日々を生きる。~大切なものを失って得たもの。 -187ページ目

歌が聞こえて~涙をとどけて

深夜。

バイト。

車の中。




ラジオから聞こえる歌に耳を傾けていた。

窓を開けると冷気で身震いするほどだった。

地平の少し上に、紅い月が出ていた。



「ひでえな」

「まったくですね」




いつもの愚痴が聞こえてきた。

バイトは二人一組で、俺の相棒は初老の、気のいい人だった。



「まあ、こんなもんだろうよ。俺たちバイトはな」

「まいりますね」

「どぶ掃除みたいなもんさ。社員の奴らがやりたがらない、屑仕事ってわけさ」




俺は答えず、月を眺めながら、音楽に耳を傾けていた。



いい歌詞だった。

情景が目の前に広がってくる。


降りしきる雨音が聞こえてきそうだった。


調子っぱずれの自分という言葉に、俺は苦笑していた。



風が強かった。

目の前を、枯れ葉かゴミかよくわからないものが転がっていった。



歌詞が心にしみた。


意地も夢も心の中にちゃんとある。


そんなことを歌っていた。


思い描いた風景に虹を架けたい。



歌を聴きながら、何故か涙が出そうになった。


「どうしたんだい」


隣の相棒だった。


「眠いですね。あくびですよ」


俺は溢れそうになる涙を、なんとか堪えた。






映画 黒澤明監督「用心棒」~三船敏郎の格好良さに酔え

この年齢になって、初めて黒澤明監督の「用心棒」を観た。





主人公の、桑畑三十郎こと三船敏郎。



ひげ面の、苦み走った表情。



薄汚れた衣装に、リアルな殺陣(時代劇特有の安っぽい効果音がほとんど無かった)



三船敏郎だけが際だっていた。



他の役者が可哀想なくらい、三船敏郎がかっこよく魅力的だった。



今の年齢だから観てしまったのか、もっと若いときに観ていたらこれほどまでに、いいとは思わなかったかもしれない。





※その後、期待してみた「七人の侍」での三船は、陽気でおばかな侍役でちょっとがっかりした。





ちなみに、最近公開された織田裕二版の「椿三十郎」はどうなのだろうか?



三船敏郎の椿三十郎(用心棒の続編とされている)を超えられたのだろか。



時間があったら観てみたいと思う。





三船敏郎のような役者は、現在では、いないのではないか?





木村拓哉が時代劇に出るくらいなのだ。



かっこよさの尺度が、昔と違うのだろう。



渋いオヤジが主役を張る時代では無くなってしまったのか。







オヤジがかっこよかった時代。







昔は良かった。




醜悪な女 と 他人

文句。


それは必ず朝一番に、醜悪なものから吐き出される。


妻だ。


容姿が醜悪というわけではなかった。


その下に隠れたものが、どんなに蓋をしてもあふれ出してしまう。


そんな感じだった。




「窓を閉めたら、鍵を閉めてよね」




洗面所の窓が開け放ってあった。


それで、朝の冷気が耐えられなくて閉めた。


顔を洗ったりする僅かな時間だけなのだが、そんなことは、妻には関係なかった。




どうということもない、くだらない出来事も俺を攻撃する材料になってしまう。




金は渡されなくなった。


弁当も作ってくれなくなった。



見知らぬ家庭の一室に、寝泊まりをしているだけの、どこかの男。




他人。




一日一食。夕飯だけの暮らし。


飯が炊いていなければ、それも無しだった。


おかずはいつも余り物で、無ければ冷蔵庫の中のもので何か作った。



洗濯も自分でするので、実質一人暮らしと何ら変わらない。


それでも蔑まれ、疎まれるのだった。




妻は、いつも何かと比べ、そして、いかに自分の境遇が惨めかと、俺を責める。


比べるのは妻の友人で、社会的地位も経済的にも裕福で、我が家とは比較にならなかった。


責められるたびに、乞食か何かになったような気分に襲われる。


酷く惨めになり、無力感に苛まれる。




顔をしかめ、俺と視線も合わさずに、妻が横を通り過ぎていった。


そのとき俺ははっとした。


握り込んだ拳を、妻の顔面に叩き付ける場面が脳裏に浮かんだのだった。





拳。



開いた。


掌の白くなったところが徐々に赤くなっていった。



指先が、微かにふるえていた。