ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】 -11ページ目

ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

今、ちょうど日本経済新聞の特集記事でローカル線のことをやっている。

 

 

うちの町にも山陰線が通り、この路線も御多分に漏れず、路線廃止うんぬんとよく議論にあがるところだ。

 

しかし、私自身は、かなり以前から、この議論にものすごく冷めた目で見ている。

それは、自分が住んでいるところが、鉄道沿線からかなり距離があるからなのだが、住民の『足』でいえば、バス路線も以前から衰退の一途をたどり、生活に不便を強いられてきたからだった。

 

今、ライドシェアの議論がされている。

しかし、タクシー業界が行く手を阻み、真の意味のライドシェアにつながらない可能性がある。

 

都会では、タクシーがつかまらないことを理由にこの議論は盛り上がってきているが、そもそも、タクシーが走っているところは、鉄道の駅をハブとしてなりたっているわけであり、バス路線すらないところは、この交通難民状況をずっと受け止めながら生きているので、ある意味贅沢な悩みだとへき地の人間は思う。

 

 

 

 

過去のポストをさかのぼってみると、実に10年以上も前に、私自身もそういうことに対する問題意識をもっていたようだ。

 

 

しかし、いまだ何も変えることができず、むしろひどくなる一方だ。

これだけテクノロジーが発達しているのに、交通難民を救えない現状に憤りを感じざるを得ない。

 

日本国憲法では居住の自由が保障されている。

大人は幸い車を手に入れ、居住の自由、そして移動の自由を謳歌できる。

 

しかし、生まれ来る子供たちには、車という移動手段を持てない以上、自由に移動することができず、憲法違反ですらないのかと思ってしまう。

 

若い世代が都会にあこがれてしまうのは、もしかすると高校卒業するまでの十数年間、この移動の自由を奪われて生きてきたトラウマがあるのかもしれない…。

 

そう考えるならば、既得権をとっぱらい、人がもっと自由に移動できる自由を与えなければいけない…。

 

コンパクトシティの問題も、突き詰めれば、インフラの重点投資をどうするのかといった問題のほかに、交通問題がかなりの問題を占めている。

 

日本に、今8,000万台の車が登録されているようだが、制度や規制をすることで日本の課題の解決に大きく前進すると思う。

昨日は、多くの皆様にお祝いしていただき本当にありがとうございました。

2月11日は建国記念日だから、その前の日である10日は連休になることが多く、スキー場では最も忙しい日になります。

だから、子供の頃はとても忙しく、ゆっくり祝ってもらう雰囲気でもなかったのですが、だからといってさみしいとか、そんな感情はほとんどありませんでした。

ただそのためか自分の誕生日にはさほど関心もなく、Facebookでお祝いのメッセージをもらって、ああそういえばそうだった…と気づくぐらいです。

ある人にそんなことを言うと、

『誕生日というのは、自分をお祝いしてもらう日ではないよ

親に生み、育てていただいたことに感謝する日だよ』

と教えていただき、自分の愚かさを恥じたのでした。

父は介護のショートステイに行っていたので、家にいなませんでしたが、母には頭を深く下げて、お礼を伝えました。今までそんなことしたこともなく唐突だったから、たじろいでたけど、母に伝えることができて、とても穏やかな気持ちになりました。

昨日、どんな一年にしたいと抱負を求められました。
ちゃんと感謝できる人になりたい…と思いました。

51歳にして、まだまだ半人前。
1年後にもう少しまともな人間になれるよう努力します。

これからもよろしくお願いいたします。
 
昨日のハチ北、Xにポストした。
 
 
 

 

雪がなく営業がまともにできていないことに、リフト会社への批判の声を耳にしている…

 

その大半は地元からの声のような気がする。

 

いつものハイシーズンから考えると、確かに、今の状況はかなりヤバイ状況にある。

 

だけれど、私はそう思わなかった。

なぜなら、近隣スキー場はほとんどがクローズしているし、全国的にもかなりの雪不足であることを知っているからだ。

 

自分自身が、モノゴトを客観的に、俯瞰的に見れる人物だとは思わないが、少なくても、今回はそのように見ることができた。

 

この逆もまた真なりである。

 

自分ところは、完璧だ!と思っていても、俯瞰してみると、そのレベルが低かったりということはよくある話だ。

 

俯瞰の仕方はいろいろある。

一次的には、メディアからのニュースだろう。だが、それも、その情報をどう読み解くのか…俯瞰的にその記事をとりあげられる人と、そうでない人がいる。

 

そして、二次的には、自分が経験したり、見聞を広げるために、実際に足を運んだり…。

 

そうやって、俯瞰の度合いをしっかりと広げることができるのか…。

 

それが大事だ。

 

近視眼的にかモノを見れないと、多くの判断を誤り、正確な答えを導き出すことはできなくなるし、他人に寛容に、己に厳しくはできなくなる。

 

俯瞰してモノゴトがみれるよう、しっかりと自分を高められるようにしたい。

 

23日は、ハチ北スキー場のオープン日だったが、地元関係者の人とたちの本音は、ホッと胸をなでおろした気持ちだっただろうと思う。

 

これまで、約20年にわたり、『造雪機』がスキー場の積雪を支えてきていた。しかし、機械の老朽化、電気代の高騰などで、これまでの機械は使えなくなってしまい、新たに降雪機を導入していただいた。

 

 

造雪機は、簡単にいうと、機械で、氷をつくり、それを砕いてゲレンデにまき散らすものだった。

 

だから外気温が何度であろうとも、雪をつくることは可能だった。これまで、オープンの日にちを決めたら、そこから逆算して雪を作りはじめていたので、オープン日が遅れるということはなかった。

 

一方、降雪機は、水を霧状に空気中に散布し、外気によって、地面に落ちるまでに雪になるというものだ。なので、外気が冷たいということが条件となっていて、これに関しては、天候に左右される。

 

今年はエルニーニョ現象が見られ、暖冬になる…というのが大筋の予報だった。

 

実際に、12月になっても、半そでで過ごせる日もあるなどして、ほんとに寒くなるのだろうか…という心配があった。

 

幸い、12月20日ごろから、寒気が流れ込み、逆に12月としては異例の寒さとなったため、降雪機がフル稼働した。

 

西日本エリアの各スキー場も、オープンの便りがいくらかは届いたが、その多くは、天然雪によるものだ。

 

クリスマスあたりから、正月にかけては、今度は、この時期としてはかなり異例の温かさになるという。

 

残念ながら、今の降雪量では、スキー場はクローズせざるを得ないであろう。

 

そんなことを思うと、地元スキー場が思い切った投資に踏み切っていただいたことは本当にありがたいとしかいいようがない。

 

未来にむけて、私たちが生きていくにあたり、未来をどう創造し、それにむけてどう投資をおこなっていくのか…

 

そんなことを改めて考える機会になった。

 

自然に身を任せるだけで、よりよい未来を生きていくことはやはり難しい。

 

未来はきっとこういう社会になるあるいはなってほしいと願い、

あるいは、さまざまなリスクが存在する中で、一つでもそういったリスク要因を減らしていくために、必要なモノを投入し、回避していくこと。

 

人間が生きていくということは、そういうことなのだなぁと改めて思った。

 

 

 

 

 

 

夏に使用した道具を片付けようと、倉庫に入ってみると、置き場がなかった。

 

こりゃ困ったな…と目を凝らしてみると、段ボールに入ったカレンダーの一式を見つける。

 

中を開いてみると、2022年のものや、2023年のカレンダーが多数押し込まれていた。

 

うちの会社に限らずなのだろうが、多くの企業さんとお付き合いさせていただいているので、たくさんカレンダーが届く。

 

年末のご挨拶を兼ねて、日ごろの感謝の気持ちを、その会社の担当の方が伝えに来てくれる。

 

だけれど、うちの会社の中に必要なカレンダーは、どう多く見積もっても4つが限界だ。

 

使いきれないカレンダーは、社員の皆さんにも自由に差し上げているのだが、それでもやはり余ってしまうのだ。

 

受け取ったうちの社員も、そういう感謝とともに、もらったものをムゲにすることもできず、結局行き場を失って、倉庫に押し込まれたのだろうと思う。

 

しかし、夏場の道具をどうしても片づけなくてはならず、処分をすることにした。

 

ただ、せめてもの思いとして、ゴミに出したりすることを避け、資源として再利用できるように、分解するようにした。

 

 

 

 

そういうことをやる時間が、そもそももったいないのではないか…

という意見もあるだろう。

実際、目の前のカレンダーをバラすのに、30分はかかった。

 

合理的ではない…

と自分でも思う。

 

だけど、その30分の中で、いろいろ気持ちが渦巻く。

 

うちの会社でもおんなじことをやってないだろうか…とか。

形ばっかりこだわって、本質的はないではないか…とか。

 

合理的ではない行動だけど、そこにはいろんな感情が渦巻く。

 

 

モノを大事にしようとか、そういう概念はみんな知っている。

だけれど、そこにはいろんな温度差がある。

 

まだまだ道半ばだが、本質的な行動につながるよう、非合理的なもことにもむきあっていこうと思う。