈壽官。当代で十五代目を数えるそうだ。薩摩焼は16世紀末、朝鮮出兵の際、秀吉に連れてこられた朝鮮人の陶工たちが始めた焼物で、沈家の初代・当吉もその創始者の一人だ。やがて沈家は薩摩焼の中心的な役割を担うようになり、江戸期には藩主・島津家のもとしばしば藩営焼物所の主宰を務め、時代変わって維新の後にはパリ万博、ウィーン万博を通じて欧米にも活路を開いていったという。
今回、展示されていたのは酒器、香炉、花器など百点ほど、明治期に活躍した十二代目から当代十五代目までの作品が中心でになっていた。中でも『白薩摩』と呼ばれる作品群が際立って美しく、独特の白に深さがある。二十余年の歳月を経て陶工達が見つけ出した白色陶土から生まれた白。澄んだ光沢にうっすらと黄味を帯びた白地は、やわらかな手ざわりをも錯覚するほどに温かで、どこまでも気品がある。技巧を凝らした大胆なデザインも、精緻な絵付けや驚嘆すべき彫りの細工も、すべてこの白あってこそと思えた。
ところで、たとえば一脚の香炉は、それが置かれた座敷と立ちのぼる灰白色の煙、あたりに籠める御香の薫りとそれを聴く人々の静謐な佇まいを思わせる。そのように陶芸や蒔絵などの工芸品には、絵画や彫刻とは異なる魅力、そのものの背後に人々の息づかいを思わせる魅力がある。巧緻をきわめた白薩摩を眺めるよろこびは、その一点の美の背後に幻の営みの豪奢と華やぎが感じられるところにもあるように思う。