Georgeのブログ -4ページ目

起伏人生を地でいくマークのこれから

ニューヨークのグラマシー、マンハッタンの中央の下右、便の良い所にありながら閑静な住宅地スポットだ。活動的なプロフェショナルが野心を抱いてアパートメントに住む。ミッドタウンのホテルしか縁のないNYCビジターは、まず踏み入れない。しかしニューヨーク大に近く、若い雰囲気もあり、グリニッジ・ビレッジのOff Broadway theaterにも歩いて行く。ただ此処に住む我々の友人達には、もうひとつ確かな理由があった。5番街23丁目の角、トイビジネスの殿堂、トイセンターに歩いていけたからである。


生粋のニューヨーカーのマークは常にここに住む。彼の起伏に富んだ人生コースの時期の如何に拘わらずに。School of Visual Arts でデザインを勉強中にトイ・インベンター・コンテストに応募し、才能を見出される。それからほぼ25年。今年はTokyoのおもちゃショウには行かないよとメールが来る。6月のニューヨークはライセンス・ショウでインベンターは忙しい。日玩協はどうしてしょっちゅう‘Tokyoのシーズン’を変えるんだろう。世界じゃ、HKは1月始め、ロンドンは1月末、ニュールンベルグは2月初めと、何十年も決まっているんだよ。“その地、その時”はギョウカイの風土記なんだ。


1994から1997年の全米のマジック・ブームは凄かった。「Magic Works」でハスブロは歴史的な当時の風潮を造った。それが日本の元祖に戻り、2008年の今でも日本ではマジックコーナー定番で、店頭に並ぶ影響力を残す。それを全部仕掛けたのがマークだ。インベンターの醍醐味はこういう時。莫大なロイヤリテイで立派なオフイスを作り、美人秘書を雇う。それも同じく、グラマシー。


その功績で数年後、ロンドンで「IDIOT」賞を貰う。インベンターになったら誰しも貰いたいとおもうのが、このロンドン見本市の初日のデナーでの受賞だ。Idiot、すなわち、「お馬鹿さん」とその年のInventor of the Year を名づけたのは、いかにも皮肉好きなイギリス人。私もここだけは1年のカレンダーで出席を欠かさない。ギョウカイのIntelligenceというものがあるとすれば、この晩に集まった連中の脳みその集計だろう。


しかし、同時に、誰もが、いつでもIdiotになれるわけでないのは当りまえ。そこにインベンターの起伏人生がある。その後のマークも一塁打は打つがホームランが出ない。その冷酷な運命につれて、彼のアパートメントもサイズが変わっていく。彼に言わせると金は“Gone with the Wind” だったそうだ。しかし相変わらずグラマシー。


産業にもいろいろな職務がある。労働者、管理職、経営者、資本家、コンサルタント、そしてインベンターだ。しかし、産業の‘貴族’といえばインベンターだと私は思う。マークも味わったそのひとり。だから、今はどんな環境になろうとも、インベンターはインベンターで一生を通す。思い込みの人生だね。これから現役、あと20年。またホームランを出すだろうか? 地球の裏側で声援を送っている。

サムライ・コスプレが共感誘うタックの海外人脈

世界のギョウカイには一年間に色々な規模・種類の見本市が世界各地にあり、ギョウカイ人はそれをきっかけにそれぞれの場所に集まる。出不精な日本人は産業規模にしては、一番海外に出掛けない方だろう。それでも私が一番そこ此処でばったり会うのが、このパイロットインキのタックだ。それだけ日本の外への開拓魂が旺盛な彼である。


彼のルーツを夕食の席で一度じっくり聴いたことがある。博多の中洲のど真ん中の商家が生家だそうだ。昔から朝鮮、琉球、南蛮を相手に栄えた博多商人は関西の近江商品と並んで日本の代表的な商人と云われる。どうも彼にはそのDNAが脈々と残っているらしい。日本的商材を、グローバルでも理想的なネット・デストリビューションに纏め上げたこの20年は彼のこのDNAがあったからだろう。


今年のビッグ・サイトおもちゃショウの6月19日初日の夕べ、彼が東京會舘に集めた友人、特に、海外の友人が入り口で驚いたのは、ちょんまげ、羽織袴姿で迎えたタックのサムライ勇姿だった。


実をいうとこれが彼の最初のサムライ・コスプレではない。2年前、全米での協会による優秀商品の表彰式に、彼は晴れのアメリカの舞台にこれで挨拶してやんやの喝采を受けた。昔から、「和魂洋才」というが、彼はそのつもりなんだろう。500人以上の正装した全米ギョウカイ経営者夫妻の前では、それで張り合おうと腹を据えたに違いない。


本来、万年筆のインキの会社が、幼児おえかき玩具と、日本でトップの抱き人形の事業を構築したなんていうのはどだい愉快な話しなのだ。それを又海外に販売ネットを作ったなんていうのはだれしも認める彼の商魂。ユニバーサル・グッズの玩具のギョウカイだから出来たともいえるがインキの仕事では全く無い。


しかし、常に人間ルーツを大事に行動する彼の気位感覚はこういう所にも出る。今は名古屋に住むそんな彼がおもしろい風情を生まれ故郷博多でもパフォーマンスする。昨年秋、九州で問屋による見本市の慰労パーテイがあった。指名されて挨拶に立ったタックは将に‘完璧な博多生まれの方言’、見事な抑揚で、秀逸な挨拶と土着の民謡を披露した。憎い奴。


ただ、専務というお役目のタックでも、会社という浮世の定めには逆らえない。もうすこしで直接の執行役という舞台からは去るだろう。しかしギョウカイも、こういうキャラクターが産業に彩りを添える。そして「世界の共通語」としてのトイ・ビジネスで、日本と世界に橋を架ける。若者よ、ますますタックの後に続けだね。

インデイ・ジョーンズの試写会で、神頼み。

小プロ(小学館プロダクション)が我々商品ライセンシー向けに今日、「6月11日」封切りに先立って、試写会をサービスしてくれた。インデイ・ジョーンズ4作目もさすがスピルバーグの世界で、面白かったが、小プロさんがトップをはじめ全員で終日接待に対応してくれているのが、印象的だった。ルーカス・フィルムの商材ライセンス権利を売るということにただ座っているだけでなく、なんとか日本で作品を盛り上げようという情熱が感じられて頼もしい。


とかく、ライセンス・ビジネスでは、座って指図をしているだけという感じのライセンサーが多いではないか。ひとつひとつの製品詳細の承認にまで、戦々恐々として彼等の鼻息をうかがう。どのキャラクター商品にも、裏に多くの開発者の辛抱のつらさと努力の汗がある。一体どうしてこんなにライセンサーはえらくなってしまったのだろう?それは消費者がまず悪い。キャラクターの物しか買わないからだ、ひいては我々自分達が悪いということか?


さて、映画の内容だが、さすがに第一作、「レイダーズ/失われたアーク」に見比べてみると、フォードも年だ。映画で「じいさん、こっちだよ。」なんていわれていた。だがしかし、さすがにスピルバーグ作品、その派手な冒険場面は見ている我々の息をつかせぬ展開の連続だ。このインデイ・ジョーンズ映画の出現のあと、同類型のものも随分出たようだが、今でもアドベンチャー物ではインデイ・ジョーンズがトップだという。一ヶ月早く封切りされた欧米では記録を塗り替えている。


アメリカでのマーケティングでは、大型映画というメディアはその年のファッション情報をリードするようだが、日本では、当たり外れが多いといわれる。インデイ・ジョーンズはさてどう展開するだろうか。名場面集トランプを売る我々は、人ごとのようなのんきなことをいっていられない。今夏の最高話題作として、この21日から封切られるが、そこから秋に予定されているDVDの発売までがピークだろう。我々に力強いのは、デズニーランドのデズニーシーではこのインデイ・ジョーンズが3大アトラクションのひとつだ。この夏はファミリーが押し寄せて、盛り上がるのは間違いない。我々のトランプもアトラクションの現場に並ぶことになっている。


いつの時代でも、キャラクター・ライセンス商売は盛り上がって売上げがあがるのだが、さて、見込みの生産数量に悩まされる、人気が急に落ちた後、ありあまる在庫が会社をおかしくするという事例は、この業界にはごまんとある。某社の初代「たまごっち」が好例だ。神様、どうか、インデイの人気が今年いっぱい続くように!! 日頃無心論者でも、こういうときばかりは神頼みの信者になっている。