日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。 -85ページ目

今年観た泣ける映画 「七つの贈り物」

2009年、観てよかった映画は? ブログネタ:2009年、観てよかった映画は? 参加中
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もしも、世界中から飢餓がなくなったら。

貧しい人々が、一人残らず豊かになったら。

あなたは今までに、そんなことを、想像したことがあるだろうか。

俺は、ある意味その偽善的とも思える想像を、

ここのところ、頻繁に試みている。

そうすると、どうだろう。

自分でも驚いたことに、涙が溢れ出し、とまらなくなるだ。

なぜだろう?

とても不思議だ。



俺はあるとき、なけなしの金を何に使おうかと考えていた。

それは100円だった。


ハンバーガーを食う。

カップラーメンを買う。



俺は考えた挙句、この映画をレンタルした。

この映画はまさしく、俺にとってのかけがえないない贈り物となった。

こんな切ない映画は、久しぶりだった。

心がふるえた。


映画の冒頭に、盲目の白人が登場する。

その俳優の演技が、とんでもなくすばらしく、冒頭なのに俺は泣いてしまった。



ウイルスミスの映画にはずれはない。

これは、俺が思っていることで、

世間一般では、どうなのだろうか?

俺の感性に合っているだけ?なのか。

あの「ハンコック」でも、俺は泣けた。



この映画は、盲目の白人。

余命僅かな、心臓病の黒人女性。

白血病の少年。

夫の暴力に耐え続け続ける、二人の子の母親。

それら、苦境に立たされた心の優しい人々を、ウイルスミス演じる主人公が、

かかわりを持ちつつ、癒してゆくというストーリー。

ラストへ話が進むにつれ、謎の行動をとる主人公の「目的」が次第に明らかになり、

どうしようもなく切ない、ラストシーンへと話が展開される。


この映画は、愛と贖罪の物語だ。


しかし、観る人間を選ぶ映画だと思う。

俺のように、すばらしいと思える人間と、

だめな人間が、はっきり分かれるに違いない。



だから、人には勧めたい映画ではある。


「七つの贈り物、観た?」

「それで、観た感想は?どうよ?」

(間違いなく、俺が今年観た映画のなかで五指に入る)


読者の皆様はこの映画、観ましたか?

それで……。

感想は、いかが?

ペタしてね

奴隷に、休息などありはしない

俺は夢を観ていた。


車の車窓から、俺は外を眺めている。


地面から、鉄骨が生え、早廻し映像のように赤錆色のビルディングが、次々と伸びてゆく。



何棟も。


無数に。



遠くに見える崖にも、同じように高層建築物が、崖に纏わりつくように屹立していた。


あっという間に、視界は、錆ついた、胸の悪くなるような景色で、覆い尽くされた。


どこからともなく、声が聞こえた。


まるで何かのキャンペーンCMを見ているようだった。



急速な産業の発達が、


あなたの感性と、


人間性と、


視界を奪ってゆく。


美しいものを、


感じるこころを。



海岸に聳える奇妙なビル。


L字型の建物だった。


日の光を照り返し、どす黒い、鈍い光を放っている。


真横から見ても、真上から見ても、L字型をしていた。


車道は、その建物の下を潜る様に続いていた。


全面ガラス張りのそのビルディングを見ながら、俺は以前観た夢で、


この建物の中の一室に、滞在したことがあるのを思い出していた。


広大な広さで、とんでもなく豪奢なつくりの部屋だった。


ということは、これはホテルか?



俺はそこで、目を覚ました。




外から日の光が注ぎ、部屋の中はほのかに明るい。



汚れた鍋。


粉々に砕けた衣装ケース。


そのままだった。



疲労のためか、またもや眠りに落ちようとした瞬間、


扉が乱暴に引き開けられた。



娘の母親だった。


「何で私が、朝食を作らないかわかる!あんたが夜遅く帰宅して、


パソコンか何かをやっているからよ!そんなことをしている人に、


何で私が朝ごはんを作らなくてはならないわけ!」



俺は何も答えなかった。



仕事が終わり、自宅でほっと一息、わずかな自由時間を過ごす事も俺には許されないのか?



この家の中で、俺の自由は、一切ないということなのか?


ここで俺に許された行動は、



飯を食うこと。


寝ること。


風呂に入ること。


自分の洗濯物を洗うこと。


自分の使った皿を洗うこと。



それだけだった。




奴隷ごときに、己の人生を謳歌するなど、許さない。


われのために、死ぬ気で奉仕せよ。


当然だが、それによって死んでも当方に責任はない。


最後にもう一度繰り返す。


何も、楽しむな。




娘の母親は、明確にそう伝えている。



鈍痛が、頭の中にわだかまっていた。


それでも、病院へ行く時間がなかった。



俺は、仕事へ出かけた。



やりたいことが、何一つかなわない世界。


それがたわいのないことであっても。



俺は何のために、働いているのか?


健康や、自分自身のすべてを犠牲にして働き、


わずかな安息の時間さえ否定される。




これは、死に等しい。


俺は、生きながらに、死んでいる。



もう、


終わっていた。


ペタしてね

部屋に投げ込まれた、鍋

奴隷として生きるということは、

日々、恐怖を抱いて生きる、ということだ。

朝、眼が醒めたら、いったい何が俺を、苦しめるのだろうか。


目覚めと同時に、胸を締め付けられる。


それが奴隷の一生だ。




冗談じゃない。

俺は、奴隷じゃないんだ。




俺は目覚めると、部屋の中の異変に気付いた。

汚れた鍋が投げ込まれていた。

鍋のものを、最後に食い尽くしたのが俺で、それは俺が洗うべきだ、ということらしい。

しかし、以前のように鍋を洗おうとは、もはや思わなかった。

自分の使った皿は、自分で洗う。

自分の洗濯物も、自分で洗う。

しかし、鍋は違う。

娘の母親も、使っているからだ。


俺は鍋をシンクへ戻した。

一日が終わり、早朝バイトへ行き、帰宅すると、またもや部屋に鍋が投げ込まれていた。

俺は鍋をそのままにして、仕事に出掛けた。


もう、どうでもよかった。


俺は車を運転しながら、ふと、クリフハンガーという映画のワンシーンを思い浮かべていた。

極悪非道な犯罪集団のボスに仕える、気の弱いハゲ親父。

ボスの、あまりの非情ぶりに、いつも首をすくめ、ビクビクだ。

そんなハゲ親父が、ハンティングへ出かける。

犯罪集団の計画を、たったひとりで妨害せんとする男を抹殺しに。

ボスから無線連絡が入る。

ハゲ親父は、ボスを鼻で笑い、ボスの名前を口にする。

ボスは、名前を言うなと慌てる。
(無線にのって、彼らの犯罪が公になるのを恐れて)

ハゲ親父は知ったことかと笑い、意地悪く更に名前を言う。

俺の好きなようにやるぜ。

このときのハゲ親父が、心から解放されたような、生き生きとした表情をする。

俺はこのシーンが好きだった。

ハゲ親父は知っていたのかもしれない。

自分たちは、一人残らずその男に、抹殺されることを。

自暴自棄というやつか?



会社の駐車場へ着いた。

俺の会社のボスも、自らの資産形成のためなら、俺たち社員など、クソ扱いだった。

無休。

手当て無し。

まあ、こんなものだろう。


搾取される側と、

搾取する側。

蟹工船と、なんら変わりはないのだ。