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ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

 

 

あまりの眠気に、とりあえず、道端に腰をおろして寝ることにした。

 

ホントは横になってでも寝たいのだが、後ろから来る選手に『倒れてる人』って思われても困るので、体育座りのような姿勢で寝ていたが、やはり後続の選手からは、体調不良で休んでいるように思われるようだ。

 

『大丈夫ですか』

って声をかけられ、

『いや、ただ眠いだけなので…』

 

と答える。

すると

『私、眠気が吹き飛ぶ強いカフェインのタブレットを持ってるのでどうぞ』

とタブレットを分けていただいた。

 

苦みがたしかに眠気を吹き飛ばしたので、またしばらく歩みを進めることにした。

 

ところが1時間もたたないうちにまた眠気が、襲ってくる。もうこうなるともう眠気の制御は効かずどうしようなくなる。

 

目の前に、地域の公民館が見えた。

ちょうど生け垣のようなものもあり、後続の選手の視界からも消えてしまう。

 

犬走りに仰向けになりそのまま寝た。

時間は30分ぐらいだっただろうか、完全に眠りについたからだろうか、今度は眠気もスッキリし、歩みを進めることができた。

 

明け方、エイドに到着。

エイドでは、暖かい食べ物があり、仮眠所も用意してあり、お腹も満たしつつ、さらに30分ほど眠りについた。

 

眠りから覚め、完全に夜も明けた。

体は疲れてはいるものの、意識は普段通りにもどっだ。

 

ひたすら歩みを進める。

このあたりは、だいたい80キロ〜100キロぐらいの地点で、比較的トレイルも緩やかで、ひたすら距離を稼ぐ区間だ。

 

10時40分ごろ、第5エイド 田上枝公園に到着。

この頃になると、かなり気温もあがり今度は暑さが、なんとなく身にしみるように感じた。

 

続く

さて、秋にも、100マイルをなんとか走っておきたい。

ということで、エントリーをしようと思った大会が、このLAKE BIWA100だった。

 

9月末、地元で、村岡ダブルフルウルトラランニングというウルトラマラソンが開催されていて、地元であるがゆえに、ロードレースをほとんど走らない自分なのだが、これだけにはエントリーをしていた。

 

その2週間後ということだったが、秋に近くで走れる100マイルレースはないと思い、エントリーすることにした。

 

実は、関係者からは、LAKE BIWA100は相当きつい…という情報は得ていて、少し躊躇はしていたが、とりあえずは申し込むことにした。

 

大会期日は、10月6日スタートは9時、そして8日13時が制限時間で、52時間だった。

 

UTMFも同じ100マイルだが、累積標高は、7942m。

一方、LB100は、10500m。

ちなみに、UTMBは9963mだ。

 

受付は前日受付のみとなっていたので、木曜日には、滋賀県入りする必要があった。

 

夕方、会社を早めに退出し、受付のある比良レークサイドに向かう。

 

地図で確認すると、近くに食事をするところはなさそうだったので、あらかじめ、食事をしておくことにした。

 

またEVに乗っているので、日産堅田店の高速充電器を利用し、その合間を見た。

 

歩いて、5分ほどのところに、スシローがあり、そこに飛び込んで、握りを5皿ほど食べる。

 

19時30分比良レークサイド到着。

受付を済ます。

 

受付のあと、この日の宿泊先、ジェイホッパーズに行って、明日に備えて早めに就寝した。

 

6日4時30分に、起床し、朝食と、身支度を整え、再び、比良レークサイドに行く。

 

6時に、比良レークサイドから、スタート地点である湯の山温泉希望荘へのシャトルバスを予約していたので、バスに乗り込んだ。

 

約2時間ほどの乗車時間中も、その後の長丁場になるレースに備え、ずっと寝ていた。

 

8時頃、スタート地点である湯の山温泉希望荘に到着。

 

スタートにはすでに選手で溢れていた。

今回のレースは100マイルである。

 

スタート地点に着くまで忘れていたけど、この大会にエントリーする際に、資格審査があったことを思い出した。誰でもエントリーできるわけではなく、ある程度の実績、過去に100マイルの経験などがないとエントリー時に弾かれる。

 

なぜ、スタート時点に着いて思い出したかというと、普段のレースとなんとなく雰囲気が、違っていたからだ。

 

トレランは長丁場でもあってスタート時に、緊張の面持ちで…という雰囲気はないのだが、集っている選手はやはり幾多の試練をくぐり抜けたツワモノばかり。

そういうオーラみたいな空気がスタートには漂っていた。

 

 

 

出発準備を整え、スタートに着く。

レースは、実力ある選手から、100人づつぐらいがスタートするいわゆるウェーブスタート。

 

私は、最後列グループで10分遅れのスタートとなった。

 

9時10分、スタート。

今回のレースは、前半に鈴鹿山脈を40キロほど待ちかまえる。

 

スタートしてすぐにシングルトラックの急坂となり、ひたすら歩きが続いた。

最初8キロ辺りに、三重県最高峰、御在所岳に上がる。

 

わずかな距離だが、すぐに2時間を経過した。

そこからひたすらアップダウンを繰り返した。

 

 

 

細い尾根がいくつもつらなり、落ちたら死ぬわなぁ

と思える場所も数しれず…

 

なかなか距離は進まず時間だけが過ぎて行く。

また、エイド間がけっこう時間的に長かった。

 

トレランには補給食を持つのは必須だが、実際には、余り手をつけなくてもエイドで補給できるのだが、今回はエネルギー補給のために、手持ちの補給食はかなり消費した。

 

第1エイド 安楽峠には16時20分ごろ到着。

 

第1エイドから、第2エイドまでは、あまり距離もない。

しかし、エイド間が短いということは、それだけ、アップダウンが激しいところという意味でもある。

 

第2エイド 鈴鹿峠 18時20分ごろ到着。

 

第2エイドではもう周りはすっかり暗くなり、ヘッドランプで目に入る前の道をひたすら上り下りを繰り返す。

 

1日目の夜に突入。

今までの100マイルや、夜越えのナイトランでは毎度睡魔が襲ってくる。

 

今回もご多分に漏れず、睡魔が襲ってきた。

途中ほんとに歩きながら寝てしまう場面が何度もあった。

よく、どっかに落ちたりしなかったものだと自分でも感心する。

 

続く

 

 

 

 

 

100マイルのトレイルラン、LAKEBIWA100に出場した。

 

世の中には、走ることを趣味にしている人は数多い。

最初はジョギングで2キロとか、5キロと始まり、だんだんと自信がついてくると、一つの大きな目標に、フルマラソンを置く人は多いと思う。

 

42キロは確かに、最初、果てしなく遠い距離に思われるが、頑張ってそれをやりきれば、とてつもない達成感を感じるものだ。

 

それを達成できると、私は大きく3つの進む道に別れると思う。

 

1つ目は、フラマラソンをとことん極めていく道。

サブ4とか、サブ3とか、自己ベストを追い求めて行く道だ。

 

2つ目は、ウルトラマラソンへの道。

42キロから、50キロになり、さまざまな距離のレースがあって、一つの節目、ウルトラ(100キロ)に行き着く。

 

そして3つ目は、トレイルランの道だ。

アスファルトなどの平坦地では空き足らずアップダウンが激しく、そして登山道、林道などのさまざまなロードコンディションを攻めていく。

 

私は、実はフルマラソンの経験がほとんどなく、いきなり、地元のウルトラマラソンに飛び込み、そして、トレイルランニングへと踏み込んでしまい、それがどハマリしてしまい、トレラン中心になってしまった。

 

まあ、自分が住んでいる場所が山の麓であり、平坦地がほとんどなく、山しかないという環境だからということもあるのだが…

 

トレランも初めてのデビューはOSJ氷ノ山トレイル70キロだった。

 

ただ、トレイルは感覚的には半分ぐらいは歩いて、ランニングの一つには違いないのだけど、ランニング半分、登山半分。そういうスローな感じも私の体質にはどうやら合っていたようだ。

 

氷ノ山トレイルの70キロがデビューだったわけだけど、その後、50キロ、35キロなどなど、さまざまな距離にチャレンジすることになる。

ただそれらのイベントは1日で完結するものが多く、しばらくはそういうのが中心だったのだけど、トレランのステータスが一昼夜を超える100マイルと知って、いつの間にか100マイルは目標に据え代わった。

 

2019年、100マイルにチャレンジできる資格を得たので、日本でももっとも有名な100マイルレース、ウルトラトレイルマウントフジにエントリー、するとラッキーなことに当選してしまった。

 

しかし、ご存知の通り、コロナ禍が世界中を襲い、2020年、2021年と連続して中止となってしまった。

 

2022年、関係者のご努力で、UTMFは開催され、走り切るチャンスを得て、ゴールも果たすことができた。

 

UTMFの存在を知ってから、さらにもう一つ上のステージがあることを知る。

 

欧州最高峰モンブランを一廻りするUTMB(ウルトラトレイルデュモンブラン)だ。

 

ただUTMBには、ある程度のレース経験などの参加資格が必要だったが、2022年の時点で、参加資格がなく、その姉妹レースであるCCCというレースの参加資格は得ていた。

 

チャンスあればと申込みをしてみたら、またもラッキーなことに当選。

コロナ禍での海外レースだったが、これもまたゴールをすることができた。

 

残すはUTMBである。

だが、UTMBに至るには、まだまだハードルは高く、当面、国内の100マイルレースに挑戦して、実力を蓄えることにした。

 

年に2〜3レースは走る機会を設け、いつでもUTMBの当選のチャンスに備えておきたい。

 

2023年春、UTMFに再当選し、再び走る機会を得て完走できた。

 

夏、UTMBの出場資格となっているランニングストーンと呼ばれるポイント獲得のために、スペインに行った。(結果については、Val’d aran by UTMBを振り返るを参照)

 

続く

 

 

 

 


仕事で隠岐の島に来ている。
 
淡路島とか、沖縄とか、島には幾度かは行ったことはあったが、一回り小さな島に来たのは初めてだ。
 
調べてみると、隠岐の島全体の人口は、2万人弱、隠岐の島の中心、隠岐の島町は12,000人ほど。
 
人口規模でいえば、私の地元、香美町はそんなに変わらない。
 
コンビニはないそうだが、大手家電のお店や、ホームセンター、スーパーは、立派な店構えで、うちの町より全然、マチな感じがした。

島は、他の地域との行き来が限られているから、人口動態もわかりやすいし、経済循環の概念もわかりやすいように思う。

生活のベースを島に置きつつ、他の場所に行って稼ぐことはできにくいから、域内に人を呼び込み消費を増やすか、外にむかって、ここで生産されるモノを売りに行くかだ。

どの自治体も基本的な経済の仕組みは変わらないが地続きになっていることが、それを分かりにくくする。

スーパー、日用雑貨店、また、さまざまに提供されるサービスは生活に欠くことができない。

だから、お互いに買い支えつつ、地域を守っていくことが必要だ。

そんな当たり前のことに島に身を置くことで改めて気づく。
 

 


豊かさとは何かについて…

 

最近よく考える。

 

私は、とある施設の管理を行っていて、ゴミ出しが日課となっている。

 

香美町では、『燃やすゴミ』は、月曜日、木曜日になっていて、毎回その処理をしに行くわけだが、まったく手のつけられていない食事が、捨てられているのをよく見かける。

 

先日は、なんと、バナナがパッケージされていたのが、そのまま捨てられていた。

 

本当にそういうものがまったく活かされずに、ゴミとなっていく現実に、憤りを感じ、そして、それを通り越して、悲しくすすらある。

 

モノがあふれている世の中は、何もないことに比べると豊かだと思うのが一般的だ。

 

しかし、本当に今、世の中は豊かなのか…そういう疑問が頭をもたげる。

 

ガソリン価格が高騰し、世間の人々は、生活に逼迫していると報道ではいわれる。

一方で、こうやって、価値あるモノがその天寿を全うすることなく、ゴミとして葬られたりする現実を見るにつけ、私たちは、アルものを活かしきるということをもっと真剣にやるべきではないか…

 

世の中の景気をよくするために消費拡大だ!

と世間はいう。

 

一方で、世界は気候変動に右往左往し、エネルギー問題に揺れている。

 

一人ひとりがもっと節操をもち、一つ一つを丁寧に生きていけば、世の中の大方のことは解決するように思う。