講師とかコーチとか〝おしえる〟ことを
なりわいとする方の使命とか本質は
技術やテクニックをおしえたからOK!
ではなく、その人が自分の仕事をより好きに
なれるようにしてあげることなのかも。。
ふと中学時代の先生のことを思い出したので
書いてみました。
わたしの〝恩師〟の話で恐縮ですが。
中学生に進級するとき、楽しみにしてたのが
部活と英語の授業でした。
ど田舎の子どもだったので塾もなく
英語学習は初めて。
期待していたから英語担当の先生が
決まったときは、ちょっとがっかり
したのです。
できれば教わりたくない先生だったし
発音も「デイスイズアペン」だった。。
いくら田舎の子どもでも
戦後の「ギブミーチョコレート」時代の
子どもではないから、先生の発音から
これから始まる授業の全てが
想像できてしまった。
案の定、授業はつまんなくて
丸暗記さえできればテストの点数は
取れたけど、身ににつかない感じは
ずっとあったんです。
(学習してない感じ)
2年生になり
丸暗記では間に合わなくなり
成績は下降線の一途、中の下ぐらい。
それじゃあ志望校は無理かもなあと
自分でも危機感がムクムク。
とはいえ独学が向かない性質なのか
参考書を何冊も買ったけど
英語の勉強の仕方がすでにわからなくて
丸暗記でしのいできたもんだから
そのツケが回っただけだし、全てが
付け焼き刃だったから空っぽなんです
親が買ってくれたテープ教材も
全く役に立たず
ヤバイぞこりゃ。。
全身真っ青になって滝汗をかきかけた
3年次、なんと新しい先生に変わった
のです!!
厳しいと評判の男の先生で
授業中も廊下ですれ違う時も
いつでもキリッとしてたっけ。
このI先生が、最初の頃に
もしいま成績が悪いから俺は
わたしはダメだと決めつけている奴は
そこで成長は止まる。
でも本気で勉強するなら
この1年で君らは変わる!
それは俺が保証する!
こんなことをいってくれたのです。
わたし、嬉しくてね〜。
I先生を信じよう、勉強しようと決めたのよ。
がぜん授業に集中するようになり
手をあげて質問もしたし、職員室まで
聞きにいったりもした。
するとだんだん楽しくなってきたんですよ
授業もだけど先生の発音を聴くのも
合間に話してくれる、旅や趣味の話とか
未知の世界が目の前に広がり
「英語が話せるって素敵だな」と
ワクワクして。
たぶん当時のわたし
I先生の授業を、目をキラキラさせながら
受けてたと思う。
それくらい毎回の授業が楽しくなって
そしたら成績も良くなっていった。
「英語っておもしろいものなんだな」
と初めて思ったのもこの頃。
おかげで志望校にも入れた!
どん底まで落ちていた
〝英語嫌いだわメンタル〟が爆上がり!!
いや1年はかからなかった。
数ヶ月で英語も先生も好きになってた。
好きになったら興味が湧いて
方法がわかったから、その通りにやったら
成績が上がる!上がるからより楽しい!!
そんな良き循環を体験することができた♡
「好きこそものの上手なれ」とは
このことか!!を体感。
その後、わたしの卒業と同時で
I先生はシンガポールの日本人学校へ
引き抜きというか乞われてかな、赴任。
急な話で驚いたけど、
あれだけの逸材だもの放っておかないよねと
15歳のわたしも納得だった。
卒業から何十年。
鬼籍に入った先生もいらっしゃるけど
I先生どうされたかな。。
たった1年、教えてもらっただけだけど
間違いなくわたしの恩師なんです。
英語はペラペラにはならなかったし
得意にもならなかったけど
嫌いじゃないというかむしろ好き!!
便利なアプリも登場し
もはやブロークン英語を駆使しなくても
世界中で意思疎通が成り立つ時代になった。
それでもギリギリまでは
自分のわかる英語で、カタコト言語でも
コミュニケーションを取ろうとするわたしを
育んでくれたのは間違いなくI先生。
何気なく歯を磨いててw
思い出してこれ書いてますが
遠い記憶を手繰り寄せてもやっぱり
先生には感謝しかないのです。
旧友によると今夏、中学の同窓会が
企画されてるらしくて。。
I先生にもしもお会いできたなら
あの1年間のお礼を伝えたいと
思っているのです