善光寺街道(北国街道)を歩く 第2回 上田-屋代 その14 | らんまるの街道歩きブログ

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お前、いつまで去年秋の記事書いてんだよ!とお嘆きの方も多いとは思うのですが、昨年の10月8日()に善光寺街道歩き旅の第2回として、上田から屋代までの区間を歩いた旅の第二弾、その14です。

 

当日の歩行ルートは↓。

街道復帰までの道のりや寄り道なども含めて歩いた総距離は23.5km前後だったようです

ガイドブックは山と渓谷社の『ちゃんと歩ける 伊勢参宮道 善光寺街道』です。

 

その13では、坂城の宿場を出たところにある古民家と、その軒下で眠るネコを激写したところまでをご紹介しました(↓再掲)。

 

再掲した1枚目の写真の前でY字に分岐し、しなの鉄道の高架を潜って進んで行きます。

本来の旧街道は↑に見えているトンネルのあたりを通り過ぎ、危険な崖路をこの先の千曲川の渡し場の方まで進んでいたようで、冒頭の地図には当時の推定ルートも描きこんであります。

 

街道を歩いていると電車のトンネルって妙に撮ってしまいます。

 

高架を潜った後、あまり人気のない集落を進んでゆきます。家々が新しいものが多いのは、先ほど書いた通り、本来の旧道が右側に並んでいる家々の頭の上を通る崖路だったからですね。

 

しばらく進んで行くと国道18号に突き当たり、ここで右折します。

 

しばらくは国道歩きが続きます。国道左側の向こうには千曲川が流れているんですが、右側にしかない歩道からではほとんど川が見えずやや欲求不満気味な気分でした。

 

千曲川の対岸には何となくピラミッド的な形状の低山があったので激写します。

 

お、道路左側に次の目標物が見えてきました。

渡し場の跡があるのですが、↑の写真を撮った直後からしばらく双方向にクルマが途切れなくなり、しばしそのまま進みます。

 

この辺りでもまだ本来の旧道は画面右奥の山の中腹を進む崖路だったようで、今私が歩いている道を通すときの資料が少し案内板に載っていました。

大体でいうと右端にある横吹坂の道が、冒頭近くで載せたしなの鉄道のトンネル付近かと思います。

 

で、この看板のすぐ右上から山道を下りてくるルートだったとすると、道路造成時に切り通して痕跡は無くなっていますが、こんなところを下りてきた訳だ。

ガイドブックには「断崖の中腹を通行した。横吹八丁と呼ばれ「岩鼻」と並ぶ難所であった。殿様も駕籠から降りて歩いたという」と書かれていました。そうでもしないと駕籠かき諸共殿様もがけ下に真っ逆さま、の恐れがあったんでしょうね。怖わ!

 

そんなことを考えつつしばらく待つと、クルマが途切れたので、脱兎のように国道の左側に渡り、渡し場跡に着きました。

やはり千曲川は(・∀・)イイ!! 

 

前回の旅で見たときと比べると川幅も広くなってきた気がします。

ここが笄(こうがい)の渡し場跡です。名前の由来は「落ち延びる村上義清の奥方が船頭に礼として笄を手渡した」ことによるそうです。義清の奥方は甲斐源氏武田氏の同族、小笠原氏の出で信濃守護の小笠原長棟の娘さんだったそうで、戦国の習いとはいえ笄をお礼にここから船に乗るときはどんな心持だったでしょうか。

 

あまり何も考えずに激写したこちらの石碑はガイドブックにも解説がありませんが、トップになにがしかの梵字があってその下に道祖神の「道祖」なのかな?

 

こちらは小林一茶の句碑で「よこ吹や猪首に着なす蒲(がま)頭巾」とあるそうです。

「よこふきや」くらいしか読めません(;^_^A。

 

こちらに詳しい解説版がありましたが、ボケていたのかもう一つあるはずの芭蕉の句碑が見つけられませんでした。

 

当初こちらがそれかな?と思ったのですが一番下に「音」と書いてあるように見えるので例えば「南無観世菩薩」の下の方が埋まっちゃったものかな?と推測

 

最後に川辺の風景を撮って街道に戻ります。

 

しばらくは比較的単調な国道歩きになりそうですね。古い民家などを探しつつ行きましょう。

 

民家の前のガードレール内側に由来のわからない「筆塚」の石標を見つけて激写。

なお、奥に見えている橋は先ほどの笄の渡しに因んだ「笄橋」です。

 

なーんとなく家々が多い集落に入ってきました。少しずつ歩道が頼りない構造になってきます。

 

(* ̄▽ ̄)フフフッ♪現代的な「結果として長屋門」ですね。

 

やはり国道、クルマ通りは多いですね。側溝の上にブロック被せた歩道って凸凹が多いのでつまずいた挙句にふらついて車道に飛び出たりしないように気を付けよう。

 

おお、いい感じの古民家がありますね。クルマの往来が多くて反対側に渡って激写できないのが残念!

 

どれだけ長く閉鎖されたままなんだろう?と感じる玄関。

 

時々ガラスが抜けてしまった引き戸の向こうは縁側でかすかに生活の痕跡が残っています。

 

切り妻屋根の家は昭和前半くらいの建築かな。手前の小っちゃい建物はトイレか?

 

ほどなく街道右側に泉徳寺というお寺が現れます。

 

境内には石仏石塔が並んでいます。

 

虎杖翁と刻まれており、撮ったときは「何だろう?」と思っていましたが、その時ちゃんと見ていなかったガイドブックを今見返すと「宮本虎杖の句碑がある」などと書かれているので、もしかしたらこの裏に「夜桜や 世に阿類(ある)ものの 迎馬」と刻まれていたかもしれません。

 

この辺りで街道に戻り徐々に次の上戸倉宿に向かって進んで行きますが、この続きはその15でご紹介します。

 

まだしばらくつづく。