#リチャードセイラー博士講演 #一つずつのナッジで世界をより良い場所にする  | Gon のあれこれ

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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

去る19日、有楽町の国際フォーラムで日立主催の講演会があり、参加。

 

Richard H. Thaler 博士 (1945~)はシカゴ大学経営大学院教授。行動経済学の著名な研究者で、2017年ノーベル経済学賞を受賞。邦訳書に「実践行動経済学」)(日経BP)などがある。

先達には、2002年同じくノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン(ファスト&スロー(早川書房)がいる。

 

冒頭、行動経済学をハーバート・サイモン(1916~2001。1978年ノーベル経済学賞)、アダム・スミスケインズ、新自由主義を代表する経済学者のミルトン・フリードマン(シカゴ学派)の系譜に位置付け、学問的正統性を主張した。

 

そのように主張する根拠は、彼らが近代的経済学が前提とする「合理的経済人仮説」とは異なり、人間の非合理的側面が生産や消費などの経済的行動に大いに影響を与えている、というところにあると博士は主張する。

 

しかし通説では、アダムスミス「物欲の充足を利己的に追求する人間」を中心に据えており、

確かに「道徳感情論」でも人間の「他人の痛みを感じる人間」の徳性見えざる手の根幹に置いては

いるが、行動経済学の「正統性」の根拠足りうるのかどうか疑問だ。

 

もう一つ違和感を感じたのはミルトンフリードマンの引用。

フリードマンは、簡単に言えば「政府の適切な介入」を唱える「ハーバード学派」に対抗して、

自由競争、小さな政府を唱えた「シカゴ学派」で、ニクソンやレーガンを絶賛した経済学者。

レーガンが、「政府の介入は問題解決ではなく、問題そのものだ」と主張したことで知られるが、

その根拠にあるのはフリードマンである。

フリードマンの強調は自分の行動経済学が「シカゴ学派」に連なる、という暗示であろうか?

 

これらの経済学者の中で、行動経済学の系譜に一番納得がいくのは、ハーバート・サイモンだろう。

まだ30代のころ社費で彼の講演会を拝聴したことがあるのだが、当時は「意思決定学派」、

あるいは「情報プロセス学派」とも呼ばれ、当時から今のAI(人工知能)を予測して、

Computer  think」と明確に主張されていたことを記憶している。

そして広くは「行動科学」者の中に含まれ、「合理的経済人」仮説に異を唱えた一人である。

 

セイラー博士は「Nudge」 という概念を提示したことで有名(邦訳実践行動経済学の原題でもある)だが、よく例に出されるのが、アムステルダムのスキポール空港の男性トイレ

小便器に黒いハエの絵を描いたところ、飛沫することがなくなり、清掃費の大幅な減少につながった、というもの。

つまり、ひとびとを、ちょっとナッジ(押す)ことで、行動が変わり経済的、社会的成果を生むことができる、

と主張する。

 

この手法は上から目線の、ある意味でシニシズム(冷笑主義)のような匂いがある。

 

そこで、博士は自ら「リバタリアン・パターナリスト」(自由主義的温情主義?)と呼び、

先ず第一にフリードマン流に「人は選択の自由を持つべき」だ、とする。(その意味でリバタリアン)

そのうえで、行政や企業などが、住民や消費者などの選択者が自分自身で判断して自らの効用を高めるような選択に影響を与える(ナッジ)のであれば、その政策は「パターナリズム的」である。

 

がしかし、リバタリアン・パターナリズムはソフトで押し付け的ではない形のパターナリズムである。

そしてそのためにはどのような選択肢の構造(アーキテクチャー)にするかが重要になってくる。

 

特に人は慣性の法則というか、最初の選択を変えようとはなかなかしないし、デフォルトが与えられると簡単にそれを選択してしまうので、選択構造やデフォルトが重要な結果をもたらす。

 

最後にある意味人を操作しようとするこのナッジは、個人や社会に良いことをする事にも、

利己的で他人や社会に害を与える事にも利用できる。

そこで最後に博士は、後者をSludge(ヘドロ)と呼んで戒める。

(実践行動経済学と講演より)

 

皮肉っぽくいえばマッチポンプのような気がしないでもない。

情報プロセス学派、意思決定学派のサイモンは別にして、行動経済学は良い意味でも悪い意味でも

アメリカンプラグマティズムの土壌に咲いた花だろう。

 

あることの成果をその意図(nudge or sludge)に遡って判断せざるを得ない弱みがある。

つまり、その意図の善悪を誰が決めるかの問題だ

それが宙吊りである以上、次の問いが決定的に重要になる。

政府対住民、企業対住民の力関係はどちらが上だろうか。

残念なことだが、住民や消費者、つまり市民の力が相対的に弱い我が国ではその強弱は自明だ。

 

この議論を安倍自公が進める憲法改悪に擬えてみる時、

たとえば、憲法9条に「自衛隊を明記する」という選択肢の提示は「自衛隊の違憲存在」を解消する、

との外装に包まれて、なし崩し的集団自衛権行使と関連させるとき、海外派兵が自由に行えるようになる危険がある。

また改憲の本丸は「非常事態条項」ともいわれる。

そうなれば首相権限で非常事態を発令し、それを連続することで民主主義を抹殺する危険性がある。

それこそ国民にとっての非常事態だ。

しかもマスコミ各社は、憲法改定に絡む宣伝費に限界を設けないように主張している。

つまり金のある側が、あらゆる手段ー嘘や風説を流布して主権者を欺くことが容易にできる

ようになる。

 

米国ではFOXなどのニュースメディアがもっぱらトランプ政権と共和党の言説を垂れ流し、

国民を平気で欺くことが横行している。

オーバーな、と思うなら、同じく2008年ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン教授

ニューヨークタイムズ紙の以下の論説を読むといいだろう。

 

The Trump Tax Scam, Phase II