2024年5月14日公式サイトにて『宝塚歌劇団の改革に向けた取組の進捗状況について』が発表されました。(日付修正のご指摘ありがとうございました)

 

 

こちらで随時情報更新されるそうです。

 

 

枠組をつくりました、と。

何もしないより遥かに進歩しました。

 

運用と継続が課題ですけどね。

とはいえ、外枠はもちろん大切です。

 

一人一人の思考は、さらに重要。

一人一人が自主的に考え、判断できるように主導すること。

それこそが、宝塚(音校、劇団)に必要だと考えます。

 

 

これはあくまでも例え話ですが。

110年前(1914/大正3年)こんな決まりがあったとします。

 

「洗濯は、井戸水を汲み、15寸の洗濯板を用いること」

 

このルールの目的は何でしょうか?

十中八九、「洗濯」です。

 

なぜ「井戸水」や「15寸」と指定しているのか?

 

「川の水は汚れている」「川べりは危険」といった背景があったのかもしれません。

 

「15寸」は当時の女性にとって…あるいは、この決まりを作った人にとって使い易いサイズだったのでしょうか。

 

もし「洗濯」が目的なら、現代なら水道水と洗濯機で対応できます。

 

井戸水や15寸の洗濯板にこだわらなくても良いのです。

 

それでもなお、井戸水や15寸の洗濯板を使い続ける。

教えを守り続ける。

それは何故でしょうか?

 

それは『目的』を明確にしていないから。

 

もしかしたら、井戸水でなければならぬ理由があるのかも?

15寸の洗濯板を使う意味があるのかも?

 

目的、理由、意味。

 

それらを明確にせず、「やり方」だけを伝えてきた。

 

目的や意義について、なんとなく想像できても明快に証明できない以上、勝手な変更は許されない。

 

「上級生を冒涜している」と見做されるだろう。

 

そう思われたら、音楽学校や劇団で「生きていけない」であろう。

 

だから適切な判断ができず、前例を守っていくしかない。

思考や判断を放棄し、ひたすら前任を踏襲する。

 

音楽学校や歌劇団に根づいてきた「独特なルール」には、そんな面があるのでは?

 

私の個人的な想像に過ぎませんが。

 

 

例えば、96期イジメ事件。

 

宝塚の黒歴史として有名ですが、おそらく同期の親切が発端だったと思います。

 

「昔からの暗黙知」≒「細かな音校ルール」に詳しい新入生が、疎い同期に教えたのだろう、と想像しています。

 

ただ、その内容は、あまりにも一般的な感覚からかけ離れていました。

 

また、最初は注意だった事が叱責となり、やがて攻撃となったのかと。

 

集団心理が働き、「正義」と「ルール」という大義名分を得て、どんどんエスカレートし、一般的な感覚では「イジメ」にしか見えない状況に。

 

そのため、事件として報道された際、世間から理解を得られず、大バッシングを受けたのかと。

 

入学早々、音楽学校の特殊な決まりを熟知するほど、宝塚に憧れ、受験対策を立て、真面目に努力を重ねてきた生徒だからこそ。

 

なんとも皮肉なことです…。

 

「代々受け継がれた決まりを守ろう」としただけ(だったのかもしれない)のに。

 

96期生達も、そう思っていた事と思います。

 

この時、音楽学校や歌劇団の指導者…大人達は教えるべきでした。

 

宝塚音楽学校で学ぶ「目的」を。

 

音楽学校の厳しい規律は「宝塚歌劇団の入団後、必要な事」だからでしょう。

 

ちょっとした気の緩みが、事故や怪我につながります。

また、舞台作品を創る上で、個を抑える必要が生じます。

 

緊張感をもち続けること。

指揮命令系統を明確化すること。

自我のコントロール。

 

様々な必要性を考慮して生み出された「独自のルール」だろうと思います。

 

ただ、時代は変わっていきます。

 

洗濯が目的なら、水道や洗濯機を活用しても良いのです。

 

井戸から水を汲み上げる事や、洗濯板で洗う事の意味や目的があれば、それを続ける意義もあるでしょう。

 

目的が明確なら、そこへ至る道(方法)は一つとは限りません。

新たな方法や、思いもよらぬ道が見つかるかも。

 

一人一人が考え、判断できる自由(裁量)があれば、とっさの事態にも臨機応変に対処できるかもしれません。

 

たとえば、新人公演の長の期が2名しかいないなら、「手伝おう」という発想が生まれたことでしょう。

 

「長の期の仕事は、長の期の生徒がすべきである」

「私達だって、そうして来た」

 

あるいは、

 

「長の期の仕事は、長の期にしか出来ない」

「手を出せない」

 

…という風に考えて来たのでしょうか。

 

良く言えば、真面目に…

率直に言えば、硬直化した…

…発想だと感じました。

 

 

ルールの枠組を作ることも大切です。

 

同時に、生徒達の「思考力」「判断力」の育成を重視して頂きたい。

 

彼女達は舞台上で日々、大なり小なりアクシデントに見舞われているはず。

それらを瞬時にフォローしたり、カバーし合っているはず。

 

本来は優秀で柔軟性に優れた人の集まり・タカラジェンヌ。

考える力も、判断する力も、十二分に備えています。

ただ、それを理不尽に抑圧されているだけで。

 

長年の抑圧が、思考力や判断力を奪う事もあるでしょう。

(これは語り出したら、極めて長く複雑になります)

とても悲しい事ですね…。

 

枝葉末節にこだわるより、根幹を捉えること。

 

シンプルに考え、判断すること。

 

それが重要だと感じています。

 

 

∇聡明さとは

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