#ジョージア映画祭 #デデの愛 #Dede #岩波ホール #コーカサスの風 #はらだたけひで | Gon のあれこれ

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読後感、好きな太極拳、映画や展覧会の鑑賞、それに政治、ジャーナリズムについて、思いついた時に綴ります。

13日から始まったジョージア(グルジア)映画祭。

その最初を飾る「テデの愛」を見に出かけた。

 

初日とあって 冒頭、在日グルジア大使館一等書記官の女性の挨拶があった。

原題はDede。ジョージア北西部の地方語スヴァン語で「」を意味するらしい。

 

物語はスヴァネティの厳しく、美しい自然を背景に紡がれる。

シュワルナゼが直接選挙で最高会議議長に就任した年1992年、、兵士ダヴィットは、恐らくは「南オセチア紛争」から、戦時中彼の命を救ったゲギを伴って故郷のスヴァネティに意気揚々と帰還した。

なにしろ、村には美しい許嫁ディナとの結婚式が待っているのだ。

 

しかしディナとゲギはお互いが戦争前に偶然に出会っていて、お互いに魅かれ合っていた。

ディナは亡父の兄弟である戸主が決めたダヴィッドとの結婚は、自分もダヴィットも不幸になるだけだと

思い、戸主にもダヴィドにも「ダヴィットとは結婚しない」という。そしてダヴィッドはディナが心に決めった相手を知って驚き、怒り、ゲギを狩りに連れ出して後ろから撃とうとするが、結局は自分を傷つける道、自殺を選ぶ。

 

ゲギと結婚し男の子も授かり幸せなディナ。

しかしゲギの心は晴れない。ある日ダヴィッドとの件の因縁で呼び出しに応じ、撃たれて死んでしまう。

 

ゲギとの愛に生きるディナは喪服を着たままで、略奪同然に連れてゆかれ、そのうえだ自分に愛を打ち明けて結婚を迫る男にも決して心を許さない。

しかしある時、引きはがされた息子が高熱を出し、駆け付けたディナは不眠不休で看護するが、

回復には町に出て薬を手に入れないといけない、とわかる。

しかし大雪で唯一の除雪車も故障してしまって町への交通手段はなくなった。

 

デデとは「母」を意味する、と先に述べた。

略奪同然に同棲した男が、自分の命の危険を顧みずディナの子供の、ゲギとの忘れ形見である男の子の命を助けてくれたことで、その感謝の気持ちから男の愛を受け入れる決心をする。

そう男のもとに行く前に、ゲギの墓前で

「いつまでもあなたを愛している、ゲギ許して

と言ってその男の懐に抱かれる。

 

このように綴ると、ディナのゲギに対する「純愛」と

ゲギとの間にできた男の子に対する「母親としての愛情」から、違う男の愛を受け入れた物語、

に終わってしまうのであるが、それでは物語の襞に隠れた苦しみや哀しみが取り残される。

ユニセフ(国連児童基金)は、児童婚を「子どもの基本的な権利の侵害」としている。ジョージアは、ヨーロッパでも児童婚の割合が高い国のひとつである。何世紀も前から続いてきた慣習で、特定の地域や宗教に限られていない。また、結婚の理由は町や集団によって異なるが、共通点がいくつかある。花婿はほとんどの場合花嫁よりも年上で、学校を卒業し、法定婚姻年齢に達している。通常は、花婿の母親がお見合いの段取りを整える、

   参考:ジョージアに残る児童婚の現実 | ナショナルジオグラフィック日本版サイト

 

コーカサス山脈の山間にある村々は、厳しい自然に阻まれて、農業や酪農の生産性も低く

生活は極めて貧しい。

 

村の有力者、経済的に豊かで社会的に地位の高い一家に嫁がせることは、

自家の安定や社会的体面=面子が上がり、よって許嫁婚は「贈与ー互酬」的性格を持っている。

一方、娘が都会に出て行ってしまうと村はどうなるか。

結婚できない男が増え、自分たちの老後の面倒を見る嫁も居なくなり、結局男も都会に出て村は崩壊してしまう。 村の母親たちが許嫁婚を積極的に推進するのもそこに理由がある。

 

ゲギは納屋でディナに再会して、彼女が戦友ダヴィッドの許嫁であると知ったとき、

自分達が会ったとき、君はダヴィッドと婚約していたのか」と問う。

ディナは

ええ。でもダヴィッドを愛していなかった」と答える。

ゲギは

それは、問題じゃない」と返す。

つまりゲギも 村の許嫁婚の慣習が、村社会を維持していくために不可欠であることを認識しており、

ディナと家庭を持ち子をなしながら、なお心に晴れないものと村社会に負い目を感じているのだ。

 

女子が教育を受け、精神的自立や人間としての尊厳に目覚める時、「女」を「贈与ー互酬」交換の対象とする制度は崩壊する

だから今なお厳しい自然ー経済的環境下にある地方では「許嫁婚」しかも性教育を受けないままの

子供を結婚させることが横行している。

そういう社会では、マララ・ユスフザイ(ノーベル平和賞)が求める「教育」が敵なのだ。

 

会場でこの映画祭の資料を買い求めた。

この映画監督マリアム・八チヴァ二はスヴァネティ地方の出身で、32歳。

実の祖母の実話をもとに製作したらしい。資料の中で同監督は、

この地方の伝統や因習は、女性に悲劇をもたらしてきました。私は常に自由を妨げるものに反対していますが、これからは人々にこのようなことがあってはならないと言いたかったのです。(中略)しかし今日では状況が少し変わり、観光で地域が発展して、人々がこれまでとは違う考えを持ち始め、(中略)許嫁婚などの人権を傷つける慣行は廃止されるべきだと思いますが、愛と友情を示す儀式は維持されるべきだと思います。

と述べているが、儀式は伝統や因習と密接に結びついており、都合よくピックアップ出来るものではないだろう。儀式は伝統と分離するためには「換骨奪胎」出来なければ、つまり儀式の持っている意味を、

なにか別の意味を持つものに変えなければ、彼女の言う存続は出来ないだろう。

 

同じく会場で求めたものに、はらだたけひで さん著作の「グルジア映画への旅」がある。

グルジア映画と岩波ホールの縁を紡いできた原田健秀さんは、絵本作家で、

冒頭の在日グルジア一等書記官のあいさつの中で、はらださんに謝意を述べたとき、

舞台の袖に控えたままの、大変に控えめな方であった。

 

この映画を見たことで、グルジア社会に対して一つの視角を得ることになった。

旅行ではスヴァネティにまで足を延ばすことはできないが、現地であれこれと聞きたいことができた。