善光寺街道(北国街道)を歩く 第2回 上田-屋代 その13 | らんまるの街道歩きブログ

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今となってはすでに7か月も前のことになってしまいますが、昨年の10月8日()に善光寺街道歩き旅の第2回として、上田から屋代までの区間を歩いた旅の第二弾、その13です。

 

当日の歩行ルートは↓。

街道復帰までの道のりや寄り道なども含めて歩いた総距離は23.5km前後だったようです

ガイドブックは山と渓谷社の『ちゃんと歩ける 伊勢参宮道 善光寺街道』です。

 

その12では、坂城宿で個人的にはベスト物件だった「花月堂菓子舗」を見た後、宿場の本陣跡に差し掛かったところまでをご紹介しました(↓再掲)。

前回の記事で言い忘れましたが、こちらの本陣門は江戸時代中期のものと推定されているそうです。

 

敷地に少し入ってみると坂城歴史資料館があります。昭和四年の建造だそうで、重厚で見どころの多い建物です。

普通なら絶対に入るのですが、ここまで建物の激写に時間をかけ過ぎたせいか、この時点で予定していたよりも62分の遅れΣ(゚д゚lll)ということで文字通り断腸の思いで先を急ぎます。最近建物の激写に時間を取られ過ぎるせいか、このパターンの「断腸の思い」がえらい増えてきた感があります(;・∀・)。どんだけ腸がやられてんだと。

 

本陣より手前ではかなり寂れた感じでしたが、ここから先は良さそうな建物がちらほら見えています。まずは右側に写ってる古民家から見ていきましょう。

 

この右側に写ってる古民家が秀逸でした。そもそも風格がありますね。

 

屋根の右寄りにある越屋根もあまり高くはなく明かり取りの機能は無さそうで、何かこう、うだつ的に家の格の高さを表していそうです。

玄関の引き戸はリノベしたもののようですが、その左側!「たかさ」の屋号がありますね。もちろん「高さ」ではなく右から読んで「さかた」。こちらは名主の坂田家となります。

 

「たかさ」の下になまこ壁もありますし、これはもう接近して激写するしかありますまい。

いいなあ、こういう「崩し字二歩手前」みたいな字体って何か好きなんですよ。ちなみに「た」の字の左上、一部柱の後ろに隠れてますが、右から左にかけて「〇〇(読めない)保険株式會社 代理店」と書かれた古い看板が貼り付けられているのも見逃しません。

 

ブロ友さんが何度か使われてるコレ(↓)ですね(≧∇≦)。

実際のところ長くお付き合い頂いてるブロ友さんは皆さん見逃されない気はしています(^^)。

 

こちらは三階建て、、見ようによっては異常に肥大化した越屋根のある二階建てというか厨子三階みたいな感じなのかな。ともあれ門も長屋門的になっていてたいへん立派なお宅です。

 

山に向かって傾斜をのぼりながら日名澤川に架かる大橋を渡ります。

橋の向こうにも立派そうな家が見えています。

 

そうそうこちら。分厚い破風に袖うだつ。宿場の雰囲気をよく留めています。

 

特に私が魅入られたように夢中になったのがこちらの連子格子のお宅。黒漆喰仕上げの袖うだつも立派でカッコいい!

 

ちょっとゴースト入ってしまいました。

 

向かって左側に薬医門らしき門もあったのであらゆる角度から撮ります。こちらも名主レベルのお宅でしょうね。

 

そのほぼお向かいにあるこちらも連子格子が印象的な超立派な古民家でした。

こちらも越屋根が「住める」レベルですね。袖うだつがシブい!

 

そのすぐ先で急に道が細くなりますが、ここが桝形で左折します。

ちなみにまっすぐ正面に進むと細い道の先に坂城神社がありますが、距離があるのでパス!

 

左折寸前の街道右側に、「こんなところに?」という感想の「鮮魚仕出し」のこづかやという店舗があってビックリΣ(・ω・ノ)ノ!

・・・しかし店内の様子からすると営業はもうされていないように思えますね。

 

左折した先は下り坂になっており、宿場の中心部からは少し外れるようですが、それらしい建物がちらほら見えています。

 

先ほどまでのように袖うだつがあったりはしませんが、味わいのある古い民家が並んでいます。

実は私、ここでまたミスをしました。ちょうどこの写真を撮っている右側真横くらいの位置に、「長谷川井戸」(慶安四年=1651に代官の長谷川安左衛門利次が設けたもの)という街道遺構があったのですが、古民家群に気を取られ完全にドロップ。。実は2枚上の写真の画像右側に写っているクルマの後方に小っちゃく写ってるのがそれです。同じ写真を利用すると、、〇の中に写ってます。

 

仕方がないので最近多用し過ぎの感がある奥義「Googleストリートビューの術」!

2019年の画像とのことですね。

 

昭和遺産的な建物が続きます。軽自動車が停まっている間口の広い民家などは、リノベ前はもっと雰囲気があったのではないでしょうか。二階の窓の内側が廊下になっているようなので、旅館だった可能性も無くはないですね。

 

↓の地点に突き当たったら再び桝形で左折します。さすが北国街道で一番栄えたとも言われる坂城宿です。

 

宿場の中心部から離れた感がさらに増してきました。とはいえ右側に写っている木造の建物はシブくてよいです!

 

さらにその先に宿場最後の桝形があり、右折します。

 

お気づきの方も多かったかと思いますが、↑の写真、右折カーブの外側=左側に気になるものが写ってます。それがこれ↓、嘉永六年(1853)建立の善行寺常夜燈です。

ここが坂城宿の北口となり、右折すると宿場を完全に出ることになります。

 

その先も山裾に沿って下り坂が続きます。

左に見切れている民家の屋根は越屋根ではなくソーラーパネルですね(^^;)。宿場から出たら急にいきなり色々現代的になってきました。

 

しばらく坂を下りてゆくと途中で右折方向の道がありますが、その入口に次の目標物がありそちらに向かいます。

それは左端に写っている建物の右に小さく写っている石標で、近影がこちら↓。

仔細がよくわかりませんが「聖徳太子」の碑。

 

さらになだらかな下り坂が続きます。前方にY字路があり、本来の善行寺街道は右側を進み、山裾というか崖を通る道だったのですが、今は線路のガードをくぐる左側の道を行きます。

 

Y字路手前の右側にある、味のある古民家。窓に張った×のテープがまばゆい!

左端を見るともともと平屋看板建築部分で何か商っていたのでしょうね。商店街のような街灯も立っています。

 

こちらが本来の旧道(あるいはそれに近い道)、と歩いた時は思っていたのですが、ちょっとどうでしょうね(゜.゜)。写真はピンボケしてしまいましたが(;・∀・)、いずれにしても鉄道の線路のところで行きどまりになっています。

 

Y字路の分岐に戻って左の道に進みますが、さっき載せた民家の軒下の椅子の上に熟睡中のネコちゃんがいたので激写!

シャッター音にも全く反応せず熟睡を続けていました。

 

和んだところで次に続きます!