Hey Girl! | 脚本家/小説家・太田愛のブログ

フェスティバルトーキョーの公演『Hey Girl!』を観に行く。

上演されたのは「にしすがも創造舎」という廃校を利用した施設で、今回使われたスペースも体育館だったらしい。ところが、劇場内はがっちり設営され、大きな段差のある客席はとても観やすかった。ちなみに外観は下の写真のような感じ。暗くて非常にわかりにくいですが、うっすら明るいのが確かカフェだったような……。
脚本家・太田愛のブログ-にしすがも創造舎
さて、『Hey Girl!』はイタリアの演出家ロメオ・カステルッチが率いる劇団の公演で、今回のフェスティバルの注目作。なかなかの前評判だった。HPの紹介記事をすこし紹介してみる。

『08年アヴィニョン演劇祭でのダンテ神曲3部作など、次々に傑作を発表し世界を震撼させるイタリアの異才ロメオ・カステルッチ。一度見たら忘れられない強烈なイマージュと比類なき造形美によって、「生」の力強さや残忍さ、人間存在のゆらぎをも舞台空間に出現させる才能は、他の追随を許さない……(と、続く)』


特に、「一度見たら忘れられない強烈なイマージュと比類なき造形美」のあたりでぐっと盛り上がり、当夜はかなりの期待で「にしすがも創造舎」を目指していった。

オープニングはあざやかだった。闇の中、広い舞台の一角で蛍光灯が明滅を始めると、明かりの下に解剖台のような金属製の台が浮かぶ。台の上には肌色の溶解しかけた人体のごとき塊があり、それが徐々に溶けながら床へと垂れ落ちている。やがて肌色の塊の中からゆっくりと裸体の少女が生み落とされる。ひとつの肉体を脱ぎ捨てるようにして「少女」として生まれた彼女は、その手にあらかじめ「鏡」を持っている……。こんな始まりだ。途切れなくしたたる粘着質の肌色物質の質感は絶妙で、誕生のイメージは生々しいモノのリアリティとなって伝わってくる。ただ、「少女は鏡を持って誕生する存在だ」というコンセプトはやや図式的に感じられた。また、コンセプトがそのまま視覚化されているようにも思えた。オープニングだっただけに、不安をおぼえた。

観終わって、不安が的中したというのが率直な感想だった。ヴィジュアルな仕掛け、音響などさまざまな工夫が凝らされていたのだけれど……。提示されるイメージは明確だが、それだけに言葉にしがたい未分化なもの、イメージとしか言えないものを焼き付けられる体験ができなかったように思えた。もちろん、それは個人的な印象であるし、単に相性が悪かっただけなのかもしれない。残念。


ところで、ライター仲間のYさんが近々、『春琴』を観にいくとおっしゃっていた。『春琴』は谷崎潤一郎のテキストを土台にしたお芝居だ。ロンドンを拠点に活動しているサイモン・マクバーニーが演出、深津絵里さんらが出演する舞台で、今回のフェスティバルの参加作品でもある。マクバーニーの舞台は以前、『エレファント・バニッシュ』を観たのだが、今回は諸般の都合で断念。

というわけで、今度、Yさんに会って『春琴』の感想を聞くのを楽しみにしている。