アルメニア入国第一日については、ジョージア編の最終日にその行程をざっと書いたが、
この旅行記を国別の形式で書いているので、初日の記事は一部重なっている。
10月29日、
今日は当初の日程、トビリシ市内観光後のアルメニア入りではセバン湖が夕暮れてしまうので、市内観光は最終日にして、ジョージアーアルメニア間の国境へ。
その距離75キロ。国境は徒歩で越えてアルメニア入り。入出管事務所は撮影禁止。
アルメニア最初の観光はセバン修道院。
登りの階段はきついが、修道院までたどり着くと湖とその奥に広がる山並みの景観が素晴らしい。
この修道院のイコンは聖母子。十字架のイエスキリストは見当たらない。

セヴァン湖畔にある、9世紀に創建されたいくつもの建物からなる複合宗教施設。現在は聖使徒教会と、聖書の物語が十字架を囲むようにして彫られている、珍しいハチュカル(十字架の碑)のある聖母教会のみが残されている。この2つの教会の横には、6本の木製の柱でできたガヴィト(回廊)の遺跡がある。
昼食後の最初の観光はハフバト修道院。

聖ニシャンによって10世紀に創設された、ハフパットにある修道院。アルメニア史上において、最も美しく壮麗な修道院の一つに数えられており、アルメニア国内にある聖十字架の中でもハフパットの聖十字架が最も有名。「ウラルトゥ王国ハフパットの聖十字架」とも呼ばれるこの修道院には、最盛期に500人ほどの学僧が集まっていました。近くにあるサナイン修道院とともに、アルメニア教会の中心的な役割を果たしたこの修道院は、1996年にユネスコ世界遺産に登録されました。
ここからさらに1時間かけてエレバンに。
ホテル到着は21時過ぎ。それからホテルで夕食。
10月30日(火)
今日はエレバン近郊の観光へ。
本日のハイライトはアルメニア正教の大本山、エチミアジン大聖堂と宝物館。
宝物館では磔刑にされたイエスキリストを突いた槍が超目玉。
しかし出発前にメールがあって、槍は米国に貸し出し中とのこと。
事前に知っていたとはいえがっかりして、なあ~んだ、とどっと疲れが出る。

これがその槍、現物がない代わりに実物大の写真があった。
もう一つの宝物はノアの箱舟の破片。これは実在した。
もっとも、実在、と言っても、この創世記の物語、
神と契約を交わしたアダムの末裔ノアは「500歳になって、セム、ハム、ヤベテを生んだ」
しかも、水が引いたのはノアが601歳の1月1日と言うから、ちょっと信じられないので、
破片も信じる気にはなれない。今や木は石化している、とのこと。

最も、残念だったのは総本山である大聖堂が修復中で祭壇をはじめ主要構造物が
白い布で覆われていたこと。
しようがないので、売店で大聖堂と宝物館の写真集を購入。
ツアー仲間の女性が、ジョージアやアルメニアの教会が「地味」と言っていたので、
彼女にその写真集を見せる。
もちろん西ヨーロッパの教会と比べて地味なのは間違いない。
それはローマカトリックが中世に政治権力と表裏一体化し、信者から金を集めるために
赦免状まで乱発して、それがルターの宗教改革に繋がったのだが、
ジョージアにせよ、アルメニアにせよ、キリスト者の修行の場所修道院と教会と信者が
密接に繋がっている両国には、派手な金集めをする意図も信者の余裕もなかっただろう。
宗教改革の波は、プロテスタントの宣教師が両国に入ってきても布教の土壌はなかったらしい。
昼食後はガルニ神殿。このギリシャ風の建物、その由来は、

エレバンから約28キロの町、ガルニにある遺跡。現在アルメニアに残る唯一のヘレニズム建築で、神殿を含む建築物は三角形の高台に建っています。この場所に要塞が築かれたのは紀元前3世紀のこと。紀元1世紀にはアルメニア王ミトリダテスの離宮が置かれました。この神殿が建てられた頃のアルメニアは、ギリシャやローマの大きな精神文化の影響を受けてた時代でした。神殿は「太陽の神殿」と呼ばれ、異教の神である太陽神「ミトラ(ミトラス)」に捧げられたものです。17世紀の地震で倒壊しましたが、1970年代に再建され現在に至っています。ガルニ神殿のそばには「ストンシンフォニー」という名前で世界自然遺産に登録されているアザット谷があります。
ガイドさんが、ミトラ神はアルメニア由来、というのでエジプトかギリシャ由来ではないか、
とやんわり訂正を促しても、頑として聞き入れなかった。
彼女の中で固定観念が出来上がっているのだろう。
そこで気になって、アルメニアのガイド資格について聞いたのだが、大学で4年間日本語を学び、
一度一般の会社に勤めたのち再度大学で日本人教師について学び、ガイドの資格は日本大使館で
、と得た、とちょっと信じられないきもちだが、それ以上追及するわけにもいかず黙り込んだ。
ゲガルト修道院は、ここで「槍」が発見されたことから、槍という意味の「ゲガルト」と命名された、とのこと。
ここで、コーラス隊の4人の重唱を聞く。
男女二人ずつの声は洞窟に良く響き、厳粛な気持ちに誘われる。
報酬はCDの販売で一人しか買う人がいなかったので、チップとしてCDの半分の額を渡す。
音楽家というものは、極々少数の人を除いて、それで身を立てるのは難しい。
例えば、N響の団員でも然りだ。
次はエレバン市内観光
エレバンについて観光情報局の案内から。
アララト平野の南東に位置するアルメニアの首都です。その歴史はアルギシュティ1世によって要塞が築かれた紀元前8世紀にまで遡り、バグラト朝の中枢として栄えました。イルハン朝の中心都市となった後は、オスマン帝国とサファヴィー朝の角逐の場となり、サファヴィー朝ではエレバン・ハン国に編入されました。1679年に見舞われた大地震により多くの建造物が倒壊しましたが、エレバンの街にはそうした歴史を感じさせる重要な建造物が数多く残されています。また、郊外には、エチミアジン大聖堂、リプシマ教会、ズヴァルトノツ古代遺跡の3つのユネスコ遺産があります。
最初は共和国広場にあるカスケードへ。

見ての通り階段状の構築物。内部にはエスカレーターがある。
天辺に見えるのはソヴィエトアルメニア50周年を記念して建てた塔。
これが健在であるということは、今もロシアとは良好な関係を保っているということだろう。
何しろ石油資源の豊富な隣の国アゼルバイジャンとはナゴルノカラバフ紛争を抱えていることもあり、
エネルギーはロシアに頼らざるを得ないのだ。
ここから、ややシドニーのオペラハウスに似たモチーフの建物が遠望できる。
それはオスマントルコの時代、アルメニア人が虐殺された記念館。
ではあるが、トルコとの関係はさほど悪くない、とのこと。
それよりはナゴルノ・カラバフ紛争の相手国アゼルバイジャンに敵愾心が強いらしい。
余談だが、アゼルバイジャンで買った「I love BAKU」の野球帽はカバンにしまって、
ハフバト修道院で買ったアルメニアの国旗、国名入りの野球帽を被っている。
夕食はフォルクロアショー付き。
打楽器の演奏者の技が素晴らしい。
ここはチップを差し出す雰囲気ではないようだ。
ホテル帰着は21時30分。
明日はエレバンに戻って観光後トビリシからカタール経由で帰国。
荷物を粗々整理して眠りにつく。
10月31日(水)
朝共和国広場を下車、写真を撮ったのち、再びバスで国境を越えてジョージアのトビリシへ。
トビリシでは29日月曜日予定の観光をする。
実は出発前国立美術館でニコ・ピロスマニの絵を何とか見たい、と思っていたのだが、
月曜休館で如何ともし難くあきらめてしまったので、美術館への所在位置や行き方、仮に
団体行動を離れるとすれば、そこから空港までの行き方、などなどを調べてこなかった。
しかし日程変更でその可能性が開け、現地のガイドさんに聞けば事前調査よりは確実な情報も
得られる、と踏んでツアーガイドの人に希望を述べ、現地ガイドの人とも話したのだが、
埒が開かなかった。やはり一応自分で調べておくべきだった、と悔やまれる。
その所為か、メテヒ教会、シナゴーグ、あるいはジョージア正教会主教座シオニ教会など、
あまり身が入らなかった。
トビリシからはカタール航空358便で、ドーハに戻り、01時55分発成田行き806便で
成田着11月1日17時55分。
宅配に荷物を預け、19時少し前のスカイライナーに乗って、駅に連れ合いに迎えに来てもらい
8時40分ごろ自宅到着。シャワーを浴びて久しぶりの夕食。
実は夕食のメニュー、刺身、冷ややっこ、生野菜と予め頼んであった。
なにははともあれ無事で帰ってこられたことを感謝。
参考:アルメニアについては予習編参照
追記:コーカサス三ヵ国旅行の写真や引用はアゼルバイジャン、ジョージア、アルメニア
各国の観光局などの公的機関のホームページから借用。