先日、打ち合わせが流れて不意にオフとなった日曜日、かねてから訪れたかった曼珠沙華の里・埼玉の巾着田まで足を伸ばした。100万本以上と聞いてはいたものの、眼前に広がる群生は想像を遥かにこえており、辺り一面を赤い花が埋め尽くす。
胡桃や椋の疎らな林が、真っ赤な曼珠沙華の水面に沈んでゆくように見える。そんな風景が蛇行する川の河川敷に沿って二キロほど続いている。
「天ゆ降り曼珠沙華地に垂直に刺さるがごとくかたまりて咲く」という喜多昭夫さんの歌がある。神話的な大きな動きの先に澄んだ鋼の音が響くような明晰で見事な歌だが、喜多さんの曼珠沙華が普段、私達が野辺で行き会う曼珠沙華だとすれば、巾着田の曼珠沙華はおよそこの世のものではない。
当地を訪れて初めて知ったのだが、巾着田の曼珠沙華の大群落は人工のものではなく、洪水のたびに田畑の畦道から流された球根が寄り集まって自然にできたものだそうだ。膝丈を越える群落の中に立つと、地面の下に眠る無数の球根が思われ、その生きものめいた艶かしさに圧倒されるような心持になる。
曼珠沙華は茎にアルカロイドを含む有毒植物であるため、小動物避けとして田畑の畦やかつて土葬の多かった墓所に植えられた花でもあるという。「死人花」「幽霊花」「地獄花」などたくさんの異名を持っている。そのためか、詩歌の中に読まれる曼珠沙華は、辛さや悲しみの色合いを含むものが多いような気がする。
曼珠沙華咲けば悲願のごとく祈る 橋本多佳子
眼帯の内なる眼にも曼珠沙華 西東三鬼
陽のある一日、持参したお茶を飲みながら曼珠沙華の中を歩く。
膝を折って一輪だけ眺めると、葉を持たぬ真っ直ぐな茎の上に咲いた花の形そのものの不思議さに、改めて驚かされる。
つきぬけて天上の紺曼珠沙華 山口誓子
曼珠沙華は、秋の彼岸の頃、あっという間に花茎を伸ばし一斉に群れ咲く。山口誓子さんの一句は、その清々しい勢いと秋の陽に輝く花弁をくっきりとした色彩で描いて見事だと思う。心技体ひとつものとなった一本技のように切れがよく、心地よい。
