WiiWare/BIT.TRIP CORE リズム星人の逆襲/アークシステムワークス
妻が誕生日に義弟からプレゼントにもらったソフト。
昔懐かしの8bit風画面でのリズムアクション。
操作は極簡単。リモコン横持ちで、十字キーの4方向で上下左右にショット軌道をセットし、画面を飛び回るビットが軌道に入ったら2ボタンでショット。1ボタンはステージに1回だけ使えるボム。これだけ。
もちろんリズムアクションと銘打ってあるだけあって、バックで激しく流れているリズムに合わせてショットするとちょうどピッタリビットをショットできるようになっていて、複雑なビットの列をリズムに乗って上手く消し終えた時などはかなりの爽快感がある。
逆に言うと、どのタイミングでどの方向にショットするかのリズムパターンを掴むまではかなり難しい。80年代ぽく死んで覚えるゲームである。
ノーミスでプレイを続けているとモードが上がり、音楽が豪華になってくるのが楽しい。また同時にスコアも幾何級数的に増えてくるのでスコアアタックにはノーミスが必須。
昨日ようやく何とかステージ1をクリアしたが、本当に難しかった。ボスなどよく倒せた物だと思う。スコアも400万点を超え、ようやくプリセットのハイスコアを超えた。
ステージ2はまたガラッと曲調が変わって良い感じ。さて、ステージ3を拝める日は来るのだろうか。
とても面白いゲームだけに、見た目非常に地味で内容も分かりにくいのは損していると思う。ただ、そこはこのゲームの持ち味というかスピリットなんだろうと思うので譲れないだろうとは思うが。
昔懐かしの8bit風画面でのリズムアクション。
操作は極簡単。リモコン横持ちで、十字キーの4方向で上下左右にショット軌道をセットし、画面を飛び回るビットが軌道に入ったら2ボタンでショット。1ボタンはステージに1回だけ使えるボム。これだけ。
もちろんリズムアクションと銘打ってあるだけあって、バックで激しく流れているリズムに合わせてショットするとちょうどピッタリビットをショットできるようになっていて、複雑なビットの列をリズムに乗って上手く消し終えた時などはかなりの爽快感がある。
逆に言うと、どのタイミングでどの方向にショットするかのリズムパターンを掴むまではかなり難しい。80年代ぽく死んで覚えるゲームである。
ノーミスでプレイを続けているとモードが上がり、音楽が豪華になってくるのが楽しい。また同時にスコアも幾何級数的に増えてくるのでスコアアタックにはノーミスが必須。
昨日ようやく何とかステージ1をクリアしたが、本当に難しかった。ボスなどよく倒せた物だと思う。スコアも400万点を超え、ようやくプリセットのハイスコアを超えた。
ステージ2はまたガラッと曲調が変わって良い感じ。さて、ステージ3を拝める日は来るのだろうか。
とても面白いゲームだけに、見た目非常に地味で内容も分かりにくいのは損していると思う。ただ、そこはこのゲームの持ち味というかスピリットなんだろうと思うので譲れないだろうとは思うが。
Microsoft XNA 3Dゲーム制作入門/大西武
ゲームの制作環境を整えるまで、といった感じの本。ざっと読んで感じを掴むのには良いかも知れないが、一読で十分。
ボーンやアニメーションの辺りはちょっと参考になった。
大西武
Microsoft XNA 3Dゲーム制作入門
ボーンやアニメーションの辺りはちょっと参考になった。
コンピュータゲームの物理/山北篤
物理とはいうもののニュートン力学止まりである。
ゲームでニュートン力学を演算しようとする人に役立つよう、考え方を説き、コーディング例を書いている。
フレームで計る単位系や端折れる演算・ゲームという制約上での簡略化などいくつか為になる話があった。
物理の数式自体は理工系大学で力学を学ん だ人には特に目新しいものではない。
山北篤
コンピュータゲームの物理
ゲームでニュートン力学を演算しようとする人に役立つよう、考え方を説き、コーディング例を書いている。
フレームで計る単位系や端折れる演算・ゲームという制約上での簡略化などいくつか為になる話があった。
物理の数式自体は理工系大学で力学を学ん だ人には特に目新しいものではない。
DSiWare/ちょっと数陣タイセン/任天堂
パッケージ版で出た対戦パズル、数陣タイセンをウェアにしたもの。パッケージ版とのwifi対戦はできないようだ。
DSでwifiの複数人対戦できるソフトと言う事でDL。好きな人には良好と評判が良かったのも決め手。
基本的には、正方形の升目でできたマップに、1~5までの数字が書かれた札を各プレイヤー交代で置いて行き、札のつながり具合で得られるポイントを貯めて、マップ規定の得点を早く稼いだプレイヤーの勝利となるゲーム。
札には数字の他に、1~4本の枝が出ており、隣接する札とこの枝がつながる事により接続と見なされる。
またプレイヤーの札は各色分かれており同じ色でないと接続と見なされないが、どの色にも接続する虹札という種類の札もあるのでこれを活用しなければならない。
プレイヤーは各5枚の手札をもち、初期札および毎ターンの引き札は数字と枝配置はランダムとなる。
得点が入るパターンには、1~5を順番に接続したパターン(234など。1と5はつながらない)・同じ数字を繋げたパターンの数字によるパターンと、接続が巡回しているパターン・接続から余った足がないパターンの配置によるパターンがある。
これだけみると純粋対局パズルに思えて難しそうな印象を受けるかも知れない。しかし、実際はそうではない。
と言うのも、アイテムというものがあり、例えば札を回転させたり枝を生やしたり削ったり、数字を書き換えたり、マップ配置をいじったりと言う事が可能なのだ。アイテムはマップ開始時に手持ちから持ち込む他に、マップにあるアイテム升に札を配置する事でも入手できる。
またマップ自体にも地形変化やアイテム升の発生などギミックに富んでおり、計算し尽くして配置しても敵のアイテムにやられたり、まさかのランダムイベント升の効果で逆転されたりとかなりカオスな様相を呈するゲームである。
もちろん慣れて戦術を駆使できるようになれば勝率は上がるが、将棋のように強者が100%勝つと言う事はない。アイテムを使用したりして初心者でも逆転は可能なので、いろんなレベルの人が対戦可能。さらに複数人対戦なら強者同士の妨害戦から漁夫の利を得る事も面白いだろう。
はっきり言って見た目がものすごく地味で、パッケージもワゴン常連である事からさっぱり売れてないだろうが、中身は結構面白いソフトである。プレイ人口は少ないので一般のwifi対戦は諦めた方が良いが、身近に対戦可能な人がいれば一緒に購入して損はない。
DSでwifiの複数人対戦できるソフトと言う事でDL。好きな人には良好と評判が良かったのも決め手。
基本的には、正方形の升目でできたマップに、1~5までの数字が書かれた札を各プレイヤー交代で置いて行き、札のつながり具合で得られるポイントを貯めて、マップ規定の得点を早く稼いだプレイヤーの勝利となるゲーム。
札には数字の他に、1~4本の枝が出ており、隣接する札とこの枝がつながる事により接続と見なされる。
またプレイヤーの札は各色分かれており同じ色でないと接続と見なされないが、どの色にも接続する虹札という種類の札もあるのでこれを活用しなければならない。
プレイヤーは各5枚の手札をもち、初期札および毎ターンの引き札は数字と枝配置はランダムとなる。
得点が入るパターンには、1~5を順番に接続したパターン(234など。1と5はつながらない)・同じ数字を繋げたパターンの数字によるパターンと、接続が巡回しているパターン・接続から余った足がないパターンの配置によるパターンがある。
これだけみると純粋対局パズルに思えて難しそうな印象を受けるかも知れない。しかし、実際はそうではない。
と言うのも、アイテムというものがあり、例えば札を回転させたり枝を生やしたり削ったり、数字を書き換えたり、マップ配置をいじったりと言う事が可能なのだ。アイテムはマップ開始時に手持ちから持ち込む他に、マップにあるアイテム升に札を配置する事でも入手できる。
またマップ自体にも地形変化やアイテム升の発生などギミックに富んでおり、計算し尽くして配置しても敵のアイテムにやられたり、まさかのランダムイベント升の効果で逆転されたりとかなりカオスな様相を呈するゲームである。
もちろん慣れて戦術を駆使できるようになれば勝率は上がるが、将棋のように強者が100%勝つと言う事はない。アイテムを使用したりして初心者でも逆転は可能なので、いろんなレベルの人が対戦可能。さらに複数人対戦なら強者同士の妨害戦から漁夫の利を得る事も面白いだろう。
はっきり言って見た目がものすごく地味で、パッケージもワゴン常連である事からさっぱり売れてないだろうが、中身は結構面白いソフトである。プレイ人口は少ないので一般のwifi対戦は諦めた方が良いが、身近に対戦可能な人がいれば一緒に購入して損はない。
「Subversion」解説書 -バージョン管理システム/Subversion 開発プロジェクト
Subversionについて、ちょっとだけ突っ込んだ事が知りたくなったときなど、読み物としても割合面白い本。
コマンド操作中心の解説だが、詳細しっかり説いてあるので親切である。
巻末のリファレンスも役立つ。
また、ユーザとしてSubversionを使うだけなら巻の中程は読む必要なしなので、厚さは気にしなくて良い。
Subversion 開発プロジェクト
「Subversion」解説書 -バージョン管理システム
コマンド操作中心の解説だが、詳細しっかり説いてあるので親切である。
巻末のリファレンスも役立つ。
また、ユーザとしてSubversionを使うだけなら巻の中程は読む必要なしなので、厚さは気にしなくて良い。
Xbox360/ミラーズエッジ/EA
折角360を手に入れたのだから、半年近く放置していてはもったいない、何かゲームをやろうと思い、記念すべき1本目となったのがこれ。
選択の理由は、以前ファミ通の記事で見かけて気になっていたのと、ゲーム屋で千円ちょっととかなり安く売っていたため。トイザらスでも今新品が1999円で買える。
さて待望の次世代HD機での本格ゲームデビューである。我が家のテレビは10年前のブラウン管だが、1080iがいけるためプレイに支障はない。ただ、それでも小さすぎる文字はカクカクしたフォントの影響もあり読みにくかった。ノーマルTVでは完全に読めないだろうと思う。
このゲームのグラフィックスレベルが他の360ゲームと比べてどの程度のものかは分からないが、高詳細な画面は、やはり見惚れる所がある。おお、と感動する。しかし、案外すぐ慣れてしまうし、ゲームが始まってしまえばあまり意識せずプレイ感には関係ないな、とも実感した。このゲームの無機質的な画面デザインがよけいにそう感じさせるのかも知れない。
360の実績システムは面白いと思った。Wiiのスマブラで言うところのクリアゲッターのようなゲーム内で達成されるべき目標がゲーム開発者によって多数設定され、ゲームプログラムではなく、ハードのシステム上でそれら実績の達成状況が管理されているのだ。たとえば、20人の敵を倒すという実績があるとすると、ゲーム中にその条件を満たした瞬間、実績が解除されました、とシステムメッセージが画面下部に表示されるのだ。これらの実績はゲーム中はもちろん、ディスクを抜いてダッシュボードでも確認できる。つまりゲーマータグにひも付けされてサーバーで管理されている情報という事である。あらゆるゲームにこういう取り組むべき実績があるのである。やり込み派のゲーマーにとっては天国であり地獄であろう。ところで実績の解除という言葉は何か違和感があり変である。実績ロックの解除なら分かるが。
ところでこのゲーム、最初は一人称視点のトゥームレイダーと考えていたのだが、プレイしてみてその考えは半分当たっており半分間違っていた。三次元的なマップからルートを考え、一発死と背中合わせにアクションテクニックで走破するという点では非常に似ているが、トゥームレイダーが熟慮慎重派なのに対し、このゲームはアクションスピード派である。とにかくスピードに乗って駆け抜けろ、とまさに主人公達の存在ランナーを体験させる作りになっている。
また、バトルについてはトゥームレイダーが攻めでありスパイスなのに対し、ミラーズでは守りでありプレッシャーである。重火器を持った大部隊に囲まれ十字砲火を受けながら必至で逃走ルートを探すようなシチュエーションではかなり心が折れそうになる。何十回と銃弾に倒れてリトライしながら、追われるのって辛いな、と弱音を吐いてしまう。アクションミスによる高所からの落下で何度もリトライするのはそんなに嫌ではないので、この気持ちは銃撃に対する嫌悪感かも知れない。ミラーズが現在のようなドラマティックなストーリーではなくて、ランナーの日常であるバッグの運搬ミッション中心のゲームだったらもっと面白かっただろうなと考えてしまう。
ビルの屋上を飛び回り、一つ間違えば足を踏み外して落下死するこのゲーム。しかし、落下する恐怖はほとんどと言っていいほど感じなかったのが非常に驚きであった。これはなぜだろうか?
以前のエントリでも書いたが、ゼルダやトゥームレイダーなど、足を踏み外して落ちるときに、下腹部が「ひやっ」とするゲームはいくつかある。しかしこのゲームではそういう生理的な反応はほぼ無かった。一般的にはHDのリアルな画像は没入感を増すと思われているし、一人称視点もゲーム主人公との一体感を増すと思われている。この2つの要素が組み合わさったミラーズでは落下の恐怖を感じず、64のゼルダや初代PSのトゥームレイダーで生理的恐怖を感じるのは意外な感じである。
まず考えられるのは、一人称視点である。今回プレイして思ったのは、一人称視点は、むしろリアリティが感じられないと言う点である。カメラマンはファインダー越しに世界をのぞいていると恐怖を忘れるという。そうしたファインダー効果というか、まさにファインダーやカメラを通して世界を見るような、ある種透明なシートでゲーム世界と隔絶された感覚を常に感じる。こんな事を言うのはある意味おかしいが、ゲーム世界が非現実的に感じられてしまう感覚である。
個人的な感覚だが、三人称視点では、「プレイヤー自身」がゲーム世界に存在しているため、このような感じを受けた事はこれまでにない。
次に考えられるのが、視点の問題である。一人称視点ゲームの視点はプレイヤーが操作するため、足を踏み外しても視点は前を向いたままである。しかし現実には、足を踏み外して落ちたら人は下を向く。上記のオールドゲームでも、落ちる瞬間、カメラは絶妙にやや上部に回り込んでプレイヤーキャラをとらえるため、落ちるキャラと迫り来る地面がくっきりと目に焼き付くのだ。一方ミラーズは前を向いたまま、目のすぐ前を壁が凄い勢いで上に流れていくだけである。実際、かなり暗いフィールドで落下したときは、落ち切るまで落下に気づかないときさえあった。
さらに考えられるのは、ミラーズの白っぽい未来的無機質なモデルデザインである。白を基調に原色を配したデザインは、どこか白昼夢を思わせ、現実感をややそぐ感じがないでもない。また遠距離ではピントをぼやけさせる高度な処理を行っているが、これも高さ感を減じている影響があるかも知れない。
もしミラーズにこの「ひやっ」と感があれば、面白さがもう2割増していたと思う。しかし逆に言うと高所恐怖症の人でもこのゲームはプレイできるというのはメリットか。
ビルの屋上を飛び回るだけじゃ、結局室外機によじ登るばっかりになりそうだが、そうではなく、色々なステージで様々なフィールドをプレイでき飽きさせない。ギミックもいろいろ面白かった。
基本アクションゲームなのでストーリーその他にけちをつけたくはないが、いまいち無理矢理感のある展開はどうだろう。またフィールドとアクションの必要性も、結局そこへ行くならなぜ最初ここからスタートするんだ?なぜここを通らせるんだ?ここにいたはずの敵はどこに行ってしまったのか?など、プレイしていて疑問に思う点もいくつかあった。
操作方法は多少難しいが、チュートリアルも親切で、リトライ耐性がある人には割とお勧めできるゲームだ。難易度もそれほどではない。実際、操作に慣れた終盤より、まだ慣れていない中盤の山場の方がプレイしていて非常にきつかった記憶がある。やっかいな敵もパターンを覚えて対処すれば意外と何とかなる。セーブポイントもマメに入るしリトライもそれほど理不尽には戻されないので大丈夫である。
EA
ミラーズエッジ
選択の理由は、以前ファミ通の記事で見かけて気になっていたのと、ゲーム屋で千円ちょっととかなり安く売っていたため。トイザらスでも今新品が1999円で買える。
さて待望の次世代HD機での本格ゲームデビューである。我が家のテレビは10年前のブラウン管だが、1080iがいけるためプレイに支障はない。ただ、それでも小さすぎる文字はカクカクしたフォントの影響もあり読みにくかった。ノーマルTVでは完全に読めないだろうと思う。
このゲームのグラフィックスレベルが他の360ゲームと比べてどの程度のものかは分からないが、高詳細な画面は、やはり見惚れる所がある。おお、と感動する。しかし、案外すぐ慣れてしまうし、ゲームが始まってしまえばあまり意識せずプレイ感には関係ないな、とも実感した。このゲームの無機質的な画面デザインがよけいにそう感じさせるのかも知れない。
360の実績システムは面白いと思った。Wiiのスマブラで言うところのクリアゲッターのようなゲーム内で達成されるべき目標がゲーム開発者によって多数設定され、ゲームプログラムではなく、ハードのシステム上でそれら実績の達成状況が管理されているのだ。たとえば、20人の敵を倒すという実績があるとすると、ゲーム中にその条件を満たした瞬間、実績が解除されました、とシステムメッセージが画面下部に表示されるのだ。これらの実績はゲーム中はもちろん、ディスクを抜いてダッシュボードでも確認できる。つまりゲーマータグにひも付けされてサーバーで管理されている情報という事である。あらゆるゲームにこういう取り組むべき実績があるのである。やり込み派のゲーマーにとっては天国であり地獄であろう。ところで実績の解除という言葉は何か違和感があり変である。実績ロックの解除なら分かるが。
ところでこのゲーム、最初は一人称視点のトゥームレイダーと考えていたのだが、プレイしてみてその考えは半分当たっており半分間違っていた。三次元的なマップからルートを考え、一発死と背中合わせにアクションテクニックで走破するという点では非常に似ているが、トゥームレイダーが熟慮慎重派なのに対し、このゲームはアクションスピード派である。とにかくスピードに乗って駆け抜けろ、とまさに主人公達の存在ランナーを体験させる作りになっている。
また、バトルについてはトゥームレイダーが攻めでありスパイスなのに対し、ミラーズでは守りでありプレッシャーである。重火器を持った大部隊に囲まれ十字砲火を受けながら必至で逃走ルートを探すようなシチュエーションではかなり心が折れそうになる。何十回と銃弾に倒れてリトライしながら、追われるのって辛いな、と弱音を吐いてしまう。アクションミスによる高所からの落下で何度もリトライするのはそんなに嫌ではないので、この気持ちは銃撃に対する嫌悪感かも知れない。ミラーズが現在のようなドラマティックなストーリーではなくて、ランナーの日常であるバッグの運搬ミッション中心のゲームだったらもっと面白かっただろうなと考えてしまう。
ビルの屋上を飛び回り、一つ間違えば足を踏み外して落下死するこのゲーム。しかし、落下する恐怖はほとんどと言っていいほど感じなかったのが非常に驚きであった。これはなぜだろうか?
以前のエントリでも書いたが、ゼルダやトゥームレイダーなど、足を踏み外して落ちるときに、下腹部が「ひやっ」とするゲームはいくつかある。しかしこのゲームではそういう生理的な反応はほぼ無かった。一般的にはHDのリアルな画像は没入感を増すと思われているし、一人称視点もゲーム主人公との一体感を増すと思われている。この2つの要素が組み合わさったミラーズでは落下の恐怖を感じず、64のゼルダや初代PSのトゥームレイダーで生理的恐怖を感じるのは意外な感じである。
まず考えられるのは、一人称視点である。今回プレイして思ったのは、一人称視点は、むしろリアリティが感じられないと言う点である。カメラマンはファインダー越しに世界をのぞいていると恐怖を忘れるという。そうしたファインダー効果というか、まさにファインダーやカメラを通して世界を見るような、ある種透明なシートでゲーム世界と隔絶された感覚を常に感じる。こんな事を言うのはある意味おかしいが、ゲーム世界が非現実的に感じられてしまう感覚である。
個人的な感覚だが、三人称視点では、「プレイヤー自身」がゲーム世界に存在しているため、このような感じを受けた事はこれまでにない。
次に考えられるのが、視点の問題である。一人称視点ゲームの視点はプレイヤーが操作するため、足を踏み外しても視点は前を向いたままである。しかし現実には、足を踏み外して落ちたら人は下を向く。上記のオールドゲームでも、落ちる瞬間、カメラは絶妙にやや上部に回り込んでプレイヤーキャラをとらえるため、落ちるキャラと迫り来る地面がくっきりと目に焼き付くのだ。一方ミラーズは前を向いたまま、目のすぐ前を壁が凄い勢いで上に流れていくだけである。実際、かなり暗いフィールドで落下したときは、落ち切るまで落下に気づかないときさえあった。
さらに考えられるのは、ミラーズの白っぽい未来的無機質なモデルデザインである。白を基調に原色を配したデザインは、どこか白昼夢を思わせ、現実感をややそぐ感じがないでもない。また遠距離ではピントをぼやけさせる高度な処理を行っているが、これも高さ感を減じている影響があるかも知れない。
もしミラーズにこの「ひやっ」と感があれば、面白さがもう2割増していたと思う。しかし逆に言うと高所恐怖症の人でもこのゲームはプレイできるというのはメリットか。
ビルの屋上を飛び回るだけじゃ、結局室外機によじ登るばっかりになりそうだが、そうではなく、色々なステージで様々なフィールドをプレイでき飽きさせない。ギミックもいろいろ面白かった。
基本アクションゲームなのでストーリーその他にけちをつけたくはないが、いまいち無理矢理感のある展開はどうだろう。またフィールドとアクションの必要性も、結局そこへ行くならなぜ最初ここからスタートするんだ?なぜここを通らせるんだ?ここにいたはずの敵はどこに行ってしまったのか?など、プレイしていて疑問に思う点もいくつかあった。
操作方法は多少難しいが、チュートリアルも親切で、リトライ耐性がある人には割とお勧めできるゲームだ。難易度もそれほどではない。実際、操作に慣れた終盤より、まだ慣れていない中盤の山場の方がプレイしていて非常にきつかった記憶がある。やっかいな敵もパターンを覚えて対処すれば意外と何とかなる。セーブポイントもマメに入るしリトライもそれほど理不尽には戻されないので大丈夫である。
PS2/太鼓の達人 ゴー!ゴー!五代目/ナムコ
先日ソフト+タタコン×2を入手したので、時々妻と遊んでいる。
そこで発見した驚愕すべき事実。左手では正確にリズムを刻む事ができない。
正しいと思って叩いてもずれるし、そもそも同じ強度で同じ場所をタタキ続けるという事すら難しい。
唖然とした。なんだこれは、と思った。知らない内に耄碌したのか。それとも元々か?いやそんなはずはない。昔はこんな事はなかったと思う。
妻と競っていても、いつも左手で打って失敗して点数が伸びずに負ける。これが悔しいので今日は特に左だけ使って練習してみた。あまり上達の兆しはない。
ところでこのゲームは、以前ゲーセンで1回だけやっただけだったが、やはりこうして集中して遊ぶと面白い。
GCにもドンキーコンガという一見ドジョウ狙いのリズムゲーがあるが、あれはあれでオリジナリティもあり面白いし、太鼓もやはり面白い。
コンガは右+左+拍手の3アクションを固定パターンで対応するのに対し、太鼓は面打ちと縁打ちの2アクションを左右のバチで対応するので操作自体は単純だが打ち方のアレンジに応用が利いてそこに楽しみを見いだす事ができる。
ちなみに妻はほぼ全て右のバチだけで打っている。
ナムコ
太鼓の達人 ゴー!ゴー!五代目
そこで発見した驚愕すべき事実。左手では正確にリズムを刻む事ができない。
正しいと思って叩いてもずれるし、そもそも同じ強度で同じ場所をタタキ続けるという事すら難しい。
唖然とした。なんだこれは、と思った。知らない内に耄碌したのか。それとも元々か?いやそんなはずはない。昔はこんな事はなかったと思う。
妻と競っていても、いつも左手で打って失敗して点数が伸びずに負ける。これが悔しいので今日は特に左だけ使って練習してみた。あまり上達の兆しはない。
ところでこのゲームは、以前ゲーセンで1回だけやっただけだったが、やはりこうして集中して遊ぶと面白い。
GCにもドンキーコンガという一見ドジョウ狙いのリズムゲーがあるが、あれはあれでオリジナリティもあり面白いし、太鼓もやはり面白い。
コンガは右+左+拍手の3アクションを固定パターンで対応するのに対し、太鼓は面打ちと縁打ちの2アクションを左右のバチで対応するので操作自体は単純だが打ち方のアレンジに応用が利いてそこに楽しみを見いだす事ができる。
ちなみに妻はほぼ全て右のバチだけで打っている。
裁判員制度の正体 (講談社現代新書)/西野喜一
著者は元司法関係者で以前より裁判員制度への警鐘を鳴らしてきたらしい。この本はそうした専門誌への寄稿をまとめた物であるとか。
裁判員制度反対派の理屈がつらつらと書かれている。自分は当然反対派なので非常に腑に落ちる説明であったが、多分賛成派が読んだら逆上しそうな文章は、もうすこし押さえても良かったのでは、と思う。
著者は元司法関係者と言う事もあり、裁判官という職業の専門性を強調し、それは素人に担える職責ではないと一刀両断である。この態度は業界人の閉鎖的な奢りととらえられやすいが、よくよく考えれば至極当然の事である。
裁判員制度の根元である、市井の人々には他人を公正無比に裁く能力がある、という前提は明らかにおかしい。
これは裁判員制度を、医療に置き換えてみればわかりやすい。
例えば、手術員制度というものができたらどうだろう。これは、ガン・心臓病・臓器移植など一定以上の重大手術には、国民から無作為に選定した手術員を必ず手術に参加させなければならない、と言う制度だ。
明らかにおかしいだろう。何のためにそんな無駄で無意味な事をする必要があるのか?と疑問に思わずにはいられないだろう。まさしく、それが裁判員制度に対する最も素朴な疑問なのである。
毎日のように専門的知識を駆使し技術を磨きプロとして迅速に対処している者に対し、素人の参加は足手まといでしかないのは明白だ。無理に強行すれば手術のレベルは落ち、混乱し、患者は死ぬだろう。
例えがおかしいと言う批判はあるだろう。だが、医者が医療のプロフェッショナルなのと同様、裁判官も司法のプロフェッショナルである事に異議はないだろう。司法試験に合格し、日々職務の研鑽を積んだプロとボランティアである市井の人々が、同じように人を裁くという責務を担えるとはどうしても思えない。
私は手術を受けるときはプロの医者に担当して欲しいし、裁判を受ける事になればプロの裁判官に担当してもらいたい。
裁判員制度は、司法へ国民の声を反映し国民による司法のコントロールを行う先駆けとして必要な事だという意見がある。三権のうち、国民の意思が最も届きにくいのが司法であると。しかしこれは間違っている。必要なのは国民の直接参加ではなくて、国民による司法の評価である。現在の最高裁裁判官国民審査を拡大する方向がまともな判断だろう。
考えてみて欲しい。推進派がしばし比較に持ち出す、国民が直接関与しているという参政権ですら、無作為に選んだ国民に議員を強制任命するような暴挙はしてはいないのだ。そういえば昔読んだラファティのSFにそんな話があった。
なぜ裁判だけが一般人を強制的に参加させて判じるべきだと思われるのだろう。諸外国に多い制度だから?そんなことは何の理由にもならない。諸外国が軍備を拡大しても、自国は非軍備と思えばそれを貫けばよい。私は、この裁判員制度を含む陪審制・参審制は、著者の主張通り時代遅れの考え方であると思う。
実務はプロに任せるべきだ。そのプロが信頼できない不安があるなら、彼らを評価・監視できる透明な制度作りを進めるべきだ。
先日の新聞で、裁判員によるとある裁判が三日間の審理予定であったのに台風の影響で2日に短縮されたとのことだ。裁判員が参加する裁判は、極刑もあり得る殺人などの重大事件である。これは、都合が悪くてつきあってる時間もないので、もうあなたは死刑で良いよ、という意味である。もし自分が冤罪でこの法廷に立たされた被告であったならばと身のすくむ思いがしない人はいないのではないだろうか。さらに、良識ある人ならもし自分がこの法廷に参加を強制された裁判員であったらならと考えて肝を冷やすだろう。
西野喜一
裁判員制度の正体 (講談社現代新書)
裁判員制度反対派の理屈がつらつらと書かれている。自分は当然反対派なので非常に腑に落ちる説明であったが、多分賛成派が読んだら逆上しそうな文章は、もうすこし押さえても良かったのでは、と思う。
著者は元司法関係者と言う事もあり、裁判官という職業の専門性を強調し、それは素人に担える職責ではないと一刀両断である。この態度は業界人の閉鎖的な奢りととらえられやすいが、よくよく考えれば至極当然の事である。
裁判員制度の根元である、市井の人々には他人を公正無比に裁く能力がある、という前提は明らかにおかしい。
これは裁判員制度を、医療に置き換えてみればわかりやすい。
例えば、手術員制度というものができたらどうだろう。これは、ガン・心臓病・臓器移植など一定以上の重大手術には、国民から無作為に選定した手術員を必ず手術に参加させなければならない、と言う制度だ。
明らかにおかしいだろう。何のためにそんな無駄で無意味な事をする必要があるのか?と疑問に思わずにはいられないだろう。まさしく、それが裁判員制度に対する最も素朴な疑問なのである。
毎日のように専門的知識を駆使し技術を磨きプロとして迅速に対処している者に対し、素人の参加は足手まといでしかないのは明白だ。無理に強行すれば手術のレベルは落ち、混乱し、患者は死ぬだろう。
例えがおかしいと言う批判はあるだろう。だが、医者が医療のプロフェッショナルなのと同様、裁判官も司法のプロフェッショナルである事に異議はないだろう。司法試験に合格し、日々職務の研鑽を積んだプロとボランティアである市井の人々が、同じように人を裁くという責務を担えるとはどうしても思えない。
私は手術を受けるときはプロの医者に担当して欲しいし、裁判を受ける事になればプロの裁判官に担当してもらいたい。
裁判員制度は、司法へ国民の声を反映し国民による司法のコントロールを行う先駆けとして必要な事だという意見がある。三権のうち、国民の意思が最も届きにくいのが司法であると。しかしこれは間違っている。必要なのは国民の直接参加ではなくて、国民による司法の評価である。現在の最高裁裁判官国民審査を拡大する方向がまともな判断だろう。
考えてみて欲しい。推進派がしばし比較に持ち出す、国民が直接関与しているという参政権ですら、無作為に選んだ国民に議員を強制任命するような暴挙はしてはいないのだ。そういえば昔読んだラファティのSFにそんな話があった。
なぜ裁判だけが一般人を強制的に参加させて判じるべきだと思われるのだろう。諸外国に多い制度だから?そんなことは何の理由にもならない。諸外国が軍備を拡大しても、自国は非軍備と思えばそれを貫けばよい。私は、この裁判員制度を含む陪審制・参審制は、著者の主張通り時代遅れの考え方であると思う。
実務はプロに任せるべきだ。そのプロが信頼できない不安があるなら、彼らを評価・監視できる透明な制度作りを進めるべきだ。
先日の新聞で、裁判員によるとある裁判が三日間の審理予定であったのに台風の影響で2日に短縮されたとのことだ。裁判員が参加する裁判は、極刑もあり得る殺人などの重大事件である。これは、都合が悪くてつきあってる時間もないので、もうあなたは死刑で良いよ、という意味である。もし自分が冤罪でこの法廷に立たされた被告であったならばと身のすくむ思いがしない人はいないのではないだろうか。さらに、良識ある人ならもし自分がこの法廷に参加を強制された裁判員であったらならと考えて肝を冷やすだろう。