剛柔流空手道の修養法には、

 

立禅(りつぜん)と

 

呼ばれるものがあります。

 

曹洞宗など

 

仏教の座禅に対する立禅であり、

 

平衡立ち、三戦立ちで

 

陰の息吹、陽の息吹による

 

呼吸法を徹底する、

 

型の「三戦」「転掌」はその代表例です。

 

 

生き物には自律神経が備わっており、

 

これは自分の意志とは無関係に

 

生命維持装置として機能しているもの。

 

 

かつても記した通り、

 

人間だけが

 

意志を持って呼吸を意識的に

 

呼吸法として取り扱い、

 

修練することができます。

 

剛柔流空手道の源流であるヨガをはじめ、

 

その影響を色濃く受けてきた座禅も、

 

能や狂言、舞踊、歌唱での腹式呼吸も

 

軸となるものはすべて呼吸法です。

 

 

特に、締めと弛緩で研ぎ澄まされた

 

心身の動きを伴う

 

剛柔流空手道の呼吸法は

 

その修養が際立って顕れるものとなります。

 

 

つまり、その徹底によって

 

自律神経である

 

交感神経と副交感神経を

 

可能な限り最善に

 

バランスさせることができる、

 

意図するところに瞬時にもっていく。

 

そして、

 

全力を出し切るここと

 

全体を整えること、

 

集中力を高めることと

 

精神を鎮め安定させること、

 

これらを

 

並びたたせることができるのです。

 

 

呼吸法の修養には

 

どれほどの時を要するのか、

 

しかとは言えませんが、

 

米寿を過ぎた恩師をみていても

 

修養をし尽くしたという感慨には

 

容易に達し得ないことは

 

確かなのでしょう。

 

 

ですが、少しずつでも

 

自分のものとなってきた、

 

自分のものとしてきているという手応えは

 

間違いなく得られるもの。

 

そして、そこからが

 

さらに幅と深みを増す道の始まりであり、

 

厳しさのなかに笑みを含むようで、

 

柔らかく拳を握るような感覚でもある。

 

 

悦びや愉しさも相まって

 

その先に、身につける、

 

自分のものとする、という

 

領域があるのだと確信しています。

 

それは、絶対的なもの。

 

決して

 

比較、相対的なものではありません。

 

 

感覚的で理論的 ―――

 

感性をもって理論的に考えること、

 

理論的でありながら感性を大事にすること。

 

この揺れ動く思考をもって、

 

今年一年を

 

みなで着実な成長につなげてまいります。

 

 

追記

 

剛柔流空手道は接近戦です。

 

自ら厳しく間合いを詰め、

 

そのなかで己の間合いをつくり、

 

そして測り、計る。

 

 

軸を崩さずに正中線を維持し、

 

絶対に下がらず、廻り込む。

 

心身の昂りや集中、刺激の交換というような

 

格好をつけた装いや軽口などからは程遠い、

 

時には制する一方で

 

恐怖や畏れ、怒りや敬意の念が入り交じる想いを

 

幾度となく味わってきました。

 

 

 

    剛柔会伝統のフルコンタクト「自由組手」

 

 

本質は前述の呼吸法をはじめ、

 

平衡立ち、三戦立ち、四股立ちなどによる

 

日々の稽古のなかにすべてあるものと

 

いま理解することができます。

 

稽古とは、

 

愚直なまでの息の長い取り組みであり、

 

キャリアを問わず、

 

必ず見えてくるものがあります。

 

 

派手さもきらびやかさもありませんが、

 

これからも本質をガチッと押さえて

 

みんなとともに取り組んでいきたいと、

 

年の始めの稽古を終えて

 

改めて思っています。

 

 

3つ、再掲します。

 

強さ

 

自律