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ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

先日、ハチ北では冬山開きがあり、国会、県会、町などの各先生方も来賓として見えられた。

 

今回は、土曜日開催ということもあって、地元選出の谷先生ご本人も出席いただいての神事となった。

 

先生と立ち話をさせていただく中で、笠波トンネルの完成のお礼を述べさせていただいた。

 

笠波トンネルは、国道9号線の最も難所と言われている笠波峠を避けるためにできたトンネルだ。

 

当初は道路の改良でこの問題をクリアしようとしていたと記憶しているが、この峠が地滑り地域で、工事を実施しても、その影響は避けられないとして、最終的にトンネル案になった。

 

地元もこの交通難所をなんとかしてほしいという願いをずっと訴え続けてようやく事業が前に進んだのは、5年前のことだった。

 

でもよくよく考えてみると、この事業の事のはじまりは、僕の記憶している限りでは、40年ぐらい前からだったと理解している。

 

技術的な問題、国の予算の問題、用地の問題…さまざまな問題が待ち受け、なかなか前に進まなかった。

 

そういった長い年月の中で、すでに亡くなられてしまった方も多くいるだろうと思う。

 

私たちは、そういった先人たちが訴え続けた思いをありがたく享受できる幸運な立場なのだ。

 

おそらく、未来はこれからも続いていく。

私たちも、かつて先人たちがしていただいたように、未来の世代が少しでも生きやすい社会に向けて努力を払わなければならない。


我々がその便益に供することができなくても…。



一昨日、イベント出演者のおひとりでもある、藤田さんのお誘いを受け

 

「柤 (けび)in Toyooka @ とゞ兵」“自然の恩恵溢れる柤岡に触れるいちにち”

 

に夫婦で参加してきた。

 

藤田さんにお会いしたのは、2年前ぐらいのことだったと記憶する。

 

奥様の方の藤田さんが、香美町の地域おこし協力隊として空き家活用や移住相談の業務を担っておられたときに、私も会社で不動産業者として、物件にかかわるようになり、藤田さんとお知り合いになった。

 

聞けば、ご主人は、世界を飛び回っている音楽家で、村岡区柤岡(けびおか)に、生活の拠点を構えていると聞いて、一度ご本人にお会いしたいと柤岡を尋ねたことがあったのがご縁だ。

 

私は、田舎に価値を見出して、そこに拠点を構えてしまった人にものすごく興味がある。

 

自分自身は、ずっとこの田舎で暮らし、それなりに満足した生活をしているつもりである。

 

だけど、一般的には、若い人たちは、この地を離れて、都会に出る方が圧倒的に多いのが現状で、私のように、田舎には価値があるんだと思って生きているものは、マイノリティの部類だと思う。

 

それが都会での生活を経て、田舎で生きていこうと思ってしまった人は、それ以上にマイノリティだし、まして、海外生活が長かった方や、外国人が、この村岡の地を選んで住むなんて、変態(笑)の部類に入れられてしまうのが、世間でいうところのスタンダードな考え方だからだ。

 

内容は、

・柤岡でJINENANというレストランを経営する岸本夫妻のスペシャルランチ。

・藤田夫妻・岸本夫妻に加え、これまたオーガニック農業に価値を見出して、村岡に移住してしまったアメリカ人と日本のクレッグ夫妻の3組によるトークショー

・藤田さんによるヴィブラフォンライブ

・藤田奥様による瞑想ワークショップ

と、盛り沢山の内容だった。(残念ながら瞑想ワークショップには参加ができなかったど…)

 

柤岡愛にあふれたそれぞれのセッションに、僕らも大満足な一日だった。

 

柤岡は標高は400mほど、正確な世帯数は把握できていないけど、40ぐらいはあるだろうか…

そんな場所に、とても際立った3組の人が移り住んでいるのだ。

 

トークショーでの藤田さんの言葉が印象的だった。

『自然の豊かさと、人の温かさがある』

 

この二つがかけあわさったときに、人は吸い寄せられていくんだなーと。

 

柤岡はお世辞にも、便利な場所とはいい難い。

だけれど、そういったことをもはねのける人の温かさは、人を力強くひきつけるのだ。

 

この部分をもっと僕らは、冷静に、謙虚に受け止める必要があるだろう。

 

柤岡には、ケビの森クラブという森林ボランティア組織があって、その活動を通じて、豊かな森が育まれているが、それを媒体として、人と人とがつながっていっている。

 

都市での生活は便利だけれど、そのもっとも人として大事な部分が失われつつあるのは確かだ。

 

もともとどの地域にもそういった温かい人のつながりはあったはずだが、便利な生活を追求すればするほど、かけ離れたものになっていくのはなんとも皮肉なことだ。

 

そして、藤田さんは、柤岡の豊かな自然にも、心躍らせていた。

これも、田舎者の反省だが、田舎は、柤岡にかかわらず、自然が豊かだし、本来美しい場所だ。

 

しかし、日々そんな中に生きていると、それは盲目的になっていき、朝の凛とした空気や、夜空にきらめく星空が見えなくなってしまう。

 

何か新しいものを常に生み出し続けるアーティストだからというわけではないだろうが、人の感性にインスピレーションを与え通続ける豊かな自然は、彼にとっては創作のためには何よりも必要な要素なのかもしれない。

 

いや、我々凡人だって、日々の暮らしの中で、自分たちが豊かな自然に抱かれているという気持ちを取り戻していくことで、満たされた生活になっていくはずだ。

 

ただ、藤田さんも述べられていたが、このイベントを企画意図の中には、限界集落寸前まで来ている柤岡の未来を憂い、より多くの人を呼び込んで、持続可能な農村であってほしいという願いもあったのだとお話されていた。

 

これからも、藤田さんが世界中で活躍されて、世の多くの人が地方の価値を再認識し、ムーブメントになればいいな…

 

そんなふうに思った。

日本人の一人として、少しでも地域、国が豊かになり、そしてそれが巡って自分や家族も豊かになれば…

そんな思いで日々生きている。
少々大げさかもしれないけど…、本当にそう思っている。

仕事やいろいろな活動を通じて、確かに、そこに笑顔があふれる場面があって、少しは貢献できているのではないか…という自負心もある。

 

しかし、世間でいうところの、気候変動は、そういった幸せの追求の副産物として言われるようになってきて、そこに我々というか人類すべてがそこに加担している。

 

気候変動は、一般的に、人を不幸にしている。

 

一般的にというのは、それによって、植生、生態が変わっていることによって、恩恵を受けている人もいるからそれによって幸福を手にしている一部の人もいるだろうからだ。

 

しかし、マクロ視点でいえば、やはり人を不幸にしているのだろう。

 

幸せを追求しているのに、不幸せな人々を作り出すという矛盾。

 

環境保全側に寄っている人は、人類のそういった文明を即刻辞めなければならない…と警鐘を鳴らす。

 

私たちは、本当に人を不幸せにしてしまったのだろうか…

 

実のところ自分の中でも、落としどころが見つからず迷走している。

 

私も車を所有している。車を持つことで、私たちは移動の自由を手に入れた。

 

日本中、行きたいところに行き、見たいものを見、人生が豊かになった。

 

空を飛んで、海外にも行くことができた。

 

自分の視野が広がり、世界の広さを身をもって経験することができた。

 

しかし、一方では、CO2をまき散らし、温暖化に加担し、未来の希望を蝕んでもいるのか…

 

そんな気持ちが拭えない。

 

それ以外の生活だってそうだ。

冬は寒さから解放され、夏は暑さから解放される。

 

今まで、食ったものを食べ、おしゃれに身を包む。

 

さまざまな物質資源が形を変え、エネルギーを消費しながら製造されたマテリアルは、一方で、人類は、滅亡への道へと突き進んでいっているのか…

考えすぎなのか…。

考えれば考えるほど、物事は複雑になり、自分の手に負えないことにおろおろするばかりだ。

 

何が正解なのかわからない時代。

分からないけど、だからと言って何もしなくてもいいわけでもない。

 

だんだんわけがわからなくなってきた。

飯でも食って、腹が満たされれば、いい答えもみつかるだろう…。


1時間ほど、歩き続けたであろうか…



暑さもピークを越え、少し周囲も涼しさが出てくると、疲れのピークだと思っていた気持ちも少し和らぎ、なんとなく力を取り戻したような気がした。



前向きな気持ちが少し芽生えたので、とりあえずあきらめずに進む。



18時を過ぎると、周りも暗くなり、気温も急激に下がって、むしろ寒さも出てきた。



19時40分ごろ、第6エイド 北白川小学校に到着。



ここには、温かい飲み物、そして仮眠所があり、ここでも完全に横になって休むことができた。



20分ぐらい休んだであろうか…。

体力をある程度取り戻し、目もある程度冷めた。



つぎのエイドまでの間は、比叡山を含んだコースとなっていた。

この区間は、毎年、5月に開催される比叡山インターナショナルトレイルランとコースがかなり重複していたので、その先のコースレイアウトがある程度、先読みすることができたので、気持ち的にもずいぶんと楽になって前に進むことができた。

そして、意外なほどに、眠くならなかった。

比良山系にかけては、アップダウンがひたすら繰り返され、かなり疲労は重なったが、ただただひたすら前に足を運んだ。

 

4時30分ごろ 第7エイド 還来神社到着。

食料を胃の中に流し込み、また再び横になって30分ほど寝た。

 

この還来神社は、約140キロ地点。

ここまでくれば、もうゴールは目と鼻の先。

 

また、制限時間までもそこそこ余裕もある。

不思議なことに、疲れも感じなくなってきた。

 

ラスボス蓬莱山

標高300mぐらいから、1000mと、最後の最後に、一機に700mも昇る。

 

最後の力を振り絞って、あゆみを進めた。

蓬莱山にたどり着き、後ろを振り向くと、琵琶湖が眼下に広がり、一昨日から走ったであろう鈴鹿山脈や、比良山系などの山々が一望できた。

 

レースプロデューサーは、UTMBで女子で4位にも入ったことがある、丹羽かおりさんだ。

 

前のブログで、UTMB姉妹レースのCCCに出たことを述べたが、UTMBも最後の最後に、ラスボスの山があり、テッドオーヴァーンというモンブランが真正面に見える絶景ポイントがあるが、それに似たような最後の見せ場で感無量になった。

 

きっと、丹羽さんもUTMBのような演出をこのLAKEBIWA100でも再現したかったのだろうなぁと感心した。

 

びわ湖バレイの横を通り、あとはひたすら下るだけ。

そして、残り5kmの地点では、琵琶湖畔を走った。

 

最後になると、あれだけ疲労していたからだだったが、不思議と力が湧いてきて、最後の10㎞ぐらいはひたすら走ることができた。

 

11時頃 ゴールに到着。目の前は琵琶湖の波打ち際だった。

プロデューサーの丹羽さん自らが、完走メダルを首からぶらさげてくれて、握手もしてくれた。

 

トレイルランニングの大会に出始めて10年。

長い距離、短い距離、さまざま経験した。

 

100マイルの大会にも出るようになり、完走もできるようになった。

 

しかし、過去に出たどのレースよりも今回は過酷だった。

そして、過去で一番長い時間のレースでもあった。

 

そんな厳しいレース…

途中、完全にリタイヤも決めたレースでもあったのに、ヤマモトさん、ホリイさんの二人に、大いに励まされ、ゴールまでたどりつけた。

 

本当に二人には、助けていただいたのだと、心から感謝したい。

 

 

 

疲労困憊なのに、確かな充実感で気持ちがいっぱいになった。

 

何よりも代えがたい達成感にしばらく浸った…

 

私のツイッターのトップ画面は、LAKEBIWA100のゴールシーンだ。



 

少し大げさかもしれないが、自分が生きてきた人生の中で、これだけ充実感に満たされたのもそうそうない。

 

本当にすばらしく、また貴重な体験をさせていただいた。









 



第5エイドに到着して、気温もぐんぐんとあがってきたこともあり、疲労はピークに達したようにも思えた。

 

半分は過ぎたものの、まだ70キロあまりある。

 

そうした疲労に加え、スマートフォンの電池がほぼなくなりかけていた。

 

今回の大会では、必携品に、スマホと、予備バッテリーを持つことが義務付けられていた。

 

過去の経験から、今持っているスマホは、長くても、24時間ぐらいしか電池が持たないことは分かっていたので、なくなる前にモバイルバッテリーに接続して、残りに対応できるように考えていた。

 

ところが、あらかじめ満充電をしていたと思っていた予備のモバイルバッテリーの電池があまり充電されていなく、とても最後までもたないことが分かった。

 

そうなると、とたんに不安が募ってきた。

 

トレイルの大会は、一定間隔で、コースにマーキングがしてあり、選手は、それを確認しながら前に進む。

 

しかし、大会主催者もあらかじめ選手に伝えていたのだが、マーキングの間隔がかなり荒いところもあって、前夜もコースを見失いかけることが何度かあった。

 

そのため、スマホを取り出し、地図アプリなどにあらかじめ登録しているコースと自分の現在地を確認し、ルートが外れていないことを確認しながら進んでいたが、これから二晩目に突入するのに、モバイルの電池がなくなってしまいコースロストする恐怖も募ってきて、だんだん前に進む気力が失せてしまった。

 

ちょうど、第5エイドは大津市の市街地にあり、コースの脇に、コンビニがあった。

 

暑さをなんとかしのぎたかったので、コンビニに入り、氷とコーラを飲んで渇きをいやすのだが、進む気力はまったく失せてしまい、完全に戦意を喪失した。

 

今ここでリタイヤすれば、安全にレースをやめることができる…

そう思いながら、しばらくうなだれていた。

 

すると、後続から、二人選手が同じように、コンビニに駆け込んできた。

 

後で、名前を知ることになるのだが、ヤマモトさんとホリイさんだ。

 

私『もう完全に走る気力を失って、もうここでやめようと思うんです…』

と伝えると…

 

その二人は、

『ここまで来たら、全歩きでもゴールできますから、あきらめないで、ゴールまでがんばりましょう』

と声をかけてくれた。

 

二人の言葉はありがたかったが、これ以上進んで、山中で力尽きて、多くの人に迷惑かけることもしたくない…

私『いや、もう無理です…』

と、ほぼリタイヤを決意しかけていたが、再度二人は慰留してくれた。

 

かなり、強く慰留してくれたので、むげに断ることもできず、二人の気持ちを踏みにじらないためにも、少しだけ歩いてからレースをリタイヤしよう…

 

そう思って歩みを進めることにした。

 

続く