ヘーゲルの言葉を極私的に理解した! | 「出版するのが夢だった」あなたへ・・・夢の実現を応援するブログ

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本を書きたければ本を読むのがよく、その本の理解が正しいか正しくないかはあまり気にしなくてもいいではないか、誤読にも意味がある、結局「極私的」な理解を楽しむことが大切だということを書いてきました。

今回は、最近読んだ文章の「極私的な理解」について書いてみます。

■極私的な理解の最近の例

実は最近、ヘーゲルの『精神現象学』を読み始めました。

 



どんなペースでいつまでに読むかは決めていないので、いつ読了できるか分かりませんが、はじめの方に、こんな言葉が出てきました。

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事柄は目的のなかでくみつくされるものではなく、その実現のなかでくみつくされるものであり、また結果は、現実の全体ではなく、全体の生成と一緒になるとき、現実の全体であるからである。
(ヘーゲル『精神現象学(上)』樫山欽四郎訳 平凡社ライブラリー)
・・・・・・・・・・・・・・・・


ここで文脈を確認しておくと、ヘーゲルはそれまでの哲学者のあり方について取り上げて、諸説の違いをあげつらい、違うことから既存の哲学体系を否定するのみであり、その違いは「真理が前進するときの展開」と見ていないということを述べています。

ある時代の哲学者の到達した体系が、過去の哲学者の体系を切って捨てるのは違うと言いたいようです。現に到達した結果としての体系は、そこに至る過程がある。過程のない結果はなく、結果のみに着目してしまったら、そこにいたる過程が無視されてしまう。そんなあり方を「むき出しの結果は、傾向を捨て去った屍である」と評しています。「傾向」とは「目的に向かう傾向」つまり「目的を持った過程」と理解しました。

このように私は理解したのですが、まさに、この理解が正しいかどうかは知りません。そもそも、まだ読み始めです。

■ヘーゲルの文の何に心をつかまれたのか

それでも、上記引用文には、心をつかまれました。

そのつかまれ方は、ヘーゲルの文脈ではなく、私の心の文脈においてビビッと来たのです。

・事柄は目的のなかでくみつくされるものではない。

これだけでも、確かにと、うなりたくなります。

目的が正しければ何をやっても良いのか、という問題も頭に浮かびます。同時に、目的をもたずに行動すれば、行き当たりばったりになるし、ムリ・ムラ・ムダが生まれそうだと感じます。夢実現応援の対話(コーチング)では、目的をとても大事にします。

目的というものを大事にしているがゆえに、目的だけが立派で、行動が伴わないということもまたよろしくないのです。だから、

「(事柄は)その実現のなかでくみつくされるもので」ある

と書いてあるのを見ると、その通り! と快哉をあげたくなります。目的は実現されることによって成就するわけです。目的がすべてでないのは当然です。夢実現応援の対話で目的を探求するのは、実現するためです。

しかし、現実には実現しないこともあります。実現しなければ意味が無いのかと言えば、その過程を体験することに意味があるとも言えます。そのことも、ヘーゲルは、

「また結果は、現実の全体ではなく、全体の生成と一緒になるとき、現実の全体であるからである。」

と書いているのです。よく、

「結果がすべてだ」

ということがありますが、結果は「現実の全体」ではありません。ここでは「生成」と言っていますが、結果にいたる過程のことです。過程が結果をもたらすとき、過程と一体となって全体となるのだ、と言っているのです。

■夢実現応援の対話(コーチング)に引きつけたのです!

このヘーゲルの文では、

・目的
・生成(過程)
・結果
・全体


という4つの概念が取り上げられています。

目的があり、生成が起こり、それが結果をもたらす。これらすべてを現実の全体と捉えているのです。

この見方は、まったく夢実現応援の対話にあてはまります。

 



目的はなければならないか、あるいはあったほうがいいが、それだけでは不充分。

目的に沿って生成を起こしたい。

生成は何らかの結果をもたらし、結果に対する判断はさまざまだろうが、結果だけをみて現実の全体として捉えるのはおかしい。

なぜなら、目的があって生成があってその結果がもたらされるのだ。それ現実の全体だからだ。

という論理が、引用した一文にこめられているのです。

まさに「夢実現応援の対話」の核心に迫る文だ、と極私的に感動したわけです。

これも、ここ数回の記事で書いてきた「誤読」の一種でしょう。

すべての理解は誤読にすぎない、と胸を張って、上記引用文は私個人の極私的な学びとして活かしていきたいと思っています。

 



これを、ヘーゲルは私の思い込んだとおりの意味で、上記引用文を書いていたのだ、とやってしまうと、越権行為になってしまいます。

あくまでも私の極私的理解だ、と断る限り、今回書いたような理解に文句を言われる筋合いはなくなります。それでも、私が理解した考え自体が批判される可能性は残っています。それはそれで大いに批判されるのはかえって結構なことでしょう。不当なバッシングは嫌ですが。

今回は、私の読書において起きた、極私的理解の例を紹介しました。

(つづく)

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