初老の紳士
たまらずに玄関を出た。
そのまま扉に寄りかかり、携帯を取り出す。
なんとなく、ブログを更新しようという気分になったのだった。
五分とたたないうちに、突然扉が開いた。
俺は咄嗟に携帯を隠そうとするが、手のひらの上でそれが踊り、辛うじて取り押さえた。
妻が俺を睨み付けてくる。
扉がでかい音を立て、鍵までかけられてしまった。
俺はそのまま、近くのスパーまで歩いた。
持っているものは、携帯だけだった。
財布を持っていないことが悔やまれた。
スーパーの中には、ファーストフード店があった。
テーブルが並べられ、正面にはテレビが据え付けてある。
買い物帰りの主婦たちが、一休みする場所。
若者などほとんどいなかった。
俺は一人の白髪の紳士に目を留めた。
以前にも、ここで見たような記憶があった。
古い住宅街だった。
開発された当初移り住んできたとして、ちょうどあれくらいの年齢に達するだろうと、なんとなく思った。
一時間。
俺はただじっとしていた。
周囲の客はめまぐるしく入れ替わり、俺とその初老の紳士だけが同じ場所に居続けた。
初老の紳士の買い物袋を見やる。
カップ麺が二個、透けて見えた。
翌日、俺は買い物を思い出し、昨日のスーパーに行った。
レジを抜け、真っ先にテーブルの並ぶ休憩スペースへ向かった。
初老の紳士。
テーブルにつき、テレビを眺めていた。
買い物袋は見当たらない。
どこか屈託のある眼差し。
それに、自分を重ねてしまうのだろうか。
俺は少しの親しみを感じた。
ちょっと声を掛けたくなるような気分になったが、俺はそのままスーパーを後にした。
少年たち
「また会えたね」
少年に声をかけられた。
小学一年生くらいだろうか。確かにその少年に見覚えがあった。
しかし、少年が声をかけたのは、俺ではなかった。
ベンチの横で、横たわる老犬にだった。
散歩の途中、この公園でよく休む。
その時に老犬と戯れた数人の少年たちの中に、この少年もいたことを思い出す。
公園を見渡すと、ほかに三人の子供たちが遊んでいた。
プラスチック製の日本刀を振りかざし、お互いに斬り合っている。
俺が子供のときもあれで遊んだ記憶があった。
いまどきの子供も、あんなもので遊ぶのだ。
少しだけ驚き、少しだけ微笑ましく思った。
二人が一度こちらに来て、老犬に手をなめられ大声を上げたりしている。
また、駆け出し斬り合いをはじめた。
目の前の少年は、しばらく老犬を撫でたりしていたが、思い出したかのように仲間たちの方に戻っていた。
戻るとすぐに、その少年は一番背の低い少年に斬りかかった。
残りの二人も次々と斬りかかる。
背の低い少年は、仲間の輪からはじき出され、俺と対面する位置のベンチに一人座った。
少年は、それでも仲間たちの楽しそうに遊ぶ姿に視線を注いでいた。
少年の手には、何の武器も握られていないことに俺はその時気付いた。
俺はひどく感傷的な気分になった。
子供のときに、同じようなことがあったような気がした。
しかし、それがどんなことだったか思い出すことは出来なかった。
少年は、じっとベンチに座ったままだった。
しばらくすると、彼らより大きな少年がやってきて、ベンチに座った少年の所にいった。
肩から下げたバックからお菓子を取り出し、少年に渡した。
少年はそれを、上品なしぐさで食っていた。
また何か、昔のことを思い出していた。
子供のときの、ヒロシという友達。
ヒロシは俺より年下だったが、俺より背が高かった。
ヒロシがどんな顔だったか、はっきりと思い出すことは出来ない。
隣に住んでいたヒロシは、祖母と二人暮しだった。
音楽が鳴り響いて、俺は記憶の中から引き戻された。
少年たちに、帰宅の時間を知らせる童謡がこだましている。
少年の一人が声を上げた。
呼ばれた背の低い少年は、ベンチから飛び降りると仲間のもとへ駆けて行った。
二人が兄弟だった事に、俺はその時気付いた。
少年たちは、それぞれ別の方へ駆け出して行った。
日が暮れ始めている。
俺はベンチから腰を上げた。
人の気持ちは大切に
出来ることならひと休みしたいところだったが、妻に家具の組み立てを頼まれた。
イレクターである。
棚の間隔がどうのと非常に細かく、それが五月蝿かった。
頭痛のせいか、思わず顔に出そうになる。
組み立て終わり、飯を喰った。
美味いと一言いう。
ただ黙って喰うだけかと以前に言われた事があったからだ。
ほんのひと時、娘と一緒にアニメを見た。
そこに妻がずかずかとやってきて、壁をいじり始めた。
古い壁を剥がそうとする。リフォームである。
嫌な感じだった。
案の定、あんたは何もしないと罵られた。
俺は古壁を剥がし始めた。
すると、今度は埃が酷いから止めろと妻が怒鳴った。
付き合いきれなかった。
俺は片付けが終わると、自室へ逃げ込み、ただじっとしていた。
小説もウエブもご法度である。
しばらくして、また妻が何か怒鳴っている。
俺は妻の前に出た。
「本当に何もしないんだから。くだらない小説ばかり読んで部屋に引き篭って」
またかと思ったが、もう黙っている気はなかった。
「朝から、家具を組み立てたじゃないか。同じ部屋に居れば文句ばかりか」
「あんたは私が言わなければ何もしないからよ。自主的に何もやろうとしないじゃない」
「俺が何かやれば、それが気に入らないんだろ。いや、違うな。俺が目の前にいるだけで気に食わないんだ」
「あんた、何を言っているの。本当に馬鹿じゃないの」
俺は本当に馬鹿なのか。
刹那、思った。
妻は踵を返し、部屋を出て行った。
馬鹿だなんだと隣室から罵りが聞こえてくる。
一人になると、急に頭痛が酷くなってきた。
それから妻は、信じられない行動に出た。
伯母から贈られた絵を額から取り出しそこに、娘の描いた絵を入れた。
「いい額があったわ」
妻が言っている。
俺は居間に入り、伯母の絵を探した。
見当たらない。
まさか。
そう思い、ゴミ箱を覗く。
色紙に描かれた絵があった。
俺はそれを拾って自室の押し入れに仕舞い込んだ。
「近くに居る人の気持ちは大切にしないで、そんなものは大切にする訳」
俺は閉口した。
そして、怒りを通り越し、気付くと笑っていた。
「笑うしかない、か」
呟きも虚しく消えた。