ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

先日、近く行われる町長選挙の公開討論会がJCの主催であったので行ってきた。

 

美方JC、香住JCの共催で実施された。

 

首長選挙の公開討論会は、都知事選、兵庫県知事選など、もはや選挙の必須行事になりつつあり、いずれの首長選挙も、ある意味JCしか公正中立にできる組織はないのではないかと思われる。

 

OBの一員としてもとても誇らしく思えた。

 

今回の公開討論会では、あらかじめ設問が候補者に周知されており、答えるための前準備ができるようになっていたようである。

 

ある候補者は原稿をしっかりと書き込んで、その原稿に目を通していたので、しゃべる方としては手落ちがないのでいいと思う反面、即興的に答える回答の方が、リーダーとしての力量が試されるのではないかと思うので、そういう場面も少しあった方がよかったのかなとも思った。

 

さて、その中身で一番私が気になったのが、学校統合後の空き校舎の活用の問題である。

 

香美町は、香住区で7つの小学校が一つに統合された。そして、2028年村岡では3つの小学校が一つに統合される予定である。

 

空き校舎というどう有効に活用するのかという質問だった。

 

現職の回答は

 

統合によって空いた校舎は、住民との協議でどのように活用するかを考える…

 

そして、それでも決せられない場合は、今は建物解体に対する国の補助があるので、それを活用して取り壊す…

 

という発言だった。

 

香美町は10年前、すべての小学校の大規模改修工事を実施した。だが、当時から、生徒の減少は明らかだった。

 

しかし、当時の教育方針で、小規模校でも、連携した授業を構築することで、小規模校のデメリットをなくし、それぞれの地域の小学校が学校として活用できる道を選んだのだった。

 

おそらくすべての学校に投じられた耐震化への費用は、20億ぐらいはあったのではないかと思う。

 

もちろん残る予定になっている学校もあるので、そのすべてが無駄になったとは思わないし、まだ取り壊されるというものでもないが、なぜ当時の段階でも少子化が分かっていたにもかかわらず大規模投資に踏み切ったか…ということだ。

 

私は建設会社を行っているので、大規模改修工事にも携われせていただいたので、当社の収益にもずいぶんと貢献してくれたことは間違いない。

 

しかし、一住民の立場でいえば、そのような投資をされたのであれば、それを最大限利活用することが最も重要なことだと思うのである。

 

当時、学校耐震化が遅れ、国からもかなりの割合で財政的な支援があったと聞いている。

 

自腹を切る金額は少ないから…という理由でそれを活用したのだとしても、多くの身銭をきったことには間違いない。

 

昨今、地方の都市機能を集約する動きがある。

分散した機能では、道路インフラをはじめとして効率の悪い財政運営になることはかねてから指摘されていたことだ。

 

しかし、もっとも重要なことは地域が自治を行うということである。自分たちの地域を自分たちで守り育む。

 

首長にすべてを投げるのではなく、自分たちがどうすべきなのか…

 

そのことをしっかりと考える必要がある。

 

 

とある団体の旅行で、徳島県上勝町に行く。

 

わずか1500人足らずの山奥の地域に、年間5000人があるものを見に来る。

 

一つは、

ゼロウェイスト活動の拠点、ゼロウェイトセンター

 

家庭から出される廃棄物を43品目に分別し、可能な限り資源化を行い、また分別することで、極力コストを抑え込もうとする取り組みだ。

 

もう一つは、モミジなど、料亭の懐石料理などに飾りとして使われる妻モノを生産し、お金に換えることで収益を生んできた『いろどり』事業だ。

 

 

 

 

インターネットをたたけばこの情報はたくさん出てくる。

 

今回の視察では、集合研修でもあり、会議室の一室で、パワポを使って説明も受けた。

 

ああ聞いたことがあると知っている人も多いはずだ。

 

しかし、その場に行くといわゆるその事業の情報以外にたくさんのことがとびこんでくる。

 

何に違いがあるのか…

と思ったときに、僕はそれは奥行きだと思った。

 

車で現地に向かう道すがらは、山の中腹に開かれた道路であり、またそんな場所にある道であるがゆえ、右に左に大きく曲がりくねっていた。

 

その途中には、民家があり、そこに人が暮らす場が見える。

畑、森、学校や工場そういうものも目に飛び込んでいる。

 

今回話をしていただいた二つの事業とは、まったく関係のないもののようにも思われる風景だ。

 

でも、この奥行きの実感こそが、ゼロウェイスト運動にしても、いろどり事業にしても、一つ一つのストーリーが重く響いた。

 

そこに行かなくてもわかる情報は数知れずだ。しかし、事業とは直接関係のない情報こそが重要なのだ。

 

 

 
50人の視線が一人に注がれ、次の言葉が紬ぎだされるのを待っていた。
 
『誰かの役にたちなさい』
口から出そうにも、涙で言葉にならないが、それでもじっと目を凝視し言葉が発せられるのを待っていた。
 
多くの目には涙があふれていた。
 
娘が中学校を卒業した。
卒業式が終わり、教室に移動し最後の授業行われた。
 
最後の授業は、廊下と教室を隔てている窓は取り外され、教室からあふれた親御さんたちは、廊下からも見守っていた。
 
最後の授業は、各班が考えたクイズを順番に答えるアイスブレイクのようなものだったが、その後授業の締めで、担任の先生から子供たちに向けて最後のメッセージが伝えられた。
 
2年間担任を勤めていただき、いろいろな思い出がこみあげてきたのだろう。
 
しばらく涙で声にならなかったが、それでも先生から発せられる言葉を聞き逃すまいと、生徒のみならず、親たちも全身全霊でむきあっていた。
 
先生の言葉は最後の生徒へのはなむけの言葉として、人に役にたつ人間になろう…そういって締めくくった。
 
卒業式…みんなが感動に包まれて、生徒だけでなく、親たちも泣いていた。
 
いろいろな反省や後悔もきっとあるのだろうけど、感謝の思いがそれをかき消していく。
 
娘は将来先生になりたい…そういった。
 
世の中の誰もが人が幸せになるために日々努力している。
だけど、仕事を通じて、感動に包まれる仕事ができている人は、そう多くはないようにも思う。
 
今、目の前で繰り広げられている光景は、ドラマの中での出来事ではなく、リアルそのものだ。
人と人とが交わり、本音でぶつかりあうことができたから、これほどまでに感動につつまれるのだと思う。
 
卒業式に出席させていただき、ほんとに素晴らしいものを見させていただきました。
 
お世話になった先生方、本当にありがとうございました。
幼少のころから、スキーは身近にあり、生活の一部だった。
 
中学のときにはじめて全国大会に出場してから、インターハイ、国体(現国民スポーツ大会)、全日本選手権といった全国大会を目指してずっとやってきて45歳までほぼ毎年大会に出ることができた。
 
全国大会に出場するためには、各地の予選会などを勝ち抜いていかなくてはならない。
 
もちろん、そのための努力は必要なのだが、それだけで実現できないことを知った。
 
それは連盟の人たちの存在だ。
選手の強化をはかり、競技会を開催・運営していく…そういった存在が不可欠だ。
 
だから、常々先輩から
『全国大会に出場した年数分だけ、連盟に奉仕しろ』
と言われ、年齢を重ねるにしたがって、その言葉が身に染みて感じるようになった。
 
今でも私自身は、選手活動を引退したとは思ってはいないが、しかし、連盟を運営していく人材が必要であることも重々承知しているので、県連の役職を受けることは必然だとも思っていた。
 
数年前からの競技部の理事、競技部長を経て、2024年6月に理事長を拝命した。
 
実のところ、理事長の重みや、職務のボリュームなどもよく理解はしていなかったが、自分が必要とされているのであれば…とお受けすることにした。
 
これまで、それぞれの役職に応じた役割を演じてきたつもりだったが、理事長となれば、その役職のとおり、連盟全般のことを理解する必要があった。
 
兵庫県スキースノーボード連盟は4部構成となっている。
・自分がずっとかかわってきたアルペン競技を含む競技活動の強化運営を行う『競技部』
・広く一般の人々にスキーを伝播していく役割を担う『教育部』
・同じスノースポーツでもあり、今やスキーヤーよりも人口が多いと思われる『スノーボード部』
・そして組織全体を円滑に運営していく『総務部』
 
これまで、競技部に関わっているだけで、他の部門のことなど理解していなかったが、理事長となればそういうわけにはいかない。
 
だから少しづつでも理解を深めねばと思った。
 
昨年はじめて、県の技術選手権を観戦し、今年の県技選では、主催者の挨拶もすることになり、少しづつ内容が理解できるようになった。
 
アルペン競技しか、かかわったことがなかった自分にとっては何より目新しく、参加者も20歳そこそこの若者から上は70代ぐらいのシニアの方まで…
 
年齢を問わず、みんなスキーに一途で熱かった。
 
2月ごろからふつふつと教育部最高のイベントである全日本技術選手権(技選)はこの目でみておかねばならないと思った。
 
技選の日程は、3月6日~9日の4日間、場所は北海道ルスツリゾート。
 
しかし奇しくも、競技部の主催イベントハチ北モーグルが3月7日~9日の日程と重なっていた。
 
ルスツをググってみると、千歳からは約2時間、日帰りで行けなくもない…
 
ひそかに心の内でプランを温めていたが、地元ハチ北で開催された『テクニカル・クラウン検定会』で集まっていた教育部の役員を前にポロッと口が滑ってしゃべってしまった…。
 
その場では、軽く流されたと思っていたが、教育部のスタッフ内では、もうその話は既定事実になってしまっていて、後に引けなくなった。
 
実は3月1日~2日の日程で、ハチ高原ではスキー連盟最大のイベントとでもいうべき、スノーフェスタが開催されていて、そのときには会長の耳にも入ってしまっていた。
 
実は、その時点でもまだエアのチケットとっていなかったのだが、もうほんとにひけなくなり、急いでチケットを手配。
 
当日は朝3時に家を出て、札幌行6時50分のLCCに乗り込み、新千歳には9時30分ごろに到着(荷物トラブルとやらで、出発が少し遅れた)
 

 
到着後すぐに、空港近くのレンタカーで車を借り、現地についたのは11時00頃だった。
 
今回は全くスキーを滑る準備はしておらず、とにかく身一つで現地に行くことだけを考えた。
 
スキー場に到着するが、大会会場は山の中腹にあり、歩いてゴールまで行った。
 
予選初日とはいえ、ギャラリーの数やメーカーブースの規模、数など、国内最大の競技イベントである国スポよりもはるかに華やかさがあった。
 
スキー界にとっては、マーケティング的にはアルペンよりもはるかに大きな位置づけなのだなぁと改めて思い知る。
 
予選一日目は2種目開催され、2カ所で行われていて、すでに半分の選手が滑り終えているところだった。
 
残りの半分の選手しか観戦できなかったので、兵庫チームのすべての選手の滑りを見ることはできなかった。
 
すべての選手が滑り終えて1日目の競技が14時頃終了した。
 
 
 
監督コーチ選手がフィニッシュエリア付近に集まってきていたので、選手コーチを前に
 
『明日以降もがんばってください』
と激励して、現場をあとにする。
 
帰りの便まであまり余裕がなかったので、そそくさとルスツを後にする。
 
19時の飛行機に乗り、21時30分ごろ、関西空港に到着、家についたら真夜中だった。
 
かなり無謀な日帰り強行軍だったが、初めての全日本技選の観戦は自分にとっても貴重な経験だった。
 
ところで、金曜日から行われる予定だったモーグル大会は、大会バーンとして使う予定だったスーバーモーグルコースが急激な降雪と、その後に続く雨と高温で、雪面に亀裂が入ってしまった。
 
 
スーパーモーグルコース隣の北壁ゲレンデは大規模に雪崩が発生し雪の塊がコース下方まで崩壊した。幸い怪我人は出なかった。
 
隣の惨状を見れば、モーグルコースも同様の危険性があり、大会を中止にせざるを得なくなり、自分が勤める予定だった大会の役員もキャンセルとなってしまった。

雪があるのに大会を中止しなくてはいけない大会スタッフの無念を思うと少しつらい部分もあるがこればかりは仕方ない。



大会が流れてしまったことで、泊して北海道に入れたではないか…と思ったが、すでに後の祭り。
 
今回の技選への日帰り強行軍がどれだけ選手や連盟のためになったのかわからない。
しかし自分が理事長という立場になったことで、急遽思い立った出来事だったが、技選をちゃんとこの目で見れたことは自分にとっては意味があることだったと思う。
 

秋田に遠征したときのこと

 

目的地である鹿角市は、車で約15時間ほどのみちのりだったので、秋田市で一旦宿泊をしてから翌日鹿角に行くことにしていた。

 

秋田市に21時30分ごろには到着し、その後ホテルにチェックインし、次の朝はゆっくりスタートすることに決めていた。

 

到着した翌朝は早起きしマチ散策をしたり、朝ごはんをゆっくりとるなどしてゆったりと過ごそうと思っていた。

 

秋田駅のすぐ近くのホテルに泊まったので、駅周辺にはスターバックスもやっていたので、最初はそこでコーヒー飲みながら、読書でもしようと企んでいたのだが、なんとなくそれではつまらんなーと、いろいろググっていたら、おもしろうそうなカフェをみつけてそこに入ることにした。

 

 

内装は、木質の重厚な感じで、オーナーさんのこだわりが半端ない店で、居心地もよく、最高に充実した時間を過ごすことができた。

 

僕自身スタバは好きで、あちこちに店には結構立ち寄る。

豊岡にできた店も、できてすぐだと50越えのおっさんにはミーハーすぎるので少し間をおいて行ったが、そこは確実に押さえといた(笑)

 

ただ、スタバは絶対的な安心感はあるのだけれど、でもどことなく少し面白みに欠けるな…とここ数年そんな風に感じていた。

 

カフェに限らず、オーナーが個性を発揮しまくっている店というのは、やはり好奇心をくすぐる。

 

自分が好きなことを突き詰め、それを発揮していくというのは、これまでの日本人は苦手としてきたところかもしれない。

 

だが、人が何かを興味を惹かれるというのは、やはりその人が持っている個性をいかんなく発揮された時なのではないかと思う。

 

おそらく、人が存在する数だけ、その人の人生の歩み方というものがあるはずで、人災の歩みには絶対に同じものなど存在はしない。

 

しかし、アウトプットするという場面においては、社会がなんとなくとがったものや、これまでとは異なったものを受け入れにくいということもあった。

 

これから、世の中をおもしろくしていくのは、その人が歩んできた唯一無二の世界観を惜しげもなく発揮してくるところにあるような気がする。

 

スタバでは決して表現することができない、カフェの一席でそんなことをつらつら考えていた。