背広だけが似合うだけじゃないノッポの今のダン
皆が知っているように、富士山を登るには、吉田口ばかりではない。頂上を目指して、そこに立った醍醐味を味わい、有意義な人生を築く。それはエンターテインメントの世界での登山でもそうだ。トイザラスを興したチャールス、ハスブロのシンボル、アラン達はその王道口からのアルピニストと我々は承知している。しかし、国の多くの人達にゲームという喜びの世界を教え、いわば布教の善を施し続けている‘上人’のような人物で頂点を極めた人物もいる。
その‘上人’という尊称の活動の域をはるか超え、セレブとも言える立場にあるのがスウェーデンのダン。永く知っていた人物がこういう風に、彼なりに頂点を極めて来たことを見るのは本当にうれしい。ダンはいまやAftonbladet, スウェーデンのトップ・イブニング紙にレギュラーのコラムを毎日書く有名人である。彼の書いた「Swedish Handbook of Poker」はミリオンセラーとなって、プレイヤーにとってはバイブルだ。国中のポーカープレイヤー、ゲームプレイヤーが彼の‘時代の指図’に従う。
彼は多くのスウェーデン人のようにおそろしいノッポだ。2メートル近いのかな。ただ、きゃしゃな体格だから、25年前ごろ最初会った頃は多分、体に合うつるしの背広が無かったんだろう。いつもつんつるてんの腕がはみ出した背広だなあという記憶の青年だった。オセロのたしか、ロンドン大会だったと思うが、Algaというスウェーデンのゲーム会社の販促責任者として来ていた。それ以降、いつも学級肌の感覚の彼とはニュールンベルグのつきあいの1人だ。しかし、私の記憶の中では10年ごろ前までは、いつも「つんつるてんの背広のダン」だった。ゲームの世界でも、本を書いたり、ゲームを創作したり、普及活動に従事することは、いわば聖職のイメージでそんな背広で一生終わるじゃないかと思えた。
ところがどっこい、今年、昨年の彼にニュールンベルグで声をかけられた時のうれしいオドロキはどうだ。それこそバリッと身についたファッショナブルな背広、堂々とした風采。あれが腕を袖から出していたダンかと目を擦る。企業という登山口でなく、ゲームのいわば「布教」活動とも言うべき登山口からで、上述のような頂上を成すとは、彼の一途の情熱が実ってすばらしい。
ゲーム好きの少年がゲーム会社に入って、ゲームにとりつかれ、企業の道はあきらめたけれど、ゲームへの情熱は変らず、オセロが流行ればいち早くマスターし、ルービックの普及に貢献し、そして過去10年のポーカー・ブームでは、その遊びのファッション・リーダーとして、普及の先頭を切る。ゲームの種類は違うが、全部、「ゲーム」への情熱であって、それが今日の立派な背広のダンを創った。
久し振りに次回のヨーロッパではストックホルムでストップオーバーの一泊で、ゆっくりダンと仲間のフレデリックやトーマスの4人でゲームの話を楽しんで来るかな。勿論ポーカープレイは‘やらない’。段違いの彼には勝てっこないから。
ナイアガラの滝と虹と花火に祝福された選手達
ナイアガラのホテルから深夜電話が入る。もっとも日本では日曜の昼、「新婚さん、いらっしゃい」の時間だが。8月1日の終日掛かったウィザード・カードゲームの世界選手権大会が無事終了したとの報告である。昨年度六本木ヒルズ会場で、日本選手権大会を見事勝ち抜いた楊万里くんを連れて、当社の部長が日本代表で参加した。
ナイアガラの夕刻から夜のとばりへの景観は息を飲むほど素晴らしい。まんまえの、その名も、シェラトン・フォールス ビユー・ホテル。ナイアガラにかかる虹が空から覆いかぶさり、花火が頭から降ってくるよう。前夜祭はそのオープン・バルコニーで選手達が親善パーテイだ。今年も晴れの天気で良かった。
5年前から始まったこのカードゲームの世界チャンピオンシップ・トーナメントも今年で5回を数える。発明者であり、大会の主催者であるケン・フィシャーは電話口で、“Great!”と感激。ボード・カードゲームの世界で自分のインベンションで世界大会を開ける幸せ者は何人いるだろうか。スクラブル、モノポリーを頂点とするゲームの祭典に見るように、ゲームは多くの人に世界規模で、楽しみを提供し、ゲームクリエーターに夢を与え、それぞれの規模で産業を創出する。
当日の結果は最後の6人ファイリストのなかにドイツからの選手2人が入った熱戦で、優勝はカナダ人だった。表彰式が9時からだったという。それにしてもドイツからの4人選抜選手のうち2人が最後まで残ったのはえらい。驚くなかれ、この4人は、アミーゴ社が主催したドイツ・オーストリア選手権に正式参加登録した8,000人から勝ち抜いて来た4人なのだ。すご~い、8,000人だよ!ウィザードが深くドイツ語圏に根付いた広範な人気が覗える。
ドイツだけでなく、ヨーロッパ圏で代表的なカード、ボードゲームメーカーのアミーゴ社。表彰式後、その役員、来年は世界選手権を是非海を渡って、ドイツで開催願いたいと申し出たそうだ。もしそうなればフランクフルト大会になる。これは素晴らしいアイデア。ドイツということになれば、間違いなく、北のスカンジナビア諸国、南欧諸国、ましてや隣のフランス、ベネクックスも参加するだろう。
さてと、日本のチャンプ、楊くんはどこへ行っちゃった?居た、居た!彼はファイナルのひとつ前の純決勝テーブルでほぼ1位だったのを惜しくも終盤でカード運がなく惜敗。しかしまあそこまで良く頑張った。成田に迎えに行ってあげよう。
日本ではいよいよ9月から全国7ヶ所で2008年の地区大会が始まる。その頂点が、やはり同じ「六本木ヒルズ49階ホール」、「文化の日」で予定されている。そのチャンプはまた、来年世界大会へ当社から派遣される。さて今度はナイアガラかな、フランクフルトかな?しかし、いつの日か、‘東京で’、と申し出たいものだ。
日本でも大成功に終わったスター ウォーズ セレブレーション
昨年、アメリカとイギリスで、ルーカス・フィルムが映画の30周年を記念して企画したセレブレーションという名のフェアー。日本では映画の封切が一年遅れたので、今年が日本の30周年に当る。同じスケールで今回は日本で開催された幕張メッセフェアー。夏休み明けの7月19日、20日、21日の三日間で行われた。それにしても‘3匹目のどじょう’がいるかいないか 主催者だけでなく、我々業者も幕を開けるまで、ひやひやの心境であった。
このタイプのショウで入場料が1日券、4,000円、プレミア券が7,000円。安いか、高いかは全くもって入場者ご本人の判断による。だが、結構良い値段には違いない。会場に入るだけでだよ。だが当日会場に入って最初の驚きは公式スター ウォーズ グッズ販売売場の長蛇の列。3時間は最低並んでいたようだ。万札を片手に掴んでだ。
まずは‘物販セレブレーション’ということの実感である。
ファンというものは色々なものを買う。色々なものに囲まれていたいんだね。机にはミニアチュアー、壁にはスターのパネル、使うノートはジュダイの写真カバー付き、風呂にはいれば30周年記念タオル。全員、そんな買い方だった。勿論、当社のトランプも数人にひとり指名買いをしてくれていてホッとした。
人気商品はといえば、やはりそれぞれの“セレブレーション限定版”だろう。特殊彫刻文字盤の高価な腕時計。業者が心配して用意した300個があっという間の2時間で売れ切れ。ここでも高い安いは関係ないとの証明だ。一方比較的安い、記念プリントタオルはほぼ並んだファン、ほぼ全員が買っていたのは、値ごろ感と使い勝手が良いからだろう。
会場での楽しみはタレント達のインタービュー講演会と、来日していたタレント達のサイン会だった。ファンはやはり中身の濃い実話とか、裏話がたまらないらしく何百人の会場も入場制限の有様。此処でしか聞けない話をこの雰囲気に包まれた場所で聞く体験は値打ちのある時間のようである。
会場中には映画でのスターに扮装したキャラクター人物がそこら中に歩いていて、ポーズしている。このモデルとの記念写真がまたこの会場ならではの値打ちである。精巧なコスチュームを纏ったこれらのモデルは、やはり動くフィギュアの本物を思わせて、なかなか圧巻だった。三日間通しの一万円券、プレミアの2万円券で通ったファンも大勢いたろう。どっぷり浸りたいというファンにとっては十分満足したフェアーのようだ。
最初の映画が封切られて30年、よくもこれだけのファンをそんなに永く掴んでいると驚嘆する。エンターテインメントの名作はそれぞれの世界を構築してトータルとして、その文化を残し、産業を生んでいく。スピルバーグとルーカスの偉さを改めて実感した3日間だった。