城山魂 -83ページ目

なぜ成功者は素直なのか?

今日はラッキーな一日だった!

というのも、長年理解できなかった疑問が解決したからである。その疑問とは・・・

「自己成長のためには素直さが必要である」

という言葉に対する疑問である。これはビジネス書以外でもよく耳にする言葉である。中には、幼少の頃から言われてきた人もいるのではないか?

しかし、私は今までこの言葉に疑問を感じていた。素直過ぎ、他人の意見を全て聞いていたら芯のない人間になってしまうのではないか?自己反省の繰り返しみたいな人生などストレスばかりで疲れないのか?等々である。

しかし、実際に自分の周りを見ても、成功をおさめている人間は決まって素直である。だが、私は素直な人のメカニズムが理解出来ないでいた。そんな私にとり「素直であれ」というフレーズは、わがままな子どもに対する親の怒り文句にしか思えなかったのである。

しかし、疑問は本日あるセミナーの中で突然解決することとなる

セミナー講師いわく、成長する人間は、問題やピンチを迎えたとき、それをチャンスととらえるのだという。例えば、「会社の職員が掃除をしない」という問題があったとしよう。成長する人間であればコレを、「皆に掃除の素晴らしさを教えるチャンス」や「お手本となる自分自身が見本になる掃除が出来ているどうかを見直すチャンス」と捉えるのだ。そして、次にそのチャンスをものにするには、どこを修正すれば良いのか(自己反省)を考えるのだという。つまり、素直な人間とは他人から指摘を受ける時や問題にブチ当たった時も、「どこを修正すればチャンスをつかめるか」に焦点を置いているのである。

だから、例え、失敗をして他人からお叱りを受けた場合でも、説教も半分ワクワクして聞けるのである。

しかし、素直になりなさいという言葉尻だけをとらえて、自己反省のみを繰り返していては、気持ちも沈んでしまうし、何のために反省するのかも分らない。やはり、自己反省をする前に、「どんなチャンスなのか?(チャンス受信)」を明確にしワクワク状態を作ることが、素直であり続けるコツのようである。成功者はピンチや問題をチャンスととらえるというところまではよく聞いた話だが「問題発生→チャンス受信→自己反省→対処」の順番が重要であることは、今回初めて知ることが出来た。

世の中にあふれる素直な成功者。彼らはこんな細かい部分においても目的を明確にしていたのである。

誰が悪いのか?

先日、職場における私の見られ方を知る、一つの出来事があった。

終業時刻を1時間くらい過ぎた時だろうか?接客をしている私のところへ、最も年配の職員Mが来て、突然こう言った。

「S先生が用事があるんで早く帰りたいそうです。」

「どうぞ、帰って下さい」と手短に返事をしたが、私は訳がわからなかった。終業時刻を過ぎているのだから早く帰れば良いし、なぜ本人ではなくMがそれを伝えに来るのだ?私はしばらく考えた。しかし、考えれば考えるほど「Mが変に皆の前で親分肌を見せつけようとしたのか?」「Sが忙しい自分に皆から同情を得ようとしてしたのか?」次々と想像がわき、腹が立ってきた。いずれにせよ彼らの一連の行動が、稚拙に思えて仕方がなかった。そして、私は気づけばSに対し「伝えたい事があるなら話を大きくせず、直接自分に言ってくるように」とボヤいていた。

時間にして30分位が経ち、私はようやく落ち着いて考えられるようになった。そして、今回の一連の出来事の最大の問題点が自分にあることを悟った。

今回の出来事の最大の問題点。それは、Sが私に対して、早く帰りたいとの意思を伝えられなかったこと。つまり、普段から「言いやすい空気」作りをしてあげることが出来なかった私にあるように思えてきた。

とりあえず、今回の経過についてはSに対して謝ろうと思う。そして、もっと優しく「伝えたい事があったら、コッソリ言いに来な」と伝えてあげようと思う。きっとSはビックリするだろう。たとえMやSに何か意図があって、今回の一連があったとしても、それはそれで良い。自分が変わることで組織が変われば良いし、周りの人間はしっかりとそれを見ていてくれるように思う。

また、一つリーダーとしての階段を登れると思うとワクワクして仕方がない。

仕事の任せ方

最近、職場から帰ってきた母が、疲れたと繰り返す。

夕食をしながら母が、それを口に出すと、それを聞いた父は決まってこう言う。

「仕事の任せ方が悪い!」

現在も保育現場の前線に立つ母も今年で51歳。現在、通園している園児の祖母くらいの年齢にあたる。どうやら体力も限界に近付いているようである。しかし、真面目な母親は、基本的に仕事を自分ひとりでこなそうとする。人に任せられない性格なのである。

この母の真面目さは、美しいものでもあるのだが、一方で将来の不安要素でもある。母が本当に体力的限界を迎えた時、突然、全業務を引き受けることは、かなり困難な話である。また、仕事を任せないことは職員の能力伸び悩みにも繋がる。

そこで、私は母の業務内容を整理し、職員に任せられる仕事は少しずつ、私から職員たちに任せることにした。これで、母の経営者としての視点も広がるし、園職員全体のレベルアップにもつながる。

そこで、私は自身の仕事の任せ方に対するスタンスは以下にまとめてみた。

まず、はじめに何より率先垂範である。いわゆる「見本」になることである。これは今の母親が十二分に実践している。やはり口だけでは人は動かない。

次に「信頼(職員を信じ切る覚悟)」である。経営者が職員を信じる以上に職員は経営者を信頼してくれない。従って、私には相手をどこまでも受け入れる寛容さが求められる。ここが一番のキーポイントになるのではないか。

そして、最後に「支援」である。この支援というのは職員に楽をさせるというわけではない。最初に仕事を任せる際に、少しだけ手を貸し、仕事が出来た時点で、相手の手柄にするというものである。人間は一度出来たことは、二回目以降は容易にできるという。やはり、自信をつけさせる支援をすることは大切である。

以上が私の考える仕事の任せ方である。当然、これは初めての試みである以上、最初から全てが上手くいくとは思わない。しかし、人間が時間に拘束されながら生きている限り、仕事を任せるスキルというものは経営者にとって不可欠な技術である。失敗を繰り返しながら、他にも新しいスキルを身につけていくことになると思うが、まずは母親に楽をさせたいというのが息子である私の本音である。

新しいことに挑戦すると思うと、何故か少しずつワクワクしてきた・・・

夢から覚めた日

私の最も尊敬するアスリートにNという国内プロバスケットボーラーがいる。Nとは大学バスケットボール部時代の友人で、卒業した現在も頻繁に連絡をとる親友である。そのNがプロ3年目にあたる今シーズン、遂に日本一を決めるトーナメントの決勝に勝ち進んだ。実はNと私は大学バスケットボール部で出会ったものの、2人とも数ヶ月で退部をしてしまった。そんな、一旦はバスケットの夢をあきらめかけた彼が、プロの世界でコートに立っていることだけでも、私には感動であった。

彼の活躍を願う私は、決勝にたどり着くまでの約1ヵ月間、彼の試合には欠かさず顔を出した。そんな私の頭には、常に彼の試合のことあった。仕事中、食事中、寝る前、一種の中毒状態であった。

試合の終盤、Nのこの日2回目の出番が訪れた。昨年王者に対し、善戦はしたものの、ほぼ敗北が決定的となった場面だった。場内の観客もそれを悟ってか、徐々に静まり始めていた。

しかし、次の瞬間、私は自分の人生観を変える光景を目にする。もがくようにマークマンに必死でへばりつくNの姿が目に飛び込んできた。いつもは大人しく柔和なN。そのNが2メートル近い黒人に吹き飛ばされそうになっても、あきらめず一心不乱にボールを追いかけている。それは、もうプロバスケットボーラーという仕事ではなく、正に生き様であった。私の隣ではNの妻が泣き叫びながら彼の名前を連呼する。その表情からは彼らの日々の苦楽が連想され、貴くさえ思えた。一方、私はNが眩しすぎ、声を出すことさえできなかった。

一緒に過ごした苦学生時代、企業を退職しプロボーラーを目指した挑戦、彼を支え続けた家族の姿。Nと過ごした8年間が走馬灯のように思い出された。

しかし、次の瞬間、試合終了を告げるブザーが鳴った。相手チームがガッツポーズをしながら、コートに流れ込んできた。それは私が夢から覚めた瞬間でもあった。

つかの間の真っ白な時間の後、私は気がついた。いつの間にか、彼の夢が私の夢になっていた。この1ヶ月間、私の頭の中には、常に挑戦を続けるNの姿があった。私は彼の夢の中にいた。

夢を与える仕事ってこういうことなんだ・・・。

私は夢から覚めて初めて、それに気がついた。

感動した。いつもは、試合後に「お疲れ様!」と一声かけに行くのだが、この時ばかりは、立ち上がることさえ出来なかった。溢れる涙を隠すのが精いっぱいだった。

大学を卒業してからの4年間、私はどんな生き方をしてきたのだろうか?経営者になった、資格も沢山とった、給料も沢山貰えるようになった、きっとNよりも裕福な生活をしている。しかし、自分の背中を見て、泣いてもらったことはない。中途半端に格好つけて冷静にこなそうとする自分だけがいたような気がする。何かが欠けていた。

しかし、あのNの姿を見た、自分はもう違う。大好きだったバスケットを諦めて選んだ、経営者という生き方。最高に情熱的で夢あふれる人間として生き抜きたい。そして、自分の生き様を見て、涙を流してくれる仲間に囲まれて死んでいきたい。本気でそう思えるようになった。

今回、夢を見せてくれたNにはお礼を言いたい。本当にありがとう。

今度は自分がお前に夢を見せてやる!

わくわくワーク

 皆さんは仕事をする時にワクワクしているだろうか?

本日、ある仕事にのぞんでいる時、私は、自身が物凄くワクワクしていることに気付いた。よく、ビジネス書に「仕事にはワクワクした気持ちでのぞみなさい」ということが書かれている。それらの本を読む度に、私は決まって無理にでも自分をワクワクさせようとしていた。無理やり気分を盛り上げるといった感じである。確かに、それも一つの方法である。

しかし、今回の自分は違った。今までに誰もやらなかったことに挑戦し、職員を驚かせたかった。自分の挑戦に周りがどんな反応を示してくれるかが楽しみで仕方なかったのである。例えるなら、サプライズパーティーの準備をしている時の気持に近い。こういった「努力」であれば、いくらでもして良いと感じた。

通常、仕事に対する「努力」と聞くとマイナスイメージを持たれる方が多いように感じる。「こんなに努力しているのに・・・」と感じたことがある方も多いのではないか?しかし、決まってそういった場合は、結果も出にくいものである。おそらく努力は苦しいもの、あるいは苦しむ事と考えているからではないか。『ツキの大原則(西田文郎著)』によると脳科学的にも成功者は努力を苦行と考えていないことが証明されているらしい。実際に、赤字企業の会社の社長と黒字企業の社長ではどちらが必死で努力しているだろうか?明らかに前者である。プロ野球の一軍・二軍の場合も然りである。どうやら、苦しむだけの努力と結果は必ずしも比例していないようである。

では、どのようにしたら、ワクワクしながら仕事ができるのだろうか?超一流の経営者の方に言わせれば手法は沢山あるのだろう。しかし、今のところ私の出した結論としては「どうやったら相手が感動してくれるのか?」を考える。それにつきるように思う。従って、同じことを単純に繰り返しているだけでは、当然感動も薄れる。やはり、そこでは人を感動させるための探究心が問われるのではないか?

以上のように考えると、自分がワクワクしながら仕事が出来ているか?それは一種の自分の仕事のレベルのバロメーターと言えるのではないだろうか?

さぁ、今日あなたはどのように人を感動させるだろうか?