Georgeのブログ -6ページ目

不可思議な物体、モノポリー

この世の中には、不思議な力を持っていて、周りに影響を与えたり、新しい現象を作っていったり、皆を躍らせたりするものがある。どうも、モノポリーがそう思えて仕方ない。まず逆境(アメリカ1920年代の大不況時)から生まれて以降、今迄このように根を張って栄えているのは、よほどの生命力だ。それが永い生命のうちに、人を破滅させ、人に買収を仕掛けさせ、なおかつ絶大に世界を楽しませている。ついでに言えば、人に大儲けもさせている。他方、日本ではなにかゲーム狂のルーツの霊魂のような感じだ。


現代日本でモノポリー商況の作戦を考えている人が遊びに来た。人生ゲームに較べるとどうして日本の土壌ではこうも伸びないのだろうと嘆く。そりゃそうだ、最初に紹介されたのは40年以上も前なのに、相変わらずメーカーの年間販売数の低さは相当なものだからだ。


いっとき、20年ほど前、日本選手権を開催し、初めて優勝者のヒャクタを連れてロンドンの世界選手権大会に、世界のボードゲームの山奥(?)と思われていた日本から、おっかなびっくり出場参加した。あれよあれよという間に、世界もびっくり、優勝してしまった。その前後にブームが起きて、ほぼ現在の2008年の4倍ぐらいは売れたかな?当時、新鮮味のあったイメージ・クリエーターのイトイも巻き込んだのも良かった。さすが英国、ヒャクタと2人で乗せて貰ったリッツ・ホテルへの豪華馬車パレードとTV報道はボードゲームの先進国だからこその盛り上げ方だった。


しかし、海の向こうでは、このモノポリーの為に、先祖伝来のモノポリーという田畑(モノポリーの元祖、 パーカーブラザーズ)を失ったり、イギリスの伝統の政治家一家(ワデントン)の事業基盤だったのはいまや昔話。今の大手メーカーも、ひいては、世界のオール小売店もモノポリーで儲けている人はいないんじゃないだろうか? アメリカなんか、「コスト・プラス」(原価にいくらかの経費乗せただけ)のコンセプトで売られてしまう。それに対抗して、自分も棚に置かざるを得ない商品が儲かるわけがない。それでも世界で膨大な数が出るモノポリーは全世界のゲームの棚の王座を占める。そうかと思うと、それでベンチャーを仕掛ける奴も出て投機の対象にもなる。例のトムだ。世界の「シティ・バージョン」で儲ける。


業者にはミゼラブルな影を残すモノポリーだが、日本中にいまやいつのまにか増えたマニアックなゲームサークルにどんなに、ボードウォークとかモノポリーと名が付いている所が多い事か。 それを見ると、満更この土地でもモノポリーは役に立たなかったわけではない。むしろ、日本のボードゲームファンの根っこをしっかり支えたのではないか。


ゲームソフトの本家、日本では、ボードゲーム・ゲーム文化は、世界から較べて、見る影も無い。しかし、今日も夢中にやる人がいる。自分が好きでやっていればいいんじゃない、という世界。しかし、この分野を日本で作ったのは、モノポリーではないかとひそかに思う。そういえば、先日20年ぶりに会ったJAGA創設者のノモトも典型的にその最たるタイプだった。懐かしい。


この、凝った‘奇特な’人達の文化はこれからも、この土地ではなくならないだろうな。しかし、うっかり自分も入ってみると、自分が‘奇特’だとはいう覚えはしない。ふしぎだね。




ゴリラの構えで波乱を乗り切るアド

今日の渋谷の店頭でも、ミニ・ジグソーが花盛りで棚を占めている。このフォーマットのジグソーを良く見るようになって数年になる。遊びの手段としての一形態、ジグソーが色々な形で、違う喜びを提供してきた変遷は面白い。いかにも小さい細工物が得意な日本文化の産物らしい。一フォーマットとして安定してくると、カテゴリーとして居残りそうだ。努力に敬意を表したい。


ところで、このミニ・ジグソーにビニールで20年前に挑戦して、その年のニュールンベルグのトップ話題のひとつにしたことがある。その時にマーケティングを意思決定した男がいつもゴリラのようになにか掴もうとする姿で歩くアドだ。決定したは良いが、製品が出来なかったら大変と日本へ飛んでくる。ヨーロッパNo.1の自分の工場と較べ、荒川のど下町零細工場群にはびっくり。


面白かったのは、ゴリラだから動いた後は食欲も凄い。巡回帰りにステーキ屋で慰労する。夢中で話しているうちに、レストランの方はデザートを用意している。が、アドはと見るとまだフォークとナイフを握ったまま。そうか!彼はさっきの肉をてっきり‘オードブル’と思ってたんだ。


ゴリラは森をさ迷い歩く。ヨーロッパ有数の会社の役員だったが、喧嘩して、ひとりぼっちのコンサルの人生を10年経験する。そのクライアント一社が、伸びて伸びて、いまやM&Aを盛んに仕掛ける。その挙句、アドの古巣の大手も買収する。アドはいまや凱旋将軍だ。ゴリラは肩で風を切って、かっての上役を後ろに従えて会場をのし歩く。


彼には、一宿一飯の義理がある。息子がオランダの自宅に泊めて貰い世話になった恩がある。それでフリーの時代、おまえの発明品は一生懸命日本で売りこむぞと励ました。結果的には役に立ってやれなかったね。でも、その友情は利くんだなあ。今年のゴリラはニュールンベルグの私を敬礼で迎えてくれた。しかし、波乱を乗り越え、ゴリラが掴んだ今の人生の運を噛みしめて、彼の方が気持ち良かったに違いない。

遊びと文化に酔うクマモト “街中”

石川さゆり、八代亜紀、水前寺清子、と来て、男側がコロッケ、くりぃーむしちゅうだったら、男と女のどちらが強い? 答えは誰しも同じだろう。そう云われて見るとカウンターの向こう側の可愛い顔をしたお嬢さんも、いざとなったら夫を尻に敷くように見えてきた“街中”の夜更け。


東京は銀座をはじめ、新宿、渋谷、等々。大阪はキタ と ミナミ。ここクマモトはいわゆる“街中”一箇所らしい。そのか弱い男共が溢れて深夜まで粋がって飲んでいる。この“街中”は日本中でも最高に遅くまでやっているらしい。そのあげく、酔った帰りに、深夜、本屋に寄って帰ることができる‘街’だというのには驚く。東京で言えば歌舞伎町で飲んで深夜帰りに紀伊国屋書店に寄って本を買って帰る?なんて考えられない。


それが駕町通りのTSUTAYAだ。いわば土地一番の書店およびビデオ屋さんである。TSUTAYAの社長はHPで、こんなことを言う・ 「私達は文化を色々な形のメディアで売って、ひとりひとりが感動を得る為のお手伝いをします。書籍、CD, DVD,等今まで親しまれている様式のものだけでなく、次の文化の形も探してお伝えしていきます。」 知っているだろうか。この場所は往時は日本全国でも有数なスーパー・チェーンストア 「寿屋」の、しかも本店があったところ。我々がよく取引業者として通わされたものだ。だから街中のど真ん中にも拘わらず、大きくて広く、いまや生活用品売場から転じて文化の伝道のメッカとして見事に生まれ変わった。いわば総合文化センターの観があって、オール・エイジを惹きつける。


街のかの著名情報誌、(「日経ビジネス」より立派に見えるのがフシギ、) その記者のオサムさんは言う。「或る調査で“下通り”〔最繁盛アーケード〕より“駕町通り”の方に人の流れが変わってきているという結果が出ています。」 生活スーパーがリタイアーし、文化と遊びを売る書店・ビデオ・レンタル・ゲーム・遊び雑貨総合店のTSUTAYAが“街中”の風景を変えてきたんだ。衣食住の次の「遊」が経済、風土を変えてきているモデルがここにある。


今度は、店内奥で売るだけでなく、“街中”のカリスマ達、有名な美容師、パテシェ、デザイナー3人を集めて、「ウィザード・カードゲーム」のモデル大会をTSUTAYAさんと我々の相談で、店頭で華々しくというプラン。女の子達のギャラリーが賑々しく囲むことだろう。まだ女の子迄にはゲームが広がっていないんだよなあ。そこでおごそかに宣教師として、ゲームのカリスマの出番となる。わが土地の至宝、シンスケさんだ。優男でハンサムだが、はにかみ屋さんがクマモト女のパワーに負けないと良いが、今から心配だ。