#南コーカサス三ヵ国旅行  #アゼルバイジャン編 | Gon のあれこれ

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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

10月25日(木)成田発カタール航空0807便でカタールのドーハへ。

カタール航空は2017年の安全ランキングでは世界第四位であったのに、

2018年では20位入りすらしていない。

これは、カタールが親イラン国でもあり、サウジとはレバノンやイエメンをめぐって対立、エジプトとはムスリム同胞団をめぐって対立など周辺国と緊張が高まり、サウジ、バーレーン、UAE、エジプトの領空を飛ぶことを禁止されたことに関係するのだろうか。

 

現在、在トルコサウジ領事館でサウジの反体制ジャーナリストのカショギ氏が殺された事件で、トルコ側の情報をカタールのアルジャジーラがガンガン報道していることにもサウジは反発しているらしいから、

カタールーサウジ関係はますます緊張している。

一方では、カタールには中東最大の米軍軍事基地があり、トルコ軍の基地もあるから、カタールとしては米国とトルコの後ろ盾が頼りだろう。

 

もし個人旅行で航空会社を選択すると、安全性や接続が同じだとすれば、サウジと良く、カタールともそれほど悪くないUAEのエミレーツ航空が選択肢になるだろう。

 

ドーハには26日の午前4時に到着して、アゼルバイジャンのバクーへ7時30分発、11時20分到着予定

それはさておき、同航空の楽しみの一つはカタール空港。

乗り継ぎ客向けのサービスが充実していることで有名だ。

しかし予定ではトランジットの時間は3時間半だから、どこまで楽しめるかは不明。

せめてそうした施設ぐらいは見学したいものだ。

 

アゼルバイジャンは三ヵ国の中で唯一ヴィザが必要。

これは出発1か月以上前に在日アゼルバイジャン大使館のホームページから 電子ヴィザを取得してある。ユニークなのはスキャンしたパスポートを申請書に張り付けること。何とかやってのけた。

 

出発の日25日は、朝食前の運動や太極拳や五行拳をこなし、昼食前にはジムに行って汗を流して温泉につかりビールをいただいて支度をして出てきた。

成田には少し余裕をみて出たのだが、成田で郵便を出したり、両替をしたり、NYTの更新をラウンジでしたりしているうちに集合ぎりぎりになった。

カタール航空の飛行ルートは、ソウル、北京を通って、ひたすら西に向かい、Almaty のあたりから左にターンしてテヘランを左手に見ながらドーハに着く。概ね無駄のないルートで中東や南欧に行くには乗り継ぎ時間は別にしてよい選択になるだろう。

機内ではワインも出し(これはあまり美味しくない)夕食と朝食も出た。

 

上空から見るとカタールは海に浮かぶクラゲのように見えた。

ドーハからバクーまではイラン上空を飛ぶのだが、海岸から数十キロは砂岩の山と谷で生活する環境がない。

 

 

10月26日の観光予定

シルバン・シャフ・ハーン宮殿と乙女の塔、殉教者の小道と市内夜景鑑賞。

殉教者の小道からはカスピ海を一望する。

一望と言っても、面積37万平方キロで、日本の国土面積37万キロよりわずかに狭いカスピ海だから、

水平線を見てその広さを実感できるだろう。

バクーは「風の街」という意味だと現地ガイドさんから教わったが、確かに風が強い。

 

殉教者の小道にはソ連邦末期、蜂起してソ連軍との戦闘に死亡した人を顕彰しているが、

普通殉教とは、何かの宗教に命を捧げた人を言うから、少し違和感がある。

 

世界遺産登録の宮殿は、この地に都を設けたシルバンシャフ一族によって15世紀に創建された。

宮殿は砂岩で作られているが、それだけに装飾を施しやすくアラベスク、というのだろうか幾何学的な模様が一面に施されている。半面では劣化が気になるが、それはどうなのだろう。

 

このブログは当日の観光を終え、翌朝の遅いチェックアウトの時間を利用して書いている。

今日10月27日土曜日の予定は、午前中はフリータイムで、

午後から市内観光とコブスタン遺跡拝火教寺院の見学。

夕食後はバクー発22時のアゼルバイジャン航空の格安航空会社ButaAirwaysの便でトビリシへ。

使用機材はブラジルの製造メーカーでEmbrer E190..

つい最近の8月30日に事故があったばかりだ。

深夜発も格安航空会社も使用機材も、個人手配旅行なら決して使わないだろう

主催旅行会社の募集パンフレットに使用航空会社の記載がないのは問題

往復の航空会社は何々航空で行く~というのはあるがそれ以外の記載はなかった。

 

さて楽しみにしていた拝火教寺院

アゼルバイジャン観光情報局の資料を転記する。

18世紀に商人としてこの地に住んでいた、パルシーと呼ばれるインドのゾロアスター教徒によって造られた寺院です。かつては地表に沸く天然ガスが自然発火したことから、火を崇拝するゾロアスター教徒に聖地として見なされていました。インド北部、現在のトルコ、シリア地方を結ぶルートの中継地としても栄えました。

18世紀のインドやトルコ、シリアのルート上にあるとなると、イスラム教やヒンズー教の影響が

どうであったのかが気になるところだ。

(この項予習編参照)

 

上記のように楽しみにしていた拝火教寺院であるが、中央に火は燃えていたものの、

参拝の人はなく観光客ばかり。

祭壇を囲む石造りの5角形の建物の中に、拝火教の往時を再現する展示がある。

上下とも白衣を着て、祭司らしい男は、火を揺らさないためかふんどし状のマスクをしている。

(我ながらなんという表現だ、と思うが他に適切な言い回しが見つからない)

予習編でも書いたように拝火教は善悪二元論であるが、

その周囲の建物の説明の中に、寺院は四角形の台座は火と水と土と空気を象徴している、

とあった。

またアゼルバイジャンの新年の祭りが焚き木を囲んでいて、拝火教の名残である、

現在拝火教の信者はイラン、パキスタン、USA,英国、カナダに居る、ともあった。

 

これらは現地ガイドの女性に聞いてもさっぱり要領を得なかった事柄である。

 

 

ホテルはチェックインは深夜。

予習編で記述した拝火教の近親相姦の問題や、アゼルバイジャン人の蒙古斑については、

旅行後記で。