心身を内に引き締めて
鎮めて高め、安定させる稽古のひとつに、
禅の修業で伝統的に行われている
警策(きょうさく)と同じものがあります。
警策は、正しくは法具の名称ですが、
一つの修行法の意味でもよく使われています。
禅では、高僧が、
木製や竹製の細長い板(※)を使用する一方、
伝統的な剛柔流空手道の稽古では、
指導者がその両手足を使って行います。
※幅は5センチ前後、長さ1メートル以上
警策で打つ対象は、
禅では修養する者の肩が一般的ですが、
私たちの稽古では、両肩だけでなく、
両腕、足腰や内股、腹筋なども加わります。
いま振り返ってみても、
恩師から長年、指導いただいてきた手応えは
この心と身体に大きく残っています。
あの厳しい声がいつ飛んでくるか、
両手がいつ両肩にビシッと飛んでくるのか。
気をいっときも緩めずに
気持ちを高めて、みなで稽古していたことを
思い出します。
道衣を着ている普段の稽古はもちろん、
上着を脱いで稽古に臨むときの緊張感は
さらに増すもの。
恩師から事前の告知はありませんので、
自分の真後ろに立たれたときの心の内は
簡単な言葉では表せないほどです。
恩師(赤帯) その目の前に森(2006年)
これを含めて、ここでの稽古が
いまの自分の血や肉となり、
糧となっていることがよく分かります。
稽古にムダなことは一つもなく
すべては、いまにつながっていて、
そして、これからにもつながっていく。
道場での稽古を
恩師は修業(しゅうぎょう)または
修養(しゅうよう)とよく言っていました。
曹洞宗の大本山、永平寺での参禅修業も
懐かしく思い起こされます。
秋も深まりつつあり、
この一年を総括する時季ともなってきました。
改めて、感謝の気持ちです。
追記
昨日の稽古では、
警策の稽古を久しぶりに行いました。
大人の女性のうちの一人は初めての稽古で
最初は少し驚かれたところもありましたが、
指導員を手本として
その意味や目的、効果を丁寧に伝え、
よく理解をされたように思います。
今回はかなり軽めの内容としましたが、
呼吸法と合わせた身体全体の遣い方とともに
彼女も相当に真剣に取り組んでいました。
必ずや、一歩一歩、着実に
確かな力となっていくことでしょう。
このことに限らず、
少しずつ難易度や質を上げていって、
この道場で稽古に取り組む意味と意義、
その効果をより高めていければと思います。
縁や出会いがいかに大きく大切なものか、
いいトシになってくれば誰もが分かるもの。
私も生かされている者の一人です。
3つ再掲します。
