剛柔流空手道は、

 

インドのヨガを源流とする

 

伝統の武道であり、

 

稽古の要点は、心身を

 

自分の呼吸と連動させることです。

 

この世に誰一人として

 

同じ呼吸の者はおらず、

 

体形、呼吸の速さ、長さ、深さ、

 

血流から肺活量まで、

 

皆、さまざまです。

 

また、自分であっても、

 

日々の生活習慣や

 

経験、年齢とともに変化し、

 

誰もがそのときどきの

 

己の呼吸というものを持っている。

 

これを

 

先人たちが継承してきた

 

伝統の呼吸法として学び、

 

稽古を続けて

 

修練を重ねることが


心身を整え

 

自分の形(かた)をつくる、

 

成長を促すおおもと、

 

あらゆるものの基礎、基盤となります。

 

大地にしっかりと

 

根を張るがごとく、

 

自身の揺るがぬものを築く


一歩一歩の

 

確かな取り組みとなるのです。

 

 

他の誰でもない

 

自分の形(かた)をつくるということは、

 

自分というものを持つということ、

 

まさに

 

自分を持つことにほかなりません。

 

 

これらはスポーツ化した空手、

 

試合を目的とした練習で

 

培われるものではありません。

 

もはや自分の通う道場の流派を知らない者、

 

流派の名は聞いていても

 

その本質をまったく知らずにいる者が

 

いかに多いか。

 

良いものとそうではないもの、

 

正しいものとその対極にあるもの。

 

 

これらの明確な違いを理解して

 

自分のものとし、

 

言葉とすることができている。

 

この道場で

 

恩師と出会い四十数年を経て

 

ようやく実感しています。

 

恩師の「理にかなっているか」との自問と

 

周囲への問いかけは

 

ずっと変わらないのです。

 

 

 

 

           徳間師範   恩師

 

 

先日、

 

先輩であり昔馴染みでもある方と

 

久しぶりに手紙をやりとりし

 

たいへんうれしく、また、

 

ともに稽古で汗を流した日々を思い起こしました。

 

みんな若かった。

 

道場で力いっぱいに頑張ったし

 

同時に、道場の外でも論理的に試行錯誤し、

 

深夜まで語り合ったりしたものです。


 

そのような仲間たちとの

 

手紙でのやりとりをはじめ、

 

ときどき道場に顔をだす仲間もそうですが、

 

道衣、帯を締めて稽古に入れば

 

不思議と時間の経過を飛び越えて

 

お互いに共有できる何かが沸き起こるのです。

 

この感覚は唯一無二。


 

呼吸法を軸とした

 

ここでの心身の学びが

 

背骨ともなるような自分の軸をつくり、

 

生涯にわたり

 

決して失われることのない財産となる。

 

「 100万ドルの宝石にも優る... 」

 

シドニーのジョージ師範の言葉は

 

いまも忘れません。

 

 

気がつけば、

 

いつの頃からか

 

支える側となってきている。

 

仲間への感謝と

 

いまも教えをいただける

 

先輩方の有り難さを思います。

 

道半ばであることが、

 

また愉しみでもある。

 

 

昨日、九月七日から

 

二十四節気の一つ、白露に入りました。

 

秋めいてきた空気の匂い、

 

青い空、樹々の葉にも色が入り始めて

 

これもまたいい時季です。

 

 

5つ、再掲します。

 

ヨガ(源流)

 

普遍的なもの

 

呼吸は個々に特有のもの

 

生涯にわたり、生涯ののちも

 

自己顕示から支える側へ