桶川市のこの8月の平和事業で、
広島忌の6日に与那覇満(よなは みつる)さんが
講演を行いました。
ひめゆり学徒の生き残りで、
長年、平和の語り部として活動をされてきた
与那覇百子さんの長男で与那覇師範のお兄さんです。
6月23日の「沖縄慰霊の日」には、
テレビ朝日のニュース番組「報道ステーション」で
大越キャスターが桶川市在住の満さんに
ご自宅でインタビューした映像が放映されました。
大越キャスターの平和への想いがこもった企画で、
百子さんの世代から
平和の尊さを語り継ぐその次の世代として、
満さんの想いが
その背中を静かに押す特集でした。
今回の満さんの講演では、
百子さんが話をされてきた「人は紙一重」の一言への
その前後の様子が紹介されました。
その具体的な内容に会場では涙する方もあり、
終わったあとには多くの方々から笑顔で
「今日は来て良かったです」との声が聞かれました。
まさに、百子さんから
直に伝えられた息子さんによる語りは
真に迫るものがあり、
会場のみなさんの心が浄化されたよう。
講演後に、
満さんは「母が降りてきました」と
身振りも交えて
にこやかに話されていました。
そのことに私も思わずうなずくような
そう感じさせてくれる
満さんのお話しぶりでした。
百子さんのことを
恩師の矢部師範も沖縄への想いとともに
よく話していました。
平和への想いと空手道のルーツである沖縄へ
いつか一緒に訪れようとのお誘いは叶いませんでしたが、
不遜を承知で、そのいずれもこの身に
多少なりとも受け継がれているものと思っています。
一人で稽古をするとき、
この手応えは強く表れるものとなります。
伝統の基本の受け技から
息吹を真髄とする呼吸法まで。
私たちが継承してきているものは、
その想いや技術だけでなく、
いまだ不明瞭ながら、
人の在りようとも重なり、
共振しているようにも感じられるものがある。
一人の稽古であっても、
独りではないと思うことも少なくない、
むしろ、一人のときこそ
より鮮明となることも
ようやく分かってきたように思うのです。
このようなとき
ある書籍のなかで紹介されていた
堀辰雄氏の「風立ちぬ」への考察を思い出します。
原文から引用されている
フランスの詩人の意も含めれば、
風とは、大地の息吹、
自然の呼吸であり、
畏怖や畏敬の念の対象にも似た何か ―――
道半ばの身としては、
何かしらのつながりがあるという
その先行している気持ちを割り引くとしても、
稽古での実感とともに、日々、
想われ支えられているのは私たちの方との指摘にも
なるほどと思えます。
稽古は、
空気が冷たく澄んでいる真冬こそ、
心身の動きや呼吸法も
一段と研ぎ澄まされたものとなりますが、
共有の感性や
ともに在るという点では
汗だくとなる暑い真夏もまた格別です。
さまざまなことが
この胸に去来する8月は、
足もとを確認して基本に立ち返ることを
思い出させてくれる夏でもあります。
暑い夏に冬に向けた心身を培う、
という恩師のあの声が
いま改めて思い起こされます。
追記
自分の本を図書館に持ち込んで
読むことがあります。
年間を通して相当に身体を動かしていますが、
それ以上に本を読む時間の方が
多いようにも思う。
読書家であった恩師や母には及びませんが、
いつの間にか自分もと思うと
不思議なものです。
先日、司書の方による本の紹介で、
ここ10年間ほど気にしていた本が
私が座った席の、
真正面の棚に置かれていました。
その本の一文だけは見知っていたものの、
いつか実際に本を手に取って
その言葉を読みたいと思っていたもの。
わずか5メートルほど先にある
その表紙の文字を何とはなしに目で追い、
まさにその本と分かったときには
時間が止まったよう。
いままで特段に、
探すことまではしていなかった本との
まったくの偶然の遭遇に
驚きと喜びが沸き起こりつつ、
少し落ち着いて
最近の自分を顧みれば、
このタイミングは必然ともいえ、
有り難い縁と思いました。
このようなこともあるのです。
これからに
生かしていかないといけません。
5つ、再掲します。