LAKEBIWA100を振り返る | ニシムラマサキのブログ 【株式会社 西村工務店 代表取締役】【 SASAYA・うづかの森 オーナー】

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どうすれば地域を『素敵』に変えられるのか、誇るべき田舎になるのか、そんなことばかり考えています。

 

 

100マイルのトレイルラン、LAKEBIWA100に出場した。

 

世の中には、走ることを趣味にしている人は数多い。

最初はジョギングで2キロとか、5キロと始まり、だんだんと自信がついてくると、一つの大きな目標に、フルマラソンを置く人は多いと思う。

 

42キロは確かに、最初、果てしなく遠い距離に思われるが、頑張ってそれをやりきれば、とてつもない達成感を感じるものだ。

 

それを達成できると、私は大きく3つの進む道に別れると思う。

 

1つ目は、フラマラソンをとことん極めていく道。

サブ4とか、サブ3とか、自己ベストを追い求めて行く道だ。

 

2つ目は、ウルトラマラソンへの道。

42キロから、50キロになり、さまざまな距離のレースがあって、一つの節目、ウルトラ(100キロ)に行き着く。

 

そして3つ目は、トレイルランの道だ。

アスファルトなどの平坦地では空き足らずアップダウンが激しく、そして登山道、林道などのさまざまなロードコンディションを攻めていく。

 

私は、実はフルマラソンの経験がほとんどなく、いきなり、地元のウルトラマラソンに飛び込み、そして、トレイルランニングへと踏み込んでしまい、それがどハマリしてしまい、トレラン中心になってしまった。

 

まあ、自分が住んでいる場所が山の麓であり、平坦地がほとんどなく、山しかないという環境だからということもあるのだが…

 

トレランも初めてのデビューはOSJ氷ノ山トレイル70キロだった。

 

ただ、トレイルは感覚的には半分ぐらいは歩いて、ランニングの一つには違いないのだけど、ランニング半分、登山半分。そういうスローな感じも私の体質にはどうやら合っていたようだ。

 

氷ノ山トレイルの70キロがデビューだったわけだけど、その後、50キロ、35キロなどなど、さまざまな距離にチャレンジすることになる。

ただそれらのイベントは1日で完結するものが多く、しばらくはそういうのが中心だったのだけど、トレランのステータスが一昼夜を超える100マイルと知って、いつの間にか100マイルは目標に据え代わった。

 

2019年、100マイルにチャレンジできる資格を得たので、日本でももっとも有名な100マイルレース、ウルトラトレイルマウントフジにエントリー、するとラッキーなことに当選してしまった。

 

しかし、ご存知の通り、コロナ禍が世界中を襲い、2020年、2021年と連続して中止となってしまった。

 

2022年、関係者のご努力で、UTMFは開催され、走り切るチャンスを得て、ゴールも果たすことができた。

 

UTMFの存在を知ってから、さらにもう一つ上のステージがあることを知る。

 

欧州最高峰モンブランを一廻りするUTMB(ウルトラトレイルデュモンブラン)だ。

 

ただUTMBには、ある程度のレース経験などの参加資格が必要だったが、2022年の時点で、参加資格がなく、その姉妹レースであるCCCというレースの参加資格は得ていた。

 

チャンスあればと申込みをしてみたら、またもラッキーなことに当選。

コロナ禍での海外レースだったが、これもまたゴールをすることができた。

 

残すはUTMBである。

だが、UTMBに至るには、まだまだハードルは高く、当面、国内の100マイルレースに挑戦して、実力を蓄えることにした。

 

年に2〜3レースは走る機会を設け、いつでもUTMBの当選のチャンスに備えておきたい。

 

2023年春、UTMFに再当選し、再び走る機会を得て完走できた。

 

夏、UTMBの出場資格となっているランニングストーンと呼ばれるポイント獲得のために、スペインに行った。(結果については、Val’d aran by UTMBを振り返るを参照)

 

続く