#コーカサス三ヵ国旅行  #予習編1 #アゼルバイジャン #拝火教 #カスピ海 | Gon のあれこれ

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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

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カスピ海と黒海に挟まれたコーカサス山脈の南側に、三ヵ国がある。

 

19991年12月、ゴルバチョフの辞任と共にソ連邦が崩壊。

この三か国は崩壊を機に独立した。

ソ連邦の成立は1922年12月だから、成立後69年後の出来事である。

 

古代にはアルメニア、グルジアでキリスト教が栄え、12世紀にモンゴル軍が襲来してこの地を支配した。

 

16世紀以降、南コーカサスはサファヴィー朝などのイラン勢力とオスマン帝国の争奪の場となり、1578年オスマン・サファヴィー戦争のひとつララ・ムスタファ・パシャのコーカサス戦争が起こった。

19世紀に入ると北コーカサスの併合を完了したロシアは大コーカサス山脈の南にまで勢力を伸ばし、南コーカサスを支配するカージャール朝イランとオスマン帝国からこの地方を奪った。同じ時期、北コーカサス東部の山岳地帯では、ミュリディズム運動と呼ばれるイスラム神秘主義のひとつナクシュバンディー教団の指導者たちを中心とする反乱が起こり、ロシア支配に激しく抵抗した(コーカサス戦争)。

ロシア革命が起こると、南コーカサスではアルメニア、グルジア(ジョージア)、アゼルバイジャンが1918年に独立を宣言するが、相互に対立を続けるうちに1921年に赤軍の侵攻を受け、1922年ザカフカース社会主義連邦ソビエト共和国を結成してソビエト連邦に合流した。北コーカサスでもチェチェンやダゲスタンで独立運動が起こるが赤軍によって赤化が進められ、ロシアに編入された。(Wikipedia)

 

 

アゼルバイジャン

アゼルバイジャンは、ソ連邦下の共産党でのし上がり、モスクワの中央政界入りで中央委員会政治局員に抜擢されるも、ゴルバチョフと対立して引退して故郷に帰ったヘイダル・アリエフが1993年大統領に就任。プーチンの先駆けともいえる強権政治で支配。現在は息子のイルハム・アリエフが継いでいる。

 

人口は900万人強。南にイランと国境を接していることもあり、イスラム教シーア派が主流である。

アルメニアと国境を接するナゴルノ・カラバフ地方の領有権をアルメニアと争っており、ここは危険地帯である。

 

イランと国境を接するイラン北部はアゼルバイジャン人が多く、「法学者が統治する国」イラン

第二代最高指導者ハーメネイ師は父親がアゼルバイジャン人である。

サッカーのイランチームにもアゼルバイジャン人が多いらしい。

 

バクー油田など豊富な天然資源が国の経済を支えている。2006年にはグルジアから地中海に面するトルコのジェイハンまでのパイプラインが開通し、エネルギーのロシア依存を脱したいEUにとっては大きな恩恵になっている。

この地方がEUや米国にとっても戦略的に重要な場所である由縁である。

 

地政学的要因から、歴史的にイランやトルコの影響を受けやすいが、

17世紀にこの地方を拠点にサファヴィー朝が起こり、カスピ海南西岸地域一帯の多くのテュルクメン系の人々がシーア派へ改宗した結果、アゼルバイジャン人(アゼリー人)と呼ばれる民族が形成されていった。(Wikipedia)

アゼルバイジャン人がテュルク系とは興味深い。

彼らは我々や中国人、トルコ人同様、蒙古斑を持って生まれてくるのだろうか。

 

拝火教(ゾロアスター教)

拝火教については、松本清張の紀行文か何かで読んだことがあり、その時大いに興味をそそられた。

紀元前6世紀のアケメネス朝ペルシャが成立した時には王国の中枢をなすペルシャ人の殆どは信者であった。 またその後もササン朝ペルシャ(3~7世紀)では、国教とされペルシャ商人によって中国にも伝播したが、7世紀のペルシャ人のムスリム化によって衰退した。

開祖は世界最古の預言者ゾロアスター(ツアラトストラーニーチェ?)。

善悪二元論に立って、善の象徴として純粋な光=火を貴ぶことから拝火教とも呼ばれる。

礼拝は「火の寺院」で行われ、手と顔を清め履物を脱いで聖火の前に進み、その灰を自分の顔に塗る。

死者は野原ないし高台の塔に置き、鳥がついばみ風化するままに放置する。

信じがたいが、親、子、兄弟姉妹と交わる親近婚を最大の善徳としており、古代ペルシャでは階級に関係なくこれが行われていたらしい。 ムスリムにとってかわられる要因でもあったのであろうか。

 

しかし、人は善思、善語、善行の三徳を積むことを求められ、それらの生前の実践によって裁きを受け死後は天国か地獄かのいずれかに旅立つ、という死生観や、

この世の終末には「最後の審判」がなされ、そこでは、死者も生者も改めて選別され、すべての悪が滅したのちの新世界で、最後の救世主によって永遠の生命をあたえられる、という終末観キリスト教イスラームにも受け継がれているから、後の世界宗教に大きな影響を与えたと言えるだろう。

 

イラン高原の影響下にあったアゼルバイジャンには、なんと17世紀のゾロアスター教寺院が残されているから、イランでのムスリム化以後もここでは生き残っていたらしい。 そして

葬送や死生観や終末観、あるいは近親婚についてはどのような変化があったのか

の興味は尽きない。

 

余談だが、M・エリアーデ風に言えば、炎の形象は女陰を連想させ、縄文の埴輪にも見られるごとく、

豊穣のシンボルともなる。一方では。炎で焼き尽くされた野原に新芽が萌え出でる如く、死と再生のシンボルでもある。

拝火教寺院の配置や、礼拝のプロセスの中に、これらのメタファーやシンボルがどのように活用されているのかも知りたいところだ。

 

カスピ海

カスピ海は、アフリカ大陸の南の方から移動してきた大陸によって封鎖された海の名残である。

ロシア平原から来るヴォルガ河、ウラル山脈に発するウラル川など流入するのは淡水だから、

淡水湖かと思いきや、いまだに海水である。それは湖底に岩塩が沈殿している為らしい。

水位は流れ込んだ淡水が蒸発する事である一定範囲に収まっているらしい。もちろんその年その年によって降水量が変動し、暑さも一定ではないから水位の上下は免れない。

 

カスピ海を取り囲むのは、ロシア連邦ダゲスタン共和国カルムィク共和国チェチェン共和国アストラハン州)、アゼルバイジャン共和国イランマーザンダラーン州など)、トルクメニスタンカザフスタンである。国際法的な湖の境界については、5カ国が2018年8月12日に署名した協定で、完全に確定した。

 

アゼルバイジャンのバクーは沿岸随一の大都市で、バクー油田の生産基地でもあることは前に述べた。

日本からはるかに遠く、身近に感じるものと言えば「カスピ海ヨーグルト」だけである。

目先の利く人が、コーカサスの人々が長寿であることに目をつけ、種を持ち帰って商品化したらしい。