読んだり観たり聴いたりしたもの -110ページ目

Wii/ゼルダの伝説 スカイウォードソード/任天堂

まだプレイ始めたばかりで、10時間そこそこか。
遊びきったら、また詳しく書きます。

でも、今すぐ書いておきたい。

5年待った甲斐があります。言葉がない。すごくゼルダで、すごく面白いとしか言いようがない。
風のタクトの前半みたい。
夢中になって遊んでいるけど、ずっと遊び続けたいと思う半面、勿体なくて置いておきたい気もする。

ビートル楽しいです。
虫網面白いです。
ロフトバードで最大に加速しきった時にダイブするのがすごく爽快感ある。
もちろん剣術戦闘も良い感じです。もっともっと強い敵が欲しい。
走り回って草刈ってるだけで何でこんなに面白いんだろう。

関係ないけど、この間グランディアをやったばかりなので、ゼルダがフィーナに見えて仕方ない。

では、ゲームに戻ります。


任天堂
ゼルダの伝説 スカイウォードソード

魂の文章術 書くことから始めよう/ナタリー・ゴールドバーグ

米国でのベストセラーらしい。
少々期待して読んだ。

この本は、テクニックを伝えるものではない。スピリットを伝授するものだ。著者は物書き・詩人ながら、禅の瞑想を長く修行しているという。そのあたりから本書のニュアンスを汲んで欲しい。

熱い本である。良いか悪いかで分けるなら、はっきりと有用であると思う。目を通して、その熱を体感して損はない。ただ、すぐに血肉になるかというと全くそんなことはない。安易なテクニックを求めた読者は落胆するだろう。

書いてあることは、非常に単純だ。

アスリートは、毎日練習で走り込む。ならば、物書きを目指す人であれば、毎日、練習で書き続けるべきだ。
これが第一点。著者は毎月ノートを1冊書きつぶす事を自らに課しているとの事だ。商品原稿の生産量の話ではない。調子が良くても悪くても、とにかくノートに何かを書きまくって、作品はそこに現れたものを掬って別にタイプする訳である。

もう一点は、書くことで禅の無想の境地に至ること。テクニックを使って、頭で考えて書くのでは、そもそも、何かを書く、という行為の意味がない。自分の奥底からわき上がるものをそのままノートに書き殴ること。簡単なことではない。その為にこそ、毎日書き続けるという練習が必要なのだ。自分自身という検閲官は強大だ。恥ずかしいことだ、良くないことだ、こんな事は書くべきじゃない、おかしいと思われるだろう、などなど、無意識のうちに自分を良く見せようと、当たり障りのない口当たりの良い文章にすり替えてしまう。書いて書いて書きまくって、自分を無にした一瞬にそこをすり抜ける、ほんの僅かな光る文章をものするため、地道な訓練が必要なのだ。
自分自身が書いていると感じている内はダメなのである。
書くことに没入し、自我が消失し、書くという行為自体が何かを書いている、という境地にまで突き詰めるのだ。

書くことは辛く厳しい。
毎日のように、もうやめたいと思うと著者は述べる。自分の中の甘く弱い自分は、なんやかんやともう書けない理由を挙げて、書くことをやめさせようとするのだ。
書くこと自体の辛さ。自分の奥底に眠る、目を背けたなくなるモノたちを見つめ、真正面から対峙する恐怖。それらを書き表し、世間に晒すという羞恥と孤独感。
落ち込み、怒り、泣き出し、叫びながら、著者は毎日何かを書いているのだ。

何故そこまでして書くという行為にこだわるのか。
答えは簡単、書くということは、取りも直さず生きるということだから。書くことで人はもう一度その時を思いを生き直すことができるのである。

人は何故ものを書くのか、書くこととどう付き合うべきなのか、一つのスタイルを提唱する本。


ナタリー・ゴールドバーグ
魂の文章術 書くことから始めよう

縦横無尽の文章レッスン/村田喜代子

恥ずかしながら寡聞にしてこの芥川賞作家の名は知らなかったが、書評が良かったのでこの本を読んでみたのだ。

内容を簡単に説明すると、著者による大学での文章レッスンの講義の様子を収録し、加筆したもの、という体裁である。
実際にそうした講義があったのだろう。
講義の内容も、名文を読み分析し、また受講生は毎回課題に沿って習作を書き、発表し、批評され、というまさに文章レッスンの内容が深く記されている。
そこでは文章作法について、蒙を啓く、目から鱗の指摘が多数あり、為になるものである。
著者が例示する名文の名文たる生命力に溢れる文章。その文章を、どう見つけるか、どう鑑賞するか、どうものにするか。非常に参考になる。

当然ながら、本書の文章レッスンというタイトルに偽りはない。

しかし、そうではないと思った。

この本は、文章レッスンの本ではない。
内容が深すぎて、文章レッスンの本としても使えるというだけで、本当はそうではないのだ。

この本は、大学の講義で文章レッスンを行っている主人公が、書くという行為を教えることによって書くという行為を見つめ直す、文筆業という職業を生きる著者をモデルにした小説としても読めるのである。

中盤それに気づいた時は、思わず唸った。
一旦そう思うと、もう、どう読んでも小説としての構造に引き込まれてしまう。非常に巧妙な作りになっている。

著者の別の作品も読んでみたいと思った。

村田喜代子
縦横無尽の文章レッスン

PS3/HEAVY RAIN ヘビーレイン 心の軋むとき/SCE

国内でも高評価を受けていた2010年の海外作品である。
PS3を購入する前からいつかプレイしたいと思っており、本体購入と同時にプレイ予定リストに入れて、安い中古を見かけた折りに購入しておいた物(しかし、その直後に廉価版が出て臍を噛んだ)。

ゼノブレイドをクリアして、ゼルダ待ちの間にちょうど良かろうとプレイ。が、目論見より早くクリアしてしまった。

ゲームのタイプを無理矢理一言でいうなら、サイコサスペンスのモーションシンクロQTEマルチエンドアドベンチャーといった感じだろうか。QTE(Quick Time Event)とはシェンムーでの命名で、画面にボタンや矢印キーが表示されたら素早くそれを押せ、というアクションを求めるゲームシステムである。垂れ流しムービーを安易にゲーム化できる為、程度の低いゲームに多用される傾向があり、ゲーマーには嫌われることが多い。

このゲームはそのQTEを突き詰め、三人称視点で表示される3Dフィールドでの主人公の位置と、そしてコントローラの形状を元に、主人公キャラの実際のモーションと違和感なく連動するキー操作を体系として組み上げた点に新奇性がある。
例えば、クローゼットを開ける場合、まず主人公キャラをクローゼットの前まで移動させる。この操作は、左アナログスティックによる視点方向の指示とドライブ・歩行指示のR2を同時に操作して行う。次にクローゼットに向き直り、アクション操作の右アナログスティックを操作して、一旦上に倒し下まで時計回り回転させる、という入力で、扉を開けるのだ。この右アナログスティックの操作手順は、クローゼットを開けられる位置に移動すると、クローゼットの上にアイコンで表示される。
冷蔵庫の中のオレンジジュースを飲みたい場合には、右スティック半回転で冷蔵庫の扉を開け、右スティック下でしゃがんでジュースを手に取り、半回転でキャップを外し、上入力保持で飲む、というようなアクションになる訳である。
このように、主に、右スティックを使用してのオブジェクト操作、継続動作や踏ん張りを表すLRボタンの保持動作、突発反応を表す○×△□ボタン、などをその時の状況によりQTEとして画面に現れるアイコンに従って入力し、3Dアドベンチャーを進めてゆくことになる。

ポイントは、QTEの批判点である「画面と無関係なボタン操作」をできるだけ避け、主人公キャラのモーションと操作モーションをできる限りシンクロさせて違和感を排除している点と、さらにそうした操作を非常に細かく割り振って何度も操作させることで十分に慣れさせる点である。

日常的な行動を何度もシンクロ入力することで、主人公キャラとの行動の一体感が生まれ、それが主人公キャラとの、心情の一体感まで転化していく点にこのゲームのミソがある。

例えば、ゲーム中、銃を構えた容疑者にこちらも銃を突きつけるシーンがある。容疑者は今にも仲間の警官に発砲しそうだ。画面にはR1ボタンのアイコンが出ている。つまり、こちらもR1ボタンを押せば即座に発砲するだろう事はこれまでの操作で類推できる。しかし射殺してしまって良いのか?いくら容疑者でこちらに銃を向けているからといっても本当に正当防衛で通るか?そもそも銃で人を殺すという行動に対しての倫理的な嫌悪感が。撃ってしまたら捜査が行き詰まるのでは。しかし奴は今にも撃ちそうだ。撃ってしまったらまずいし、撃ちたくない、が、撃たれてしまうのはもっとまずい。少しでも変な兆候を見逃すとヤバイ。まずは声を掛けて落ち着かせ、説得だ。選ぶべき台詞はどれだ?どのボタンだ?少しでも間違えると危険だ。よく考えて慎重に…。

このように、実際に主人公になったかのような生々しい緊迫感を感じられるゲームなのだ。

実際のプレイでは何とか撃たずに切り抜けたが、もしR1を押していたら、間違いなく即座に射殺していただろう。そして、そのままゲームは続くのである。
そう、このゲームのもう一つの特徴は、どんな選択をしようがゲームオーバーがない、という点だ。例え主人公が死んでしまっても、そのキャラは死んだ、と言う状態でシナリオは進む。もちろんそのような状態で迎えたエンドは、いわゆるバッドエンドだろうが、その場でバッドエンド終了するのではなく、最後まで進む点が珍しい。
つまり、バッドエンドかも知れないが、それはゲームとしての一つのエンドであって、プレイヤーが選択したのであれば、それがこのゲームのエンドであり、真実なのだ、という事である。

ネタバレになるが、私のプレイではこんな事があった。

中盤、息子の命を助けたければ、今から5分以内に工具を使って自分の指を切断しろ、と指示を受けるシーンがある。思いもしなかった突然の指令。すでにタイマーはスタート。犯人はカメラで行動をチェックしているだろう。急いでその場で使えそうな工具類をかき集める。集めながらいろんな考えがよぎる。まず切断の方法。どうすれば5分以内に手早く指を切断できるだろうか。そしてできれば衛生的に安全に、痛みの少ない方法で。何が使える?。他に道具はないのか。しかし…。本当に切るのか…。切れるのか?自分にできるのか?何を考えているんだ!息子の命が掛かっているんだぞ!切らなければ後がない。切れ!切る!切るしかない。切るしかないんだ。だが…。本当か?本当にそれしか方法がないのか?何とかこの試練自体を回避する方法はないのか?他の手があるんじゃないのか?無理だ。第一、時間がないんだ。切るしかない。道具はそろった。時間は残り2分。これとこれを使って。まずは練習だ。こう構えて、こう振り下ろす。これで間違いない。消毒もした。さあやるぞ。

私はボタンを押して手斧を構えつつ、後は長押しするだけの振り下ろしボタンを押せずにいた。残り1分30秒。振り下ろしボタンを押す。主人公は手斧を振り上げる。そのまま押し続けろ。しかし躊躇してボタンを放すと、主人公は振り下ろしの途中で踏みとどまる。また構え直す。振りかぶって、また途中で止まってしまう。残り1分を切った。

他に選択可能なシナリオ上の選択肢はない。アクションボタンも表示されない。切断するしかない。操作は簡単だ。これをやらないと息子の命があぶない。ゲーム進行上もヒントが行き詰まってしまうから切断しないという選択肢はあり得ない。さっさと操作すればゲームのシーンが進展する、ただそれだけのことだ。

笑ってもらって良いが、私は怖くて斧を振り下ろせなかった。たかがゲームなのに、できなかったのだ。その操作にすごく葛藤を覚えたのである。葛藤?何に対して葛藤したのだろう?本当に自分の指を切る訳でもないのに。
結局、早く早く急がないと、と急かす妻にコントローラを渡し、操作してもらった。妻はさくっと操作入力し、易々とこの試練をクリアしたのだった。

以前、アンドロイド研究の第一人者である石黒さんのジェミノイドの話を書いた。その際に、ジェミノイドと操作者との一体感などシンクロ性に関する技術は、いずれゲームに応用されるだろうが、きっと強すぎる刺激が問題になるほどだろう、と感想を書いた。
まさに、それだ。
単なるコントローラ操作に過ぎないのに、それがほんのちょっとシンクロ感を強めるよう工夫されたというだけで、延々と操作して主人公と一体感を培ってきたプレイヤーは、まさに主人公が感じるはずの感情を受け取ったのだ。

別のあるシーンでは、同じように非道な指令が下される。そしてその指令に従い、紆余曲折あり、殺すよう命じられた麻薬密売人の頭に銃を押しつけた所で、私は固まった。引き金を引けば指令通りこいつを殺して試練は達成だ。ボタンを一つ押すだけで良い。簡単なことだ。こいつは麻薬密売人だ。何人もの命を奪う犯罪を重ねてきただろう。しかも、たった今には、自分をジャンキーと間違えて撃ち殺そうとした。実際に射殺しようとして発砲しつづけた。自分を殺すことに、こいつはためらいがなかった。だから正当防衛だ。そもそも選択の余地はない。指令通りこいつを殺さなければ、息子を助ける為の道が閉ざされてしまう。人差し指に力を込める。突然、麻薬密売人は命乞いを始めた。死にたくないという。彼には娘が二人いるらしい。震える手で差し出した写真を奪い取り、チラリと目を落とす。これから父親を失おうとしている少女が二人笑い合って写っている。麻薬密売人は必死で命乞いを続ける。人差し指に力を込める。
さあ、どうする?殺すか殺さないか、長いこと逡巡した挙げ句、私には、どうしても引き金を引くことはできなかった。そして、殺さないことを選択してこのシーンを終えたのだ。

このように、もしも指を切断できなくても、殺せなくても、淡々と物語は進んでいく。あるシーンで選択した結果は、その後のシーンに影響する。私はこの後のゲーム展開を、人を殺せなかった代償と共に乗り切らなくてはならない。それは自身の命や息子の命を脅かすかも知れない。しかし、現実とはこうした自分自身で選択した結果以外の何物でもなく、人はそれを受け入れて前に進むしかないのだ。

このゲームでは、サイコサスペンスのストーリーに沿って、主人公が経験する様々な感情のうねりを、そう、まさに心が軋む様を体験できるのだ。この希有なゲームの最大の評価点はそこである。

ゲームの他の側面も見てみよう。
まずシナリオは、そこそこ楽しむことができたが、語られないことがいくつかあり、消化不良感が残る。自由に妄想しろ、で対応できないこともないが、例えば、イーサンの記憶障害や持っていた折り紙の謎や、マディソンが犯人の名を聞いたときに、知っている、という反応をした理由などが不明のままである。DLCの追加シナリオがあるらしいので、そこで明かされるのかも知れない。

感情追体験ゲームと見れば至高、アドベンチャーと見れば良作である。しかし、マルチエンドのノベルゲームと考えた時には最悪の操作性だ。このゲームでは、シナリオ各所での選択やアクションの成功不成功により、物語は分岐し、多数のエンドに到達する。ならばいろんなエンドを見たいと思うのが人情だ。しかし、Aポイントでの選択をやり直したいと思った時、そのチャプターを選択してプレイ開始することはできるが、エンドにその変更を反映するには、Aポイントからエンドまでをもう一度プレイしなくてはならない。それはまあ、ゲームシステムとしてやむを得ないかも知れない。ただ、その2度目のプレイでも、ムービー的シーンなどのスキップが一切できないのだ。長時間を費やして同じ事をさせられるのは苦痛である。勘違いしないで欲しいが、上記で褒めたような、感情を喚起される希有な体験であるのは、それが無垢なファーストプレイであるからだ。選択の結果を知っていたり、ましてや2度目のプレイでは、もはやそのような最初の印象は現れることはないのだ。2度目なら当然の如く、余裕綽々で引き金を引けるのである。話は戻るが、そうしたスキップ機能がない、特にエンディングもスキップできないという最悪の作りであるので、とうていコンプリートなど目指す気力は湧かなかった。

ゲームにおける共感について、誤解がないように少しだけ補足しておこう。

このゲームで、私が麻薬密売人を射殺できなかった理由。それは、決して、私が良心溢れる善良な性根の人間であるから、ではない点に注意して欲しい。私の性向はあまり関係がない。
私が殺せなかったのは、主人公が殺すことに逡巡するようにと、ゲームとして周到に演出されていたからに過ぎない。殺人をためらい悩む主人公の震える姿を見せつけられるので、操作によるシンクロを通して主人公に共感しきっている私も、主人公同様悩んだのである。
その証拠に、別のシーン別の主人公で展開されるガンファイトの場面では、さも当然と、群がる敵を撃ち殺す主人公を操作して、無傷クリアを達成したほどだ。もちろん逡巡などありはしない。なぜなら主人公にそんな雰囲気は全くないからだ。
どちらも同じ殺人である。なのに一人を殺すことに震えるほど悩んだかと思うと、十数人を射殺してケロッとしているのだ。人間の感情とは、かくも雰囲気に呑まれやすいものなのだ。感情に従った判断など、まず間違っていると思って間違いないだろう。人間の感情など全くデタラメの条件反射に過ぎないのだ。
感情を卑下している訳ではない点を理解して欲しい。感情の持つ色彩は素晴らしい。感情がなければこの世は灰色の平坦な砂漠だろう。のびのびと手足の先まで自身の感情を迸らせる感覚こそ、もっとも、生きている、という感覚に近いものだろう。風に揺れる野の花のように、自分の感情が揺れて描く軌跡こそ、他の誰でもない、この自分が今ここに生きている価値なのである。心の健康の為には、常に自身の感情を見つめ、決してそれを押し殺してはいけない。
ただし、同時に、決して自分の感情を信じてはダメである。
感情など雰囲気や環境でいくらでも変わる。いくら躍動する炎が美しいからといって、それを掴めるなどと思ってはいけないのである。
真実というものは、感情ではなく、理性がもたらすものだ。真実の判断を感情に頼ってしまっては破滅が待っているだけだろう。本当に正しいことが何であるかを判断する事は、一切の感覚と感情を遮断し、自分の頭で考える事でしか為し得ないのである。
人間がいかに雰囲気に呑まれやすく、その行動に偏向を受けやすいかは心理学の実験としてつとに知られている。善良と評される人々が、特定条件下では、どれほど酷いことを他人に為し得るかも、同じように実験で知られている。そして、歴史を紐解けばそのような事例には枚挙に暇がないだろう。
人間とはその程度のものである。人間とはいつでもどこでも、その本質は変わらないのだ。
もし、平和で穏やかな社会があったとするならば、そこには、平和で穏やかな特別な人々がいるのではない。平和で穏やかな特別の雰囲気に呑まれた、ただの人間がいるだけなのである。
同様に、内戦に明け暮れる地獄に住む人達も、また、そうした雰囲気に呑まれた、ただの人間なのである。
だから、人間にとって最も重要なのは、こうした感情の特性を理解し、その処方を考えることのできる理性なのだ。

ゲームのなかで使用されることで、こうした人間の共感に強烈に作用する技術の進歩は進むだろう。
人間の感情をダイレクトに左右するこうした技術は、人間にとって良薬とも毒薬ともなるだろう。
我々の感情を包もうとする、こうした雰囲気の襲撃に右往左往しない為には、冷静に、理性による判断を行うしかないのである。

このようなことをじっくりと体感するにはまさにうってつけのゲームであると思った。

SCE
HEAVY RAIN 心の軋むとき

Wii/NHK紅白クイズ合戦/任天堂

先日妻の実家の両親と義弟が遊びに来た。

その時に一緒に遊べるだろうと、接待用に購入する事にした。思えば以前トイザらスのクリアランスで見かけた捨て値の見切り品を買っておけば良かったが、今更しょうがないので、Amazonで購入。それでも結構な値引率だ。

内容は昔のNHKのクイズ番組を再現したクイズゲームで、懐かしんで遊んで下さいよ、というコンセプトだろう。
作り自体は丁寧で、説明や案内も詳しく、操作にも迷いがなく、年配のご婦人でも全くスムーズに操作できる。

「ためしてガッテン」、「クイズ面白ゼミナール」、「連想ゲーム」、「ジェスチャー」の4本を柱に、そこから問題をピックアップして、日本各地を連戦する形式の「紅白クイズ合戦」、そして数種のボーナスクイズ番組で構成される。
ボリュームは結構あるだろう。
ためしてガッテンだけでも、短くシュリンクされているものの、40本以上の放送分を収録している。
ボーっと遊ぶだけでもかなり楽しめる。

「紅白クイズ合戦」はチーム戦で回答者選出式なので6人まで、他は個人戦・チーム戦で、最大4人まで一緒に遊べる。やはり多人数でわいわい遊ぶのが最も楽しいだろう。特に「紅白クイズ合戦」は、中盤差がついても、終盤でかなり逆転チャンス補正が入るので、白熱できる。ぶっちぎりで勝っていた方は辛いが。

任天堂
NHK紅白クイズ合戦

Wii/ゼノブレイド/任天堂

もちろんゼノブレイドの評判を知らないゲーマーはいない訳で、Wii持っているのにプレイしなかったら嘘でしょ、といつかプレイしようとは、ずっと思っていたのである。
そこへ妻が誕生日にプレゼントしてくれたので、早速プレイ開始し、先日クリアした。延べで120時間、期間でいうと2ヶ月弱、遊んでいたことになる。

非常に素晴らしいRPGだったと思う。

特筆すべきは、そのフィールド空間のスケール感の大きさである。
広大なフィールドの隅々まで見渡し、そして実際にその見えた場所までシームレスに歩いていける(地続きならば)。もちろん最近のRPGではそうした技術は珍しくない。例えばオブリビオンもそうだった。しかし、それらとは一線を画すスケール感が、ゼノブレイドには存在した。それは多分、垂直方向の距離感と、遙かなる彼方にそびえる機神と巨神のシルエットによるものだろう。何十メートル単位で切り立った絶壁、見下ろすと底の知れない断崖、そして真っ青な空の彼方に霞む巨大な神々。何よりそうした絶景に目を奪われて、うっかり足を踏み外してしまえる危険が常にある。
3Dのポリゴンで作られたゲームの世界に、箱庭感を圧倒的に凌駕するスケール感を感じたのは、初めてだった。初見ではおーと声が漏れるほどだ。遠方オブジェクトの表示そして微妙なスクロール処理の技術が素晴らしいのだろうと思われる。
田舎出身の私は子供の頃自然に囲まれて育った。だから、オブリビオンのフィールドは、例えそれがリアルで精緻であっても、いやむしろリアルだからこそ却って感動をもたらすものではなかった。なんだ、うちの実家の裏山で飛び跳ねてるのと変わらないじゃないか、という訳である。
一方で、ゼノブレイドのフィールドは、はっきりと「こんな絶景見たことがない」という感動を強く感じた。例えそれがオーバーで虚構色の強いものであったとしても、RPGのフィールドとしての素晴らしさという点では他の追随を許さないだろう。

巨神と呼ばれる巨大な神の骸の上にできた世界、という設定であるが、フィールドの多様さも素晴らしかった。草原、山岳、密林、雪原、湿原、大瀑布、湖、海、浮島、地下採掘場、その他奇観の数々。
そうした景観の美しさも見事というべきものだ。草原を照らす沈みゆく夕陽の赤いこと。湿原を包む不思議な夜の光。海上の浮島で眺める流星雨の煌めき。絶景に継ぐ絶景である。デザインバランスが非常に秀逸で、グラフィクスの美しさとは解像度ではない、それは色彩である、という事が本当によく分かる。

鉛直方向の巨大な構造を利用したフィールドギミックも面白かった。どこまでも果てなく壁を昇って秘境に到達したり、高所からピンポイントを狙って肝を冷やす感覚を味わいながら飛び降りたりと、いろいろ楽しめた。

時間経過に加え、天候変化もあり、同じロケーションでも、朝昼夕夜、そして天候と、バリエーションが豊富で飽きさせない。フィールドBGMも全て昼夜の2パターンがあり、昼はテンポよく夜はしっとりと、その表情を変える贅沢な作りだった。

そんなフィールド上を闊歩する敵と、やはりシームレスに発生するバトルのシステムも面白かった。
敵味方複数体が入り乱れ、前面背面など敵への攻撃面の違いによるダメージ増減や特効などがあり、また、複数攻撃とその効果範囲の見極めなど、位置取りの重要さを意識した戦闘となる。
戦闘に参加できるのはパーティから3人までという制限は残念だが、ガード、ウィザード、ヒーラーなど、それぞれ固有のバトルスタイルと固有のバトル技を持ったメンバーの組み替えにより戦術を編み出すのも面白い。

バトルは基本的には、1つの敵をロックし、近づくと発生するオートアタックにて行う。またキャラの固有技であるアーツを選択して発動させることもできる。アーツは6つまでを選択してセットし、バトルに臨むことになる。アーツはコスト不要であるが、発動後の再使用が可能となるまでには所定の待機時間が発生する。また各キャラは必殺技に相当する固有のタレントアーツを持っており、これらを組合せて戦うことになる。

崩し→転倒→気絶といった状態変化を狙うシステムも良かったし、キャラ毎のバトルスタイルの多様さも面白く、まずどのキャラを操作して戦うかで悩み、どういうパーティを組むかという戦術でまた悩むという楽しみがあった。

本当にどのキャラも個性のあるバトルを楽しめて面白かったが、もっとも思い入れがあるのはやはりメリアか。パーティ唯一の魔法攻撃の強力さもさることながら、スピアブレイク&スターライトニーの強制転倒が格好良すぎる。皇女でもある細身の魔法使いが、ボスキャラを膝蹴りで転倒さすとは一体どういう事だ。また、もし逆に他のキャラを操作している時に、メリアがスターライトニーと叫んだら、すかさず近寄って転倒した敵に連続攻撃を叩き込むのだ。このように、パーティキャラの台詞でメンバーが今何をしているかを判断しつつ、展開を予測し連携して攻撃してゆくバトルは非常に連帯感を味わえる作りとなっている。睡眠や気絶や死亡した仲間に近寄っての回復や励ましもそうした密度を高めている。一体仕留める毎の突発キズナイベントもアクセントになってバトルをダレさせないし、バトル後の掛け合いも楽しいものだ。ただし、若干台詞などのテンションがおかしいなと思う場合もあった。

しかし、こうしたバトルシステムを全く無視してプレイすることも可能である。ずっとシュルクだけを操作して、メンバーも替えず、アーツも固定でも、レベルさえこつこつ上げれば強敵もすぐに雑魚扱いとなってしまうからだ。それだけ、レベル差による補正がきついゲームである。そこは長所でありまた短所でもあるだろう。

そしてまた素晴らしいのは、強い敵がいることである。序盤の拠点、コロニー9のエリアですら、すこし街を離れてさすらっていると、突然レベル数十になんなんとする凶悪な敵が現れ、当時レベル10未満のパーティは、本当に文字通り、たった一撃で葬られる事もあった。ラスボスを倒せるクリア間際のパーティですら、赤子の手をひねるように瞬殺される強敵が、至る所闊歩する世界なのだ。ストーリー設定的にどうかとは思うが、ゲーム的には、こうした細い緊張感の糸が張ったようなフィールドは単調さやダレの回避という点で有用だし、格上相手に戦術を工夫して挑む楽しさも味わえるボーナス的なサービスでもあると思う。

ストーリーについては、王道的でありながらひねりもあり、上手くまとまっていると思う。主人公の少年シュルクの、少年故の熱い想い、というJRPGの伝統を裏切らない安心の物語である。前半のメインテーマを、曖昧にせずきちんと「復讐」と言い切る点は非常に評価できる。ただし、そこに繋がる為の、フィオルンへの想いが、もう一歩描けていなかったと思う。演出上もう一押しあれば、素直にこの復讐劇に追従することができ、ひいては終盤、シュルクの葛藤をもより深く描けたのではないかと思う。
ラストには巨神と機神の創世秘話がつまびらかにされる。これが、ゼノシリーズに繋がるものであるのか、それ故に必定の設定であるのかは、他のシリーズをプレイしていないので分からない。
ただ、個人的な好みからいうと、エギル以降の「神」の話はやや安易な気がしてまた若干くどいリフレインでもあり、あまり興が乗らなかった。そもそも巨神や機神は、ずっと謎に包まれたままの方が、壮大さを醸すのではないか。何もかも種明かししたり、しかも創造主がべらべら創造物へお話ししだしたりすると、荘厳な威厳が、どんどん崩れていってしまうような感じで残念ではあった。

イベントシーンに関しては、結構なボリュームでセンス良く描けており、素晴らしかった。特に後述する音楽の素晴らしさもあって、盛り上がりの高揚感は半端ない。しかし、キャラモデルのグラフィクスが、特に表情のテクスチャの粗さだけは最後まで慣れることなく、そこだけは残念だった。また、予算的に難しかったのだろうが、キズナトークがフルボイスだとよかっただろう。それほど、声優陣の熱演も素晴らしかったからだ。熱い台詞に熱い演技のダンバンをはじめ、癖があって素晴らしいムムカやディクソン、とてもデビューとは思えない演技のメリアの意志の強さそして秘めた弱さなど、特に脇役陣が熱かった。

音楽は本当に素晴らしい。まず初めてプレイして、下村陽子のオープニングメインタイトルを聴いた瞬間、心をわしづかみにされるだろう。そして出てくる曲がどれもこれもレベルが高く、しかも信じられないほどたくさんの曲が入っているのだ。これほど盛り上がるイベント曲は聴いたことがない「敵との対峙」や、ボスより強い敵との痺れるようなバトル曲「名を冠する者たち」、果てしなく広い平原を駆け回る間中どれだけ長く聴いても全く飽きない名曲「ガウル平原」、儚く遠い記憶の影とそこに消え残る熱き想いを詩情豊かに射影する「思い出」、繰り返し聴けば聴くほど旅の想い出がイメージとしてわき上がってくる光田康典のエンディングソング「Beyond the Sky」などなど、この調子で書いてゆくときりがないほど、名曲揃いなのである。

今回買ってもらったパッケージは通常版だが、初回版に付属の12曲入りサントラを事前に別ルートで確保していたので、ネタバレの心配のないクリア後に、ずっと繰り返し聴いていた。このサントラは上記の曲を含む特に名曲ばかりのチョイスであるので、かなりお得でコストパフォーマンスが高いと思うが、聴けば聴くほど欲求が高まって、とうとうサントラを購入してしまった。結果からいうと本当に買って良かったと思う。サントラの話はまた後日。

このように、みんなのニンテンドーチャンネルで唯一のプラチナ評価を誇る大作RPGは、確かにそうした評価に値する素晴らしい要素を兼ね備えたゲームだったと思う。

しかし、こんな名作ゲームが、その高評価に反し、実は売れていない。累計で多分15~20万そこそこのようである。Wiiの国内販売台数が1000万を超えていることを考えると、わずか2%以下というプレイ率は低すぎるように思う。しかし、それも分かるような気がする。このゲームは大作で間違いないだろうが、その大作感が逆に敬遠の原因になる場合も多いと思うからだ。例えばこのエントリの文章もそうだが、ゼノブレイドというゲームに興味を持ち、ネットで評価を調べてみると、大作であることを強調する文章に遭遇するだろう。100時間200時間あたりまえのプレイ時間、広い、広大、果てしない、スケールの大きなフィールド、多数のクエストなどやり込み要素の多さ、こだわってセッティングできるバトルの複雑さ、などなど。
こうした紹介に心惹かれる人なら、多分もう既に手を伸ばしているだろう。そして、RPG初心者で、しかもゲームに割くことのできるエネルギーの少ない人であれば、多分、逆に引いてしまうだろう。
やってみれば分かる、というのは何の説得にもならない。実際私も、このゲームのすごさは映像では全く何も伝わらず、実際に自分で操作してフィールドの中を冒険してこそ初めてその魅力が分かるし、そしてそれだけでこのゲームの価値は十二分に味わえると思う。しかし、それ故に絶対にこうした言葉だけでは伝わらないのも真実である。どんなに言葉を重ねようと、98%のWiiユーザーにプレイさせることは多分無理である。多分「すごい」という言葉自体がすでに「マイナス」の反応を呼び起こしてしまう恐れさえあるだろう。

何度でも繰り返すが、本当に素晴らしいと思うゲームだった。
この世界設定とフィールド表現があるかぎり、その評価は変わらないと思う。
しかし、ゲームとして完璧かといわれれば、もちろんそんなことはない。JRPGの集大成であると評する人も多いが、悪しき習慣まで集大成していると感じることも多々あるからだ。
あまりよろしくない評価の順だと思うが、最後にそうした点を述べて拙文を閉じようと思う。

まず筆頭は、メニュー操作の練り込み不足である。
とくにアイテム系のページ切替は方向キーでなくLRなどの別ボタンに割り当てるべきだった。このせいで装備品やジェムの整理が1割以上面倒くさくなっているだろう。そもそも、武器や防具の種類がむやみに多すぎ、しかもドロップ入手というのも疑問だ。何故獣を倒したらホムスの使う防具が入った宝箱を落とすのだろう?またショップで購入できる装備品は、その辺りですぐにドロップで入手できるので、ショップの存在価値はアーツ書しかない。とにかくバトルを繰り返すと、ドロップアイテムがあふれかえり、その整理がしょっちゅう必要になって、しかもメニュー操作がいただけないので面倒くさいことこの上ない、という構造である。コレクションアイテムもクエストで使用する可能性があるから売らずに取っておきたいのに、半端に所持数制限があるので、しょっちゅう手元に残す物を選別する必要があり面倒くさい。

武器や防具のチョイスも面倒だ。ベース能力、現在装備品でのパラメータ増減、そのジェムでの増減、選択装備品での増減、そのジェムでの増減、というこの関係がすぐに分からないからだ。現在の修正パラメータに対し、装備しようとする選択品では、各パラメータが増えれば青、減れば赤で表示される訳だが、そんな単純な表示だけでは選択できない。たとえば、物理防御は1ポイント減るだけだが、エーテル防御が20UPする防具があれば、装備したいと思うだろうが、物理防御が赤く表示されるだけでは、-1なのか、-20なのかが判断ができない。なぜプラスマイナスの修正値を表示しなかったのだろうと疑問である。

ジェムクラフトが面倒くさい。同種の性能違いジェムが多数できるが、やはり整理がしづらいメニュー構成だ。装備する際も数が多すぎて選びにくい。ジェムはエーテル結晶から生成するが、ジェムからもジェムを生成できるようにして欲しかった。

フィールドが広すぎる。それはもちろん長所でもあるが、広く感じるが実際の移動操作時間は短い、という作りがベストだろう。ランドマーク移動機能とは、はっきり言って逃げである。またランドマーク移動は便利でもあるが、いつでもどこにでも移動できるので、遠くまで冒険でやってきた、という印象がゼロになってしまう。これはトレードオフかも知れないが、どうせそんな機能があっても初心者は買わないので、ランドマーク移動を無しにして、何らかの高速移動する乗り物を用意した方が良かったのではないか。

あるいは、ランドマーク移動ができるなら、もはや任意の移動をできるようにして欲しかった。例えばクエストの達成報告にある人物のいる場所に戻る際、その人物の出現場所や出現時間の関係で、なかなか探し出せず、長いこと探し回ったことも多かった。クエストメニューからボタン一発で所定の場所と時間に飛んでくれても問題ないだろう。それさえできれば、全てのクエストを報告で完了という事にできるし、その方がやり甲斐があるだろう。同様にキズナトークのポイントへも直行できてダメな理由はあるまい。また、キズナトークはバトルパーティキャラでなくとも、勝手に登場して欲しい。なぜパーティ切替など面倒なことをさせるのか意味不明である。

バトル時の掛け合いボイスは楽しいが、イベントバトル時にはそぐわない場合もある。しんみりシーンでウキウキと戦ったら拙いだろう。別パターンを作れとは言わないが、せめて掛け合いをシーンに合わせてオフにするだけでもリアリティが増すだろう。黙っていればプレイヤーは勝手に補完してくれるので違和感はないはずである。

カメラワークが不味いとしばしば感じた。とくに逃げられないバトルフィールドや壁際でのバトルなど、境界近くで戦うと、操作キャラも敵も見えない、ということがあった。

エンディングが、やや、ほんのりと説教くさくて引き気味になった点が残念だった。これは、明らかに某作曲家RPGの後遺症で、過敏反応になっているものと思われる。フラットな目で見ればそれほどでないのかも知れない。

これらの問題点は、人によっては長所を凌駕してしまうかも知れないし、また別の点を問題と感じるかも知れない。例えば、クエストが多すぎる、など。
だが、そうした可能性はあっても一度は試してみる価値はあると思うゲームである。

続編でなくとも構わないので、このようなゲームを作り上げる技術を習得したモノリスの次回作には非常に期待するものである。


任天堂
ゼノブレイド

スラムダンク 11巻/井上雄彦

三井の渾身の活躍により、翔陽を捉え、そして逆転勝利する。
もちろん流川、花道を始め他のメンバーの活躍も生きた。

この巻での一番の見所は、花道が、バスケの本当の魅力に目覚める所だろう。
これまでもバスケの面白さを分かっていなかった訳ではないが、それでもやはり根底にあるのは、晴子に対する、バスケットマン桜木というポーズの部分が大きかっただろう。
それが、この白熱の一戦で、バスケ自体に魂を奪われる一瞬を得たのだ。
流川に張り合う気持ちから放った、結果的に退場になったスラムダンクである。大歓声に沸く会場。しかし、花道には聞こえていない。自分の高鳴る鼓動の中、わき上がる興奮と快感に我を忘れて呆然となる。こんな経験をしてしまったら、もう、バスケから離れることはできないだろう。眠れず、翌日は早朝から、ダンクの、そしてバスケの感覚をこっそりと確かめるほどなのである。

著者自身の経験をベースにしていると思うが、主人公の転換点として実に上手く描いていると思う。
ようやくこのマンガの魅力が少し分かってきた。

さていよいよ決勝リーグ。次巻期待大である。

井上雄彦
スラムダンク 11巻

ごくせん 2巻/森本梢子

と言うことで、時間が空いたが2巻を読んでみた。

ベタなキャラも展開も、慣れると味が出てくる気もする。

手放しで、好き、とまでは言えないが、まあ読んでも良いかなという。

荒れているようで純な生徒達、冷めているようで熱い教師達。最初からの予定だったのかは分からないが、そうした方向へ舵を切り出した印象。

まあ、3巻も続けて読んでみようか。

森本梢子
ごくせん 2巻

のだめカンタービレ 24巻/二ノ宮知子

こつこつとコミックスを読んできて、23巻で一応フィナーレを迎えた。
はっきりしない展開のまま、唐突に迎えたエンドだった。
のだめは確かに面白いが、それは主に前半で、後半は正直あまり心惹かれる展開も内容もなかった。
だから正直、やれやれ終わったかと、ほっとするような気持ちだった。

しかし、ナンバリングのコミックスは続く。
実は、この24巻は、千秋が東京のRSオケでオペラに挑戦するという番外編である。時間的にも23巻から少々飛んでいるみたいだ。ちなみに、のだめも少しは登場するが、ほぼ千秋メイン。

で、内容的には久々に結構面白かった。RSがらみだからか、ちょっとだけ初期のイメージがよみがえったかのような錯覚に。
さらに25巻にも続くらしい。楽しみである。

二ノ宮知子
のだめカンタービレ 24巻

Panasonic 体組成バランス計 EW-FA71

我が家では入浴前に体重と体脂肪率を測定するのが日課である。
もう10年も昔になるが、もともと健康の大切さ管理の重要さには関心が強かったところへ、ちょうど私がひと月半ほど入院したことがあり、当時出始めた体脂肪率も測定できる記録タイプのオムロンの体組成計を購入したのだった。

以来十年、我が家で入浴できないという状況を除いて、欠かさず測定を続けてきた。もしこうした習慣がなかったらWiiFit発売の際には体重測定と記録の機能をよりもっと重宝したことだろうが、我が家ではすでにそうした習慣は確立されていたので、Fitの機能は使われることは無かった。

体重に代表されるような健康指標は、毎日一喜一憂するものではない、ということは多くの人が理解しているだろう。病的な変化は別にして、一日±500g程度の増減を気にしても意味がない。測定誤差もあるし、食事の量や内容、トイレや発汗などで、1kg程度は簡単に変化するものだからだ。そうではなく、1ヶ月2ヶ月での変化、そして年単位の季節変動などを踏まえて判断すべきである。その点で、毎日こつこつ体重を量るというのは、たとえ減量やダイエットをしていないとしても、健康管理に非常に役立つものと思われる。

で、上記の10年頑張ってくれた体重計は、まだ壊れてはいはないのだが、どうしても骨量を量りたい、ついでに皮下脂肪の厚さも知りたいね、ということで急激に興味が湧いた結果、思い切って、最新の機種を購入して置き換えることにしたのだった。購入に当たってはネットでの評判なども当然参考にして決定した。

早速1週間ほど使用してみたが、大変使いやすい。何より、やはりこの10年の技術進歩か、測定誤差が少ないように思う。特に、体脂肪率などの推計値の日々の変動が少ないのは、何かしら信憑性を感じさせる所である。
そして分かったことは、以前のオムロンの機種は、かなり良い数字が出やすいということだ。
165cm、61kgの体格で、オムロンでは体脂肪率として16%前後で±3%ほどの変動だったものが、EW-FA71では20%前後でほぼぴたっとブレなく表示される。内臓脂肪レベルも真ん中やや多めの判定だ。筋肉率は真ん中やや下、骨量も真ん中やや下だった。
ショックではあるものの、しかし、逆に分かって良かったとも思う。実際、実感としては、もう少し絞って筋肉も付ける必要があるだろうなとは、うすうすは感じていたのだ。それをはっきり判じてくれたのでむしろ意欲も湧く。
皮下脂肪の厚さ測定が、毛深い部位ではできないというのは残念だった。苦労して何とか測ってみると、腹部で8mm前後だった。面白いので時々測ろうと思う。

Panasonic
体組成バランス計 EW-FA71