前回は、曇りの予報だったのに、本降りの雨となり酷い目にあいました。天気
予報は「あくまで予報」と言う事を、すっかり忘れていました。反省です。
6/10「三日月駅」に戻り、前回終了地点から出発し、国道を暫く歩いて、右折
「新宿集落」へと入って行きます。新宿は「宝篋印塔」(1388年)や「新宿廃寺跡」
(奈良時代?)があり「古い時代の街道筋」が通ていた、この地方の中心でした。
今は、全国何処にでもある過疎の集落で、誰にも会いません。
集落を抜け、国道に合流する地点に「六地蔵」がありましたが
不自然な場所なので、他所からの移転なのでしょう。街道は
そのまま国道で、坂道を登り「卯ノ山峠」を越えて行きます。
「卯ノ山峠」を下り「千草川」を越えると、すぐに国道を左折し「徳久
の町」へと続く旧道に入ります。ここは「渡し場」があったようです。
「千草川」↑と、徳久へと進む旧道↗。
旧道を進み、右手「法覚寺」の先にある「細い道」が旧街道
です。旧道をそのまま直進すると「旧南光町役場」(現、支所)
や「徳久駅」等のある「旧・南光町」の中心となります。
↑旧道 旧街道↗
「旧街道」を進んで行きます。旧街道は「駅北交差点」を右折しますが、
その交差点を左折すると「徳久駅」です。町の中心部なのですが・・・。
街道は「駅北交差点」を右折して、坂道を登り「国道179号線」と合流
し「作用坂」を登って行きます。暑さが加わり、結構しんどい峠です。
峠を越え「作用坂」をどんどん下って行き「智頭急行の高架」が見え
たら直進する国道と別れ、左折「作用の町」へと入って行きます。
作用の町に入るとすぐに「桝形」があり、桝形の先が、複数あった「因幡
街道」との「追分」の一つでした。ここを左折すると、出雲街道。直進
して「上町交差点」を通り「国道373号線」に進むのが「因幡街道」です。
↖出雲街道。 因幡街道↗。
桝形を左折すると「作用宿」です。すぐ左手「警察センター」の所に
「出雲藩の本陣」があった事を示す、石碑が立っていました。また
警察センターの裏手には、樹齢千年とする「銀杏の巨木」があります。
道は、そのまま「作用駅」方向に向かい、商店街として
続きますが、街道(宿場町)は「中町」交差点を、左折します。
左折した街道は、宿場の雰囲気を残す家並を通り「お旅所」で右折
「作用駅」の裏側を通り、山裾にある「幾つかの集落」を抜けて行きます。
道なりに進んで、集落を抜けると「作用川」です。すぐに「大坪橋」
を渡って「国道179号線」に合流します。橋を渡った前方の山に
秀吉の播磨攻めで落城した赤松一族の「作用(福原)城」がありました。
「国道179号線」に合流し、右や左にある「旧道を出入り」し
ながら、どんどん進んで行きます。右手「一本松旅館」の先の
左にある「草道」が、僅かに残る「旧街道の名残道」です。
↑旧街道の名残道 国道179号線↑
草道を進むと「(肘松)一里塚」の石碑があります。石碑の前に
「三代目の松」が、植えられていましたが、枯れたようです。
国道に戻り「作用川」が、左に蛇行する所を、右折して崖上の「旧街道の
名残道」を歩いて行きます。昔の作用川は、崖下を流れていたようです。
旧街道を道なりに進み「上月八幡社」を左折して、国道に戻ります。
川向うに「上月駅」が見えましたが「農産物直売所」になっていました。
国道を進み「力万橋」で「大日山川」を渡った先で、右折し「力万集落」
に入ります。立派な家が多いですが、過疎化が進んでいるようでした。
集落を抜け、国道に合流し「姫新線」を渡り「西大畠集落」へと入り
ます。左右に耕作放棄地が広がり、農家育ちの私としては、辛い光景です。
「西大畠集落」周辺の旧街道は、国道の南側にあった?とされますが、
大半が消滅しているようで、そのまま「国道179号線」を進みました。
国道を進み「八塔寺」方面との分岐の先「大日山川」を越えた
先にある「小さな集落」に、左へと山へと入る↙旧道が伸びています。
これが「播磨・美作」(兵庫・岡山)国境「万ノ峠」への、入口です。
散歩中の「地元の方」に伺うと「万ノ峠」は、草木が繁り通れない」
との事でした。以前(2016.12月)歩いた時も「峠付近の草が酷く」道に
迷った経験があり、安全第一と思い「国道を歩いて」県境を越えました。
国道を歩くと、国道の頂上付近に「万ノ峠」にあった
「峠の地蔵」が移転して、祀られていました。
参考までに、2016・12/10に歩いた時の写真を3枚貼って
おきます。↓「万ノ峠」へと続く里道ですが、趣があります。
頂上に近づくと、当時から雑草が伸びていました。以前
この付近で、違う道に入り迷った所です。
頂上です。播磨側は、当時から苦労する道でしたが、2024年にあった
「歩くイベント」も、播磨側はパスし、美作側へと下る道のみでした。
江戸期の出雲街道「万ノ峠」は、姫新線の敷設工事で消滅して
おり、現在の「万ノ峠」道は、明治期に新設されたものです。
峠を越えた国道とは別れ「土井集落」(岡山県)へと入り、万ノ峠を下った
土居集落の入口まで遡上し再スタート(写真)しました。右奥に幕末の志士
を祀る「4つ塚」や、「土居の偉人達の顕彰碑」等が立っていました。
ここから、最スタートしました。
街道筋を進んだ、この辺に↓関所を兼ねた宿場の入口「東の惣門」
があり、その先の左へと曲がる角に「脇本陣(跡)」↓がありました。
土居宿は、江戸時代の「出雲街道の開設」に伴い「人工的に作ら
れた宿場町」でしたが、今は過疎化が進み空き家が多かったです。
↑本陣跡(電柱の向う)です。「本陣跡」の幟が出ています。
本陣跡を過ぎ、土居駅へと右折する所に「西の惣門」(再建)が
あります。播磨と美作の国境だった土居宿は、惣門(関所)で旅人を
厳重に監視しており、出入口を惣門で守られた宿場は珍しいです。
本日は、ここ土居で終了です。この後、右手にある土居駅に向かい
ました。約6時間の行程でしたが、6月初旬なのに暑い一日でした。





















