紀伊路も、和歌山県内の「厳しい峠越え」が終わり、後少しの行程となりまし
たが、年のせいか足腰の調子が悪いです。何とか最後まで頑張ります。
4/18日、某ホテルに前泊し、前回終了地点から、出発すると右手に「湯川
子安神社」があります。鎌倉期以降、秀吉に降伏するまで、紀南地方を支配
した「湯川氏」の関連神社ですので、参拝させて頂きました。
その先、古道は「小さな案内板」に従い、右・左折しながら
細い道や舗装道を進むと、やがて「日高川」に架かる「野口橋」です。
欄干が龍でした。安珍を追って日高川を龍になって追った「清姫」
ですが、熊野詣の人の多くは、日高川の浅瀬を歩いて渡った?ようです。
野口橋を渡り、すぐ右折して堤防上を進み、左・右折して「岩内地区」を
進むと「岩内コミニティ館」の横に↙「57岩内王子跡」の石碑があります。
上記写真の木の陰に、横向きに「焼芝王子旧社地」と彫られた石碑
があります。元の「王子社は洪水で流され」て他所へ移転、その後に
廃絶となった王子社の記念として、明治41年「ここに建てた」ようです。
説明板も「焼芝王子跡」でしたが・・
「琴の橋」を渡り左折、坂道を登って「北塩屋地区」を進みます。
今日は、集落を通過する度に「一山越え」なので、足腰に堪えます。
「河南中学」の横を通り、坂道を登ると「新興住宅地」が
あり、その先の「塩屋地区」へは、↓「中世の古道」を下って
行きます。案内板があるので、その通りに進めば問題ないです。
「円満寺」横の路地を通り抜けると「塩屋王子神社」です。「58塩屋王子」
の跡地に建つとされ、美人なご神体にあやかり「美人王子」とも呼ばれます。
丘の上に建つ立派な神社で「塩屋地区の鎮守」でもあるようです。
境内には「後鳥羽上皇」の仮寝所とされる「御所の芝跡」があります。
「熊野詣」が盛んな頃には、旅館類はなく、上皇等は「仮の寝所」が
ありましたが、従者達は「民家等での間借り」か「野宿」でした。
「王子橋」を渡り、「光専寺」にある樹齢600年の「白槙」を見て
「南塩屋地区」を進んで行きます。この先は、基本「海沿いの道」です。
暫く進んで、案内板に従い左折し「山道」へと入って行きます。
古道?のようですが、案内板が朽ちており、注意が必要な道です。
やがて下り道となり「観音寺」や、地元・日高郡出身で江戸期
の浄土宗の僧「徳本上人」の「名号碑」↘がありました。
山道を下り、国道と合流し、すぐに右の旧道へと入りますが、
そのすぐ先の右手、民家の生垣に「一里塚跡」の石碑があります。
和歌山城から何里になるのだろうか・・
「野島地区」を進んで行きます。国道沿いにある、出羽・羽黒山の山伏
達が、殺害された事件の供養塔「十三人塚」に参拝し、更に進むと草履
を松の木に掛け、裸足で安珍を追った「清姫の草履塚」があります。
この先で、一旦「国道42号線」に合流し、坂道を登って行きます。
右手に広がる海で、サーフィンを楽しむ若者の姿が、見えました。
街道はこの先で、もう一度、右にある旧道と国道を、出入りし
てから「くさま旅館」右手にある旧道で「上野地区」へと入り
「和歌山高専」の横を通って、どんどん進んで行きます。
上野地区には、古道から少し離れた所に、井戸の側面に室町末期の
「三体の仏さま」が彫られている事に由来する「仏井戸」があります。
仏井戸です。ここが「59上野王子」の旧社地なのですが、すっかり
失念し、通り過ぎてしまいしたので、以前の写真を貼っておきます。
旧道に戻って、進むと「名田漁民センター」の所に「59上野王子跡」の
石碑がありました。元は仏井戸にあった王子社が、江戸期に火災に遭い
ここに移されていますので、昔の古道は「今とは違う道筋」でした。
「上野王子跡」の↑石碑は、木の奥にあります。
「津梅橋」を渡り、坂道を登り「楠井地区」へと入ります。右手に
安珍を追いかけた清姫が、休憩したとする「清姫腰掛石」を見て
一旦国道に合流し、すぐに「楠井地区の細い道」を進んで行きます。
「湊川橋」を渡り、国道42号線に合流し、旧道を一回出入りして、更に
国道を進みます。国道の坂道を登り降りし「印南の町」が見えかけた所
から「路面表示」に従い、左の山道に入ると「60叶王子社(跡)」です。
明治に廃絶となった叶(津井)王子社の跡地には、当時の石碑や鳥居
燈籠が残されています。「願いが叶う」「叶王子」ですので、願懸け
と思ったのですが、藪蚊が酷く、すぐに退散しました。
叶王子跡から、国道に戻り「けんけん船」で有名な「印南漁港」を
通って行きます。漁に出ているのか、係留する漁船が少なかったです。
国道に戻り「信号交差点」を左折し「のこぎり坂」を登って
行きます。途中右手に集められたのか、多くの地蔵がありました。
坂を越え、古くからの家並の続く集落を抜け「宝来橋」を渡って
又、坂道を登って行きます。今日は、昇り降りが多く足腰に堪えます。
再度の坂道を登って、進んだ先に「61斑鳩王子」社があります。明治期
に、別の神社に合祀され、ここの王子社は廃絶されましたが、住民の願い
により分祀(1950年)され、元の地に「社殿等が再建された」王子社です。
小さな神社ですが、以前と比べ、綺麗に整備されていました。
最近(令和時代)「個人篤志家の寄進」によるものだそうです。
階段を下って国道に降り、国道の側道を進んで行くと「62切目王子
神社」です。「熊野詣」に来ていた「平清盛」が、ここで「都での
反乱」(平治の乱)を知り、必勝祈願をして、都へと引き返しています。
切目王子は「五体王子」の一つで歴史を感じる「風格ある神社」です。
神社前に新しく「トイレ」や「駐車場」が、整備されていました。
切目王子を出て、集落を進むと「切目川」です。「切目橋」は、まだ
工事中でした。仕方がないので国道へと迂回し、対岸の町を進みました。
本日は対岸にある「切目駅」で、終了としました。約6時間程の行程で
前泊もしており、まだまだ、時間的な余裕はあるのですが、足腰が痛く
無理せず、大事を取りました。次回で紀伊路も終了予定で、やれやれです。
























