見ることも稽古である、
学ぶとは真似ることから始まるもの、と
恩師からよく言われたものです。
空手道に限らず、
誰かを、何かを見て
自分の学びとすることは
恩師からの声掛けをきっかけに
長年の習慣となって続けていることの一つです。
自分に取り入れたり、
応用したりするものもあれば
反面教師のことも少なくありませんが、
いずれにしても、
見て、考えるということ。
見て終わりにするのではなく、
主体的に考えるということが最も大切です。
私たちの稽古の伝統として、
年齢や道場でのキャリアにかかわらず、
みんなが号令を掛ける機会、
発言をする機会、物ごとを考えるきっかけを
つくっていくことと同様に、
何かを見て学ぶ、
自分で考える習慣を身につけるということも
指導者や指揮を執る者からの教えだけではない、
決して受け身ではない
個々に主体性を培う稽古の一つとなっています。
このことを積み重ねていくことがいかに大きいか、
学生時代を経て社会にでてから、
私としても身に染みて
理解を深めてきているように思います。
そして、その伝統をいまの師範や指導員も
ともに学ぶ仲間とともに続けていることが
とてもうれしい。
心身ともに、それぞれの持ち味や
力量に違いはありますが、
伝統の稽古による学びの本質を通して
みなそれぞれが必ず花開くとき、
実を結ぶときがくるものと確信しています。
この夏も連日、猛暑です。
地球温暖化への心配は尽きませんが、
身体はよく動き代謝も上がって汗も流せる、
暑い真夏ならではの稽古となっている。
冷たく澄んだ空気の、
精神的にもより研ぎ澄まされる真冬の稽古とともに、
とても良い時季を迎えています。
容易に形容できない、無上のときを
暑い夏に、冬に向けた心身を培う、
寒い冬に、夏に向けた心身を培う、
という恩師からのかつての声掛けとともに、
道場に掲げている修養訓をみるたびに
何ごとも一歩一歩であり、
その積み重ねであることを思い出させてくれる。
やはり、いい夏です。
追記
剛柔流の最大の特徴は息吹にあります。
先日の稽古では、
その息吹を心身の修練の基本として学ぶことの
奥深さを実感しました。
これまでも伝えているとおり、
徹底して、吐くことが肝要です。
端的に「身体を締めて吐く」だけのことですが、
すぐにできるというわけではない、
やや厳しい稽古であっても、
そこには伝統が持つ意味と意義があるのです。
みなの成長を図り、見守るまなざしには、
優しさと厳しさがある。
愛情を伴う真の優しさは言うに及ばず、
厳しい稽古、
負荷やストレスの少ない環境では
成長はなく、より良い変化も起こせないことは
悠久の時を刻み続けている自然界を顧みれば明らか、
これらは比例しており、
このことは、人も同じです。
一見、優しく
あらゆるものが許容される現代でも、
社会がそう生易しいものでないことは周知のとおり。
このようななかで、
生活の基盤となる社会システムは
有史以来、長く続いてきた封建的な時代から
近世になって様変わりし、
いまは日本史上、かつてないほどの自由がある。
フランクル研究の第一人者は、
現代は緊張感が足りない、ストレスが足りない、
と、深い信念を持って警鐘を鳴らしています。
自らに由る、ということも
そうたやすいことではないのだと
多くの人々が気づき始めているなかで、
自身の軸を育んで、他者とは
明確に異なる“自分”というものをかたちづくり、
確かなものとしていくためには
どのような姿勢や取り組みが必要なのか。
そのようなときに改めて思い起こします。
すべてはこの内にある、と。
私たちは何をどのように教わり、
その都度、どう考えてきたかを思い出して
実践すればよいのです。
これらは、よく言われるとおり、
どこかに探し求めるものではなく、
迷い惑うものでもないと言い切ることができる。
道、半ばながら、
この内にゆるぎないものがある。
日々の試行錯誤にも、
一切、無駄となるものはなく、
明日への糧となることが充分に分かるのです。
いま、この途上に、
有り難さや感謝の気持ち、
人生の豊かさもあるのだということが
理論的にも感覚的にもよく分かる。
みなとともに、
この夏をよい時間としていきたい。
改めて、そうあれるよう願いつつ、
この暑い夏にこそ主体的にしっかりと考え
取り組んでいこうと思います。
5つ、再掲します。
