何も考えない
あんたは何も考えていないのか。
娘とおもちゃで遊んでいる時、妻がいきなり怒鳴った。
どうしてこうなるのか、何も考えていない。
だから、何も解決しないのだ。
そんなようなことを延々と話している。
ひょっとして、それは一瞬の出来事であり、俺がただ延々だと感じただけかもしれない。
話しを最後まで黙ってい聞いた後、俺はたまらず庭に出た。
外はもう暗くなっていて、雨も降り始めていた。
一時も、気を休めることが出来ない。
それが現実だった。
暗闇を茫洋とした気分で眺めながら、俺は妻の言った事を考えていた。
何も考えていない。
それは、死んでいることと同じだ。
思考は、最後にそこに行き着いた。
陰惨な気分で玄関を開けると、また怒鳴り声だった。
そうやっていじけているだけで、何も考えていない。
もう、勘弁してほしかった。
それでも、俺は黙って耐えた。
○○ちゃんは、ちゃんと物事を考えるのですよ。
妻が娘に言っていた。
俺はそのまま、娘達の布団をひき、居間のソファーでじっとしていた。
しばらく天井をみつめていてはっとした。
俺は今、何も考えていないことに気付いた。
偶然?それとも
いつもより、30分遅く仕事場を出た。
通勤時の車内だけが、俺の空間かもしれない。
その時だけ、俺はだらだらと、様々な事を考え込んでいられる。
何故か、以前勤めていた会社での事を、思い出していた。
そこにいた、ちょっと生意気で、オタクっぽい女。
そして、出入りの業者で、俺も一緒に仕事をしたことがある、野獣のような男。
この二人が付き合い始めたと、人づてに聞いたことを思い出していた。
この話を聞いたのは、もう一年以上も前のことである。
その時は、そんなことがあるのかと、少なからず驚いたのだった。
会社の宴会で、二人が同席する姿を一度見たことがあるが、どうみても繋がらない二人だと、思った。
そして、今もそう思っている。
二人が仲睦まじく、寄り添う姿を想像してみた。
ありえねえ。
俺は口元だけでニヤリと笑った。
色々な所に思考が飛び、最後は娘にたどり着いて、俺は考えることを止めた。
そしてまた、口元だけで笑った。
気が付くと、携帯が鳴っていた。
前職の同僚からのメールである。
俺は奇妙な感覚に捕われていた。
いまさっき、頭の中でふと思い出した、風変わりな二人。
メールは、その二人の結婚を伝えるものだった。
偶然だな。
それとも、必然だったのか。
この世に、偶然など有りはしない。
ある映画の中で、耳にした台詞を、取り留めも無くまた思い出していたのだった。
おままごと
「チャーハン作るからね」
娘が寝室の隅に設えた木製のおもちゃのキッチンで、調理のまね事を始めた。
フライパンと鍋に、二つに割られたハンバーグをひとつずつ入れる。
「はいどうぞ」
そう言って、鍋の蓋を皿のかわりにハンバーグを盛って俺の前に出してくる。
きちんと自分の分も作ったようだった。
同じものが、娘の前にも置かれている。
また、どうぞと言って、俺に喰うように勧めてくる。
私はありがとうと言って、それを口に入れるまねをした。
どうしようもなく、娘がいとおしくなって、無理やりこちらに引き寄せ、抱きしめていた。
そして、頬を摺り寄せた。
娘は、大声を上げて俺を引き剥がし、左腕をつねってきた。
目を丸くして、俺を睨んでくる。
そして、怒った顔もまたかわいいと思ったのだった。
痛いと大げさに言うと、娘も歯を出して笑っていた。
そして、また何事も無かったかのように、調理を始めたのである。
今度は何を作るのと聞いたら、ご飯だと答えた。
鍋の中を覗きこむと、さっきと同じハンバーグが一切れ入っていた。