昨夜は「久世」にある某大手ビジネスホテルに宿泊しました。最近は地方の

小都市にも大手が進出しており、寡占化が進んでいるようです。

 

今日(7/16)は、「美甘宿」の「観光駐車場」に駐車し「美甘神社」に参拝後

昨日の終了地点から出発し、すぐ右の集落内の旧街道へと入りました。集落

内には「一里塚」があったそうですが、今では何の痕跡もなかったです。

 

街道を進み「片岡集落」に入ると、家の裏に出て、山際の

「出雲街道」となります。「僅かな平地を最大限に利用」する

為、旧街道は集落の裏側「山際を通っていた」ようです。

 

道なりに旧街道を進むと、民家がなくなり、今度は家の裏道から

「田んぼ際の山道」となります。右側に「古い墓地」のある道は

「雑草と蜘蛛の巣」が酷く、ついには「倒木が道を塞ぎ」ました。

この辺の旧街道は、農地や住宅地を避け、山際を通る「旧街道」

の、更に奥に「墓地を造る」のが一般的な土地利用のようです。

 

ここは、倒木の横を強行突破しましたが、服が裂け、切り傷を

追い、酷い目にあいました。旧街道は、まだまだ山際に続いて

いますが、この先の通行は諦め「下にある↙里道」を進みます。

            里道↑     ↑山際の旧街道

 

参考までに、以前(2018.6月)「頑張って歩いた旧街道」の様子

を貼っておきます。今は、もっと厳しく通行は難しいです。

 

「旧街道歩き」を諦め、片岡集落内の旧道を進み、右手「荒魂

神社」がある所から、左へと「平島集落」に入って行きます。

 

平島集落を進むと、右手の坂道に「旧・美甘村の道標」があり

「山際にある旧街道」↓を案内していました。少し挑戦しま

したが、草木が繁茂しており、早々に諦めました。

 

概ね、空き家が増えると、墓参する人が減り、旧街道も荒れます。

過疎化の進む、平島集落内の旧街道を歩くのは難しく、集落内の道

をそのまま進み「平島薬師堂」の先で、国道181号線に合流しました。

「薬師堂」です。中に「薬師如来」(平安末期)が祀ら

れていますので、古くから開けた土地なのでしょう。

 

国道に合流し「通行可能な旧街道」を出入りしながら、更に国道

を進むと、やがて「人口793人」(2025年)の「新庄村」に入ります。

 

新庄村に入ってすぐの、左手にある「大所橋」で「新庄川」

を渡り、すぐに右折して山沿いの田んぼ道を進みます。その

先にある「清正公大神儀」の所に「一里塚」があったそうです。

 

更に、山沿い道を進みます。左手に明治の疫病で亡くなった人

を弔う「石仏群」や、山中一揆の首謀者の「処刑場跡」を過ぎると

桜並木が始まり、その先で、↙左の道を進むのが、旧街道です。

 

旧街道を進み、やがて「桝形」を越えると桜並木の「新庄宿」

へと入ります。新庄宿は、難所「四十曲乢(峠)」や「嵐ヶ乢(峠)」

を控え、大変栄えた宿場で「雲州公本陣」や「脇本陣」がありました

右は、脇本陣「木代邸」です。江戸時代末期の建物が残っています。

 

左が「雲州公本陣(跡)」です。建物は明治時代に建て替わっています。

左右に植えられた桜は、日露戦争での戦勝を記念として

1906年に植えられたもので「凱旋桜」として有名です。

 

「御幸橋」で「戸島川」を渡り、左折し「新庄宿」を抜けて

行きます。中国山地の景観の特徴である「石州瓦」が映えます

 

街道は、国道181号線を横断し「戸島川」に沿て、緩やかな坂道

を進んで行きますが、暫くは「町?の景色」とも、お別れです。

 

この先、地元力士を顕彰する「力士塚」や「地神」「題目塔」等を

見て進みその先にある「三叉路」で、3時間歩いた本日は終了としました。

 

この後「新庄村役場」にあるバス停まで戻り、バスで出発地点の美甘へと向かい

ました。本日も猛暑でしたので、1日のコースを2日に渡って歩いて、正解でした。

以前(2018.6月)歩いた「旧街道」は、雑草が繁り、もう通行は難しかったです。